3-19 近侍と魔術師見習いと錬金術
お待たせしました。
続きは数日中に。
神暦721年 子供の月24日 水曜日
「ああ、どうしても間に合わないんじゃ~!!」
しばらく続いた秋の長雨がようやく止んで、久しぶりに太陽が姿を現したその日。
午後の日差しに溢れる廊下から遮光カーテンで覆われた一角に踏み入れた私の耳に、嘆きの叫びが届いた。
私が今居るのはお屋敷の1階。
普段であればご家族が立ち寄る場所ではないのだが、いくらなんでも廊下まで届く悲鳴というのは看過できない。
貴族の館だけあって壁の防音もそれなりにされているはずなのに…そんな大声を上げるなんて、一体誰よ?
まぁ、この一角で叫びそうな人物というと…声質からしてもマリエルしかありえないけどね。
呆れてため息をついた私は目的地であった彼女の居室の扉をノックすると、返事も待たずにその中へと踏み入った。
「一体、何をそんなに嘆いてるのよ?」
長雨によって発生した水害に対処する為に騎士団が出払っているので、休日の暇つぶしにと本を物色しに来た私はマリエルに声を掛けた。
勝手知ったるなんとやら。
廊下と扉一枚で隔てられたその部屋には本やら得体の知れない魔術器具やらが雑然と積み上げられており、その混沌模様は部屋の主人をもってしても把握不能といった体たらく。
そんな状況のこの部屋はマリエルにとって『魔術師見習い』としての公的な部屋であり、彼女自身の私的な部屋はその隣に存在する狭い寝室のみだ。
もっとも、そっちの部屋も本やらがらくたやらで溢れ返っているのは変わりないのだけど。
さて、室内に居たマリエルは私の声に振り向く…彼女は珍しくも眼鏡を外しており、その目には涙を浮かべている。
「えっ、ユーリア?…ユーリア…お願い助けて!」
私を見とめて涙目のまま駆け寄り、ひしと腰に手を回してくるマリエル。
それは母親に縋りつく子供の様で…って、そっちが年上なのにねぇ。
「はいはい、で、何か困りごと?」
彼女を受け止め優しく語り掛ける私。
だがその一方で彼女のおでこを力ずくで押し離し、涙に濡れた顔を私の服にこすりつけられるのを全力で阻止する。
だって、この後も仕事があるし…着替えるのも面倒じゃない?
「くあっ、ちょっと痛いわよユーリア!」
そう言いつつも私の手に抗い、顔をこすりつけようとするマリエル。
だが体格差からいっても彼女が押し返せる筈も無く、結局その力比べは彼女が根負けする事で幕を下ろした。
「全く、どういう腕力してるのよ…。」
降参を告げて私の手から解放された後、相変わらずの涙目で室内にある姿見を覗き込むマリエル。
彼女のおでこには私の手形がくっきりと残っていた。
「まぁ、近侍の仕事もいざと言う時は体力勝負だからね。」
そう言って肘を曲げて二の腕の筋肉を誇示してみせる私。
まぁ、嫁入り前の娘が…とかいう意見はこの際気にしない。
「で、何か相談事?『助けて』って言うからには、私で解決できる事なんでしょうね?」
私の問いに彼女は鏡を覗いていた身体をくるりとこちらに向ける。
そしてその顔に涙を浮かべると、こっちに駆け寄って…って、またか。
「はいはい、それはいいからさっさと吐く。」
今度は抱きつく事さえ許さずにマリエルのおでこを掴むと、そのままちょっと本気で力を入れていく。
悲鳴と抗議の声を上げながらのた打ち回るマリエル。
だか彼女はいくらもがいても逃れる事が出来ず…って、乙女の細腕に掴まれただけででその反応すこーし大げさじゃないかしら?
「魔法薬?…って、この前言っていた奴?」
私の問いに、おでこだけではなく目の周りまでも赤くした彼女はその顔に眼鏡をかけながら頷いた。
確か2巡りぐらい前の飲み会の時に、町の魔導具屋『樫の古木商店』のスルヤ婆さんから大口の注文が入った…とかどうとか彼女が言っていた記憶がある。
「結構な儲けになるわ!それで借りを全部返すから憶えてなさい!」と大見得を切っていたのだけど…まだ納品していなかったの?
「あれから結構経ってるのに、それがまだなんて…一体何をしていたのよ?」
「だって、お師匠様からの課題もあったし…それに雨の日は材料が湿気るといけないから、作るのは後回しにしていたのよ。」
私がため息混じりに問うと、彼女は視線を逸らして唇を尖らせて答える。
後回しって…それでも途中で時間的にヤバイと気付かない物かしら?
「湿気と言ったって…作るのはそう強力な物じゃないって言ってなかった?だったら、特に問題にはならないんじゃないの?」
私は薬学に関する知識をひっくり返しながら彼女の説明に疑問を返す。
私の錬金術や薬学に関しての知識はマリエルには遠く及ばないけど、確かに生死に係わるような大きな傷を一瞬で治癒するような強力な魔法薬であれば、彼女の言っている事は間違っていない。
薬効のばらつきを防ぎ、変質して効果を失うまでに一定の期間を確保する為に余計な湿気などの要因は極力排除されるべきだ。
だが、私が聞いていたのは傷の治りが早くなる程度のありふれた魔法薬。
確かに薬草だけで作られた軟膏などに比べれば値段も効果も段違いだが、それでもそこまで作成条件がシビアな物では無かったはずだ。
「だって、効果は弱いとはいえ高品質のポーションを用意して、あの婆さんを感心させる事が出来れば買い取り金額に色をつけてもらえるかもとか思ったのよ。」
彼女の回答に、私は顔を覆う。
ああ、分かって居たつもりだったけど、やっぱり彼女の考えは甘すぎる。
薬学に詳しいとはいえ、彼女はまだ魔術師見習い。
完璧を目指して追加ボーナスを目論むのもいいが、まずは依頼をこなすことを考えるべきであろうに…。
「それで、期日と進捗は?」
私が半目で問うと、マリエルはこちらを上目遣いで伺いながら口を開く。
「あ、明日中。長雨の前に半分程度までは数をそろえたんだけど…。」
「明日ねぇ…だとすれば、今夜と明日の午前中で何とか間に合うんじゃないの?」
私の問いかけに、マリエルはぶんぶんと首を振る。
「ダメダメ、それだと全然足りないわね。半日以上火から目を離せない上に、下準備すらもほとんどできてないから。そのうえ、お師匠様から新しい課題が出て…期限はまだ先だけど、今日中にある程度は仕込んでおかないとそっちもちょっと間に合わない…。」
うわー、それって全然じゃない。
彼女の回答に、再び私は大きくため息をつく。
私が手を貸して…それだけで間に合うのかしら?
一体あと何人必要となるのだろうか…。
…うん、今回は私だけじゃどうにもならないわね。
そんな風に結論付けようとしていると、マリエルが気の抜けた笑い声を上げた。
「そうね、そうよね。改めて考えてみれば、もうどう考えても手遅れよね。出来てる分だけ納めたとしても、あの強欲婆ぁが違約金を大目に見てくれる筈が無いし、今の私じゃそれさえも用意できるか怪しいし…。たとえお師匠様に泣きついたとしても、あのお金に厳しいお師匠様が立て替えてくれる筈も無いから、これは破門決定ね。ああ、終わった。私の人生、終わったわ…。」
そしてマリエルはどこか遠くを見つめたままうつろな笑みを浮かべて笑い続ける。
ああ、彼女も相当追い詰められているみたいね。
これもすべて彼女の自業自得であるとは言え、流石に彼女が破門になってこのお屋敷から追い出されるのは見るに忍びないし、これを乗り越えて同郷者である彼女が大成すれば今後何かと心強いのは確かだ。
しかも力を貸す事で、飲み代とは比べ物にならないほど大きな恩を売るチャンス…。
まぁ、彼女は幼馴染で昔から世話になって…世話に…ここ数年は世話をしたような記憶しかないけど、力を貸す事自体はやぶさかでは無い。
私は決意を込めて大きく深呼吸すると、口を開いた。
「まったく…マリエル、もし間に合わなくっても、恨みっこ無しよ?」
私がそう答えると、笑い続けていたマリエルの表情が固まる。
そして少しして私の言葉を理解したのか、彼女は顔に満面の笑顔を浮かべて頷いた。
「さて、手伝うにしても…計画は必要よね。」
色々と苦労はありそうだが、とりあえずは腹を括ってそう切り出すと、彼女は驚いたように目を丸くする…って、ちょっと。
「こっちは薬学には詳しくないんだから、何が手伝えて、何が手に負えないのか。そして、貴女にしか出来ない作業の為に、どう準備するか考えておく事が必要でしょ?」
「あー、そういえばそうね。」
私の言葉に、マリエルはゆっくりと頷く。
普段、魔法薬の製造手順が頭の中に入っている彼女が一人で作るのであれば、必要の無い事だ。
…ひょっとして、これをすっ飛ばしている所為で計画を立てて作業をする癖がついていないのかもしれない。
「いくら慣れている作業とはいえ、惰性でこなすだけじゃ進歩も無いわよ?」
私の苦言を、マリエルは視線を逸らして聞き流す。
分かっては居るけれど、生来のサボり癖の所為で習慣にはなっていないようね。
「とりあえず材料の粉砕は任せられるわね。投入と調合とかは私がするわ。あと、火の番も難しくないところもお願いするわ。」
成程、そんな所か。
彼女の答えに頷く私。
だが、続けてその作業量を聞いたところで、私は絶句してしまった。
「材料の下ごしらえは…私一人だと、夜通しやって何とか…といったところね。」
確かに、それから作成に半日かかるようでは、時間的に間に合うはずも無い。
しかし、それだと私達二人で作業を行っても徹夜でギリギリ…マリエルが休む時間も考えると、少し間に合わない。
「しかも、工房にあるかまどだと鍋の大きさが制限されるのよ。途中で鍋を入れ替えれば何とかなるだろうけど、そうすると1刻ごとに2人がかりで鍋を入れ替える必要ができるわね。」
「ちょっと、鍋の入れ替え…って失敗したら大火傷じゃない。寝不足の状態でそんな危ない橋は渡りたくは無いわよ?」
期限までの余裕の無さが、作業の安全にまで影を落とす。
何か良い方法が…。
「お屋敷の厨房は?夜間だけでも借りる事も出来ないかしら。それが駄目でも、夜会やお客様用の臨時厨房なら使われて無いし…。」
「あー、あはははは。」
私の提案に、マリエルは目をそらして生笑いを返す。
「実は…貴女が来る前に、魔法薬を大量に作る時に厨房を借りた事があったんだけど…色々やった所為で汚れや臭いが残っちゃって、料理長に出入り禁止にされちゃったのよね。」
思わず私は頭を抱える。
サンドラさんは…屋敷のご家族、使用人、騎士団団員の胃袋を一手に引き受けるこの屋敷の料理長だ。
仕事に関しては厳しいが、豪快で気風も良く、部下の面倒見もいい頼れるおば…女性である。
そんな彼女であるからこそ、自分の仕事を邪魔された事を水に流す事は無い…と想像がつく。
「まぁ普段付き合う分には特に根には持って無いみたいだどさ、もう一度借りるのは多分無理ね。」
「まぁ…、でも駄目元で頼むだけ頼んでみたらいいじゃない?」
渋るマリエルを無理矢理連れ出し、私は使用人棟の厨房へと向かうのであった。
「無理だね。」
厨房に居たエミリーに声をかけ、料理長への取次ぎをお願いする。
厨房内で大声を張り上げ、指示を飛ばす恰幅の良いご婦人。
そんなサンドラさんを眺めながらしばらく待たされた後、一段落を着けてやってきた彼女は、私の陰に隠れようとするマリエルを見てあからさまに表情を歪めた。
そして私達の願いを聞くと、それを一言で切り捨てた。
「そっちはすぐに忘れても、散々苦労をかけられたこっちが忘れるなんて思わないことだね。」
「彼女からは『臭いがついた』と聞いているのですが、それなら対策方法が…。」
サンドラさんの横で心配そうにやりとりを伺うエミリーに視線を送った後で、私は釈明に口を開く。
臭いに関しては『科戸風の命』で気流を操作すれば何とかなるだろう。
そう考えていた私の言葉を遮り、サンドラさんは荒く鼻を鳴らす。
「臭いだぁ?そんなのはかけられた迷惑の一片に過ぎないさ。水周りはびしょ濡れで作業台の上は粉だらけ。かまどの周りには飛び散った薬液がこびりついて、しかも使った鍋は煤だらけ。その上、これだけ迷惑かけられたのにろくすっぽ詫びも無しときた。これでもまだそのチビを信用するようなら、あたしは明日には詐欺師に身包みはがされて路地裏で寝泊りする羽目になってるだろうよ!」
マリエルぅ…。
私は内心頭を抱えつつ背後のマリエルを横目で睨むが、彼女は視線を他所に向けて口笛を吹いていた。
…全く音は出せていなかったけど。
「そ、その様な事が…。全くもって面目次第もございません。彼女には良く言い聞かせると共に、今後は私が責任を持って監督いたしますので、何卒今回だけは…。」
マリエルに代わり深く頭を下げる私の耳に、サンドラさんのため息が届く。
その後に続く困ったような呟きに、どうやら何が何でも無理だと突っぱねるわけではなさそうだと内心期待を抱く。
「ユーリアさん…だっけか?あんたの事は良く耳にするし、目立つからあたしも良く憶えてる。奥様やお嬢様の憶えもよいあんたに力を貸してやりたいのは山々なんだけど、あたしも厨房を預かる身だ。ここまでコケにされた以上、容易に首を縦には振れないんだよ。厨房はウチらの戦場、そしてウチらの城。そこで好き勝手やられたのを許すとあっちゃぁ、部下に示しがつかないよ。」
「重ね重ねの非礼、真に申し訳ありません…勿論、詫びも含めてのお礼は用意させていただきますので…。」
私が頭を下げたままそう言うと、背後から「えっ?」と疑問の声が上がる。
後ろ足に脛を蹴り上げてそれを黙らせると、私は「何卒…」と言葉を続けた。
「なるほどね。そっちのチビに比べたら、少しは道理を弁えてるようだねぇ。でも、そいつの言う事が信用できない以上、こっちとしても信用できるお目付け役を付けない訳にもいかないんだよ。けど見りゃ判るだろう?厨房の仕事は娘達にとっちゃ過酷な仕事さ。明日も仕事のある娘に無理させる訳にはいかないし、偶の休みが回って来た娘に無理を言うなんてあたしには…。」
「あのっ!」
ふと上がった声に思わず頭を上げると、そこには小さく手を挙げたエミリーが。
「私でよければ、お手伝いいたしますが…。」
「おや、いいのかい?折角の偶の休みなのに…。」
「いえ、私はマリエルさんとも仲がいいですし、ユーリアさんの力にもなりたいので。」
紅潮させた顔で満面の笑みを浮かべそうのたまうエミリー。
みんなには秘密にするという約束だけど…その表情はまるで恋する乙女の様な・・・恋する乙女の様な!
「それに…。」
彼女はそこまで告げてから、サンドラさんの耳元に口を寄せて耳打ちする。
サンドラさんはそれを聞いて一瞬考えた後、ニヤリと笑みを浮かべた。
「ユーリアさん、お礼はする…って言ったわよね。」
ああ、何か嫌な予感。
「ええ、彼女ができることでしたら。」
「ちょっとユーリア!」
マリエルの抗議を後ろ蹴りで再び黙らせると、サンドラさんはにっこりと笑った。
「なに、あたしだって悪魔じゃないんだ。そう大したことを要求するつもりは無いさ。ただ…そのおチビさんに体で払ってもらえりゃそれでいいのさ。ま、それだったら契約成立だね。」
と言って、彼女はこちらに近寄って私の肩を抱く。
とりあえずは…厨房については目処がついたのかな?
私は背中から伝わるマリエルの震えを他所にそんな事を考えながら大きく息をつくと、やおらサンドラさんが顔を近づけてから笑みを消して呟いた。
「なぁアンタ、わたしゃアンタがエミリーにしてくれた事を憶えている・・・そして感謝もしてるんだ。でも、だからと言って彼女を泣かしたら承知しないよ?」
どうやらこっちの関係はすっかりバレている様だった。
読んでいただき、ありがとうございました。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
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