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男装お嬢様の冒険適齢期  作者: ONION
第3章 近侍のお仕事
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3-18 近侍と精霊と新たな契約

 神暦721年 大人の月13日 炎曜日


 飛び散る水飛沫と靴の中に染み込む水の冷たさ。

 不快なそれらと、終わった後の後始末のあれこれを思考から追い出して手を伸ばす。

 その先には水面から起き上がる水の精霊(ウンディーネ)


 キィィアァァ―――、アアッ!?


 私の両手でその頭と肩口を掴まれ、叫び続けていた声に疑念の色が混じる。

 よし、しっかりと捕まえた。

 このまま水面に戻られる前に、噴水の外に追い出してしまおう。

 そうなれば、流石に回復することもできないでしょう?

 そう企んで両手に力を込めるが、掴んだ手の間から覗く水の精霊、その顔には暗く歪んだ笑みが浮かんでいることに私は気がついた。

 くっ、何を狙っている!?



 次の瞬間、足元から意志を持つかの様に水が私の体を這い上がる。

 いや、これは水の精霊の意図そのもの。

 や、ヤバっ!

 今更ながら気づくのは、水の精霊相手に水上で戦う事の間違い。

 そして、カスティヘルミさんが水の精霊相手にお皿を用意した理由。

 だが、気付きはしてもそれはあまりにも遅すぎた。

 今まで水流を防いでいた『科戸風の命(ブレスウインド)』も、私の体を伝う水に手を出すことが出来ず、おろおろとこちらに視線を送るばかり。

 その間にも這い上がった水は容赦なく私の顔に張り付き、呼吸の自由を奪っていた。

 く、息が…。

 私は咄嗟に『科戸風の命』に視線を向けると、指示を飛ばす。


『風で私の顔の水を吹き飛ばして!!』


 声になったのはガボガボという水音のみ。

 だが、それでも『科戸風の命』は私の意図を理解して、指示に従って突風を生み出す。

 よし、えらい!


 思わず胸中で喝采を叫ぶが、しかし状況は好転しなかった。

 既に私の口、そして鼻腔にも水が入り込み、一切の呼吸を許さなかったのだ。


 これで駄目なら…どうするべきか。

 慌ててもがき、余計な空気を消費しないように努めて冷静であることを心がけて次の手を模索する。

 確かに、先程の命令で多少は消費したが、まだ肺の中には十分な空気が残っている。

 とはいえ、無理な呼吸と息苦しさが続いているこの現状、いつまで意識が持つかもわからない。

 そしている間にも身体に張り付いた水が再び形を変え、私の顔を覆い直す。


 …いくらなんでも、ちょっと精霊の事を甘く見すぎていたわね。

 自分の愚かさを呪ううちに、朦朧としだした意識は私の心に諦念を生み出し両手から力を奪う。

 その手がずれて水の精霊の顔が月光に晒されれば、その顔には自らに歯向かい、そして死に行く者へと向ける愉悦の表情が浮かんで―――。


 ―――まったく、私の魔力が無ければ実体化も出来ない癖に。


 徐々に遠ざかる意識の中、どこからか心に湧き出した怒りによって私の心が燃え上がる。


 ―――呼び出された分際で私に歯向かうなんて、随分と勘違いしてるんじゃないの?


 敵わなくても、せめて一矢報いねば死んでも死にきれないわよ。

 その一念で僅かながら取り戻した力。

 それをふりしぼって両手で水の精霊の肩を掴むと、力いっぱい引き寄せた。

 私の最後の足掻きに、その表情を愉悦の笑みから驚愕へと変化させる彼女…。

 全体重を乗せて頭を打ち付け、彼女の口元に噛み付くように顔をうずめた私は、口内に水が入り込むのも気にせずに口を開く。


『―――いいから私に従いなさいよ!!』


 最後の力、全ての吐息。

 残った魔力を全部つぎ込んだその叫びは、水を通して彼女の身体に直接響く。

 そしてその叫びは、彼女だけではなく噴水の水ごと欠片も残らず吹き飛ばした。




 顔を覆い、呼吸を阻害していた水が形を無くして流れ落ち、気道を取り戻した肺腑が咳込みながら空気を貪る。

 水を操って顔を覆い発声を邪魔したとしても、直接顔をつけられてしまえば声を防げないと考えたけど…思った通りだったわね。

 

 ほとんど水を無くした噴水の底に倒れ伏していた私は、自分の考えが通じた満足感からニヤリと笑みを浮かべる。

 そして彼女はどこへ行ったのかと、私は荒い呼吸の中視線だけを上げて水の精霊の姿を探す。


 …いた。


 噴水の中、一度は宙に散った水が落ちてきてできた水溜りのいくつかが形を変え、ひとりでに集まっていく。

 けど、私はそれを見ているだけ。

 もうこれ以上は自分の体を起こす事も出来ないわよ?


 魔力消費時特有の頭の重さは、今は鋭い痛みとなって私の思考を苛む。

 もうどうにでもなれと、昏倒という逆らいがたい誘惑に身を任せんばかりの私の前で元の姿を取り戻した水の精霊は、私に向き直ると頭を垂れて膝を折った。


 ―――ナマエヲ、マスター。


 ああ、そう。

 今頃になって、私を主人と認めるのね。


 ―――マスター、ナマエヲ。


 けど、いい加減意識を手放したくて仕方が無い私に、彼女の名前をあれこれと考えている余裕は無い。

 働かない頭でぼうっと彼女を眺める私の瞳に、ふくよかなその輪郭が映る。

 …ああ、もうこれでいいや。


『私はユーリア。貴女は…大垂水の媛(キャタラクト)。』


 私がそれだけ呟くと、彼女は笑みを浮かべてから再び頭を垂れ、その身を只の水へと戻した。


「こっちじゃ!噴水の方で、えらい音がしたぞ!!」


「ユーリアさんですか?無事ですか!?」


 そして近づいてくる人の声と今更ながら感じる濡れた服の冷たさに身体を震わせると、私は満足してその意識を手放した。





 神暦721年 大人の月14日 水曜日


 あの後、ちょうど私が意識を失うのと入れ替わりに、庭での騒ぎを聞きつけたロワさんと馬鹿みたいな魔力と精霊力の変動に気付いて駆けつけたカスティヘルミさん、カロン殿、マリエルによって私は発見された。


 びっしょりと濡れで意識を失っていた私。

 彼らは私の身にとりあえずの命の危険が無いことを確認すると、部屋に居たマリオンとエミリー、そして他の使用人の手を借りて私を自室に運び込み、そのままベッドに寝かしつけた。

 夏とはいえ、濡れたまま気を失って居た私は随分と身体が冷えて居たそうだが、二人が一緒のベッドで暖めてくれたおかげで特に風邪などをひく事もなかった。

 もちろん人肌で、である。



 そしていつもと同じ時間に目を覚ます私。

 それはもう目が覚めた時には随分と混乱したわよ。

 精霊相手に大立ち回りを繰り広げ、気を失ったとおもったら自室のベッドの上でマリオン達と下着姿で抱き合ってるんだもの。

 未だに魔力不足の鈍い頭痛が続く中、仕事の為に無理をして身支度を整えようとした私は、マリオン達にベッドへと押しとどめられ、結局その日はイネスさんに甘えてお休みを頂いた。



 もっとも、ゆっくりと休んだ後の午後には各方面からの事情聴取が待ち受けてはいたが。

 屋敷内の一室で上役であるドミニクさんやセリアさんを始め、タレイラン家の専属魔導師であるカロン殿、そして精霊術の指導者であるカスティヘルミさん、それと園丁代表のロワさんに囲まれる。

 そして私が事情を説明し、何が起こったかを知ると彼らは一様に頭を抱えた。

 ああ、精霊術についてはあまり広めたくなかったんだけどなぁ…。


「精霊術ですか…私にとっては、おとぎ話の世界ですね。まぁ、カスティヘルミさんがいなければの話ですが。」


「剣術の腕は訓練でも目にしていましたが、まさか魔術どころか精霊術までとは…。」


「近衛騎士団にもこれ程多才な者は居なかったのではないか?しかも若い娘でだ。のうカロンよ?」


「仰せの通りにございます、せん…ロワ殿。私の知り得る限りでは、近衛騎士団どころか王国の宮廷魔術師にも精霊術を扱える者は居なかったかと。まぁ、術を秘匿している可能性のある者でしたら心当たりが何人か…。」


 しみじみと呟くセリアさんとドミニクさん。

 そして妙に尊大な態度で問いかけるロワさんと、畏まってそれに応えるカロン殿。

 ちなみに、疑わしい魔術師のうちの1人はお師匠様だろうか?


「精霊に必要以上の魔力を与えて、制御しきれないなんて当然の話ではありませんか!それにお皿を用意せず、噴水を直接触媒にするのも無用心過ぎます。いいですか?精霊は我々のよき隣人足りえる存在ですが、それは長年の信頼関係を結んだ上での話です。熟練の精霊使いですら、契約の際には細心の注意を払うのですよ?それを伝えていなかったのは私の落ち度ですが、それであっても契約の際には私に相談があってしかるべきではありませんか!!」


 目に涙を浮かべてこちらに詰め寄るカスティヘルミさん。

 普段は冷静沈着、時には色々企んだり被虐に頬を染めたりしているのを目にした事はあるが、本気で怒っているのは初めてだ。

 彼女のそんな態度に、私は今更に自分の思慮の無さを恥じより一層身を小さくする。

 それを見て、私を囲んだ一同はため息をついた。


「まぁ今回の被害は幸いにも庭が多少荒れたくらいじゃな。めくれた石畳の貼りなおしと、乱れた垣根の剪定に余計な人手はかかるが、何、気の利いた奴なら酒瓶の数本で丸く収める程度じゃ。」


 そう言ってニヤリと笑うロワさん。

 ふむ、適当に見繕って持って来い…と。

 その程度で丸く収まるのなら万々歳だ。

 後で私物のお酒を持っていこう。


 そしてお屋敷からは…私事により職務を全うできなかったという事で今回は厳重注意。

 尚、今後は精霊術の訓練、特に契約を行うときにはカスティヘルミさんの指導の下で行うよう釘を刺された。

 そっちはそっちで別の危険があるような気もするが、まぁ仕方の無いことだろう。

 こうして、真夏の夜の騒動は一応の決着を見た。




 すっかり日が落ちてから解放された私は、事情聴取の気疲れからぶり返した痛みに頭を抱え部屋に戻る。


「ユーリアさん、大丈夫っすか?何か色々大変だったとエミリーに聞いたんすけど。」


「あ、ユーリアおかえり。」


「ユーリア、あたまいたいの?」


 私が自室の扉を開けると、中で涼んでいたポーレットとアリア、アリスといったいつもの面々に出迎えられた。

 ちなみに、事情を知っているマリオンは今夜は常夜番、エミリーはそろそろ上がりのはずだがまだ仕事中だとの事だ。


「まぁ色々大変だったんだけどね。丁度明日は休みだから、ゆっくりと休ませて貰うわ。」


 そう言って、着替えもせずに自分のベッドに背中から倒れる。

 そして一息ついた私を目掛け、アリスが飛びかかってきたのをそのまま抱きとめる。

 蒸し暑い夏の日に体温の高い子供に纏わりつかれる事を考えればうっとおしい限りだが、この部屋は涼しいのでかえって心地よい位だ。


 そしてそのままゴロゴロとベッドの上を転がり、いつものようにアリスにさんざん悲鳴を上げさせてから解放する。


 「って、今日はアリアは静かね?」


 目を回したアリスを他所にアリアに視線を向けると、彼女は吊るされた『凍える大河(フローズンリバー)』の下にしゃがみ込んでなにやらしている。

 ちょっとやそっとじゃ落ちないようにしっかりと紐で吊るされているとはいえ、いくらなんでもその下に入り込むのは見ていて危なっかしい。

 それを注意してやめさせようと身を起こすと、彼女が剣の下に置いてある木桶を覗きこんでいる事に気が付いた。

 アリスがこの部屋で静かにしているときは、大抵が『科戸風の命』を目で追っている時なのだが…それ以外の何に興味を惹かれてるのやら。


「アリア、何かあった?」


 立ち上がって彼女の後ろから木桶を覗き込む。

 彼女の視線の先には、木桶の中の『凍える大河』から滴り落ちて溜まった水…。

 その水面には、そのふくよかな体型でくねくねと奇妙な品を作っている『大垂水媛』の姿があった。

 彼女は私に気付くと、さらにポーズをとって投げキッスを送り…って、誘ってんの?

 私はこの精霊がアリアたちに及ぼす教育上の悪影響を思い描くと、さらにひどくなった痛みに頭を抱えて大きくため息をつく。




 良く憶えていないが、その日の夜の夢見はかなり悪かったような気がする。

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