1-13 お嬢様、旅を大いに楽しむ
神暦720年 王の月13日
一行は一路、南を目指す。
街道は東西に並ぶ風分かれの山脈と霧の丘陵の間を抜け、シリット、そしてリシーへ至る。
この辺りは比較的標高が高く、水はけがよいために葡萄の生産が盛んだ。
そして葡萄といえばワイン。
このあたりは大陸有数のワインの産地でもある。
そしてその中心部であるシリットが今晩の宿泊予定地だ。
「ブレイユのワインも美味しかったけど、本場シリットの白ワインも楽しみだわ。散財しちゃったからあまり高価いのは買えないけど。」
今日の晩酌へと思いを馳せる。
「姉ちゃん…また飲むのかよ。」
そう言って、こちらから隠すように自分の身体を抱くアンジェル。
何か嫌なことでもあったのだろうか?
ちなみにブレイユの墓地を出た後に、2人ともズボンに着替えた。
やはりスカートは落ち着かない。
尚、呼び方については、2人だけのときは『姉ちゃん』でも良しとした。
まぁ、それもヴァレリーに着くまでだ。
「地元の料理とお酒といえば、旅の楽しみの一つじゃない。」
「けど、そんなんで行儀見習いになるのか?」
正論に言葉が詰まる。
う、受け入れ先についたら本気出す。
馬車の中では、外を眺めるか、アンジェルに礼儀作法の訓練を施すか、ミーアをモフるかをして過ごした。
ミーアは、基本我関せずで床に寝ている。
撫でられても不機嫌そうな顔をするがされるがままだ。
「けどこの子って、たまに貴女の命令を理解しているように動くわよね。」
寝そべったミーアの腹を撫でながら言う。
「うん、小さいときから一緒だったから、何を言いたいのか大体わかるし、こっちの言うことも聞くよ。」
ふむ、剣牙猫は頭のいい動物だとは聞いているが、剣牙猫を操るなんて話は聞いたことも無い。
「あと、村では手伝いで動物の世話をよくしたけど、オレが世話するとみんな大人しく従うって褒められたんだ。」
これはあれだろうか?猛獣使いなどの才能になるのだろうか?
生憎、書物でしか知らないが。
「馬も?」
「うん、村の馬車馬と仲良くなって、乗せてもらったりもしたよ。早足で歩かせるくらいならできるよ。」
アンジェルは得意気だ。
…こういった才能があるなら伸ばしてやるべきだろうな。
お師匠様に話せば、協力してもらえるだろう。
「じゃぁ今度、フェルにでも馬を借りて遠乗りにでも出てみる?予定どおりにヴァレリーに着いたら、数日余るし。」
「姉ちゃん、本当?うん、行く行く。」
アンジェルは楽しみだと笑う。
うん、いい笑顔だ。
その日は特に何も無く、シリットへ到着した。
宿に着き、荷物を降ろし、ミーアを町の外れまで連れて行き、自由にさせる。
そのあと部屋に戻り、浴槽に湯を溜めつつ洗濯をする。
さすがにこれは騎士達には任せられない。
自分で洗いつつアンジェルにも洗い方を教え、洗い終わったら脱衣所に干す。
朝までには乾くだろう。
そしてそのあと軽く湯浴みをする。
アンジェルも大体風呂の作法を覚えたようなので、体は自分で洗わせ背中だけは洗いっこをする。
やはり少し恥ずかしげだが…だいぶ慣れてきたか?
そして風呂をあがれば食事の時間だ。
騎士達を待つのももどかしく宿の酒場に繰り出し、給仕のお勧めの食前酒とアンジェルの飲み物、それと共に適当に料理を注文した後、じっくりとメニューを睨む。
「なんか剣を握ってるときよりも真剣だね。」
「まぁ酔っ払うまでに色々頼めばいいんだけどね。ただ財布との兼ね合いもあるし。食事代程度なら旅費から出せるけど、さすがにある程度以上のお酒は自腹かなぁ。」
今回の旅では、旅費の収支報告なども騎士の仕事だ。
がんばれフェリクス。
「前にお師匠様についてこの町に寄った時は、まだ子供だったからお酒なんて飲めなかったし。」
「お師匠様?姉ちゃんの剣の師匠?」
「ううん、うちの町で中等教育や魔術を教えている魔導師よ。貴方も…寺子屋で学んだあとは師事するといいわ。」
まさか剣の師匠が母上とは思うまい。
「前の時は葡萄を結構食べたけど、甘くておいしかったなぁ。」
「葡萄は…森で取った山葡萄しか食べたことないや。」
「だったら頼んでみる?生憎季節はずれだから干し葡萄しか無いと思うけど。」
「いいの?」
「ええ、それぐらいなら。」
そんなことを話していると、上階から私服に着替えた騎士達が降りてきた。
皆湯浴みを済ませているようだ。
「お嬢様、こちらに居られましたか。お部屋をノックしたのですが、返事が無いため心配しましたぞ。」
「だから言ったじゃないですか、班長。ユーリアなら我慢できずに先に下りてるだろうって。」
そうぼやくフェリクス。
さすが幼馴染だ、よくわかってる。
「ごめんなさいね、ボーダンさん。アンジェルがあまりに急かすものだから。」
「え、ちょっと、ね…お嬢様が『さっさと行くわよ』って引っ張って来たんじゃん。」
抗議の声を上げるアンジェル。もちろん冗談なので抗議を無視する。
「とりあえず一通り注文しておいたから、さっさと乾杯しましょう。」
そうして、晩餐が始まった。
食前酒の発泡ワインに口をつける。泡の刺激と酸味が心地よい。
アンジェルも同じような物を飲んでいるが、あっちは鉱泉水でりんご酒を割った物だ。
この町の立地から言って、料理は普通なら狩猟鳥獣が中心となる。
だがこの地域では葡萄の生産に向かない土地を使った牧畜も盛んだ。
一部ではワインを生産する際に発生する葡萄の搾りかすを飼料として使い、それを中心として育てた三角牛が高級食材として人気を博している。
私もその肉を中心にメニューを幾品か選び、あとは鶏や野菜を中心とした料理だ。
各々が大皿から料理を取り分け食べる。
だがアンジェルは遠慮しているのか、取る量は多いが高級食材には手を出さない。
なので料理を取り分け、前においてあげる。
「こっちも美味しいわよ。早く食べないとなくなっちゃうわ。」
従者であっても…いや、従者であればこそ、いいものを知っておく必要がある。
でなければ、主人の望みに応えられない。
ある意味授業料だ。
「うん、ありがとう、お嬢様。」
興味はあったのだろう。
一瞬驚いたあとで、笑顔でゆっくりと味わって食べだす。
マナーはまだ怪しいが、がっついて食べる事は無くなった。
「うわー、この肉柔らかいし、少しいい匂いがするよ!」
舌のほうも確かなようだ。本当に、将来が楽しみだ。
テンション上げたアンジェルを見ながら微笑み、グラスを干す。
さて、次は何で行こうか。
食事を終えてから町はずれでミーアを回収し、部屋に戻る。
今日もよく食べ、よく飲んだ。
ちなみに今日のお土産は3本。
まずいな、どんどん酒瓶が増えてしまう。(棒)
最近は身体も動かしてないから、少し自重しないと…と思いながら扉を開ける。
そして部屋の隅に食堂でもらっておいた兎肉と木皿を置く。
アンジェルがミーアを呼ぶと、ミーアは皿の前にちょこんと座り、アンジェルに視線を向け、待つ。
「ミーア、食べてよし。」
そういわれたミーアは、前足を使ってゆっくりと肉にかぶりつく。猫というよりも犬だな。
「ところでアンジェル、ミーアをお風呂に入れたことある?」
「んー、入れた事は無いけど、ミーアはあまり水を嫌がらないよ。でもなんで?」
「よくベッドの上にいるから、蚤とかいたら嫌だなって。」
「蚤は…しばらく離れてたからわからないけど、命令してじっとさせる事はできるよ。」
「だったら…大丈夫かしらね。」
剣牙猫の生態を思い出す。
山岳から森林を住処とし、群を作らず、鳥や兎、場合によっては鹿などを獲物とするが、人を襲う事はあまり無い。水に濡れるのを嫌がるが、大山塊では湧き出す温泉に浸かる固体が目撃されることもある…といったところか。
猫とはつくが、剣牙猫は立派な野生の肉食獣だ。
爪は鋭いし、何よりその牙は急所に当たれば容易く命を刈り取る。
湯に浸かることを嫌がらなければいいが、暴れられたら素手で抑えるのは至難の業だ。
だが、じっとさせる事ができるのならば、やってみる価値があるだろう。
「だったら…残り湯を使って洗っちゃいましょう。」
ミーアが食事を終えてから、アンジェルと共に浴室へと連れて行く。
濡れるのはわかっているので、二人とも下着姿だ。
そして座らせてから、まず残り湯を手ですくってかけてみる。
耳を伏せ、嫌がってはいるようだが大人しくしている。
「これなら大丈夫かな?」
「『ちょっと冷たい』だって。」
むぅ、自然の水に比べれば十分に温かいだろうに…贅沢な猫だ。
仕方が無いので、残り湯の入った桶に沸湯釜の湯をいれ、適温になった湯をかける。
目を閉じ、うっとりとした表情で喉を鳴らす。
「『うん、いい感じ』だって。」
「そう、お気に召して頂いて光栄だわ。」
だったらさっさと泡だらけにしてやる。
私は煮詰め椰子を泡立て、泡をミーアに落とす。
もちろん、首から下の部分だけだ。
「さ、アンジェル、洗うわよ。」
そうして2人でミーアの体中を泡だらけにする。
ミーアは途中からは床に寝そべり、されるがままだ。
まるで、主人であるミーアに私達2人が傅いてるように…あれ?
「こ、これが猫との関係…下僕、下僕なの?」
「姉ちゃん落ち着け。」
だがこの場合、順位はどうなるのだろうか?
ミーア>私>アンジェル?
だがミーアとアンジェルの関係を考えると、ミーア>アンジェル>私?
酔いの所為か、そんなどうでもよいことを考えてるうちに、ミーアが泡だらけになる。
「これで十分かしら?できれば頭も洗いたいけど…。」
「さすがにずっと目を瞑らせるのは無理だよ。泡が目に入ったら逃げ出すかも。」
うむ、仕方が無いのでこれで終了とし、泡を流す。
そしてお約束の身震いで水滴を跳ね飛ばされたあと、タオルで水分をふき取る。
とりあえずはこれでいいだろう。
使ったタオルを部屋の隅に敷くと、ミーアはその上に寝そべり、毛づくろいをする。
このタオルも、もう毛だらけだな。
うむ、これはミーア専用にしてしまおう。
「あー、汗かいたー。」
そう言ってアンジェルがむき出しの腕で汗をぬぐう。
気付けば、浴室の蒸気で肌も髪もびっしょりだ。
「だったら、寝る前にもう一度汗を流しましょう。」
そう言ってアンジェルと共に再度浴室へ入り、ぬるま湯で汗を流す。
「とりあえずはあれで、蚤も駆除できたかしらね?」
あれで駄目なら、次は除虫草で燻すか…。
「大丈夫だと思うけど、それよりミーアってベッドに入ってきたっけ?」
「…毎朝、あなたのお腹の上に乗ってるけど、気付いてないの?」
アンジェルは驚いている。
本気で知らなかったようだ。
「なんか変な夢を見ると思ったら…昔はよく一緒のベッドで寝てたんだけど。」
昔が何年前かはわからないが、ミーアももっと小さかったはずだ。
今のあの重量は子供にはきつかろう。
「だったら、ミーア用の寝床を作るか、最初からベッドの隅に乗せるかしたほうがよさそうね。」
「そうだね。最初からベッドの上なら、大人しくしているかも。」
そう言いつつ浴槽を出る。
そして髪を乾かし寝巻きに着替える。
標高が高い分、朝は冷え込むだろう。
ベッドに入った頃には、既にミーアは部屋の隅で寝入っていた。
アンジェルが呼んでも尻尾を振るだけで起きないので、結局いつもどおりに部屋の隅で寝かすことにし、私達も眠りについた。
神暦720年 王の月14日
結局今朝も、目を覚ますとミーアはアンジェルの腹の上で寝ていた。
朝方は寒いからか?
今日も馬車で移動だ。
昨日はシリットに向けてほとんどが上り坂だったが、今日はリシーへ向けて下り坂だ。
街道は今日の目的地リシー付近でオルノ川にぶつかり、明日は川沿いに東に進むことになる。
春の日差しを受け風は少し冷たく馬車の揺れは眠気を誘い、アンジェルは抱きしめると暖かで…。
「なぁ姉ちゃん、いつまでこうしてればいいんだ?」
私の膝の上のアンジェルが問う。
私はかれこれ1刻以上の間、アンジェルを膝の上に座らせ抱きしめていた。
「んん、こうしてると温かくってね…。」
座らせたときは身を縮こませて俯いていたが、しばらくして慣れてきたのか普通に話す。
ただ、妙にそわそわしているし、自分の前にいるミーアだけを見て、こちらには顔を向けない。
なんだ、トイレか?トイレ休憩ならさっき行っただろうに。
「アレリア…私の妹なんだけどね、私の膝の上が大のお気に入りで、昔はよくこうして抱きしめて絵本を読んであげた物だわ。」
「ふーん…妹っていくつ?」
「11歳よ。でもまだまだ甘えたがりでね。あなたのほうがよっぽど落ち着いてるわね。」
そう言ってから、すぐに自分の失言に気付いて後悔する。
甘える相手がいなければ、無理にでも大人になるしかない。
私は顔をアンジェルの顔に寄せ、優しく囁く。
「だからもっと甘えてもいいのよ?」
寂しげな顔をしていたアンジェルは、その言葉で目を閉じ、そして微笑む。
「駄目だよ姉ちゃん。もっとしっかりして、早く姉ちゃん自慢の召使になるんだから。」
そう言って振り向き、天使のような笑顔を見せる。
強いな、本当に。
「そう。だったら、いい機会だからウチの家族について教えようかしら。ますは父上、エルテース。真面目で厳しいけど、他人に対する思いやりは人一倍よ。完全に母上の尻に敷かれてるから、まずは母上を落とすのが一番ね。そして……」
そうして、アンジェルを膝に乗せたまま話をした。
好奇心に目を輝かせていたアンジェルも、数刻経った頃には聞き疲れて船を漕ぎ始めたので、そこまでとして一緒に眠ることにした。
アレリアの時も、いつもこうだったなぁ…と思いながら。
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ミーア:もちろん ミーア>アンジェル>ユーリア 。
アンジェルの上などとは、下僕の癖に片腹痛いわ。