1-12 お嬢様、墓参りをする
神暦720年 王の月13日
朝、何かがうごめく感触で目を覚ます。
半分まどろみながら、腕の中にあるものを探り当てると、それは柔らかな髪の感触と暖かな頭部の熱を返す。
アレリア…ではなかった。
ここは実家ではなく、腕の中にいるのはアンジェルだ。
眠っているうちにいつの間にか彼女に抱きついていたようだ。
私には抱きつき癖があるのだろうか…とも思ったが、おそらくは春の朝の肌寒さと、私達の格好の所為だろう。
私達は下着姿でベッドに入っていた。
こんな格好では、温もりを求めて抱きつきもしよう。
寒さで意識がはっきりとしてくる。
そうだ、昨日は風呂に入った後ですぐに寝てしまったのだ。寝巻きも着ずに。
昨日は結構飲んだからなー。
そんなことを考えながらアンジェルをよく見ると、今日もやはり苦悶の表情を浮かべ…その腹の上にはミーアが乗っていた。
・・・蚤とか居ないでしょうね?
アンジェルを起こし、身支度を整える。
アンジェルはベッドから身を起こし、ミーアを膝上において撫でながら、ぼーっとこちらを見つめる。
その顔は…やはり赤い。
「アンジェル、顔赤いけど大丈夫?…熱でもある?」
そう尋ねても、
「だ、大丈夫だよ姉ちゃん!なんでもないよ!!」
と半分テンパりながら答える。
重症か?
そう考えながら、アンジェルの側まで寄り、頭を固定してからおでこ同士をくっつける。
「ちょ、姉ちゃん?」
「ふむ…それほど熱は無いようね。日焼け?でも、昨日出歩いたのは日が昇る前と落ちた後だったから…。」
おでこをくっつけたままそんなことを考えていると、ますます顔が赤くなる。
これは…照れ?
まぁ要経過観察ね。
「体調が悪いようならすぐに言いなさい。旅程には余裕があるし。」
そう言ってアンジェルから離れ、宿備え付けの鏡台に座る。
そして荷物から櫛を取り出し、自分の黒髪を梳る。
「姉ちゃんの髪って、長くてすごくきれいだよな。あんまり見ない色だけど。」
「そうね、この国では珍しいけど、大陸の南西の方に行くと、結構居るらしいわよ?」
そして自分の髪を梳り終わると、アンジェルを手招く。
「アンジェル、こっちにいらっしゃい。あなたの髪も梳ってあげるから。」
「えー、オレはいいよ。」
「『姉ちゃん自慢の召使になる』じゃなかったの?だったら身だしなみは整えなさい。」
しょうがないので、私がベッドに出向く。
そしてアンジェルの側に座ると背を向けさせ、その髪を梳る。
「ボサボサで不揃いだけど…意外と髪質はいいのね。」
蜂蜜のような金色で指通りも滑らか。
枝毛もあまり無い。
…メニルの街で飲んだ蜂蜜酒、おいしかったなぁ。
「そうか?へへ、姉ちゃんに褒められるとすごくうれしいな。」
そう言って天使のような笑みを浮かべる。
「昔はよく母ちゃんに…」
だんだんと言葉に勢いが無くなり、アンジェルが俯いてくる。
まだ両親の死を吹っ切れるほどには昔と思うことができないのだろう。
私はその頭を優しく撫でる。
「大丈夫よ。その分まで私が褒めてあげるから。」
俯いたアンジェルが「うん…。」と頷く。
アンジェルは髪を梳り終わるまで、ずっとそうしていた。
動きやすい服を着て、アンジェルと共に階下の食堂へ向かう。
アンドレ以外、皆が既にテーブルに着いており、既に朝食を始めている。
「おはよう。」
「「「おはようございます、お嬢様。」」」
「おはよう、ユーリア。アンジェルも。」
「おはよう、兄ちゃん。」
「アンドレは?」
「先に食事を済ませ、馬の世話をしております。」
「そう。」
彼が自分の仕事に誇りを持ち、全力で職務を全うするのはよく知っている。
皆が揃わないのはすっきりしないが、仕事ならば仕方が無い。
「それじゃぁ食事にしましょうか。」
そうして給仕を呼び注文をすると、朝食に取り掛かった。
「こらアンジェル、みっともない真似はやめなさい。」
口いっぱいにパンを詰め込むアンジェルをたしなめる。
「モゴモーンン、モノモゴモイモオイモヨ?」
「口にモノを入れたまましゃべらない。」
コップに注がれたミルクで口の中の物を流し込むアンジェル。
「でも姉ちゃん、こんなに美味しいんだよ?」
「それでもよ。別に食事は逃げないわ。急ぐ必要が無ければ、ゆっくりと味わって食べなさい。」
「私からも言わせて貰おう。」
とボーダンさん。
「『姉ちゃん』ではない。『お嬢様』だ。君がお嬢様に親愛の情を持っているのはよくわかる。だが、彼女は君のただ1人の仕えるべき御方だ。なればこそ、『お嬢様』と呼ぶ度に自らの主人を誇りに思い、敬いなさい。」
ボーダンさんが注意…というか心情を熱く語る。
これは…『騎士道精神の発露』というものか?
自分でも少し恥ずかしかったのか、咳払いをするボーダンさん。
「わかったかね、アンジェル?」
そう言って厳つい顔をゆがめ微笑む。
「うん、わかったよ隊長。おれ姉ちゃんが大好きだもん!…あ。お、お嬢様、も、もうしわけ…もうしわけありませんだ。」
私はそんなアンジェルの頭に手を載せる。
「ゆっくりでいいのよ。ゆっくりで。」
アンジェルの味もわからないだろう食事を一通り監督し終わってから、自分の食事に取り掛かる。
礼儀作法に沿い、アンジェルの手本となるように。
ナイフでベーコンエッグをカットし、流れるようにフォークで口へと運ぶ。
手元に取り分けたパンをちぎり、バターナイフでバターを塗り、素早く口へと運ぶ。
ミルクを注がれたグラスを取り、一口二口飲む。そしてまたベーコンエッグへ…
そのようにしながら、他人の数倍の速さで朝食を終え、アンジェルに視線を送る。(どやぁ)
「お、お嬢様…いささか急ぎすぎでは?」
「うん、おじょ…姉ちゃん。おれもっとゆっくり食べるよ。」
なぜか雰囲気が微妙である。
おやぁ?
食後のお茶を飲んでいると、食堂にブリジットが入ってきた。そして食堂内を見廻すと、こちらに歩み寄る。
「おはようございます、お嬢様。」
「おはよう、ブリジット。首尾は?」
「はい、こちらに。」
そう言って、折りたたまれた紙片を渡してくる。
私はそれを受け取ると、目を通す。
うん、確かに。
「ありがとうブリジット。おかげで助かったわ。」
「いえいえ、朝飯前…には間に合いませんでしたが、簡単な仕事でしたから。」
そう言って微笑む。だれが上手く言えと。
「あと、こちらはサービスです。」
そう言って、彼女が差し出すのは脇に抱えていた小さな花束。
「外の草原で摘んできたものなので、小さな花ばかりなのですが…。」
「これ、あなたのお手製?いい花束だし、すごく助かるわ。」
ありがたく受け取るとしよう。
さすがはオデットの手下、よく気がつく。
「でも、報酬はアレでよかったの?」
「はい、十分にいただきました。多少朝が早いとはいえ数刻で小金貨4枚ですから、普段なら今日は自堕落に寝て過ごそうかと思うレベルですよ。」
そんな物だろうか。
というか、足りない小金貨1枚はギルドの紹介マージンか。
ピン撥ねどころか2割とは…汚いなさすがギルドきたない。
「じゃぁ…朝御飯食べていく?」
「はい、いただきます!」
遠慮もなし。
満面の笑顔で頷かれた。
部屋に戻ると、アンジェルと2人で女性っぽい服に着替える。
私はスカートの旅装、アンジェルはワンピースだ。
「お嬢様、なんで着替えるんだよ?」
「服装は状況に合わせる物よ。納得できないようなら…気まぐれとでも思っておきなさい」
部屋の隅では、ミーアが近くの川で取れた鱒をバリバリと食べている。
一欠片も残さず食べつくす分、アンジェルよりもよっぽど行儀がいい。
ちなみにブリジットは
「いやー、最上級の貴族御用達ではないとはいえ、さすが上級商人向けの宿ですねー。朝御飯も美味しー!!」
「朝からパンケーキとか!蜂蜜もバターも使い放題とか!!セレブですよセレブ!!!」
とテンション高めでご満悦だった。今は食後の茶でも飲んでいるのだろう。
髪を結い上げ、帽子はとりあえずコートかけにかける。
アンジェルは…そう言えば帽子は買っていなかった。
とりあえずはスカーフを頭にかぶせる。
ちなみに家紋入りの短剣をスカートの中、腿の外側にベルトで吊るしてある。
あとは私が荷物を詰め、長剣類は鞄に括る。
そしてそれをアンジェルが運んだ。
荷物を運び出し、忘れ物が無いことを確認すると、帽子を被り階下へ。
チェックアウトの手続きは…フェリクスが行っている。
最年少だけあって、基本使い走りだ。
宿を出て、馬車の前にいたアンドレとボーダンさんに声をかける。
「町を出る前にここに寄りたいんだけど…。」
そう言ってブリジットから受け取った紙片を見せる。
「ふむ、ここでしたら近くに馬車も停められます。多少遠回りになりますが問題ありません。」
とアンドレ。
この町の地理もある程度は頭に入っているのだろう。
「お嬢様…お知り合いの墓参りでありますか?」
「知り合いではないわ。ただ、アンジェルの御両親にご挨拶にね。」
そう言ってアンジェルに視線を向ける。
アンジェルは恐る恐るミーアを撫でているブリジットと、ちょっと離れた所で話していた。
「成程。ご一緒してもよろしいでしょうか?」
「ありがとう。そうしてもらえればご両親も安心されるわ。」
出発の準備が整った。
見送りに残っていたブリジットに別れを告げる。
「じゃぁダミアンさんとオデットによろしく。」
「はい、伝えておきます。ここからヴァレリーまでは、最近は山賊などの話も聞きません。ですがお気をつけて。」
「ええ、ありがとう。」
そして馬車に乗り込む。今度はミーアもおとなしく従った。
「出発!」
騎士達の馬に続き、馬車が走り出す。
ブリジットは笑顔で手を振っていた。
城壁を出た後、町の外の共用墓地に立ち寄る。
アンデッドなどの出現の危険性や城壁内の土地を確保するために、一般市民の墓地は基本的に城壁外だ。
墓地の入り口脇にある礼拝堂の前に馬車を停め、騎士達が馬を柵に繋ぐ。
「なぁね…お嬢様、どこに行くん…ですか?」
「お墓参りよ。貴女のご両親の。」
アンジェルが目を見開く。
「でも、場所がわからないって…。」
「調べさせたのよ。ブリジット…ギルドに。ここにあるそうよ?」
そう言って、アンジェルの手を引いて馬車を降りる。ミーアは…着いて来るようだ。
馬車を降りると、礼拝堂の中から出てきた僧侶…助祭がこちらに気付き、こちらに向けて歩いてくる。
「おはようございます。平穏の苑へどのような御用でしょうか?」
「おはようございます、助祭様。本日は死者へ花を手向けに参りました。」
「殊勝なお心がけです。場所のほうはおわかりですか?」
「いえ、何分はじめて訪れる物で…こちらなのですが。」
そう言って、紙片を見せる。
「これは…そうですか、ギルドの方を遣わされたのは貴女でしたか。」
黙って頷く。
「案内いたしましょう。」
そう言って、先に歩き出す
「こちらには主に下町で亡くなられた方が弔われております。あの年の疫病は、国内で多くの方が亡くなられましたが、この町での流行は幸いにして軽微な物でした。」
助祭に続いて歩く。
順番はアンジェラと手を繋いだ私、ミーア、騎士達、アンドレだ。
「ですが疫病は疫病。ひとたび罹れば家族を中心に親しき者たちへ病魔はその手を伸ばします。このお二方も、家族と共に隔離され療養されていましたが、力及ばず病に倒れられたとのことです。」
「そのお二方の家族は?」
「はい、人別帳には娘が居たとありました。本来であれば娘は回復後、孤児院に引き取られるはすでしたが、ちょうど孤児院内でも疫病が蔓延しており、それが収束した頃には既に行方知れずとなっていたと聞いております。」
そして振り返り、アンジェルに目を遣る。
「そちらのお嬢さんは、ひょっとして?」
「はい、その娘です。運命の巡り会わせで私が庇護する事になりましたので、ご報告に。」
「そうですか。それでしたら天国のご両親も安心される事でしょう…と、こちらです。」
二つの墓石を指し示す。その墓にはジブリルとミシェルと名が刻まれていた。
「ジブリルとミシェルと書かれている。アンジェル、合っている?」
「うん、父ちゃんがジブリル、母ちゃんがミシェルだ。」
「そう、ならお父さんがこちらね。」
ジブリルと書かれた墓を指し示す。
「さ、御両親にお花を。」
そう言って、花束を解き、幾本かの花を渡す。
そして残りを、自分と騎士達に配る。
他の者達が墓に花を供える中、アンジェルは渡された花を見つめ立ち尽くしていたが、やがて彼女も花を供えた。
「父ちゃん、母ちゃん、遅くなったけど、やっとお別れが言えるよ。今まで1人だったけど、お嬢様に助けてもらってから、ミーアにもまた会えたし、召使として雇ってもらうことになったんだ。」
鼻をすするが、涙は流さない。
「だから、もう、大丈夫。安心して、天国から見守っていてよ。」
そう言って、目を瞑り、黙祷する。
ミーアも合わせるかのように悲しげな鳴き声を上げる。
同時に騎士達も、ボーダンさんの「黙祷!」の号令の元、頭を垂れる。
―――縁あって、アンジェルと出会い、この子の成長を見守ることに決めました。
―――若輩者ではありますが、どうか共にこの子の成長を見守りください…。
やがてアンジェルはこちらから見えないように顔を背け、袖で目元をこすると、こちらを向いて言う。
「ありがとう、お嬢様。おかげでお別れを言えたよ。」
そう言って真っ赤な目で微笑む。
私はしゃがんでアンジェルを抱きしめた。
「え、お嬢…様?」
「馬鹿ね。泣いたっていいのよ。貴女はまだ子供なのだから。」
「うん、ごめん…姉ちゃん…。」
そして私の胸に顔をうずめるアンジェル。
だがそれは、幼い子供のような慟哭ではなく静かな嗚咽だった。
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ユーリア :とりあえず湿っぽいのもこれで終了~。
アンジェル:これでボロボロ涙流しながらキーボード叩かなくて済むね!