1-15 お嬢様、遠乗りに出かける
神暦720年 王の月16日
やはり今朝もミーアはアンジェルの上で眠っていた。
ここまでくると、何か理由があるようにしか思えない。
マウンティングだろうか?
動きやすい服装で朝食をとり、フェリクス、アンジェル、ミーアと共に宿の外に出る。
肩下げの鞄には昼食のサンドイッチと飲み物、果物がいくつか。
腰周りには凍える大河と家紋入りの短刀を差している。
ボーダンさんは体を動かすために剣を片手に外に出ていったが、ほかの騎士達は二度寝に戻ったようだ。
フェリクスも眠たげだ。
おそらく私達を送り出したらベッドに直行だろう。
厩舎に行くと、アンドレが馬の世話をしていた。
「おはよう、アンドレ。休みなんだから、一緒に朝食を摂ればよかったのに。」
「おはようございます、お嬢様、フェリクス、アンジェル。いやぁ、馬の後に飯を食うのがいつもの日課ですからね。」
そう言って笑う。
勤勉なことだ。
「おはよう、おっちゃん。」
アンジェルも笑顔で挨拶する。
意外と仲がいいのか?
「お嬢様は…遠乗りでしたな。スパーク号もそろそろ食事を終えていると思います。これをやってください。」
そう言って、片手に下げた桶の中から人参を2本差し出す。
「あんまり人参ばっかりってのも良くはないんだがな。」
そう言って欠伸をするフェリクス。
「今日は休みですからね。1本づつやろうかと思ったのですが、スパークは働くので2本あげても良いかと。」
「ありがとう。あなたも大変ね。」
「なぁに、このあと馬車の車軸の面倒を見たら飯にして、その後は昼寝でもさせてもらいますよ。」
そう言って、軽く頭を下げてから馬の世話に戻る。
私たちもスパークの居る馬房へ向かう。
スパークは…食事を終えていたようで、飼葉桶は空っぽだ。
こちらを見ると、一声嘶く。
「姉ちゃん、『ご主人、おやつか?』だって。」
やはり動物の言葉がわかるのか。
フェリクスは目を丸くしている。
「だったら、これをあげて挨拶なさい。」
そう言ってアンジェルに人参を渡す。
人参を受け取ったアンジェルはスパークの前に立つと、鼻面を撫で人参を差し出す。
「俺、アンジェル。よろしくな、スパーク。」
そういうとスパークは嘶きをひとつ返す。
「『いい心がけだ。』だって。」
「じゃぁこっちも。」
そう言って、人参を食べ終えた鼻先にもう一本を差し出す。
スパークはそれに噛り付き、食べ終えてからまた嘶く。
「『よく来た』だって。」
「おいユーリア、こいつ馬の言葉がわかるのかよ?」
フェリクスが身を乗り出して尋ねる。
「馬だけじゃないみたいよ。その剣牙猫やほかの家畜とも意思の疎通ができるみたい。」
「すげーな、それ。そんな特殊能力があれば、御者でも調教師でも思うがままじゃねーか。騎士や伝令、斥候なんて選択肢もあるじゃん。」
彼は興奮して捲くし立てる。なんかいつもと目の輝きが違う。
「駄目よそんなの。私の小間使いにしたんだから。」
私は後ろからアンジェルの頭を抱きしめ、顎をその頭の上に乗せる。
だが彼女が望むのなら、どんな職業でもかまわないとも思う。
非常に残念ではあるが。
「でもそんな特殊能力があるなら、それを生かすべきだと思うぜ?」
妙に食い下がるフェリクス。
そういえば、彼の子供の頃は馬を扱うのが上手くなくって、苦労していたっけ。
父親の特訓の成果で、今では正騎士並の腕だけど。
当のアンジェルは、
「いや、俺は姉ちゃんのそばに居れれば…。」
と赤面しながら小声で言っている。
ああ、かわいい子ね、本当に。
前言撤回、アンジェルは誰にもあげないわ。
思わず彼女の頬に頬ずりする。
さらに赤面し、抱擁から逃れようと足掻くアンジェルだが、目の前に鼻先を伸ばしてきたスパークに顔面を舐められる。
「ぶべっ、いきなりはひどいよ、スパーク!」
そう言って抗議するも、当のスパークは鼻を曲げて得意気だ。
「あら、気に入られたみたいね。」
スパークは大きく嘶いた。
厩舎からから出したスパークに馬具をつける。
そのスパークにミーアが近づくと、特に騒ぎ立てることも無くお互いの匂いをかいで、そのまま離れる。
「ミーアとも仲は悪くないみたいだ。」
それを身ながら、アンジェルが話しかけてくる。
まぁ、馬車での移動中も接触の機会はあったからね。
「さて、とりあえずはスパークに慣れるために…引き回しからね。」
スパークに着けられた手綱を持って、厩舎前の広場をぐるりと歩くが、問題なく付いて来る。
「うん、いい子ね。」
鼻面を撫でると、うれしそうに顔を寄せてくる。
「次は…アンジェルもやってみる?」
手綱を渡すと、慣れた調子で広場を回る。
というか、私のときよりも速い。
駆け足のアンジェルとともに、常足に近いスピードで広場を1周し戻ってくる。
「アンジェル、やるなぁ。」
フェリクスも感心顔だ。
そしてアンジェルが顔を撫でようと手を伸ばすと、手ではなくアンジェルの顔に顔を寄せる。
「うわっ、おい、やめろよ。」
じゃれつくスパークに抗議はするが、心から嫌がってる訳ではないのは一目でわかる。
何故かそれがちょっと悔しかった。
「じゃ、行ってくるわね。」
見送るフェリクスに馬上から声をかける。
私が後ろで手綱を握り、アンジェルが前だ。ミーアは追走してくるようだ。
「おう、気をつけてな。」
拍車を当てると、スパークは一声嘶き歩き出す。
まだスパークに慣れていないのと、街中で交通量も多いのでスピードは出さない。
まぁ本来の主人ではないので、常歩や速歩はともかく、出せたとしても駈歩が精々、1日程度の騎乗では襲歩をさせるのは難しいだろう。
スパークに乗ったまま町の大通りを通過する。
「すごいよ、みんなが小さく見える。」
馬車よりも高い視点に、アンジェルも興奮気味だ。
騎乗はともかく、それに剣牙猫が追走するという物珍しさのせいで、通行人の視線が集まる。
子供たちの中には、併走して付いてくるのもいる有様だ。
ふむ、今までは馬車で移動していたからあまり目立たなかったけど、人目を集めるようになれば飼い猫だという目印が必要になるかもしれないわね。
首輪でも探してみようかしら?
サイズ的には犬用が丁度よさそうだけど…。
そんなことを考えるうちに城壁にたどり着く。
普段であれば、入るのはともかく出るのはスルーだ。
「おう嬢ちゃん達、遠乗りかい?日没までには帰ってこいよ?閉門後の出入りは面倒だからよ!」
門の衛士が声をかけてくる。
旅装でないことで日帰りと判断したのだろう。
「うん、ちょっと東の丘まで行ってくる。夕方までには戻るよ!」
そうアンジェルが答えたので、衛士に軽く頷いて外へ出る。
さて、丘への分岐はこの先だったかな?
事前に確認しておいた道程を脳内に描きながら、馬に拍車を当て速度を上げた。
麦畑に挟まれた道を走っていると、やがてその先に丘が見えてきた。その向こう側には小さな湖も見える。
道すがら速歩から徐々にスピードを上げ駈歩に移行し、そしてスピードを落し常歩に移行する。
そしてそのままのスピードでミーアが追い付くのを待つ。
それを何度か繰り返すことで、スパークを私の指示に慣れさせる。
「大分慣れてきたわね。」
私にとっても、この馬にとっても。
「姉ちゃん、次に駈歩をするときは教えてね。襲歩させてみるから。」
「ん?スパークに直接話して全力疾走させるの?」
「うん、たぶん言うこと聞いてくれるよ。」
だとすれば…騎乗に関しては私よりも上手いのではないか?
だんだんと丘が近づいてきた。
まずは丘を登る前に、湖の周りを1周することにする。
色とりどりの花を咲かせる草原を横目にスピードを上げ、駈歩に移る。
「アンジェル、やってみて。」
「うん、わかった。スパーク、全速力!」
アンジェルが馬の首に手を伸ばしぺちぺちと叩く。
途端に、スピードを上げるスパーク。
うん、すごい。
スピードもすごいが馬体が突き上げる衝撃もすごい。
故郷では私も乗用馬を持っていたが、軍馬はそれ以上だ。
アンジェルなどは必死に上体を安定させようとしているが、頭が大きく揺れてこちらの胸に後頭部が当たる。
私の胸は薄いので、非常に胸が痛い。
2重の意味で。
しかし、馬の主人にでもないのに襲歩をさせるとは…しかもこれ、完全な意味での全速力じゃないの?
あまり長い時間走らせると、すぐにばててしまいそうなので、スピードを落させる。
そして常足まで落してから、息も荒く口を開く。
「さすがはアンジェルね。でも、襲歩ができるのは分ったけど二人乗りでするものじゃないわね。」
「あ、頭ぶつけたときに舌噛んだ。」
アンジェルは涙目だ。
こっちも涙目だ。
大きくため息をひとつつく。
うん、襲歩はもうやめておこう。
そしてそのまま、景色を眺めながら先行するミーアを追いかけ、丘の上への分岐まで進む。
これだけ花が咲いているのなら、童心に戻って花冠などを作ってみるのもいいかもしれない。
生憎と、いつも悪ガキに混じって遊んでいたので作り方など知らないが。
「アンジェル、丘の上に行くわよ。」
「うん、分った。ミーア、そっちの道に入るよ。」
アンジェルの声に振り向いたミーアは、その指示に従い道を折れる。
それに付いて道を折れてすぐに、ミーアは何かを発見したのか身を低くして力を溜めると、草むらに突っ込んでいってしまった。
「ウサギでも見つけたのかしら?ま、とりあえずは好きにさせましょう。」
そして私は拍車を当てると、速歩で丘上への坂を登っていった。
木々のトンネルを潜り抜ける。
陽光の下に出ると、そこは小さな広場になっていて、見通しが開けていた。
広場を突っ切ると反対側は崖になっていたため、崖の手前で馬を止め、馬首をめぐらす。
「うわっ、すげぇ。」
アンジェルが感嘆の声を漏らす。
眼下には煙たゆたうブリーヴの町と船が行き交うオルノ川とコムノ川、そしてその向こうには麦草揺れる穀倉地帯である朝露の草原と葡萄の葉生い茂る霧の台地、遥か彼方には薄雲たなびく大山塊が聳え立っていた。
うん、これはアンジェルでなくとも心奪われる風景だ。
私は凍える大河を引き抜くと、その剣先で風景を指し示す。
「あれがブリーヴの町で、下流からこっちに伸びている川がコムナ川。そしてこっちの支流がオルノ川で、その川沿いにあるのがリシー。そこから風別れの山脈と霧の台地の間にあるのがシリット、そして陰になって見えないけど、その先がブレイユね。」
アンジェルは…反応が無い。
「ねえ、聞いてた?」
「うん、ちゃんと聞いてたよ。オレ、生まれてからは村とブレイユにしか行った事なかったけど、たった数日でこんなとこまで来たんだ…。」
感慨深げである。
「ええ、そうよアンジェル。世界はあなたが考えるよりもとてもとても広いものよ。そのすべてを見ることは適わなくても、少しでも多くのものが見れるといいわね。」
そう言って、アンジェルを抱き寄せる。
まぁ、そんな私も、デファンスと王都の間を行き来した事しか無いんだけどね。
そろそろ日も中天に差し掛かる。
少し早いが、昼食にしよう。
「アンジェル、そろそろお昼にするわよ。さて、どこがいいかしら…。」
「姉ちゃん、だったら湖の畔で食べようよ。スパークも水を飲めるし、草も生えてるよ。」
ふむ、それなら馬も休めるか。何箇所か木陰もあったはずだ。
「そうね、じゃぁそうしましょう。」
そう言って、湖への道へ馬をめぐらし、坂道を下ってゆく。
あ、ミーアを回収していかないと。
「アンジェル、ミーアを呼びなさい。一緒に行くわよ。」
「うん、姉ちゃん。ミーアー、ミーアー!」
呼びかけるが反応がない。もっと下にいるのだろうか?
そうして呼びかけながら降りて行った時だった。
「ん、なんか聞こえた?」
ミーアの鳴き声かと思ったが、違うようだ。
やがて、全力で疾走する1頭の馬と、その背にしがみつく女性が目の前を通り過ぎる。
「誰かーっ、止めてーっ!」
女性が叫ぶ。
これは…暴れ馬!?
不味い、この先は…。
私は馬の首を巡らせ、暴れ馬を追って走り出した。
読んでいただき、感謝いたします。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
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