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男装お嬢様の冒険適齢期  作者: ONION
第3章 近侍のお仕事
119/124

3-33 近侍の周囲の救助活動

 神暦721年 供物の月13日 森曜日


  船員を手伝っての毛布の準備…移乗した乗客の為のそれに乗客であったマリオンも借り出されていた。

 その合間にも事あるごとに彼女はユーリアの姿を視線で追っていたのだが、しばらく目を離した後に目をやるとその前までの位置にユーリアの姿はなく、その姿を探した彼女が目にしたのは水夫達が慌しく走り回る中、右舷の手すり付近まで移動していたユーリアがそれを乗り越えてその向こうへと身を躍らせるところだった。


「お姉さま!?」


 突然放たれた彼女の悲痛な叫びに周囲の皆が彼女に注目するが、彼女は『酔っ払いの木樽(ドランカーズバレル)号』の一点を見つめながら身を震わせるばかり。


「マリオン、どうかしたの?」


 だが、そんなマリオンであったが、彼女の現在の主人であるミリアムの問いかけに我を取り戻すと、血相を変えて彼女に詰め寄った。


「ミリアム様!おね…ユーリアさんが、あの船の向こうに!!」


 そして『木樽号』の方を指差す彼女に皆がその方向に視線を送ると、幾人もの水夫が舷側に集まりその向こうを覗き見ており、他の水夫は慌てて走り回っている。


「おい、嬢ちゃんまで飛び込んだぞ!」


「大至急ロープ持って来い!あと、泳ぎの得意な奴、準備だなんだ言ってる場合じゃねぇ!とりあえず一人飛び込ませて船の至近を捜索させるろ!あとの奴は体を動かして温めておけ!!いいか?横着して酒なんざかっ喰らうんじゃねえぞ?あっという間に冷えて動けなくなるからな!」


 乗員移送のために乗り込んでいた『斧犀号』の士官、彼の指示により水夫達が動き始める。

 それを目にすると、マリオンは網梯子で乗り込んでくる乗客の合間を縫って船へと駆け出す。


「司祭様!」


 彼女の背を見送ったエヴァンジェは怪我人の治療を行っていたアベルに呼びかける。

 そして彼の頷きを受けると、すぐさまマリオンの後を追った。


 その『木樽号』の船上では、集まった水夫達が誰が一番で飛び込むかを決める為、皆が動きを止めて睨み合っていた。

 だがそれも一瞬、進み出たのは細身だが泳ぎの達者な事で知られた一人の水夫で、彼は腰にロープを結びつけると飛び込むために手すりに足をかけ水面を見据える。


 だが彼の丁度目の前で、落ちた女の身体が泡と共に浮かび上がり、それに続いてユーリアが姿を見せた。



「おおっ、嬢ちゃんが上がってきたぞ!」


「落ちた奴も一緒だ!」


「お姉様!!」


 口々に歓声を上げる水夫達とマリオン。

 彼らはすぐにロープを垂らし、引き上げの準備にかかる。


「早く、引き上げて!!」


「よし、野郎共、根性見せろ!!」


 手早く結ばれたロープに、ユーリアの合図。

 それにあわせ、手すりに巻いた船員の外套を応急の当て布として船員達が女の身体を引き上げる。

 だが、彼女の身体は服が水を吸う事で随分とその目方を増やしている。

 また滑車がある訳でもなく当て布をしただけなので、手すりでの抵抗もかなりの物。

 なので、力自慢の水夫達といえども、なかなか引き上げる事が出来なかった。

 それでも周囲の水夫が続々とロープに取り付き、力を合わせることでやっと引き上げに成功する。


「早くこっちへ!上着を脱がせて!」


 そしてここから先はエヴァンジェの役目だ。

 彼女は引き上げられた女に駆け寄ると、呼吸と心音の有無を確かめる。


(呼吸は…無し…心音は…ある!!)


 周囲の水夫達が固唾を呑んで見守る中、エヴァンジェは女の口を抉じ開けその中に溜まっていた水を吐かせる。

 そして大きく息を吸い込むと女の鼻をつまみ、唇を彼女の口で塞いで強く息を流し込んだ。


(呼吸が停止している状態だと治癒魔法じゃ効果がないわ…まだ呼吸が止まってそれほど経っていないのなら、息を吹き返す可能性は十分にある。)


 そして女の様子を見ながら、それを繰り返す。

 2回、3回、4回…。


(ユーリアさんの頑張りを無駄にしないで…お願い、戻ってきて!!)


「ご、ごほっ!」


 幾度目かの吹き込みにあわせて、女がついに咳き込んだ。

 そして女の胸が自律的に上下するのを確認して、エヴァンジェは肩の力を抜いて宣言する。


「息を吹き返しました。神よ、ご加護に感謝を…。」


「「うおおおおおおっ!」」



 周囲で見守っていた水夫達から歓声が上がり、救助の尽力者を称えだす。

 その中でマリオンだけが周囲を見回し想い人の姿を捜し求める…だが、それが叶う事はなかった。


「……お姉さま?」


 彼女の震えを含んだその呼びかけは、空しく船上の喧騒にかき消された。





 ユーリアの名を呼び彼女の姿を探すマリオンの悲痛な叫びにより、水夫達もようやくとユーリアの姿が無い事に気がついた。

 そしてすぐさま彼らも彼女の姿を捜し求めたが、船上にも、また船の周囲にも姿が見当たらない事が確認された事で、彼女の身柄は依然川中にあるとの判断が下された。


「いいか、まず船の右舷側を扇形に4つのエリアに分け、それぞれを水夫一人が担当することとする。もしもの時のために命綱を付けて捜索をするが、綱が絡まないように他のエリアへは入るんじゃねぇぞ?」


 注意事項を述べる士官の前でそれに耳を傾けながら水夫達準備をすすめていく。

 体を動して十分に暖め、半ズボンに履き替えて上半身をさらけ出した水夫達がその身に縄を結びつけていく。


「くれぐれも無理をするなよ?冬の水の怖さについてはお前等が一番よく知っている筈だ!人命がかかっているとはいえ、お前等を犠牲にしてそれを成し遂げようと考えるほど我々も馬鹿じゃねぇ。危険を冒す必要があるのなら、それを等分に分かち合って全員無事に戻る事を肝に銘じろ!そして邪魔に思うかもしれんが、その綱が船とお前達を結ぶ最後の命綱だ。それを外す時は船に戻った時か、救助者を発見しそれを引き上げる時だけだ!!よし、行け!!」


 士官の号令と共に水夫達が水面に飛び込み、上がる水しぶきが冷たい風に流される。

 それに合わせて水夫達の命綱を持った監視役が水夫達が泳いだ分だけロープを送り込んでいく。

 その後ろではマリオンが手を合わせてユーリアの無事を祈り、次に飛び込む予定の者達がウォーミングアップを開始する。

 そして水から上がってきた凍える水夫達に当たらせる為に篝火台に火が灯され、内から暖める為に湯が沸かされる。

 このように、水夫達の捜索をただ見守るマリオンにとっては焦れる時間が過ぎていった。





「限界…だっ!ひっ、引き上げてくれ!!」


 水面から上がる声に応え、捜索に当たっていた水夫が数人の水夫の手により網梯子ごと引き上げられる。

 甲板に下ろされた水夫に水を拭う為のタオルと更にその上から毛布がかけられると、マリオンはその水夫に歩み寄った。


「いかがでしたかっ!?」


 彼の捜索で見つからなかったのは分かっている。

 それでも、マリオンは状況を問わずにはいられなかった。

 彼女の声に振り向いた水夫は、その目に悲痛な光を宿しながらも紫色になり細かく震える唇を開いた。


「すす…すまねぇ、すまねぇ…。もっと探してやりたいのは山々だが…こっこれ以上は無理だ。自分でも分かるんだ。これ以上は身体が言う事を聞かねぇって。現に網梯子を自分で上がる事すらできねぇでしがみ付くのが精一杯のザマだ。」


 そして、震える手で茶の入ったコップを受け取り、その熱さに思わず声を上げる。


「だが…ここれだけ探してもみみみ見つからないとなると、捜索範囲の外か…水底の物陰かだッぶえっくしょい!!」


 それだけ聞くと、マリオンは水夫に礼を告げて彼の元を離れる。

 そんな彼女に近づくのは水から引き上げられた女性の看病をしていたエヴァンジェだった。


「どうですか?」


 彼女の問いに、マリオンは黙って首を振る。

 それを聞いて悲痛な表情を浮かべて押し黙ったエヴァンジェであったが、ため息をひとつついてから口を開く。


「こちらのほうは母親が意識を取り戻しました。体温も問題ありません。彼女についてはもう心配要らないでしょう。」


 彼女の言葉に、マリオンはそっと安堵のため息をつく。

 そしてユーリアの行動は無駄ではなかったと自分に心の中で言い聞かせ、絶望に押しつぶされそうな自分の心に活を入れる。

 母親が引き上げられてからそろそろ1刻。

 つまりユーリアはそれと同じ時間だけ水中にいる事になる。

 交代で水中を捜索している水夫達。

 鍛え上げられた肉体を持つ彼らであっても、既に幾人もが限界を迎え水から上がり火に当たって体を温めている状態だ。

 重苦しい雰囲気が船上を包む中、その雰囲気に抗うかのように士官の声が上がる。


「おい、次、誰か行けるか?」


 今、水から上がった水夫と交代して、捜索する役目につく者だ。

 幾人かが手をあげる中に、櫂手としての役目を離れて『木樽号』に移乗してきたイングリットの姿もあった。


「私が行くわ。」


 そう言って上着を脱ぎ捨てる彼女に、周りの水夫達は慌てて群がりそれを思いとどまらせようとする。


「お嬢、無茶だ!俺らだってギリギリの状況なのに、お嬢じゃ数分刻も持たねぇ。」


「嬢ちゃんを助けたい気持ちは分かる。だけどよ、自分の力量を超えて無茶をするんなら、結果は見えてるぜ。」


 彼らの言い分は自分でも十分に理解しているのだろう。

 彼女はぎりと唇を噛み締めた。


「だからって、何もしないで見ているだけなんて堪えられないのよ!おねがい、少しでもいいの!限界だと思ったら、そっちの判断で引き上げてもらっても構わないから!!」


 そう訴えるイングリットに、士官も困り顔だ。

 彼だって、彼女の心情を思えば行かせてやりたいのは山々だった。

 それどころか、できるものならこの瞬間にも自ら飛び込んで捜索したいとも思っていた。

 だが、捜索の責任者としての立場である以上、どちらも許可できるものではない。

 どう諦めさせたものか…と言葉を探す士官であったが、彼を救ったのはイングリットの肩に置かれた大きな手の平だった。


「お嬢、その役目俺が引き受けやす。」


 振り返る彼女の眼に映ったのは、巌のような顔に笑みを浮かべたアントンだった。


「それに、嬢ちゃんが引き上げられた後は女手が必要になりやしょう。俺らじゃ何かと都合が悪いんで、そっちを頼んます。」


 それだけ伝えると、彼女の返事も待たずに命綱を結わえ始める。

 そんなアントンに、イングリットは問いかける。


「貴方、櫂手の監督は?」


 彼女が『斧犀号』を離れるときに、後を彼に任せてきたのだ。


「錨を下ろしたらこっちを手伝えって船長のお達しでして。残りもおいおい駆けつけてくるんでお嬢の出番はそのあとでさぁ。」


 そう言って彼女を安心させるように微笑むアントンに、士官が声をかける。


「アントン、お嬢ちゃんの事だが…これだけ探しても見つからなとなると、水底近くに沈んでいる可能性が高い。息が続くうちに、そっちを重点的に探してくれ。」


「へい、合点でさぁ。ほんじゃまぁ、行ってきやすぜ。」


 それだけ伝えると、彼は身を翻して水に飛び込み、その勢いのまま潜っていった。




 船上から祈るような眼差しで水面を見つめる人々…いや、既に神頼みしか縋れるものがない状況だ。

 そんな彼らの目の前で、息が切れた水夫が水面に浮かび上がっては呼吸を整えるとまた潜っていく。

 何度それを見送っただろうか。

 そうしてしばらく経った頃、水面に一際大きな影…アントンが浮かび上がる。


「って、おい、まさか!?」


 それを見て彼の命綱担当の水夫が疑問の声を上げる。

 アントンが水面に上がってきたのに、命綱の動きがほとんどなかったのだ。

 知らず知らずのうちに声に期待の色がこもる中、ついにアントンが腕を振り回して合図を送る。


「引き上げろ!急げ!!」


「おおっ!?」


 彼の合図に、船上が沸き立つ。

 あがる歓声と共に彼の命綱に皆が我先に取り付き、それを引き上げ始める。

 決して焦らず、だが可能な限り急いで…命綱から外れる事のないように逸る気持ちを抑えたまま綱は引かれ、ついにユーリアが水面に姿を現した。


「お姉さま!!」


 ぐったりと力の抜けたその姿に、マリオンの悲痛な叫びが上がる。

 だがそれに構う事もなく幾人かの水夫が水に飛び込み、彼女の体を確保して縄梯子に固定するとそのまま引き上げられた。


「早くこちらへ!」


 甲板に敷かれた担架。

 彼女の指示によりユーリアがそれに寝かされると、エヴァンジェはすぐさまそれに取り付いた。


 「お姉さま!お姉さま!!目を、目を開けてくださいまし!!」


 寝かされたユーリアに必死で取りすがろうとするマリオン。

 だが、彼女が診断の邪魔になりかねないと判断したイングリットが、羽交い絞めにして引き離す。


 そんなイングリットに視線で謝意を伝えると、エヴァンジェはユーリアの様子を確認する。

 まずは呼吸と心音の確認…だがすぐに、エヴァンジェの表情は驚愕に見開かれた。


「呼吸が…あるわ!ああ、神よ!!」


 彼女の呟きに、周囲から驚きと安堵の声が上がる。

 だが、エヴァンジェの表情はすぐさま厳しく引き締められた。


「だけど体温がまるで氷のよう…このままだと危ないわ。早く彼女を船室に!マリオンさんと…イングリットさん?手伝ってください!!」


 エヴァンジェの指示で、周囲の皆が動き始める。

 そして、ユーリアが『斧犀号(アクスライノー)』へと運ばれていく中、捜索に当たっていた水夫達が次々と船上に戻ってきていた。


「ご苦労だった。あとは助祭様達に委ねるしかねぇが…お前達は十分に体を温めて休んでおけ。それでアントン、報告しろ。」


「へい。」


 士官の言葉に、毛布に包まりながらも屈伸で身体を動かし続けていたアントンが頷く。

 そして周囲の『斧犀号』の水夫達は野次馬として取り囲んでいた『木樽号』の水夫達に距離を取らせる。

 ユーリアに関する話題はそれだけデリケートなのだ。

 アントンはそれを眺めながら動きを止めて思案するように黙り込んでいたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「俺が嬢ちゃんを見つけたのは…水底の大岩の影でした。彼女はそこにまるで眠ってでもいるかのように沈んでおりやした。」


「そうか…しかしそれで呼吸があるんだから奇跡でしかねぇな。」


 そう呟いた士官の言葉に、アントンは躊躇いがちに口を開く。


「それが…ですな、俺が見つけた時は…彼女の丁度上半身の辺り、その辺がでっかい空気の泡につつまれてやして。」


「泡か?」


「空気の?」


 アントンの報告に、士官からだけではなく周囲の水夫達からも驚きの言葉が漏れる。


「ええ、勿論嬢ちゃんが風を操る事は知っていやしたが、さすがにあれには俺も驚いちまって…危うく水を飲んで俺が溺れるところでしたぜ。」


 彼はそう茶化そうとして苦笑を浮かべるが、周囲は一様に押し黙ったままだ。

 なので仕方なく彼は報告を続ける。


「あとはなんとか命綱を結びつけた後に、水面まで上がって合図を出しやした。俺が見たのはそれだけでさぁ。」


 彼の報告に、士官はゆっくりと頷く。

 すぐには信じられない事だが、それを検証するのは彼の役目ではない。


「そうか、ご苦労。まぁ、なんにしても見つかったのならいつまでもここに留まる必要は無ぇな。よし、俺は一旦報告に船に戻る。おそらくはヴァレリーへ移動を始める事になると思うんで、各員持ち場に戻る準備を。解散!」


 彼の指示により、水夫達は三々五々とその場を離れる。

 彼はそれを確認すると、報告のために船へと踵を返していった。


読んでいただき、ありがとうございました。

次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。


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