1-02 お嬢様、故郷で学ぶ
前話が長かったため、分割しました。
最後におまけの1文を追加。
神暦720年王の月7日
「おはよーっす。」
私たちに声をかけたのは、銀髪を短く刈り込んだ少年だった。
「フェル、おはよう。」
「あ、フェル兄、おはようございます。」
「フェリクス兄様、おはようございます。」
3人で返事をする。
話しかけてきたのはフェリクス・バール16歳。3人の従兄弟である
本来であれば、彼は既に成人し、お師匠様の私塾を卒業している年齢であるが、成績が悪かった上に地元を離れないのでそのままずるずると通っていた。
彼の父ラザール・バールはデファンス領騎士隊副隊長として、領内の治安維持および国境警備、住民に危害を及ぼすモンスター討伐など、日夜任務に勤しんでいる。
「ここ最近見なかったけど、何か任務?」
「ああ、東の街道のほうで行商が盗賊に襲われたんだが、逃げ出した行商の通報で現場に駆けつけてみれば、金目のものは馬車ごときれいさっぱり。周囲を3日ほど捜索したけど収穫なしだ。」
「そんなことがあったの。それにしては父上は何も言っていなかったけど。」
「ああ、領主様は町を守るお役目があるからな。外回りは副隊長の役割だ。」
「じゃあフェル兄はそれのお供?」
レオルが尋ねる。
レオルは昔からフェルを年の離れた兄のように慕っている。
「ああ。もっとも、一番の下っ端だから雑用中心でつれーわ。」
「やっぱり野宿?雨、降らなくてよかったわね。」
ここ数日は天候に恵まれていたような記憶がある。
「朝露も結構鬱陶しいけどな。あと2日目は街道沿いの避難小屋に泊まったけど、やっぱり屋根があるだけでありがたいわ。」
そう言ったフェルの顔には、まだ疲れが見える。
「帰ってきたのは昨日?」
「ああ、日が落ちてからな。一晩じゃ疲れが抜けきれねぇ。おまけに朝からいつもどおり訓練があるし。」
そう言って大きくあくびをするフェル。
そんな会話をしながら、私塾の門を潜り、教室に入った。
「それでは本日の課題は”大戦”だ。ユーリア、知っていることを話してみろ。」
お師匠様が教壇に立ち、私を指名する。
隠者レイシェル。
ミステリアスな赤毛の美女である彼女は、普段であればその瞳に隠しきれない知性を宿すが、いまはその目は眠たげである。
年齢不詳・種族不詳。
村の長老に聞いても、彼が子供の頃からここに私塾を開いており、今と変わらぬ外見をしていたとの事だ。
ちなみに、その祖父も同じ事を言っていたらしい。
森妖精の血を引いているなどとも考えられるが、赤毛の半森妖精など聞いたことがない。
赤森妖精という種族も本の知識として知ってはいるが、あれは肌の色が赤銅色だったはずだ。
それはともかく、指名された私は自分の知識を探り、お師匠様に答える。
「はい。”大戦”とは、およそ750年ほど前に始まった、人間族とそれ以外の種族、魔軍との戦争です。高度な文明を持っていた人間族はその力で魔軍に対し優勢に戦いを進めましたが、竜族など大型知性種の参戦により戦況が悪化、他の大陸では人間族は敗北。そしてこの大陸では、現在のラヴォリ国、リオタール公国の位置にあった魔軍に与する国を滅ぼすことでこの大陸から魔軍を駆逐し、終戦。暦を”神暦”に改めました。」
私がお師匠様の顔を見ると、満足そうに頷いていた。
「ふむ、大体合っている。結構。ただ惜しむらくは、『現在のラヴォリ国、リオタール公国の位置にあった魔軍に与する国』の所だな。正確には、組する国があったんじゃない。未統治領域であったその場所を魔軍が占拠したのだ。では魔軍はどこから来たのか。魔軍は少数の先遣隊を海棲系モンスターの力を借りて他の大陸から派遣し、現在の紅の森を抜けたあたりに転移門を築き、それを橋頭堡とした。これは次元魔法の奥義を利用したもので、これを使用することにより、別大陸から大軍勢を無尽蔵に送り込むことができた。無論、こんなものがあっては、人間族軍にとってもたまったものじゃない。故に主戦場が紅の森となり、人間族の最前線基地のあった場所がこのデファンスだ。」
一部の生徒たちにとっては初耳なのだろう。
この町の太古の歴史を聞き、ざわめきが漏れる。
「そして長い年月をかけ人間族は魔軍の撃退に成功し、転移門を奪取。これを破壊し、掃討戦に入った。さて、ここまで話せば幾つかの事に気づく者もいるだろう。」
そう言って教室を、生徒の顔を見回す。
そこにレオルが手を挙げ、質問する。
「お師匠様、この町に存在する遺跡は、やはり”大戦”のものなのですか?」
「そのとおりだ。この町の遺跡は、学術調査によりすべてが750年程前のものだと判明している。その後の衰退した人間族文明に比べ、比べ物にならない程の高い技術で作られている。よって、過去のお宝を発掘するために、国の調査団や一攫千金を夢見る冒険者が訪れては、この町に金を落とす。」
そう言って教室内を見ると、生徒の視線が宿屋の娘や道具商の息子に集まっていた。
「戦争により作られ、戦争により発展し、戦争遺跡により人が集まり、戦争遺跡により潤う。それがこの町だ。…さて、この町の詳しい歴史が気になったものは、『デファンス領史書』という本をあたってみろ。この塾の図書室とヴィエルニ家図書室に蔵書してある。」
そしてその後も授業は続き、ほぼ定時に終了した。
授業の後にお師匠様に呼び出された。
レオルとアレリアを先に帰らせ、お師匠様の私室へ入る。
部屋の中のデスクの向こうにお師匠様が座っている。
彼女の前に一人で立つときは、いつも緊張せざるを得ない。
この領内に、腕の立つものは何人もいるが、定住している者はほぼすべてが彼女に師事している。
そしておそらく、彼女はその中で一番強い。
剣の腕では伯父上には適わないと思うが、彼女は魔術も使う。
そしておそらくは魔導師レベルで。
数年前、お師匠様が王都で開かれた学者の研究発表会に参加するときに、お供としてついていった事があった。
無事に目的を果たし、帰路について2日目、やつらは現れた。
昼尚暗い森の中、道が倒木でふさがれていた。
そしてその手前で馬車を停めた時、後ろの茂みから剣を抜いた5人の革鎧姿の男たちが現れ、真ん中の男が告げる。
「商人…じゃなさそうだな。まぁ何だ、月並みな台詞で悪いが、金目の物全部おいてきな」
「ボス、さっさと身包み全部剥いじまおうぜ!そのほうが手っ取り早ぇ!!」
そう言って馬車の後ろを囲む男たち。
それを見て、護身用の小剣を抜き応戦しようとした私を彼女は片手で制すると、左の御車台から降りて男達のほうに向かい、ローブのフードを外した。
途端に色めき立つ男たち。
口々に口笛やら軽口やらではやし立てる。
それを無視するかのように、彼女は首に下げていたネックレスを外す。
…それはネックレスというにはあまりにもゴツすぎた。
拳大よりも一回り大きい赤い宝珠を吊るす鎖は、モンスターを縛り付けるのにも使用できるくらい太いものだった。
「すまないがこれで勘弁してもらえないか?」
彼女の言葉に、ボスと呼ばれた男が答える。
「悪いな。ここまでのいい女を解放するつもりはねぇし、手下を押さえつけとく事もできねぇ。」
そう言って下卑た笑みを浮かべる。
「ま、身包み剥いだあと、そっちの小僧は口封じに締めごっ!!」
口上が終わる前に、彼女が素早く動いていた。
手に持ったネックレスの宝珠をそのままボスの頭に振り下ろしたのだ。
ボスはそのまま崩れ落ちるが、男たちはまだ何が起こったのか理解できていない。
その隙に、彼女が次の獲物に襲い掛かる。
ボスとその左側の男の間をすり抜けざまに左側の男の顔面に宝珠をぶち当てる。
もんどりうって倒れる男。
跳ね返った宝珠を回転によりそのまま加速し、さらにその左の男に近づきざまに手を伸ばし遠い間合いから膝頭にフルスイング。
膝を砕かれ、悲鳴を上げながら地面に転がる男の側頭部に宝珠を振り下ろし、沈黙させる。
そして残りの2人に向き合うお師匠様。
男たちも我を取り戻し、武器を構えじりじりと間合いをつめる。
そして前に出でていた男が、剣を振り下ろしながら走り寄ると、彼女は宝珠を振り回しながら素早く男の脇を回りこみ、勢いの乗った宝珠を後頭部に叩き込む。
仲間の倒れる様を見た最後の一人は、身を翻し馬車の御車台にいる私に向かう。
私は迫りくる男に剣を向け構えるが、その男の後ろから走り寄るお師匠様の姿が見えた。
彼女は素早く鎖を握った両手を男の首にかけ、体軸を中心にくるりと反転しつつ片足で相手の両足を払う。
鎖が締まり、足を払われた勢いで体勢を崩す男は、首を吊され、頚骨を折ったのだろう、すぐに動かなくなった。
そして彼女は私が剣を抜いて用心深く見張りをする中、一人ずつ武装解除し縛り上げた後で軽々と荷馬車に積み上げ、次の町に向かったのだ。
結局、町で衛兵に5人を引き渡した時にはそのうちの2人は既に事切れていたのだが、まぁ構わないだろう。
盗賊は捕まれば運がよくても縛り首だ。
このように盗賊5人を武器とも呼べないようなお粗末な武器で素早く眉ひとつ動かさずに始末でき、腕力も人並以上であれば、本気になれば最低でも上級騎士レベルには相当するだろう。
そんな事を思い出していると、お師匠様が声をかけてくる。
「そう緊張するな。取って食ったりはせんさ。」
「はい。ですが今日は何用でしょうか?」
緊張の抜けない私を見て苦笑する。
「ま、他でもない。お前が行儀見習いに出るという話は聞いている。その詳細がわかれば聞いておきたいと思ったのだが。」
「いえ、お師匠様。まだ先方と調整中との事です。」
「そうか、詳しくわかったら教えてくれ。何も告げずに出発したりするなよ。お前の母は私にほとんど相談をせずに物事を決めていたからな。」
彼女の言葉に目を見開く。今がチャンスではないだろうか。
「母…についてお聞きしてもよろしいですか?」
「ああ、話せる事なら。」
『知っている事』ではなく『話せる事』か…。
やはり何かあるのか。ゴクリと唾を飲み込む。
「母の…出生はご存知ですか?」
「詳しくは知らない。拾ったから養女として育てた。そんな所だ。」
「母は、父のどこに惹かれたのでしょうか?」
彼女は苦笑して答える
「あまり強くはないがやさしい所、最大の利益を望むが誠実な所、心は弱いかもしれないが必ず立ち直る所、そして…自分の子を愛してくれる所。そんな事を言っていたな。」
「それでは…私が生を受ける代わりに、母は亡くなりました。母はこれで満足だったのでしょうか?」
いつからか心の底に抱えていた疑問。いつの間にか自分で自分を縛り付けていた罪の鎖。
だが、その答えは重荷から解放される鍵となった。
「ああ、満足していたとも。あいつはもともと体が弱くてな。母子ともに無事な出産…は望み薄だった。それでもあいつは言ったんだ。『次代に命を繋げることができる…こんなに嬉しいことはない。』と。そして今際の際に言っていた。『娘と夫を頼む』と。『自分の思うままに生きなさい。貴方は何者にも縛られない翼を持つのだから』と娘に伝えてくれと。」
その話を聞きながら、いつしか私は泣いていた。
物心つく頃には既にこの世にいなかった母様。
その存在をはっきり身近に感じることができたような気がした。
そして涙を流す私を席を立ったお師匠様がそっとその胸に抱いてくれていた。
「ありがとうございました。母様のお話をお聞きできて本当によかったです…お婆様。」
「いや、その呼び方はやめてほしい。マジで。そう呼ばれると一気に老けそうだ。」
彼女は本当に嫌そうな顔をする。
「で、では、最後にひとつだけ…。は、母は…母は豊満な方でしたか?」
ユーリアを門まで送った後、レイシェルは自室に戻る。
椅子に深く腰をかけ、背もたれに身体を預け、完全に脱力する。
しばらく天井を見つめた後、一人ごちる。
「イーリア、お前の娘は立派に育った…一部以外はな。だが、詮無き事とはいえ息子に生まれてこなかった事が悔やまれて仕方ないぞ。」
私塾から屋敷へと一人帰る。
ちなみにお師匠様の答えは、
「今のお前と大して…いや、ちょっとはマシだったか?」
といった大変失礼なものだった。
玄関を抜け、居間で寛いでる母上にアレリアの添い寝の件で了承を取り、アレリアと一緒に風呂に入る。
いつものように互いの背中を流し、一緒に湯船に浸かる。
風呂の中ではつい眠くなってしまうので、アレリアが真っ赤に茹で上る前に一緒に出る。
しばらくすれば夕食の時間だ。
本日の献立はパンにチーズに具沢山のシチュー、サラダに季節の果物がいくつかとワイン。
いつもと大して変わらないそれらを食べ終わった頃に、父上が口を開いた。
「ユーリアの行儀見習い先が決まった。ヴァレリー領、タレイラン侯爵家。出立は3日後だ。」
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後日、図書室にあった『デファンス領史書』を読んでみた。
250年ほど前に書かれた本だったが、デファンス領の歴史について、事細かに書かれていた。
著者は共著とのことで、10人ほどの名前が書かれていたが、その中の一つは大変見覚えのあるものだった。
お師匠様、貴方は一体何者ですか?
読んでいただき、感謝いたします。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。