3-26 近侍と侍女の出発準備
神暦721年 供物の月12日 水曜日
皆が寝静まった真夜中。
明かりも落ち、時折巡回する眠たげな衛士以外には人気の絶えた城砦の中で、その部屋だけ明かりで満たされ剣戟の音が響き続けていた。
「相手の出方に応じて柔軟に立会いを組み替えられるようになれ!特意とするパターンに頼り過ぎていると、それを封じられた時に脆さを露呈するぞ!」
「はいっ!」
『凍える大河』による3段突き…魔法金属による身体強化により普段以上の速度で繰り出されるそれを、まるで羽虫でも払うかのように難なく往なしながら指南する小父上。
毎度毎度の鉄壁…どころか見上げ果たす事すらできぬ岩壁の如き揺るぎないその防御。
私は彼の指導に短く応えると、防御の隙を伺う為に立ち位置を大きく動かしてそれに打ち込みを続けた。
「速度を生かすのならば動き続けて揺さぶりをかけ続けろ!その際に間合いを普段以上に意識するのを忘れるな!接近、離脱、維持…惰性で動くな、動きのひとつひとつに理由をつけて瞬間瞬間で選択しろ!」
言われた事を心に留めて、動き続けつつも微妙に一度の移動距離と間合いに変化をもたせる私と、それに合わせて打ち込みを続ける小父上。
それを繰り返すうちに、自然と往なしやすい位置と打ち込みやすい位置の傾向を掴んで…はっ!?
突如として放たれる連続した突き…最初のを剣で逸らした隙を突いた2撃目を、私は身体をのけぞらしてギリギリで避け、一旦間合いを取るために後ろに飛び退く。
「ははっ、動くタイミングがパターン化していたのでつい手が出てしまったが、よく避けたな。訓練中の試行錯誤もいいが、実戦ではそれは命取りだぞ?」
体温の上昇に伴う物とはまた別の汗が頬を伝うのを感じながら、返事をする私。
流石小父上…経験故か、相手の隙を見分ける感覚は伊達じゃない。
「そして間合いができて相手が息をついた時こそ、隙を突くチャンスだ。ただ、相手がそれを予想しておれば反射的にカウンターを入れて来る事もある。その点は留意しろよ?」
次はその隙を突いて来い…という事か。
私は小父上に頷くと、再び間合いに飛び込んで打ち込みを再開するのであった。
私が気が向いた時に出向く事で始まる、『疾風のアルノルス』直々の剣術指導…。
小父上にも家庭があるので毎晩砦に留まっている訳ではないのだが、各騎士隊隊長との間で持ち回りでこなしている宿直スケジュールについてはテオたちを通じて入手しているので、空振りする事も無い。
まぁ、叔父上がいなくても疲れ果てるまで身体を動かす事は可能であるが。
その一般の騎士団員であれば涙を流して羨ましがりそうな訓練だが、当初は騎士団の訓練と同等の装備で行われていた記憶がある。
だが私の『体質』を知っている小父上にとっては訓練とはいえ些か面白味に欠けるとの事で、いつしか私が魔道具などを全て使用しての実戦形式で行われる事が当たり前となっていた。
まぁ、そんな私であっても小父上には全く太刀打ちできず、どんなに工夫を凝らした一撃であっても全てを練習用の刃引きされた鉄剣で軽く受け流すその技量には舌を巻くばかりであるのだが。
「前回に比べ、目に見えて動きが良くなったな…何か新しい玩具でも手に入れたか?」
指導が一区切りついた後、訓練場周囲の段差に腰をかけて小父上が尋ねる。
彼は身に着けた騎士服の胸元を緩め、手ぬぐいで顎を伝う汗を拭ってはいるが…その呼吸はほとんど乱れていない。
それに比べ、私は息も絶え絶えの状態で床の上で大の字に横たわっていた。
自分でも嫁入り前の娘がはしたない…とは思うけど、嫁入り目の娘は普通は剣術訓練なんかしないから大目に見て欲しい。
しかし、『腕を上げたな。』ではないのが悔しい所ね…まぁ、事実だから仕方が無いけど。
「魔法銀の…アンクレットを手に入れまして…。」
横たわったまま、洗い呼吸の合間にそれだけを答える私。
ああ、火照った身体に冷たい床が気持ちいい…。
「ふむ、そうか…。だが、動きは良くなったが剣はかえって軽くなったようにも思える。そのあたりは上手く制御するか、踏み込みをこれまで以上に意識する必要があるな。」
小父上の意見に、私は大きく頷いた。
確かに、あのアンクレットを付けるようになって以来、体の動きを軽く感じているのだ。
その機能で動きが早くなるのは利点とばかり思っていたが、このような欠点が隠れていたとは。
それを一目で見抜くとは、流石小父上だ。
私が息を整えながらも小父上との格の違いに感じ入っていると、無言で何やら考えていた彼はやがて逡巡気味に口を開いた。
「そういえば…話は変わるが、お前は同居人であるブリーヴ伯爵令嬢の里帰りに同行すると聞いたのだが?」
「はい。彼女の弟が生まれたとの事で、休みを利用して日帰りで里帰りするつもりでした。」
「でした?」
私の返事に、小父上はその顔に疑問を浮かべる。
ブリーヴから、奥様が無事出産されたとの知らせが届いたのがつい先日。
明日がそれから初めての休暇となるので、日帰りでマリオンの里帰りに同行する予定だったのだ。
私は小父上に軽く頷きを返すと、再び口を開く
「はい。元はその予定だったのですが、ちょうど良い機会だと旦那様がお祝いのためお嬢様を遣わされる事になり、その付き添いとして私とマリオンが同行する事になりました。」
「ふむ、そうか…。」
私の答えに、小父上は大きく息をついた。
「お前は里帰りは…しないのか?」
「私…ですか?」
思ってもみなかった問いに、私は少々面食らう。
里帰りか…考えた事もなかったな。
「いえ、日帰りできるマリオンと違って、どんなに急いでも10日以上かかりますので…よっぽどの事が無い限りは帰るつもりはありません。」
「そうか、確かにな…10日か…。」
私の返事に、何やら考え込む小父上。そして一人ぶつぶつとつぶやいている。
そういえば、今日顔を合わせた時にどことなく表情が優れなかったように感じられた事を思い出した。
仕事による疲れの所為かとも思ったのだが…鍛練を始めてからはいつもどおりの剣捌きを見せられ、そんな違和感もどこかに吹き飛んでしまっていたが。
「まぁ、気をつけて行ってくる事だ。隣領とはいえ、しっかりな。」
「はい、お任せ下さい。」
私は天井を見上げたまま手て小父上へ応えた。
マリオンの里帰り。
ブリーヴからの知らせをマリオンへの手紙と奥様からの伝聞で聞いた私達は、早速次の休みの日の外出許可を申請した。
そして小父上への説明の通り、最初はリース家との付き合いのある商家に馬車を御者ごと用立ててもらって、それを利用した強行軍によって日帰りで行き来する予定であった。
だがどこでその話を聞きつけたのか…いや、申請を行えば話が伝わるのも当然か。
申請したその日の内に、私達は旦那様の執務室に呼び出された。
訪れた室内には、旦那様とドミニクさんだけではなく、奥様とセリアさんまでもが同室していた。
その室内に揃った顔ぶれに、ただの里帰りに過ぎなかった筈の休暇が何故か大事になりそうな雰囲気をひしひしと感じ取り、内心身構える。
そんな私達を前に、旦那様はゆっくりと口を開いた。
「マリオン嬢の里帰りの件だが…馬車で日帰りの予定で申請を受けたと聞いている。だが、その旅程には些か無理があるのではないかとの意見もあってな。二人は若いが、それでもそのような余裕の無い旅程では疲れも残りかねず、休みが明けてからの仕事に支障をきたすのも好ましくは無い…と。だが事情があるとはいえ、特定の使用人だけに特別に休暇を与える事は他の使用人の手前はばかられる。そこで提案なのだが…どうかね、水軍の船を利用してみては?」
旦那様の提案に、私はそれを吟味する。
水軍の船か…確かにそれが叶えば有難いが、今回はマリオンの私事だ。
彼らの行動予定が私達の休日と一致していればそれに同乗するのが一番だが、今回ばかりは旅程の確実性を期してリース家のほうから足の指示があったのだ。
「それが叶うのでしたら、私達としては非常に助かりますが…。」
だがいいのだろうか?
有力貴族とはいえ、一行儀見習いの私事の為に水軍を動かす事は、周囲の目には公私混同と映らないだろうか?
「なに、私事に水軍を動かす事についての懸念はもっともだ。なので、ついでと言っては何だが、ひとつ仕事を頼みたい。」
えっ、仕事?
突然沸いたその単語に僅かに身構える私達を見つめて、旦那様は口元に薄く笑みを浮かべる。
「今回の慶事に対し、ミリアムを私の名代として向かわせる事とした。彼女にとってこういった公での役目は初めての事となるが、何、リース家とは昔からの付き合いがある。初めての公務には丁度いい機会だろう。ついては、その付き添いとして彼女の世話を頼みたい。旅程は1泊2日。無論、その後には代わりの休みを取らせよう。」
「隣領といっても、馬車で日帰りじゃ碌に休みも取れないわよね。私の付き人の件なら、イネスちゃんも入れて回してもらうから心配要らないわ。ミリアムの子守りとして尽くしてくれた彼女もそろそろ年季明けだし、最後に箔を付けるのにも丁度いい機会だわ。」
旦那様の執務机の横で、揺り椅子に腰掛けた奥様がそう言って微笑む。
行儀見習いとしての役目を果たした事を証明する紹介状…行儀見習い先の家と良好な関係が築けたのであればその内容に色をつけられる事は珍しくは無いが、流石に無かった事を有ったと書く事は許されない。
なので行儀見習い期間の終了間際の数日間だけ重要なポストに付けて『そういうこともあった』と追記する事は良く行われている。
今回のお嬢様の外出のついでに、それを済ませてしまおうという事なのだろう
奥様の言葉を受けてマリオンに視線を向けると、彼女は少ししてから小さく頷いた。
デファンスからここに来た時には、旅程に余裕があったので速度も遅く馬車の中でも十分休息を取る事が出来た。
だが、1日でブリーヴとを往復するとなるとあちらでは顔を合わせる程度の時間しか取れない上に、行き帰りの馬車も速度を出すことになり、その振動で碌に休む事もできないだろう。
それに比べて、ミリアムお嬢様と共に向かうのであれば多少揺れる事があっても快適な船旅と、あちらで過ごす一晩が保障される。
私達にとっては、正に渡りに船の提案であった。
私は旦那様に向き直り、大きく頷いた。
「畏まりました。私達は行儀見習いの身である以上、仕事とあらば是非もありませんし、後に休みをいただけるのでしたら何も問題はありません。」
「はい、私もです。旦那様のご配慮、感謝いたしますわ。」
私達の返答に、満足そうに頷く旦那様。
そして奥様は嬉しそうに笑みを浮かべながら揺り椅子からそのふくよかな身体を起こすと、ぱんとその両手を打ち鳴らした。
「じゃぁ、ミリアムの荷物を用意しないといけないわね。それについてはユーリアちゃんに一任するからよろしくね。凝ったドレス類は必要ないから、イネスちゃんと話し合ってあまり大きくならない様にお願いね。」
「ドミニク、水軍に使いを。『予定通り手配を頼む』と。そしてリース家にミリアムが訪問する旨、早馬で伝えるようにな。」
早速とばかりに指示を出し始める二人に、私はマリオンと顔を見合わせる。
だがこれで、マリオンの里帰りも随分と余裕を持った旅程となった。
その内心が現れたのか、私達は同時にほっとしたような笑みを交わしあったのであった。
読んでいただき、ありがとうございました。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
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