1-18 お嬢様、修羅場を収める
神暦720年 王の月16日
伯爵の言葉を聞くや否や、怒りに顔を染めて伯爵目掛けて駆け出した伯爵夫人に、エリックさんとジャックと呼ばれた近侍が後ろから縋り付く。
だが、怒りのあまり二人が縋り付いてもその歩みは止まらない。
「貴方はっ、またしてもこのようなっ!」
「いや、待て、誤解だ!わしが悪かった!」
「悪かったとは…つまり不実を認めるということですのね!?」
「いや、そうではない。わしの言葉が拙かった!」
腰を抜かした伯爵が必死に弁明する。
「待て、客の前だ。まず落ち着け!」
伯爵の視線の先をたどり、奥方の視線がこちらを捕らえる。
「貴方は…こんな自分の娘程の子にまで手を出して!しかも孕ませるなんて!!」
益々とヒートアップする伯爵夫人。
「誤解だ、どうしてそうなる!?」
これは…収まらないな。
あまりの迫力に、ミーアは毛を逆立てて夫人を威嚇しているし、アンジェルはそのミーアに涙目で縋り付いている。
マリオンは…普段どおりに見える。これがリース家の日常風景なのか?
仕方がない。
私は夫人の前に進み、一礼する。
「お初にお目にかかります、伯爵夫人。デファンス伯エルテース・ヴィエルニが娘、ユーリア・ヴィエルニと申します。」
「えっ?まぁ…これはご丁寧に。ブリーヴ伯が正室、ヴァネッサ・リースです。凛々しい娘さんね。」
突然の自己紹介にあっけにとられたのか、それとも普段から染込んだ礼儀作法の所為か、次第に落着きを取り戻す。
「お褒め頂きありがとうございます、奥様。このたび、幸運にもマリオン様と御友誼を結ぶこととなり、マリオン様は年上である私を『お姉様』と呼んで下さいました。それを聞き及んだ伯爵は、『娘が増えた』と大層お喜びになられ、そこへ奥様がいらっしゃったもので、つい言葉を過たれたのでしょう。」
「まぁ、それじゃぁ…?」
「はい、私が伯爵とお会いしたのは今日が初めてです。出会ってから半刻で孕むほどふしだらな女ではありません。」
イラッとした所為か、つい皮肉が混じる。
「まぁ、それは…本当にごめんなさいね。私ったら、嫁入り前のお嬢さんに何て事を。」
まったくだ。場合によっては領地間での争いの火種にすら成り得る発言だ。
「いえ。落ち着かれましたか、奥様?」
だがまぁこの場が収まれば良しとしよう。
へたり込んだ伯爵の手を取り、引き起こす。
それを見てエリックさんたちがあわてて駆け寄るが、既に伯爵は引き起こされた後だった。
「すまない、助かった。私の浮気の話になると、うちの家内はいつもああでね。これでも昔は浮名を流したものだが、結婚してからは控えているのだよ?」
つまり、ゼロではないのか。
「とりあえずはお茶の続きにしよう。」
「ところであなた、そちらのお嬢ちゃんとその剣牙猫ちゃんは?」
「ああ、ユーリア嬢のお付のアンジェルと、その飼い猫のミーアだ。ユーリア嬢たちはマリオンの命を救ってくれたのだよ。」
ソファーに座る人数は5人になった。伯爵とマリオンの間に伯爵夫人が座る格好だ。
…これ以上は増えないでしょうね?
侍女のジョゼさんがお茶のお代わりを注ぐ。
うん?比べてみると、彼女の顔つきはマリオンとどことなく似ているような気が…というか、目元が伯爵とも似ている。
親戚筋だろうか?
「まぁ、それで。」
事情を聞いて、夫人も納得したようだ。
「ええ、行儀見習いの間は乗馬する機会もないでしょうし、いい機会だと馬を借りて遠乗りに。」
「お姉様は馬の扱いがとても上手ですのよ。」
「マリオンを何とか救った後は、アンジェルが馬を止めてくれました。みんな無事で何よりでした。」
おかげで罪悪感を抱えなくて済む。
「それで、アンジェルも凄いのよ。剣牙猫も馬も、手足のように操るの。」
「そんなことないよ、動物と話せるだけだよ。」
「ふむ、魔術や魔導具で動物やモンスターを意のままに操るものがあるとは聞いているが、それを使わずにそんな事ができる人間などこの国にもおそらく2人といないだろう。アンジェル嬢、その才能は大切にしたまえ。」
「ところで、その剣牙猫を撫でてもいいかしら?」
「うん、今のミーアは機嫌がいいから大丈夫だよ、…おくさま?」
笑顔で答えるアンジェルを見て目を細める奥様。
そして席を立つと…ミーアではなくアンジェルの前へ行き、抱きしめる。
「!?おくさ…ま?」
「ふふふ、その子も可愛いけどアンジェルちゃんも可愛いわね。」
アンジェルを抱きしめ身を振る奥様。
アンジェルはされるがままだ。
「家内は可愛いものに目がなくてね。おかげでマリオンも甘やかされてばかりだ。」
しばらく可愛がって満足したのだろう、アンジェルを放し、今度はミーアのほうに移動した。
アンジェルは目を回したのか、背もたれに身を預けている。
なので、身体を起こしてこちらに倒し、膝枕をしてから頭を撫でる。
「ふむ、仲がいいのだね。」
「ええ、私が雇った最初の召使ですわ。」
「そういえば、ヴァレリー候のところに行儀見習に出るとの事だが…その間、アンジェルはどうするのかね?」
「とりあえずは故郷で学ばせようと。」
「ふむ、そうか…当てがないのならうちで雇おうかとも思ったのだがね、まぁそれがいいだろう。」
アンジェルが身体を起こす。
「ありがとう、伯爵様。でも大丈夫。」
「そうか。何かあったら私を頼りたまえ、力になろう。ユーリア嬢もだ。なに、義理の娘のおねだりだ、快く受けるさ。」
そう言って笑う。
「はい、ありがとうございます。」
「うちはヴァレリー候とも懇意でね。家臣や領民の行き来もある。タレイラン家の家政婦のセリアはうちと親戚筋なので、目をかけてもらえるよう手紙を出そう。」
ブリーヴ伯は宮廷内ではヴァレリー候と同じ派閥に属する人物だ。
尚、デファンス伯はどちらかといえば無派閥だがヴァレリー候とは懇意だ。
今回の件でさらに派閥に近づく事になるかもしれないが、私の気にする事ではない。
「お力添え、感謝いたします。」
「だが気を付けたまえ。セリアは公平だが厳格な人物だ。お眼鏡に適わなければ、容赦なく失格の烙印を押すだろう。」
「いえ、大丈夫です。そこから先は自分の力で切り抜けます。」
「うむ、勇ましい事だ。ヴァネッサの怒りにも動じない胆力、手に剣ダコ、私を引き起こす膂力もある…そういえばデファンス伯の夫人は…。」
「はい、母レイアはラザール・バールの妹です。継母ではありますが、実の娘以上の愛情をもって育てられました。」
「うむ、やはりか。デファンス伯にもお礼の手紙を書かねばな。今日はここ最近で最もツイている日かも知れん。マリオンは命を救われ、ヴィエルニ家ともつながりができ、娘が増えた。」
「あらあなた、アンジェルちゃんとミーアの事も忘れちゃ駄目よ?この子の毛並もとても柔らかいのよ?」
「ふむ、そうか?どれ。」
そう言って、伯爵もミーアの前に移動し撫で始める。
さすがに構われすぎてミーアも不機嫌かと思えば、嫌そうな顔はするがやはりされるがままだ。
「それで、お姉様はいつまでこの町にいらっしゃるの?」
マリオンが身を乗り出し尋ねる。
「明日の朝に発つ予定よ。明後日中にヴァレリーに到着すればよいのだけれど、最後の準備などがあるから。」
「ふむ、そうか…よければ夕食を一緒にいかがかな?そうして頂ければ娘も私達も非常に嬉しいのだが。」
うむ、非常に魅力的なお誘いだ。だが…。
「お誘いは非常にありがたいのですが、護衛の騎士達との約束がありますので、ご遠慮させて頂きたく。」
「そうか…旅の身であったな。ならば引き止めて邪魔をするのは止そう。それならば夕方まではゆっくりして行きたまえ。」
それから日が暮れるまでの間、歓談を楽しんだ。
その中でも伯爵の話は大変興味深かった。
なんでもリース家の次男坊として生まれた伯爵は、若い頃は一家臣の立場で領地経営に尽力しながらプレイボーイとして浮名を流していたらしい。
だが、多少病弱ながらも真面目な長男が、爵位継承後に子をなさずに夭逝したために急に爵位を相続することとなった。
それからは領地全体の経営にてんやわんやで、奥様と出会い、身を落ち着け子をなしたのは30代も半ばを過ぎた頃だった…とか。
また結婚時にはプレイボーイ時代の庶子が既に何人もいたため、新たな庶子や浮気が発覚するたびに奥様は怒りを爆発させているらしい。
だが、怒りが収まった後は決まって積極的にその子らの面倒を見て教育を施し、本人の希望する場合は家臣や使用人として取り立てているとのことだ。
ということは、さっきの侍従と侍女の父親はやはり伯爵なのだろうか?
さすがにそれを問うことはできなかったが。
そろそろ日が暮れようという時刻、屋敷の玄関に私達の姿があった。
伯爵達は家族総出で見送りに来ていた。
「お姉様、まだまだ話し足りませんが、今日はとても楽しかったです。」
「しばらく先になるだろうが、ヴァレリーからデファンスに帰る際はぜひ寄ってくれたまえ。行儀見習いの間の土産話を楽しみにしているよ。」
「身体には気をつけて、無理をせずにしっかり勤め上げてくださいね?」
皆が声をかけてくる。
「ええ、本日はとても楽しい時間を過ごさせて頂きました。お名残惜しゅうございますが、これにて失礼させて頂きます。」
「じゃあね、伯爵に奥様、マリオンお嬢様。」
アンジェルも手を振りながら別れを告げ、皆がそれに返す。
私もマリオンともっと話をしたかったが、いい加減にお暇しないと…あ、そうか。
「伯爵、もしよろしければ、マリオンを私の宿に招待して、共に夕食と夜通しの話をしたいのですがよろしいでしょうか?」
私の提案に、マリオンが表情を輝かせる。
「はい、ぜひお邪魔させてください!」
「これマリオン、待ちなさい。いいのかね、ユーリア嬢、明日に疲れが残ってしまうのではないのかね?」
「馬車の旅なので、移動中はあまりすることもありませんので。」
「ふむ、そうか…なら構わんか。」
「まぁ、ユーリアちゃんとアンジェルちゃんとお泊りだなんて…羨ましいわ。ユーリアちゃん、デファンスに帰る時には必ず寄ってね。」
「はい、必ず。」
「でしたら…ジョゼ。」
「はい、奥様。」
「マリオンのお泊りの準備を。あと、貴方も付いて行ってマリオンの面倒を見てやって。」
「畏まりました。」
「夜半まででいいわ。後は泊まるなり戻るなり好きになさい。」
「お姉様、少々お待ち下さいませ。」
そう断ってから、マリオンとジョゼさんが屋敷に駆け戻る。
「ふむ、ユーリア嬢、宿はどちらだったかな?」
「はい、『黄金の海原亭』です。」
「そうか。ジャック。」
「はい、旦那様。」
「先に宿に走り、私の名で取計らうよう伝えろ。」
「畏まりました。」
伯爵に対して、そして我々に対してもそれぞれ一礼すると、ジャックさんが町へと駆け出す。
「屋敷への招待を受けてもらえぬ以上、この程度の事しかできんが…楽しんでくれたまえ。」
「あの子は、お付が1人付くとはいえ家族以外と宿に泊まるのは初めてだったはず。良い経験でしょうが、迷惑をお掛けしないかが心配だわ。」
「はい、お心遣い感謝いたします、伯爵。迷惑に関しては、故郷にもう少し下の妹がいますので大して気になりませんし、妹に比べればよっぽど出来た子です、奥様。」
そう言って、頭を下げる。
そしてしばらく後ローブに着替えたマリオンと旅行用の鞄を提げたジョゼさんが現れると、改めて別れを告げ屋敷を辞した。
読んでいただき、感謝いたします。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
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