1-16 お嬢様、暴れ馬を追う
神暦720年 王の月16日
先行した暴れ馬を追いかける。
乗り手は馬にしがみ付くのが精一杯で、まともに操縦できていなかった。
だがこの先は切り立った崖だ。
それまでになんとかしなければ。
「アンジェル、力を借りるわ。とりあえず襲歩!」
「うん、姉ちゃん。ハイヤッ!」
スパークがさらにスピードを上げる。
こっちは片方が子供とはいえ二人乗り…追いつけるだろうか?
そう憂慮したが、前方に見える騎影がだんだん近づいてくるのが判る。
馬の性能差か、アンジェルの『全力疾走』のおかげか。
「そこのあなたっ、馬を止めなさいっ!この先は崖よっ!!」
大声で叫ぶ。
「駄目よっ!手綱を引いても止まってくれないのっ!!」
手綱が引かれるのが見えるが、馬はかえって速度を上げる。
仕方がない。
「アンジェル、飛び移るから、その後にスパークを止めて!」
耳元で叫ぶ。舌を噛まないようにするのも一苦労だ。
「わかった、気をつけて!」
前を走る馬の左後方から近づく。
馬が並んだところで左足を鐙から外し、右足の鐙を支点に飛び移りながら、相手の手綱を左手で確保する。
馬の背に二つ折りになった状態から、突き上げにあわせて右足を回すことで跨る。
「えっ、何っ!?」
必死に馬にしがみ付いていたのだろう。
こっちが飛び移ったことにも気づかなかったようだ。
そして手綱を引き制動をかけるが…だめだ、止まらない。
森の端が迫る。もう時間がない。
「手綱を放して!」
「えっ!?」
一瞬躊躇うが、素直に従う女性。
それを確認しながら、精神を集中して魔術を紡ぐ。
焦るな、だが急げ!
『我らを守れ、力の盾よ―――マルチプルターゲット・フォースシールド』
馬が森を抜ける。
崖まであと僅か。
魔術が発動し、魔力に包まれるのを確認する。
そして確認次第、手綱を放した女性を抱きかかえてその頭を庇いながら向こう側に飛び降りる。
だが飛び降りる瞬間、こちらと未だ併走を続けるスパークの姿が目に入った。
アンジェル、何故止まっていない!?
「くっ!」
「きゃぁっ!!」
地面に落ちた勢いをそのままに、女性を抱きかかえた状態で転がる。
やがて勢いは弱まり、私達はもつれ合ったまま停止する。
全身が痛い、だがそれよりも。
「アンジェル!!」
腕の力だけで上半身を起こし、崖の方向に目を向ける。
そこには…アンジェルを乗せたスパークと、そのそばにもう1頭の馬が止まっていた。
アンジェルは相手の馬の手綱ではなく、直接首に触って落ち着かせている。
「よかった…。」
本来なら、こんなときは身体の無事を確認してから動くものだが…腕に異常がなかったのは幸いだ。
骨折でもしていたら、今の動きでそれが開いていたかもしれない。
安堵感から腕の力が抜けて崩れ落ちるが、女性を抱きかかえていた所為で覆いかぶさっている状態に気づく。
恐怖からか、未だ目を固く瞑っている女性…上品な乗馬服を着た少女だった。
柔らかな栗毛を頭の上で結い上げ、美人というよりはかわいらしい顔つきの少し幼さを残した少女…私の少し下ぐらいの歳だろうか?
「貴方…怪我はない?」
私の言葉に、ゆっくりと目を開く少女。
だがその視線は茫として定まらない。
少しの間、見つめ合う。
これは…ひょっとして頭でも打ったのか?
「ねえ、貴方、大丈夫?」
先ほどよりも強い口調で尋ねる。
そして焦点がこちらに合う。
「きゃあっ!」
悲鳴を上げ、起き上がろうとする少女。
その顔は妙に赤い。
だがそれをやんわりと抑える。
「落ち着きなさい。まず身体の異常を確認して、それから動きなさい。」
少女が自分の身体を見下ろし、それをまさぐる。
「痛…くはないわ。」
どうやら大丈夫そうだ。
「そう、それはよかったわ。飛び降りる前に防護の呪文をかけておいて正解だったわね。時間ギリギリだったけど。」
「貴方が…助けてくださったの?」
「ええ、そうよ。とりあえず貴方だけ助けて、馬は諦めてもらうつもりだったんだけど、私の連れが上手くやってくれたわ。」
そう言って、立ち上がってから馬のほうに視線を向けると、彼女もつられて視線を向ける。
「ローズクラウンっ!」
起き上がろうとするので、私は手を差し出す。
彼女はその手を見つめたあと、少し躊躇ったが私の手をつかむ。
それを引っ張りあげると、彼女が勢い余って私の胸に飛び込んできたので、それを受け止める。
至近距離から私を見つめる顔が妙に赤い。
彼女はこちらを熱に浮かされたような目で見つめていたが、状況を思い出したのだろう、馬に向けて歩き出す。
だが、落馬した際の衝撃の所為だろうか、足元がふらつくのでその手を支えて歩き出す。
「助けて頂き、ありがとうございました。馬が暴れだしてどうすることもできず、あのまま崖から落ちて死んでしまうところでしたわ。」
「ええ、間に合ってよかったわ。」
「私はマリオン・リース。この地を治めるブリーヴ伯サミュエル・リースの娘です。」
そう言って微笑み、こちらを見つめてくる。
身なりのよさから、いいとこのお嬢様だとは思っていたが…。
そう考え込んでいると、彼女がこちらの反応を窺うように首を傾げる。
「失礼いたしました。私はユーリア・ヴィエルニ。デファンス伯エルテース・ヴィエルニの娘です。お初にお目にかかります、マリオン様。」
「まあっ、デファンス伯の御息女でしたの!?何たる偶然!どうかよろしくお付き合いくださいますようお願いいたしますわ、ユーリア様。」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします。」
そう言って片手を差し出す…が、いかん、ついいつもの癖で。
マリオンは一瞬戸惑うが、すぐに私の手を両手で握り、笑顔で胸に掻き抱く。
「私、生憎と年の近い対等な友人はおりませんの。ユーリア様と友人になれたら…とてもうれしいわ。」
「ええ、私もです。」
自己紹介を終え、馬のほうへ歩く。
足取りもしっかりしてきたが、マリオンは腕をつかんで離さない。
「姉ちゃん、何とか間に合ったよ!」
アンジェルが得意気に笑う。しかし…。
「アンジェル、答えなさい。」
「えっ?」
「何で馬を追いかけたの?命令したはずよ、馬を止めなさいと!」
「だって、その馬が…」
「もし私が飛び降りたのがこちら側だったら、どうなっていたかしら?」
「…っ!」
そう、併走した状態で私がこちら側に飛び降りれば、避ける間もなくスパークに踏み潰されていただろう。
それに気づいたアンジェルの顔が青ざめる。
「それに、間に合ったからよかったものの、ギリギリまで馬を助けようとして、貴方か崖の手前で止まれる保証はなかったのよ?場合によっては、私が飛び降りるまでにもっと時間がかかったかもしれない。そんな状況で、安全に止まれるの?」
私に問い詰められ、俯いたアンジェルの肩が震える。
そして涙を浮かべたアンジェルが声を絞り出す。
「姉ちゃん、ごめん…オレ調子に乗ってた。姉ちゃんに褒められて、頼られて、もっと出来るんじゃないかって…。でも…でも…オレが姉ちゃんを殺してたかもしれないなんて…。」
そういう間にも大粒の涙が零れ落ち、やがて筋となり流れ落ちる。
「ゴメンよぉ、姉ちゃん…。嫌だよ、オレ、姉ちゃんとまで死に分かれるなんて、嫌だよぉ。」
そう言って泣きじゃくる。
私はアンジェルをゆっくりと抱きしめ、語りかける。
「だったら大人の言うことは聞いておきなさい、貴方が大人になるまでは。そして貴方が大人になったときのために、正しい選択が出来るようになりなさい。」
「うん…うん、わかった。ごめんよ、姉ちゃん。姉ちゃんの言うことは絶対に聞く。それで姉ちゃんのそばにずっと置いてもらえるようにするよぉ。」
私はアンジェルが泣きやむまでそのまま抱きしめていたのだった。
「マリオン様、申し訳ありません。お恥ずかしい所をお見せしてしまって。」
「いえ…聞いてもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ。」
「そちらの子は…妹君…ではありませんわね?」
「ええ、この子はアンジェル。私の小間使いです。」
「そうですか。仲がよろしいのですね。」
「はい、縁があって知り合ったのですが、天涯孤独とのことで私が引き取りました。」
「そうでしたか…アンジェル、よろしくて?」
「ん…なに、そっちの姉ちゃん。」
マリオンはアンジェルの正面に立ち、膝をかがめ視線を合わせる。
「ローズクラウンを助けていただいて感謝いたしますわ。私はマリオン、ユーリア様のお友達です。以後、よろしくお願いしますね。」
アンジェルがこちらを見たので、微笑み頷く。
「うん、オレ…私はお嬢様の小間使いのアンジェルです。マリオン様、どうぞよろしくお願いします。」
そう言って頭を下げるアンジェルを、マリオンは抱きしめる。
「っ~~~~!!かわいいわね、アンジェル。」
突然抱きしめられ、アンジェルは目を白黒させている。
マリオン様、アンジェルはあげないわよ?
「ユーリア様にアンジェル、ご都合が合えばですが、是非お二人を屋敷に招待させていただきたいのですが?」
「私は構いませんが…今からでしょうか?」
「はい、今からでも。別に畏まった服装も必要ありませんわ。私とローズクラウンの命を救って頂いたお礼に、お食事とお茶にお誘いしたいのです。」
そういえば、昼食はまだだった。
「アンジェル…町まで我慢できる?」
「うん、大丈夫。たぶん。」
「でしたら…ご招待をお受けいたしますわ、マリオン様。」
「まぁ、ありがとうございます。では、早速屋敷へご案内いたしますわ。」
そう言って、ローズクラウンに近寄るマリオン。
「マリオン様、ちょっと待って。」
そのマリオンにアンジェルが走り寄る。
「その子が暴れだした原因を調べないと。」
「原因?」
「うん。さっきは手綱を引く度にすっごい痛がってた。」
私も近づき、馬を調べる。
「手綱…というと首ね。」
手綱を引っ張らないようにして調べていくと、轡の辺りから少し出血していた。
その場所をよくよく見ると、手綱の当たる部分に2吋程度の棘が見えていた。
刺さっている長さはわからないが、おそらくは出ている部分と同程度だろう。
「これかしら?」
私の声に2人も寄ってくる。
「これは…何の棘だろ?」
「とりあえず抜いてみるわ。アンジェル、大人しくさせて。マリオン様は手綱を。」
「わかった、姉ちゃん。ほら、ちょっと痛いけど我慢しろよ。」
「はい、ユーリア様。」
それを見てから、ローズクラウンの顎に左手を添え右手で棘を引っ張る。
少しの抵抗の後、ずるりと棘が引き抜かれる。
引き抜かれる際に馬が少し首を動かしたが、すぐに大人しくなった。
抜かれた棘は…4吋弱ぐらいのかなり鋭いものだった。
「ああっ!」
マリオンが大きく声を上げる。
「どうかしました?」
「この子が暴れだす前に、鼻先に棘鶉が飛び出していたのを思い出しましたの。」
棘鶉は…主に林や草原に生息する野鳥の一種だ。
鶏より一回り小さい身体に針状の羽の生えた翼を持ち、飛ぶことは出来ないが走るのは非常に速い。
そして、外敵に襲われたときには大きく羽ばたき、その針状の羽を周囲に撒き散らす。
幼い猟犬がこの鳥にちょっかいをかけて、針だらけになって飼い主の元に逃げ帰ったといった話もよく聞く。
ちなみに肉は臭みも無くジューシーで美味しい。高級食材だ。
確かに、棘鶉の羽はこの程度の長さだ。
おそらく、何かの拍子に棘鶉が馬の前に飛び出して、その羽を飛ばしたのだろう。
そしてそれが手綱付近に刺さり、痛みで馬が暴れだした。
マリオンは馬を落ち着かせようと手綱を引いたが刺さった場所が悪く、羽が圧迫されて痛みでさらに暴れだした…といった所か。
「どうやらこれが原因のようね。」
「うん、『痛いの取れた』だって。」
ためしに手綱を軽く引っ張ってみたが、暴れだしたりはしなかった。
「これなら問題なく町まで帰れるわね。」
馬に乗り、丘を下りる。
途中からはアンジェルが大声でミーアに呼び、私は周囲を見ながらスピードを落す。
「ミーアというのは…飼い犬ですの?」
「いえ、犬ではなく…」
丁度そのとき、がさりとそばの茂みが揺れ、剣牙猫が顔を出す。
「ひっ!」
突然出てきた剣牙猫に驚いたのか、マリオンが大きく身を引き、手綱を引っ張る。
そして急な操作に驚き棹立ちになりかけたローズクラウンを、私が横から手綱を抑えることで落ち着かせる。
「どうどうどう…うん、いい子ね。」
「はぁっ、はっ…ユーリア様…申し訳ありません。助かりました。」
マリオンは涙目だ。
「こちらこそ申し訳ありません。ミーアが驚かせてしまったようで。」
「この子は…ユーリア様の飼い猫ですか?」
「いえ、私のではなく、アンジェルの飼い猫…というか家族のようなものです。幼い頃から一緒に育ったとか。」
当のミーアは、再度茂みの中に入り、すぐに出てくると、何かを咥えていた。
そしてそれを地面に置くと、それを誇るかのように座る。
「ミーア、それ狩ってきたのか?」
ミーアが地面に置いたのは、1羽の棘鶉だった。
これは…ひょっとして…。
嫌な汗が頬を伝う。
「マリオン様、ローズクラウンが暴れだしたのはこの付近でしたか?」
「? ええ、この少し先でしょうか。」
ひょっとして、ミーアに追われた棘鶉がローズクラウンの前に飛び出したんじゃ…?
そんなこといわよね。
まぁ、この件については黙っておこう。
終わりよければすべて良し よ。
読んでいただき、感謝いたします。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
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