3-22 近侍と魔術師見習いと応用レシピ
神暦721年 子供の月25日 森曜日
二人と話しているうちに、私達は『樫の古木商店』にたどり着いた。
「来たわよ!そして待たせたわね!!」
扉を開け放ち、店に踏み込むなりマリエルがポーズを決めてテンション高く言い放つ。
…ちょっと、入り口で立ち止まられたら、後の人が入れないんだけど?
扉に付けられた鐘の音の余韻が響く中、無言で少し待ってみた物の動く気配がないマリエルに、私は仕方なく彼女の両肩を後ろから吊り上げ、そのままカウンター前へと連行する。
店内には店主のスルヤ婆さん以外の人影は見当たらないが…まったく、恥ずかしい事しないでよ…。
「おや、すいぶんとぎりぎりの登場じゃないかね。しかし残念じゃのう、ひょっとしたら期日を過ぎてくれるんじゃないかと少し期待しとったんじゃがね…ひゃっひゃっひゃ。」
「生憎ね。しっかり数そろえてきたから、受け取ってもらうわよ!」
まるで敵を相手にするような会話の後に、マリエルがこちらに合図をする。
私達は半分諦め顔で、カウンター脇の作業台へと移動して背負っていた行李をその下に置いていった。
そしてマリエルが慎重な手つきで行李の中から瓶を取り出しては、台の上に並べていく。
ふぅ、やっと肩の荷が下りたわね。
私が凝り固まった肩を回しているうちに他のみんなも行李を下ろして、思い思いに店の中を見てまわっている。
ちゃんとおちびさん達にはエミリーとポーレットが着いているので、面倒事が起きる恐れも無いだろう。
「ふむ、数は足りてるようじゃの。じゃぁ、モノを試させてもらうかね。」
そう言ってマリエルが頷くのを確認してから、スルヤ婆さんは適当に瓶の中から一本を選んでその手に取る。
そして瓶の栓を抜こうとするが…。
「なんじゃこれは…。随分と硬く締めたもんだねぇ。」
スルヤ婆さんはしばらく栓を抜こうと格闘していたが、ため息をついて諦めるとそれを私に渡してきた。
私も開けてみようとするが…本当に硬いわね。
まぁ、本気で力を入れることで何とか開ける事に成功したけど…。
「おお、流石じゃな。やっぱり若いというのはいいやね、ひゃっひゃっひゃ…。しかし、ここまで栓が締まってるって事はじゃ…おぬし、薬液を冷まさずに栓をしたじゃろ?」
スルヤ婆さんが目を細めてマリエルを睨むと、彼女はそれに耐え切れずに眼を逸らす。
まぁ、バレバレよね。
言わんこっちゃ無いとの思いを視線に乗せて彼女を眺めていると、マリエルはばつが悪そうに口を開いた。
「別に、それでも薬効には関係ないでしょ?」
「それでもじゃ。まぁ基本から外れた製法である以上、値段は下げさせてもらうがの。」
「ええっ?そんな…あんまりよ!」
婆さんの言葉に、ショックを受けるマリエル。
まぁ、この場合買い手である婆さんのほうが立場は上だから当然か。
私は「それじゃ支払いが…。」とか、「アレとかアレとか買おうと思ったのに…。」とかぶつぶつ呟いているマリエルを横目に、横歩きで婆さんのすぐ傍に移動してから小声で問いかけた。
「瑕疵があるとはいえ、随分と買い叩くのね。」
そんな私を横目で見ると、スルヤ婆さんはニヤリと笑う。
「カロンからは『基本ができていなければ買い叩いて構わん。』と言質を取っておるでの。」
そしてひゃっひゃっひゃと笑う。
あまりにもあくどい魂胆だったら抗議のひとつでもしようと思っていたが、どう考えても彼女の自業自得である。
まぁ、次からは基本を守る事ね。
そんな事を考えながらため息をひとつついた時に、それは現れた。
「店主!店主はいるか!!」
店の扉が勢い良く開き、扉に付けられた鐘がその音を騒がしく鳴り散らす。
そんな中に現れたのは鎧姿の騎士…って、キャロルじゃない。
見知った顔に片手を上げて挨拶すると、彼女にとっては思いも寄らぬ相手だったのか、目を見開いて動きが固まる。
「ゆ、ユーリアさん?…なんでこのような所に?」
そう問いかける彼女に、私は「付き添いよ。」とだけ答えてマリエルを視線で示してみる。
そんな彼女はといえば、鳴り響いた鐘の音に我を取り戻したのか、「一体何事よ?」とキャロルを注視していた。
「それよりも、何か用事があったんじゃないの?」
私の問いに、彼女ははっと我に帰ってスルヤ婆さんに視線を向けた。
「大変だ、大水でコムナ川の堤防が切れた!疫病を防ぐ為に、消毒薬があったらありったけを提供して欲しい。これが騎士団長からの要請状だ。」
そう言って腰に着けた小袋から小父上の署名が入った要請状を取り出して提示するキャロル。
それを見て目を見開いたスルヤ婆さんではあったが、やがて怪訝そうに首をかしげた。
「おや、騎士団は堤防が切れたから店の在庫をありったけ攫って出張っていったのじゃなかったかえ?」
そう問い返した婆さんに、はっとしたキャロルが口を開く。
「いや違う、先に堤防の切れたシャイーギュ村の上流、シャイヨー村の付近でも越水によって堤防が切れたんだ!!」
「堤防が…2箇所も切れたじゃと?じゃったら、持って行った消毒薬では…。」
「ああ、残念ながら到底足りない。なので疫病を防ぐ為にシャイヨー村でも水が引き次第消毒薬を散布しなければならないので、その分の追加の用意を頼む。」
キャロルの要請に、スルヤ婆さんは血相を変える。
「無理じゃ、到底無理じゃな。アレを用意するのには調合だけでも一巡りはかかる。それだけではなく、材料の用意からとなると更に延びる。普段はアレをこの店に納めているのはカロンの所じゃが…。」
そう言って、スルヤ婆さんが探るようにマリエルに視線を向けると、マリエルはぶるぶると首を振る。
「治癒の魔法薬の製造だけで手一杯だったから…材料の用意ですらこれからよ。」
マリエルは胸を張って自身ありげにのたまう。
ちょっと、何でそんなに偉そうなのよ。
「となると出来上がりまでに10日はかかるのう。それだけかかっては無意味とは言わんが、既に疫病も広がっている頃じゃろうて。」
「そんな!だったら、他の町から…。」
スルヤばあさんに回答に今度はキャロルが血相を変えるが、婆さんは残念そうに首を振る。
「それも望み薄じゃ。ヴァレリー領はカノヴァス国でも比較的水害は少ない。それなのにこの状況では、他の領地ももっと酷い状況じゃろう。こちらに回す余裕は…難しいじゃろうな。」
「何…だと?だとしても、何か手が…。」
解決策を探っているのか、ぎりりと唇を噛み締めて俯いているキャロル。
だが、ふと周りを見回してみると、マリエルが俯いて何やらぶつぶつと呟いている事に私は気づいた。
「廃液を使って…副作用には目を瞑るとして…薄めれば…確保は…。」
そして彼女はがばっと顔を上げた。
「まだお屋敷には治療薬を作った時の廃液があるわ!それを使えば、色々と細かい問題はあるにしても何とかなるかもしれない!」
「解決策があるのですか、魔術師殿!」
マリエルの言葉に希望を見出したのか、縋るような表情を見せるキャロル。
まぁ、彼女はまだ魔術師見習いでしかないんだけど…そこは別にいいか。
「虫除けとしても十分効果があるから、疫病を防ぐ事もできるかもしれない。少なくとも、何もしないことに比べれば効果が見込めるわ。」
「それで、細かい問題って?」
気になった所を私が質問すると、彼女は「こればっかりはね…。」とつぶやいてため息をつく。
「水で薄めるから長期間の保存はできなくなるけど、一巡りくらいなら十分持つからこれは問題ないわね。あとは副作用のシミと痒みだけど…直接人体に使うわけでも無いし、水で薄めるからそれほど心配しなくてもいいはずよ。けどまぁ、それでも症状が出たら、その人には疫病が広まるよりかはマシだ思って我慢してもらうしかないけど…。」
「ふむ、そうか…治療薬の廃液があるなら、余分な手間をかけずとも効果は見込めるのう。では、それを用意してもらえるかの?」
「ふふっ、任せなさい。けど、納めるからには…。」
自慢げに胸をそらしたマリエルは、にたりと笑ってその表情を小ずるそうな物に変える。
そしてそれに答えたのは、キャロルであった。
「団長からは緊急事態なので報酬には色を付けると聞いている。そこは騎士団を信頼してもらって構わない。」
「そうかの。じゃぁ、正式に依頼として薬を納めてもらおうかね。」
キャロルの保証と、スルヤ婆さんの依頼に「任せなさい。」と胸を叩くマリエル。
と、そんな時に私達の背後から声がかかった。
「あの、ひとついいっすか?」
「何よ、ポーレット?」
商売にまつわる話の最中に水を差された所為か、不機嫌そうに問い返すマリエル。
それを見てポーレットは、困惑気味に口を開く。
「いや、サンドラさんには、『冷えるまで手を触れないように。』って伝えてたじゃないっすか。今頃、鍋の中身を捨てられてたり…してませんよね?」
そのポーレットの発言に、一同は表情を凍りつかせた。
「ど、ど、ど、どうしようユーリア!」
「とっ、とっ、とっ、とりあえずは落ち着きなさい!」
ポーレットの言葉のショックから我を取り戻すと、私達は恐慌状態に陥っていた。
「だ、大丈夫なのか、二人とも?」
心配そうに私とマリエルの顔を交互に見比べているキャロルに、マリオンは苦々しげな表情で口を開いた。
「誰かが急いで鍋の中身を確保するしかないけど…。」
「だったら、表に馬を繋いである私が急いで…。」
「街中の大通りなんだから、早駆けどころか駆け足だって無理よ!それに城砦経由ならともかく、貴女が直接屋敷に乗り込んだら入り口で足止めを食らうわ!」
恐慌から立ち直りつつある私達は、精一杯打開策を出し合う。
そんな中、誰が一番早く屋敷にたどり着けるかと私は考えをめぐらせるが…どうやら答えはひとつのようだ。
「判ったわ、だったら私が確保してくる。マリエルはなるべく早く追いかけてきて!」
「ユーリア、任せるわ!!」
「頼んだぞ、おぬしだけが頼りじゃ!!」
私の提案にマリエルが同意したのを確認すると、私は乱暴にカウンター前の椅子に腰掛け片方のブーツを脱ぐ。
そして身に着けていた腕輪を引き抜くと、それを右足に着けなおした。
魔法金属による身体能力の強化…片足しかないが、有ると無いとでは大違いだ。
これでどれだけ時間が稼げるか…そんなことを考えながら勢い良く立ち上がった私ではあったが、顔面に受けた突然の衝撃にそのお尻を再び椅子へと戻していた。
「いたたた…何よ、一体。」
「あっ、ごめんなさい、お姉様。お怪我はありませんか?」
尻の痛みに顔をしかめ、ちかちかする目を凝らして前を向けばそこには私と同様に尻餅をついたマリオンが居た。
彼女は店内を見て回っていた筈だが…何か目ぼしいものでも見つけてきたのだろうか。
だが、今はそれに係わっている暇は無い。
「あの、お姉様、商品にこんな物が…。」
「ごめん、マリオン。今はちょっと急いでるから、それは後で…。」
そう言って差し伸べられた手を押しのけた私であったが、ふとした違和感に彼女の持っていたものをまじまじと見つめた。
「あの、お姉様に似合うと思って…。」
おずおずと差し出されたそれは、魔法銀製のアンクレットだった。
身体が…軽い!
スルヤ婆さんに商品を借りるとだけ言い放ち、私はそれを左足につけて店を飛び出した。
そして通りの人ごみを縫って走り出したのだが…私は自分の予想以上の身のこなしに、内心嬉しい悲鳴を上げていた。
だが、人通りの多い道を走っていては、碌に速度を上げられずに時間を浪費するばかりだ。
私は通り沿いの建物を見渡すと、そのうちの手頃な一軒に狙いを定めた。
「ハッ!」
地面を踏み切り、商店の庇の上に飛び乗る。
今までは、それで終わりだった。
だが、私はそこから更に踏み切って、建物の屋上へと飛び上がった。
本当に…身体が軽い!
これは、素材による身体能力の強化だけじゃないわね。
くるりと一回転して建物の屋上に着地。
そして振り向いた視線の先にお屋敷を認めると、私は一直線に駆け出す。
…飛び乗ってからの切り返しも普段とは段違い。
これは…凄いわね!!
屋根から屋根へ、私は風のように駆ける。
石造りの建物の屋根を力強く踏み込み、木造の建物の棟に音もなく着地して駆け抜ける。
そしてお屋敷前の大通りにたどり着くと、通り過ぎる馬車の背後を狙って屋根を踏み切った。
「うわっ、何だ!?」
「親方!空からお屋敷の使用人が!!」
通りから上がる声を無視して、私はそのままお屋敷へと駆ける。
そして使用人用の通用口に飛び込むと、担当の衛士に声をかける。
「近侍のユーリアよ。急いでるからこのまま通るわよ!」
その顔見知りの衛士の前でくるりと身を翻して変な物を持ち込んでいない事を示す。
そして私が見つめる前で彼が気圧された様に頷きを返すと、私は一気に扉を駆け抜けた。
目指すは客用の厨房只ひとつ…ご意見、小言はまた後で!
「あっユーリア、ちょうどいい所に!」
途中、客間女中のキアラに声をかけられるが、それ所ではない。
「ごめん、後で!」
私は近侍然の格好なのをいいことに、最高速で使用人棟を駆け抜け、お屋敷に入った後は早足で客用の厨房へと踏み込んだ。
「おや、ユーリアさんかい。随分と早く戻ったね。」
ちょうど厨房では、サンドラさんが厨房女中に命じて、鍋を移動させる所だった。
「ストップ!ストップ!!その中身、何もして無いわよね?」
「おや、中身かい?いい感じに冷えてきたんで、今から捨てようとしていた所だけど…。」
彼女の言葉に、私は大きく息をついた。
何とか、間に合ったようだった…。
その後、追いかけてきたマリエル達と合流した私は、そこそこ重量のあった鍋を工房へと移動した。
そして鍋から壷に移し変えた物を、騎士団へと届けるためにキャロルに託した。
まずは報告の為に馬で騎士団に合流し、消毒薬はとりあえずは城砦で保管して運搬用の馬車を手配するとの事だ。
これで上手く行けば、疫病の蔓延は最小限に抑えられるだろう。
駄目だったとしても…これ以上は私達にできる事は何も無い。
さてその後はマリエルに支払われた魔法薬の代金で豪遊…とは行かないものの、ささやかなお疲れ会が開かれた。
場所はいつもの川風亭。
これまたいつもの如くイングリットを含めた水軍達が合流し、いつもの如く大いに盛り上がった。
いつもと違うのは騎士団のメンバーがいない事ぐらいか。
最近はおちびさん達もすっかり顔なじみで、興が乗った二人の息の合った踊りは店の客達に大評判だ。
そして帰り道、寝不足からか早々に酔いつぶれたポーレットとマリエルを背負って、私達はお屋敷に戻ってきた。
とりあえずは酔い覚ましの水でもと、使用人棟2階の食堂に移動すると、そこにはいい感じに酔っ払った客間女中のキアラが一人で杯を傾けていた。
あ、そういえば昼間に何か言って居たわね。
そんな事を思い出していると、こっちを認めたキアラが手招いた。
「そういえば、昼間に何か言っていたわよね?」
「ああ、それね。それがねぇ、実はねぇ…。」
既にかなり酔っているであろう、キアラは杯を傾けてから大きく息をついてから口を開いた。
「デボネアがさぁ、ビゾン家の屋敷を飛び出して実家に戻っちゃったんだってさ。まさかここまで早いとは流石に予想してなかったけど、ホント、お笑いよね~。」
「えっ?」
伝え聞いた話の内容、その衝撃に動きを止める私達。
だが、彼女はそれを他所に上機嫌でケタケタと笑い続けるのであった。
読んでいただき、ありがとうございました。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
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