3-20 近侍と魔術師見習いと下ごしらえ
神暦721年 子供の月24日 水曜日
「ところで、サンドラさんに何を耳打ちしたの?」
「頼んだよ!」とだけ告げて満面の笑みを浮かべたサンドラさんが仕事に戻った後、私は厨房の外に見送りに来たエミリーに問いかけた。
すると彼女はマリエルを安心させるように微笑んで口をひらく。
「ほら、以前、私とポーレットが軟膏をもらった事があったじゃないですか。サンドラさんはそれを知って、自分でも町でいい軟膏を探したんですよ。でも彼女の肌に合う物が無かったみたいで…かといってマリエルさんに依頼することで弱みを見せる事はできないので、仕方なく諦めていたんです。だから、他の使用人の分も含めて一冬分の軟膏を作らせてみては?と提案したんです。」
そう言ってにっこりと笑うエミリー。
あー、そういえばアレは多少古くなっていたとはいえ、採算度外視でけっこういい材料使ってたからね。
市販の物に比べれば高品質といえるし…あれだけの物はあまり出回っていないかもしれない。
そう、 何を要求されるかとちょっと不安だったけど、軟膏の製作程度ならそれほどの負担にもならないか。
どうせなら、材料費まで彼女に押し付けて一度痛い目を見せればいいのに。
「その程度でよかったわね、マリエル。色々言いたい事はあるけど、詫びもかねてしっかりやっときなさいね。」
私がそう告げると、彼女は涙目でうなずく。
あ、どうせならこっちも頼んでおくか。
「それでエミリー、折角の休みを潰した上で本当に申し訳ないんだけど、魔法薬の作成の方の手伝いもお願いできないかしら…。」
私の願いに、彼女はにっこりと笑みを浮かべて頷く。
「はい、もちろん構いませんよ。でも、その代わり…今度のお休みに、街でお買い物に付き合っていただけませんか?もちろん、二人きりだなんて贅沢は言いませんから。」
そう言って恥ずかしげに目を伏せるエミリー。
私は「もちろんよ、ありがとう」と彼女の耳元で囁くと、周りに気付かれないように彼女の赤い頬に軽く口付けをした。
「何じゃ、お主が休みの日以外に顔を出すのは珍しいのう。」
「はい、実は折り入ってご相談が…。」
厨房から戻ってきた私は、一人でカロン殿の居室に顔を出した。
マリエルを連れて来なかったのは彼女を同伴する事で話をややこしくしたくなかった事と、彼女に対する評価が下がることを危惧した為だ。
私の口上に、カロン殿はあごひげをしごきながらニヤリと笑った。
「どうせマリエルの課題の事じゃろ?何、あれだけ叫んでおれば、想像もつこうて。お主も大変よのう、手のかかる姉弟子で。」
こちらを見透かしたカロン殿の言葉に、私は思わず言葉に詰まる。
だがそれも一瞬、内心のため息を隠して私は軽く頭を下げて口を開いた。
「お察しでしたら話が早くて助かります。課題の期限なのですが、別件の都合で数日伸ばしていただきたく…。」
「ふむ、やはり課題の期限の事か…別にかまわんがな。まぁ、実際の所あれもスルヤの所に渡す魔法薬の作成であるからな。」
カロン殿の言葉に、私はほうと目を見開く。
「課題の魔法薬の作成」とだけ聞いていたので、その話は初耳だった。
その反応に気を良くしたのか、カロン殿はうんうんと頷いて目を細める。
「長雨の水害対策で騎士団が出ていったのは知っておろう?マリエルがスルヤから受けた依頼は、治癒の魔法薬の作成じゃったかのう?おそらくはこの季節の長雨で発生する水害を見越して、対策で出張った騎士団や被害を受けた領民の需要を先取りした物じゃろう。それに対して、ワシが指示したのは水害後に使用する病気治療の魔法薬の作成じゃ。水害の後はえてして疫病が流行りやすい物じゃ。特に、堤防が切れて村落に水が流れ込んだ時にはな。そんな時に疫病に冒された者の治療と、水で薄めて撒くことで泥土で汚染された地域の消毒に使用する。これについては慣例として水害が発生する度にスルヤの所に一定数を納めておるのじゃよ。」
ふむ、「慣例として」であるならば、細かい期日は決められていないのか。
それであれば、一巡り位であれば納入を伸ばしても問題なさそうか?。
「まぁ、どちらも差し当たりは奴の店の在庫で賄えるであろうから、事が終わった後の補充用じゃろうな。なので治療薬の作成は急を要する物ではないし、期限を切られた魔法薬の作成を優先してもらって構わん。じゃが…。」
そこまで言って、カロン殿は盛大にため息をつく。
「あ奴も仕方が無い奴よの。納入完了までの日取りも予測できず、最後には妹弟子に泣きついて自らの尻拭いを任せるとは…まぁ魔術師など、どこかしら抜けている者が大半じゃがの。四角四面で一生懸命、すべてを見通し用意周到に万難を排して事に当たる…そのような者も居るには居るが、そのような者はえてして大きすぎる野望を抱き、その結果周囲を巻き込んで身を滅ぼす物よ。そんなのに比べれば、マリエル程度の者はまだまだ可愛げもあるし、得てして彼女のようなずぼらな怠け者が楽をする為に技術を発展させる事も多い。」
「分かりました。では、マリエルには、課題の期限が延びたことを伝えておきます。新しい期限については、直接伝えるという事でよろしいですか?」
期限の延期の確認も兼ねて私がそう問いかけると、彼は背筋を伸ばして頷いた。
「うむ、それで構わん。まぁお主には色々と面倒をかけるが、この屋敷を出る頃にはあ奴の『見習い』の肩書きも取れよう。それまでは授業料代わりと割り切って、あ奴が変な野望を抱かんように、きっちりと手綱を握っておいてもらえんかの?」
そう言って笑うカロン殿は、まるで目の前の私ではなくどこか遠くにある物を見つめるように目を細める。
そこでふと、お母様が生きていれば、マリエルはその妹弟子であっただろうと気がついた。
だとすれば、マリエルに目をかけるのはお母様の役目。
お母様に代って私がその役目を果たすと考えると、マリエルの面倒を見る事もそう吝かではなかった。
「さて、みんなには前もって伝えたとおりの作業をお願いしたいのだけれど、まずは貴重な休日を潰して手伝ってくれる事に感謝を。」
カロン殿の元を辞した後、本日の仕事を終えて夕食や入浴を済ませた私たちはお屋敷の工房に集まっていた。
結局、料理長からは客用の厨房を借りる事が出来たが、明後日には使用する予定があるので掃除等も考えて明日の昼までには明け渡す必要がある。
そこで仕方が無く、エミリーだけではなく彼女の同室の皆に声をかけたのだが、みんな二つ返事で応じてくれた。
いつものメンバーでここに居ないのは、夜番の為に参加する事が出来ないマリオン位だ。
…ホント、持つべき物は信頼できる仲間よね。
そんな事を考えながら私は軽く頭を下げ…私の横で他人事のように突っ立っているマリエルの脛を蹴り上げる。
「だからユーリア、痛いって…。」
「お黙りなさい。すべて貴女の不始末が原因でみんなに迷惑かけてるのよ?少しは反省の色を見せなさいよ、もう。」
そして渋々と頭を下げるマリエルの態度に頷くと、皆に向き直った。
「と言うわけで、お礼はマリエルからね。今回は彼女の人生がかかってるらしいから、いつものようなオゴリとかじゃなくて、もっといい物を要求するのがオススメよ。」
私の言葉に、アリアとアリスはわぁいと歓声を上げ、エミリーとポーレットは苦笑い。
そしてマリエルは表情を歪めた後で項垂れた。
ま、彼女にはいい薬…になってくれればいいのだけれど。
「さて。とりあえずは一通りの流れの説明をマリエルから。」
そうして、私達の魔法薬作成作業が始まった。
「となると…私とポーレットが材料の下ごしらえ、アリアとアリスはそれのお手伝い…といった所かしら?もちろん、二人に無理させてるのは十分判ってるから、眠くなったら切り上げていいわよ。」
私がみんなの反応を見回すと、ポーレットは「了解っす。」と任せろと言わんばかりにその胸を叩く。
だが、ちびっ子二人は不満顔だ。
「えーっ、わたしたちもよふかしできるよ?」
「できるよ?」
そう二人は抗議の声を上げるが…うん、やる気のある事は結構だけど、生憎と年長者としておちびさん達にそこまでさせる訳には行かないのよね…。
そんなことを考えながら、私は微笑を返す。
「材料を細かくする時に刃物も使うから、船を漕ぎながらとかじゃ危なくって見ていられないわ。まぁ、少し寝て目が覚めたらまた手伝って貰うからね?」
そう言って二人を宥めるが…まぁ、どうせ子供の事だ。
一旦寝付いたら、朝までぐっすりなのは想像に難くない。
「あの、私は?」
名前を呼ばれなかったエミリーが手を挙げると、私は満足気に頷く。
「貴女には厨房を使う時にマリエルを監視してもらう役目があるから、その時に彼女の手伝いもお願いするわ。だからまずは下ごしらえがある程度終わるまで仮眠ね。」
「えっ…は、はい。判りました…。」
私の回答に、側から見て判るほどに表情を曇らせるエミリー。
そういえば、今夜はマリオンがいないからマリエルと二人っきりの予定だったっけ?
だとすればちょっと可哀想な事をしたわね…と内心申し訳なく思ってると、ポーレットが挙手した。
「はいはいはーい、だったら私がマリエルさんのお手伝いにしてもらってもいいっすか?いやー、疲れが溜まってるのかちょっと眠くって…。」
と、多少の疲れは伺えるもののまだまだ元気に見えるポーレットがわざとらしくあくびをする。
そしてその合間、彼女はエミリーへ意味ありげなウインクを…ホント、持つべき物は気心の知れた仲間よね。
「うーん…まぁ、ポーレットならサンドラさんも文句はないでしょう。だったらマリエルの事任せるわね。」
「はい。もし起きなかったら、叩き起こしてもらっても構わないんで。」
「あら、そう?じゃぁ、色々と…。」
と、私が意地悪げな目線を送ると、彼女はぶるぶると首を振る。
「あ、暴力はともかくそっちの方向は勘弁願いたいっす。自分ノーマルなんで。ああ、でもこれで一発で目が覚めなきゃいけなくなった訳っすか…早計だったかな…まぁがんばろう。」
彼女は自分を納得させると、「じゃぁ後程」と声をかけて部屋を出て行く。
「じゃぁ、私も休むわ。下ごしらえ、よろしく頼むわね。」
マリエルもこっちに念を押した後、自分の居室に戻っていった。
さて、頑張りますかね。
ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ…。
ごりごりごりごり…。
室内を魔法薬の下ごしらえの音が響く。
私以外の3人がよく乾燥された大量の縞蓬を仕込んで、終わった端から床に置かれた大鍋に放り込んでいく。
「よいしょ、よいしょ…。」
「うんしょ、うんしょ…。」
「アリス、こっちに葉っぱ持ってきて。」
「はーい。」
「アリス、こなーできたよ?」
「ちょっとまっててー。」
エミリーが小さく切り刻み、アリアがそれを薬研で挽いて粉にして、アリスが材料の移動を担当する。
もっとも、粉にする作業も結構疲れるので、適当な所で二人は交代しながら作業をしているのだが。
で、私がそれ以外の材料をマリエルが置いていったメモを見ながら仕込んでいる。
量的にはあまり多くは無いが、種類がある上にそれぞれに処方が違うので、そこは多少の知識がある私の担当だ。
「黄髭根30オンス(約850g)を荒く挽いて、隠者草10オンス(280g)を水で戻す…。」
「アリアー、そろそろかわってよ~。」
「もうすこししてから。」
「ちぇーっ。」
「そろそろいい時間だから、二人とも静かにね。」
「「はーいっ!」」
元気良く返事をするおちびさん達に、エミリーと二人で苦笑を交わす。
彼女達は私達の反応を見て「しーっ!」と言い合っているが、それが更に私達の笑みを深くする。
ま、楽しんでできているならいい事よね。
その後、夜半を過ぎた頃になって、ようやく下ごしらえが終わった。
おちびさん達は…結構頑張って居たのだが、その1刻ほど前に力尽き、今は部屋の隅で毛布をかけられて寝かされていた。
最後に私達は材料の詰まった大鍋と容器を厨房に運び、一息ついた。
「ああ、腕が痛い腰が痛い…疲れた。」
私がため息をつきながら腰をさすると、エミリーは苦笑を浮かべながらこっちを見ていた。
彼女は私に比べてまだ余裕そうだ。
普段から屈み仕事をしているからだろう。
「さて、後は…マリエルたちに引き継いでおしまいね。彼女を起こしてから、おちびさんを運ぶついでにポーレットも起こしましょうか。」
喉の渇きから、眠気覚ましの為にまとめて淹れておいたお茶をカップに注いで…飲むのをやめた。
仕事も終わったし、熟睡するのなら水の方がいいか。
「じゃぁ、マリエル起こしてくるから、貴女は二人を起こしてみて。ぐずるようなら…その時は二人で運びましょう。」
そう伝えてから、私はそのままカップ片手にマリエルの寝室へと向かう。
彼女の部屋では魔法の明かりがつけっぱなしになっていたので、足元にも不安は無い。
贅沢だとは思わない事も無いが、見習いとはいえ魔術師だけあって魔力の補充はお手の物だし、室内には燃えやすい本が大量にあるので、作業したまま居眠りする事も多い彼女にはこっちの方が安心だろう。
「ほらマリエル、起きろー。」
寝室に入った私は、持ってきたカップをサイドボードに置き、彼女の毛布を引っぺがす。
「マリエル、時間よ。」
何度か声をかけても、案の定意地汚く眠りにしがみ付く彼女。
やはりカップを持ってきて正解だったか。
私はマリエルの腕を掴んで引き起こし、胡坐のような体勢で座らせてからあごを掴んで頤を上向ける。
そして口を開かせると、カップを持ってその中身をゆっくりと流し込んだ。
甘樹の甘さに惹かれたのか、こくこくと無意識に動く彼女の喉を見届けてから、私は再び彼女をベッドに倒すと、空になったカップを手に部屋を出る。
お茶も飲んだし、ポーレットが出てくる頃には目を覚ますでしょう。
工房に戻ると、手持ち無沙汰のエミリーと…やはり壁にもたれかかって寝ているおちびさん達。
「やっぱり起きなかったのね。まぁ、仕方が無いか。」
一生懸命に仕事をした結果、疲れ果ててしまった二人。
なので、元々自分で寝床に戻るなどとは期待していなかったので、エミリーに目配せして私は眠ったままのアリアを背負う。
そしてエミリーがアリスを背負うのを確認すると、アリアの体温を感じながら私は呪文を唱える。
『顕れよ、叡智の光よ―――ライト』
呪文により現れた光が真昼のように部屋を照らす。
流石におちびさんを背負ったままでは明かりを持つ余裕も無いし、手がふさがっていては途中の扉を抜けるのにも難儀する事は避けられない。
魔術の心得があるとはいえ、疲れるから普段の生活ではあまり使わないようにしているんだけど…今日はどうせすぐに寝るから構わないわよね。
え、精霊術?
アレは別よ。
『科戸風の命』はかわいいから。
…『大垂水媛』?
アレはまだイマイチ性格が掴めないのよね。
そんな誰にでもするでもない言い訳を考えながら、私達は部屋を出て使用人棟へと向かった。
「さて…と。」
ポーレットを起こし、おちびさん達をベッドに寝かしつけた後に眠たげに目をこするマリエルに作業を引き継ぐ。
そしてすべてを終えてから、私はエミリーと共に部屋に戻ってきていた。
ブーツを脱ぎ捨て、近侍の格好から寝巻きに着替えると、既にエミリーは支度を整えてベッドの上に座っていた。
そういえば、いつの間にか彼女の寝巻きもこの部屋に置かれて居るのよね…。
私用のクローゼットは…鎧やなんだで空きが無いので、マリオンがその一部を譲った形だ。
現在の所、マリオンとエミリーの関係は良好に思える。
二人の付き合い方を見る限り、年下であるマリオンの方が立場が上に見えるが…それも問題視するほどでもない。
私は髪を解いて荒く梳るとベッドの上に這い上がり、横すわりをしたエミリーの膝を枕にした。
「ふふっ…。」
どちらからとも無く含み笑いが漏れる。
マリオンは…年下だけあって私にべったりだが、エミリーとは甘えたり甘えられたり…そんな感じだ。
「ごめんなさいね、色々と迷惑かけちゃって。」
目を閉じて、私の髪を撫で梳るエミリーの手を感じながらそう呟く。
「いえ、構いませんよ。実は私も、そろそろ新しい軟膏が欲しいと思っていたんですよ。」
「彼女の軟膏って結構評判いいのよね…意外にも。エミリー達に配ったのはいい材料を使ってたからそれも当然だけど、採算が取れるかどうかは別にして量産して『樫の古木商店』に置いてもらうのもいいかもしれないわね。」
「けどそれも、明日…ってもう今日ですね。今日の魔法薬を仕上げてからですね。」
「ええ。けどマリエルは面倒くさがりなのよねぇ…今回ので小金持ちになったら、今後は飲み代で面倒事を押し付けるのも難しくなっちゃうわね…。」
目を瞑ったままそう呟く…と、彼女からの返事が無い。
返って来たのは僅かな身じろぎの気配と、唇への感触…。
それを2度、3度と繰り返した後に目を開いて、間近に迫った彼女の上気した顔を見つめる。
私は笑顔でもってそれに答えると、次は深く口付けを交わしてそのままエミリーを抱き寄せた。
面倒事は後。
明日よ、明日。
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