1-14 お嬢様、髪を切る
神暦720年 王の月15日
朝、窓から差し込む光で眼を覚ます。
ベッドの中の温もりに目を向ければ、まだ寝ているアンジェル…の腹の上に陣取るミーアと目が合う。
…これは寒さから来る物なのか、それとも何か意図的に上に乗る理由があるのだろうか?
「おはよう、ミーア。」
そう話しかけると、ミーアは目を瞑り、尻尾を振る。
蚤はいないようだが、生え代わりの時期だけあって結構毛が落ちていた。
…宿の従業員に嫌がられるな。
昨晩はこの町の赤ワインと川魚料理を思いっきり堪能した。
魚には白ワインと思っていたが、濃い目の味付けだったため赤ワインもよく合い、すばらしい組み合わせだった。
ミーアも丸々と太った里鱒にかじりつき、上機嫌で尻尾を振っていた。
美味なことで知られる里鱒だが、冷たくきれいな水にのみ棲み、非常に足が早い魚としても知られている。
そのため、売れ残り気味のものが安く手に入った。
だが、新鮮なまま下流の町に運ばれていたのであれば、驚くほどの値段で取引されただろう
寝巻から着替え、アンジェルと共に階下の酒場兼食堂に向かう。
既にアンドレ以外は集合していた。アンドレは馬の世話だろう。
「「「「おはようございます、お嬢様。」」」」
皆が一斉に挨拶をする。フェリクスもだ。
「みんな、おはよう。けど、珍しいわね、フェルが『お嬢様』だなんて。」
「任務中であれば、たとえ従兄妹同士でも『お嬢様』とお呼びするべきです。」
と、ボーダンさん。
ああ、ボーダンさんに注意されたのか。
私は気にしないが、もっともな意見だ。
班長がお嬢様と呼ぶのに、下っ端がタメ口では示しがつかない。
まぁ、騎士隊内の教育にまで口を出すのは越権行為だ。
好きにさせよう。
朝食のメニューはスープにサラダ、腸詰に目玉焼き、パン、果物がいくつかだ。
それらを食べ終わり、食後の茶を飲んでいると、ボーダンさんが口を開く。
「お嬢様、旅の予定についてご相談がございます。」
カップに口をつけたまま、頷いて話を促す。
「はい、今回の旅は移動に6日、予備日を3日としておりますが…旅程は本日を含め2日、予備日を2日残しております。ですので、ヴァレリー到着予定日までに、予備日を如何に消費するか決めねばなりません。」
「そうね…ブレイユの1日が無ければ、王都にでも足を伸ばしたのに。」
現在居るリシーからブリーヴまで1日、そしてその先のヴァレリーまでさらに1日。王都はさらに1日の距離にある。
「はい、現状でも王都への往復は可能ですが、ほぼとんぼ返りとなります。スケジュールの余裕を考えると、今回は見送るべきでしょう。」
「だったら…現実的な予定としては、ブリーヴで2泊、ヴァレリーで1泊といったところね。」
「はい。ブリーヴで3泊ではヴァレリーとの間に余裕がありません。ヴァレリーで2泊は…大都市とはいえ、さすがに退屈しましょう。」
この町で予備日を潰すのも選択肢としてはあるが、現在絶賛出発準備中のアンドレの努力を無駄にするのは避けたい。
よって本日は移動日だ。
「皆は何か意見はある?」
皆を見渡す。特に意見はなさそうだ。
「だったらブリーヴで2泊、ヴァレリーで1泊ということで。」
「了解しました。相談事は以上になります。この件につきましては、後でアンドレにも伝えておきます。」
「よろしくね。じゃぁそろそろ出発準備をするわ。」
馬車はオルノ川沿いに東進する。
今日の目的地であるブリーヴは、オルノ川とコムナ川の合流地点に位置し、ヴァレリーに到着する前の最終宿泊地となる。
今日も昨日に引き続き、アンジェルにデファンスについて話している。もちろん膝の上に座らせてだ。
「そういえば姉ちゃんの髪の色だけど、家族はみんなそうなのか?」
こちらにもたれかかって、そう言うアンジェル。
膝の上にもずいぶん慣れたのか、すっかりリラックスしている。
「この髪はね、母様が残してくれた物なの。だから、この色をしているのは私だけ。」
「ふーん、姉ちゃんの母ちゃんって、南のほうの出身なの?」
「それは…詳しくは判らないわ。母様は孤児だって話だったから。でも、肖像画だと肌の色は濃くなかったわ。」
「そうなんだ。でも孤児で貴族様と結婚するなんて、スゴイな。」
「まぁ育ての親がお師匠様だからね。あ、そうだ。10歳になったら、あなたもお師匠様に学びなさい。無駄にはならないだろうから。」
「うん、わかった。」
そう言って俯く。
はて?
「…けど、俺は姉ちゃんの髪、キレイで好きだぞ。」
赤面しながら、そう言うアンジェル。
そしてちらちらとこちらの反応を伺っている。
こ、これは…こうかはばつぐんだ。
「可愛いこと言ってくれるわね。私もアンジェルの蜂蜜のような髪は大好きよ。」
そう言って、リボンで後ろにまとめられたアンジェルの髪に顔をうずめる。
お日様のような匂いが心地よいが、所々に跳ねた髪がちくちくと肌を刺す。
「えへへっ、そうかな。」
「でも不揃いだから…そうね、ブリーヴに着いたら切りそろえてあげるわ。」
「え、姉ちゃん、髪切れるの?」
「あんまり切った事は無いけど、揃えるだけなら大丈夫よ。たぶん。」
「大丈夫かな…まぁいいか。姉ちゃんにやってもらえるなら。」
そうして、ブリーヴに着くまで話をしたり昼寝をしたりして過ごした。
ブリーヴ到着後、いつものように宿に荷物を運び込んだあと、ミーアを町の緑地まで連れて行き、自由にさせる。この町は城壁があるため、外に放つと朝まで戻ってこられないからだ。
そのあとに湯浴みをして食事…とするところだが、湯浴みの前にアンジェルの髪を整える事にした。
アンジェルに湯を溜めさせ、その間に宿から鋏と椅子、追加のシーツを借りてくる。
そのあとで蒸気の篭る浴室で2人して下着姿になり、アンジェルを椅子に座らせシーツを纏わせる。
「さあ、はじめるわよ。」
アンジェルの髪もいい感じで湿ってきた。
「とりあえずは…どんな感じにする?あまり難しい事はできないけど。」
「よくわかんないから、姉ちゃんにまかせる。」
「そうねぇ…とりあえず後ろ髪は肩上で切りそろえるとして、前髪は左右に流してから眉のラインでカット…まぁこんなところかしらね。」
「うん、それでいいよ。」
「あとは、髪が伸びてきたら適当に切りそろえなさいな。ウチだと、女中のメリーが結構得意よ。」
「ところで姉ちゃんは、髪は長いのと短いの、どっちが好きなんだ?」
「そうねぇ…短いほうが清潔だけど、長いほうが弄り甲斐があって好きよ。」
「そうなんだ…うん、じゃぁ伸ばす。」
「だったら、伸びてもみっともなくならないように…」
そう言って髪を梳り、ある程度まとめたあとに鋏で切る。
前髪、後ろ髪を整え、ボリュームがあるところは少し漉いて、すっきりとした印象にする。
出来の方は…まぁうまくいったかな?
「どう?多少はさっぱりしたんじゃないかしら?」
「うん、ありがとう姉ちゃん。」
本人は出来上がった髪を手鏡で眺め、嬉しそうにしているのでよしとしておこう。
髪屑を洗い流し、身体とアンジェルの頭をよく洗った後で、浴槽に漬かる。
いつものように重なり合って横になりながら、湯の中でアンジェルの身体を撫でる。
「ちょっ、姉ちゃん、くすぐったいって。」
「小間使いの健康状態を確認するのも主人の務めよ。ちょっとは肉が付いたかしら?」
そう言って胸元や腹をくすぐる。
出会った頃に比べれば、多少は肉も付いてきた…かな?
よく食べるおかげで、顔色なんかは一目でわかるくらい健康的になってきているのだが。
そういえば、子供の頃はよくアレリアとこんな感じで風呂に入っては、今のようにくすぐりあって大騒ぎとなり侍女に窘められたものだ。
「だからやめっ、姉ちゃあんっ、湯船のなかっ!」
「んんー、肉付きもまだまだね。もっと食べなきゃ駄目よ?ただし運動もすること。いい?」
「わかったからっ、姉ちゃん、またっ漏らしちゃうっ。」
うん、同じ湯船の中でさすがにそれは勘弁願いたい。
仕方が無いのでくすぐるのをやめ、代わりにアンジェルを抱きしめる。
アンジェルの息は荒いが、決壊は避けられたようだ。
「姉ちゃんの…いじわる…。」
涙目で抗議するアンジェル。
あらやだ、かわいい。
何この小動物。
だがまだ夕食前だ。ここで気絶するまで可愛がるのは色々と不味い。
ここは我慢だ。耐えるのよ、ユーリア。
風呂を上がり、ゆったりとした服を着たあとで階下の酒場に向かう。
普段であれば、馬の世話の無い私達が先に着いているのだが、今日は皆のほうが早かった。
「お、随分とさっぱりしたな。」
フェリクスがアンジェルを構う。
「もう少し肉がつけば、いいとこのお嬢さんで通るんじゃないか?」
「お、俺はお嬢様の小間使いだから別にどうでも…。」
からかうフェリクスに対し、アンジェルの反応は冷めている…様に装っているが、動揺が見て取れる。
あれは照れているな。
「これはお嬢様が?ふむ、よく似合っているよ、アンジェル。」
ボーダンさんの言葉に、アンジェルが赤面してうつむく。素直な賞賛には弱いのか。
「じゃぁ、食事にしましょう。」
食事の内容は多種多様だった。
王都に近いだけあって国内の大抵の物は手に入り、また平野部のため小麦類も質が高く、パンも上質な物が安かった。
家畜はもちろん、川魚を中心とした魚介類、各種野菜や果物、あるいはジビエなどの山の鳥獣や魔獣肉。
その中から酒に合いそうなものやアンジェル用に腹の膨れる物、そして野菜類を注文する。
そしてお酒は、まずはよく冷えたエール。
この宿は王都に近い町の高級宿だけあって、魔導具による氷室も備えられていた。
だから冷えた物と常温の物で選択可能だったので、迷わず冷えている物を選んだ。
故郷にはそのような魔導具など無かったので、冷えた飲み物などは冬の間か、普通の氷室の氷が融けるまでしか飲めなかったものだ。
まぁ、大戦期の遺跡内に未踏破区域が発見されれば、そういった物の出土もあるだろうが、たいていは大都市の金持へ売られていってしまう。
っと、そういえば凍える大河の魔力を使えば、飲み物を冷やすのも簡単にできるのではないだろうか?
ヴァレリーに着いて、鑑定してもらったら試してみよう。
そしてアンジェルには氷苺のジュース。
うん?ほかにも氷苺や蔦杏などの果物系のリキュールもある。
これはあとで注文して、美味しかったらお土産にしよう。
飲み物が届き、まずは乾杯をする。
そして順次届く料理を摘みながら酒を飲む。
うん、この三角牛の香草焼き、柔らかくていい感じね。
こっちの湖鰹の炭火焼きも塩味が効いて酒にあう。
それらを適当に小皿に取り、アンジェルの前に置きながらフェリクスに話す。
「ねぇフェル、明日はどこか出かける?」
「いや、何も無ければ買い物ぐらいは行くかもしれないが…どうした?」
さすが幼馴染、『お願い』の匂いをかぎつけたか?
「だったら明日、あなたのスパークを貸してくれない?」
スパークはフェリクスの愛馬である。
青鹿毛の牡馬、額の白斑がチャームポイントだ。
「俺は別に構わないけど…いいっすかね、班長?」
「馬に無理させなければ、別に構いません。それに行儀見習い中は乗馬の機会も無いでしょうしね。」
「うん、ありがとう。明日はアンジェルと2人でちょっと遠乗りに行ってくるわ。夕方までには戻る予定よ。」
「ええ、わかりました。明日は…我々は宿か市場でしょう。」
とりあえずこれで足は確保。
あとは向かう場所だが…。
「爪鶏のサラダ、お待たせしました~。」
…あ、ちょうどいい所に女給が。
「ちょっと聞きたいんだけど、この辺りにお勧めの遠乗りスポットとかってある?ハイキングスポットなんかでもいいけど。」
「ハイキング…ですか?それでしたら、東の丘が見晴らしがいいですし、麓にある湖の周辺なら今の季節、花が咲いて綺麗ですよ。モンスターも出ませんし。」
「そう…そこに行ってみようかしら。」
「貴族様もよくそちらに遠乗りに行かれるそうです。」
「ありがとう、これ取っておいて。」
そう言って銀貨を一枚渡す。
「あと蔦杏のリキュールをロックで。」
「こっちにも冷えたエールを1、2…ええい、4杯で。」
「はい、少々お待ちください。」
テーブルを離れる女給。
「と、いう訳で明日は遠乗りに行くわよ。天気もいいといいんだけど。」
「うん、わかりましたお嬢さま。へへっ、楽しみ…です。」
口の中の物を飲み込んでから微笑むアンジェル。
うん、楽しみだ。
少しふらつく足取りで路地を歩く。
「姉ちゃん、いくらなんでもあれは飲み過ぎだって。」
「いやぁ、甘い果実酒が美味しくってねぇ…。」
うん、ちょっと調子に乗っていたようだ。
緑地でミーアを回収して部屋に戻る。
今夜も大暴れしたのか、毛に木の枝やら葉っぱやらがついている。
それらを摘み取りながら、持ってきた餌を与える。
今日は小さめの兎。
それを食べるのを眺めていると、部屋の隅に置かれた革鎧が目に入った。
「そういえば、まだその鎧を処分していなかったわね…。」
「そうだね。早めに処分しないと、姉ちゃんの小遣いが減っちゃうからね。」
さすがに次の処分可能日が3年後というのは考え物だ。
明日か、ヴァレリー到着後には処分しないと。
そう考えてから寝巻きに着替えようとしたが、酒場の熱気とアルコールの所為で汗をかいていたので気持ちが悪い。
「アンジェル、汗かいてる?」
「うん、少しかいたかな?」
「だったら残り湯で軽く流しましょう。」
アンジェルを連れ風呂に入る。
汗を流し、煮詰め椰子で身体を洗う。
そして頃合を見計らって…アンジェルをくすぐりに入る。
「ちょっ、姉ちゃん、だからやめろって!」
「ふっふっふーっ。お預けされたてたからね。もう止まらないわよ~。」
「あっ、畜生!風呂に誘ったのもこのためかっ!」
「すこーし気づくのが遅かったわね。さぁ、観念なさい。」
「いやっ、姉ちゃん、やめっ、あっ。」
…その後は満足するまでアンジェルを思う存分可愛がり、寝てしまった彼女を抱きかかえて風呂をあがった。
下着だけ付てから彼女をベッドに横たえ、自分もベッドに横になる。
私は寝そべりながらアンジェルの顔にかかる髪を分け、その寝顔を眺めた。
風呂あがりで上気しているが、どこか幸せそうな寝顔だ。
いや、そうに違いない。
少し笑顔がだらしなく感じるのもきっと気のせいだ。
しばらくそのまま寝顔を眺め、身体から熱が引いてから明かりを消して二人して布団をかぶる。
眼を閉じ、まどろんでいると、温もりが寄り添うのがわかる。
私はそれを抱きしめ、そしていつしか眠りの淵に落ちていった。
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アンジェル:アイエエエエ!ナンデ?クスグリナンデ!?
ユーリア:『アンジェルはしめやかに失禁した。』
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