3-23 近侍と伯爵家のお家騒動?
神暦721年 水の月20日 風曜日
秋口の長雨、その後の水害にまつわる騒動の後、一月あまりの時間が慌しく過ぎ去った。
とはってもお屋敷の中での生活自体はいつもどおりの落ち着いたもの。
いつもと違ったのはお屋敷の外で大きく変化した貴族達の勢力図と、それを各々の伝で察知した使用人達の浮ついた雰囲気のみ…雰囲気などであった。
「クリストフ殿もいい年だ。そろそろ身を固めてお父上を安心させてやってはいかがかな?」
「あら、クリストフ様はしっかりとした方でしてよ。ちゃんとそのあたりは考えておいでに決まってますわ。ですが…私が気になるのは、既にどなたか心に決めた方がいらっしゃるのではないかと言う事ですわ。」
毎度開かれる穂首派の夜会。
いつものようにニネットたちを出迎えたお嬢様をキャロルとマリオンに任せ、私はグラスの乗った銀盆を片手に給仕を行いつつ参加者達の会話に耳をそばだてていた。
…別に、ゴシップとかを知りたいが為にこんなことしている訳じゃないわよ?
これも近侍の仕事のひとつなんだから。
そんな益体も無い言い訳を心中で呟きながら、私はひとつの集団に注意を向ける。
今回の夜会での話題の中心…それは今まではほとんどの夜会の参加者から冷笑と陰口の対象としてしか省みられていなかったクリストフであった。
「いえ、私としては…気楽な立場に胡坐をかいて、もう少々独り身を楽しむつもりでいたのですが…いやはや、人生、何が起こるかわからないものですね…。」
取り巻きの貴族達の言葉に、苦笑いを返すクリストフ。
だがそのうちの若い女性からは驚きの混じった黄色い歓声が上がり、その介添え役の年長者達は誰ともなく静かに気合を入れる。
「まぁ、それでしたらウチの娘などは…。」
「私の姪っ子なのですが、先日行儀見習いを立派に勤め上げて戻ってまいりましてな…。」
未婚の女性が自ら名乗り出る事は不躾な行為。
社交界ではそう見なされるため、その代わりとばかりに介添え役達がその縁者を推薦してゆく。
だがそんな中でも、クリストフはにこやかな笑顔を浮かべたままそれを見事に躱していくのであった。
さて、こうなった背景…ここ最近に起きた派閥の変化を私の知っている限りで整理してみよう。
まず、マティアスとデボネアの結婚生活であるが…祝言からしばらすると、生来の我侭であったデボネアと彼女を自分の高価な所有物としか見ていなかったマティアスの仲は次第に冷えていったそうだ。
まぁ、そもそも派閥内の政略結婚でしかなかったのだから、お互いへの愛情なんて存在すら怪しい。
それぞれが進んで愛情を育もうと歩み寄らなければ、育つものでもない。
そして二人の生活はついに大きな転換点を迎えた。
些細な言い争いからマティアスがデボネアに手をあげたのだ。
その結果、デボネアはビゾン家を飛び出し、実家であるベルレアン家に逃げ帰ってしまった。
さすがにこれは両家にとっても見過ごせる物ではなく、当然の如く両者の関係の修復を模索する。
しかし、当人達には既にその意思はなく、様々な手を尽くしたもののついにはそれを断念。
結果、両家の連名で婚姻関係解消の声明が出される事になった。
これに驚いたのは派閥内の貴族同士の婚礼という事で大々的に祝福を行った楠葡派である。
正に顔に泥を塗られる事となったこの事態に、楠葡派に所属する貴族と、両家との関係は最悪と言える段階まで悪化。
一時はビゾン家の穂首派からの除名といった話も上がったほどだ。
だが、そんな状況に危機感を覚えるどころか開き直るマティアスに対し、その父である現当主アンヴィー伯ヴィクトルがついにその廃嫡を決断。
結果、繰り上がりでクリストフが次期当主となった。
その後、辛うじて穂首派に繋がっていたクリストフを仲介に、ビゾン家は再び穂首派との関係改善を目指すこととなる。
針の筵状態にもかかわらず、めげずに穂首派との繋がりを求め続けたクリストフの努力のおかげである。
ちなみに、ベルレアン家は楠葡派からはじき出されたものの、穂首派に復帰する事もできずに孤立状態。
しかもベルレアン家の中でも現当主の一族と、親戚筋…キアラの実家を中心とした一族との間で主家争いが勃発しそうな雰囲気だとか。
勿論、キアラの実家の後ろには穂首派の有力貴族であるヴァレリー侯爵家がついている…デボネア、詰んだわね。
まぁそんなこんなで、再び穂首派所属となったアンヴィー伯がクリストフ共々今夜の夜会に参加することとなり、伯爵は旦那様を含めた派閥の重鎮と会談中、そしてクリストフが夜会の会場で他の出席者と顔を繋いでいるといった状態だ。
そしてこのような状況では、将来の伯爵夫人という地位が見込めるクリストフは未婚の貴族令嬢達にとってはかなり美味しい相手。
しかもビゾン家は交易により膨大な収入を手にしており、国境沿いの不安定な立地を鑑みてもその価値は揺らぐ事は無い。
なおかつ本人は今だ若輩だがその父や兄の補佐を卒なくこなす程に有能で、領地経営にも不安は少ない。
そして一見細身だが武にも優れた健康体、その上理知的で見た目も悪くないとなれば、これ以上の相手を望むにはそれこそ王族に嫁ぐ位しかありえないのだが…それには最低でも伯爵、可能であれば侯爵クラスの家柄が必要となる。
そんなこの上ない優良物件が、派閥内に突如現れたのだ。
派閥内の下級…いやいや、弱小…いやいや、まぁそんな家々の娘達が目の色を変えるのも致し方ないこと。
そんな状況で私はいつものように給仕の仕事をこなしながら、妙齢の女性に囲まれたクリストフの様子を遠目に生暖かく眺めていたのであった。
「お飲み物のお代わりは如何ですか?」
やっとの事で婚前の淑女とその介添え達の包囲から抜け出し、一息ついたクリストフに声をかける。
「ああ、これはユーリア嬢。お久しぶりです。」
彼の挨拶に黙礼でのみ答えると、私はそっと用意してあったグラスを手渡した。
客の注文を確認すらしない…少々不躾な私の行為に一瞬面食らったクリストフであったが、グラスを渡された流れのままそれに口をつけ、中身がよく冷えた水である事に気付くと彼はそれを一気に呷った。
「それにしても、随分とおもてになられるのですね。」
飲み干した水の冷たさに再び大きく息をつく彼を横目に、給仕らしく努めて無表情を保ちつつも悪戯っぽく呟く私。
「一躍時の人となったご感想は如何でしょうか、クリストフ様?」
そこまで言って、私は初めて口元に笑みを浮かべる。
そんな私に、彼は困ったように眉を歪めて微笑んだ。
「これまでの人生、ずっと兄の影に隠れてひっそりと生きて来ましたからね…今ではひっくり返した石の下から一目散に逃げ出す虫の気持ちがわかったような気がします。」
『ひっそりと』…か。
聞く所によると、旦那様などはクリストフの事を『兄の功名に隠れてはいるが、その功を支えた文武兼備の秀才』と高く評価しているとの事だが…マティアスが目立ち過ぎて当人の評価すら低くなっているのだろうか?
「後は…そうですね、父や兄にはおもねるが、私にはそうでなかった人の多さに気付きましたね。確かにこれなら、立場に溺れて増長してしまう者がいるのも…仕方が無い事だと思います。」
ふむ、やはりそういった輩はどこにでもいるものか…。
彼の場合、冷ややかな視線と陰口の筵からの手のひら返しなので、余計にそれが大きく見えるのだろう。
「成程。それで、目ぼしいお嬢様などは見つかりましたか?」
私の次なる質問に、苦笑を深くして手を振るクリストフ。
「いえいえ、とんでもない。誰も彼もが私を骨までしゃぶろうと虎視眈々と狙ってるようにしか思えませんよ。おかげで近頃は気の休まる暇もありません。」
そう言って彼は空いた手を胸の下あたりに当てる。
あの位置は…胃か。
お嬢様方に囲まれている彼は傍目には涼しげな顔で受け流しているようにしか見えなかったが、当人は意外と苦労しているようだ。
「まぁ私の望みが叶うのでしたら…妻として迎える人は、私の立場ではなく私自身を愛してくれる人がいいですね。ただ次期当主としての責務もありますから、家格なども考慮しなければいけませんし相応しい相手が見つかるまでいつまでもわがままを言い続ける訳にもいかないのが辛い所ですね。」
成程…まぁ伯爵家次期当主ともなれば、ある程度は相手をえり好みする余裕もあるだろうが、それにも限度がある…ということか。
しかし、ちやほやされてあっさりと鼻の下を伸ばすようであればそれまでの男だと思っていたのだが…意外と身持ちが硬かった様だ。
「左様でしたか…これは余計な勘ぐりをいたしました。それでしたらお詫びついでにひとつお耳汚しを。この街には樫の古木商店という評判の魔法道具屋があるのですが、近頃扱い始めた胃薬が良く効くと市井で評判だとか。他にも色々と興味深い品揃えをしておりますので、お暇があれば立ち寄られるのも一興かと。」
と、ついでにマリエルの胃薬を宣伝しておく。
まぁ、身内びいきではあるが評判がいいのは事実だ。
特に近頃は、家政婦であるバートン夫人の常備薬として屋敷内で有名である。
「お心遣い、ありがとうございます。そういえば貴女には何度も助言を頂いて…いつかはお礼をと考えているのですが…。」
本心から申し訳なさそうにそう告げるクリストフに、私は慇懃に隙の無い一礼を返す。
「職務中の事です。お気になさらずに。」
私の返事を聞き、彼はそれを予測していたかのように苦笑を浮かべた。
「そうですよね。貴女はそういった方だ。」
彼の意見を評価と受け取り、私は再度一礼をする。
と、広間の向こう、いつものソファーの周りでは飲み物片手にこちらに視線を向けるニネット達と、彼女に給仕するマリオンの姿が…って、ここからでもニネットのドレスの下の足が苛立たしげにリズムを打っているのが判る。
彼女を放っておくのもそろそろ限界か?
「それではクリストフ様、引き続きごゆっくりと夜会をお楽しみ下さい。」
私が最後にそう告げると、じっと私の顔を見ていた彼も慌てたように別れを告げる。
そして私はニネットたちが待つソファーへと、内心足取り重く歩いていくのであった。
ユーリアが立ち去るその背後に、クリストフは一人残された。
彼の視線の先には去っていたユーリアの後ろ姿。
やがて彼は、邪魔者は去ったとばかりに距離を詰めだした淑女たちの動きにも気付かずに、ニネット達と合流するユーリアの姿を見つめたまま小さく呟いた。
「家柄…人柄…容姿…健康…そして我が家の…両家の発展…。」
だがそれは、ユーリアの与り知らぬ話であった。
「聞きましたわよユーリア様!来るミリアム様の誕生日に、また劇を演じられるのですって?。」
私の顔を見るなり、挨拶もそっちのけで満面に喜色を浮かべたニネットが詰め寄ってきた。
おう、随分と耳が早い事で。
私はまずは落ち着くようにとニネットを宥めながら周囲に視線を送る。
私達を遠巻きにする人ごみ…その中に、さっきまでお嬢様と一緒にいた筈のキャロル、カリーネとミレーユのアメレール姉妹やその親類のコゼットを見つけ、内心頭を抱える。
彼女達は一様に苦笑いを浮かべながらこちらを眺めるばかり…って、他人の振りしてないで、あなたたちも宥めるのを手伝いなさいよ!
先日…そう、先日行われたアルフレッド坊ちゃまの誕生会の席上。
振る舞い酒に気を良くして些か度を過ぎてしまった私は、上機嫌で舞台上の劇を眺めながらつい「もう一度劇をするのも面白いかもしれないわね…。」と呟いた。
そう、呟いてしまったのだ。
私のその一言をきっかけに、周囲から波が引くようにざわめきが消える。
周囲で談笑していた筈の使用人…特に女性使用人は皆一様にこちらを注視して固唾を飲み込んでいた。
そして私がそれに気付いたのは、満面の笑みを浮かべてお嬢様が私に駆け寄り、その後をしずしずと…だが普段より早足で奥様が追いかけて来た時だった。
そして二人から送られる感謝と期待の入り混じった言葉の嵐。
それが過ぎ去った後には私が逃げるべき道は既に失われてしまっていた。
だがそれだけではない。
それ以降、廊下や食堂で使用人…特に女性使用人たちとすれ違ったりするたびに、「楽しみにしています」だとか「近頃は誕生日会が楽しみで夜も眠れません!」などと声をかけられるのだ。
去年は只の有志の出し物程度の軽い気持ちでやってたのに、いくら私でも、ここまで期待されたら流石に尻込みするわよ…。
だが最近はやっとそれも落ち着き、今から頭の重いその厄介事を記憶の奥底に押しやれそうだという所で、今度はニネットの手により再び白日の下に引きずり出されてきたのだ。
そして目の前のニネットである。
「前回の劇は素晴らしい物でしたわ。元からユーリア様の信奉者であったマリオン様だけではなく、ミリアム様も魅了してしまうのですもの。」
その時を思い出してか、目を閉じてうっとりとするニネット。
それを聞いてマリオンはにっこりと微笑み、ミリアムお嬢様は顔を赤くする。
それを眺めながら、少し残念そうに表情を曇らせるキャロルとカリーネたち。
まぁそればっかりは仕方が無いわよね。
そこで私はひとつ咳払いをすると、お嬢様の耳元に顔を寄せて提案する。
「お嬢様、誕生日会のお客様ですが、ニネット殿下と二人きりというのも些か気疲れが見込まれましょう。ご都合が合えばですが、カリーネ様たちもご招待されるのが…。」
私の提案に、お嬢様は大きく頷く。
「カリーネ様、ミレーユ様、コゼット様、もしよろしければですが…。」
お嬢様のお誘いに、次第に表情を明るくする3人。
そして大きく頷くと、先を争うようにお嬢様に招待に対するお礼の言葉を浴びせている。
私はそれを見て満足気に頷くと、夜会の招待客で唯一声のかからなかったキャロルに向き直った。
劇について期待の大きさを語るお嬢様達の集まり…その蚊帳の外にされてか、些か寂しげな彼女ににっこりと微笑むと、私は口を開く。
「貴女は出演者側ね?」
騎士団員共々彼女に拒否権は無かった。
読んでいただき、ありがとうございました。
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