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男装お嬢様の冒険適齢期  作者: ONION
第3章 近侍のお仕事
103/124

3-17 近侍と真夏の夜の鍛練

 神暦721年 大人の月13日 炎曜日


 夏のとある蒸し暑い夜、私は一人でお屋敷の庭園を歩いていた。

 僅かに欠けた月の光が照らし出す石畳の散策路と、通路を区切る垣根が生み出す影の間。

 私は明かりも灯けずに、月明かりのみを頼りに上機嫌でゆっくりと歩を進める。


 夕刻からしばらくであれば庭の所々に明かりが灯されるが、既にそれも消えている。

 こんな所を歩くのは、習慣となった精霊術の訓練にひっそりと励もうとする私と…。


「おや、ユーリア嬢かね。」


 訓練をする時にたびたびに出くわす、ロワさんぐらいの物だ。


「こんばんわ、ロワさん。今夜も月の下での花見ですか?」


 私の問いに、何故か彼はその秀でた頭を掻きながら視線を逸らす。

 おや?


「あー、まぁ、そんな所…なのだが…うん?」


 照れたようにそう答えたるロワさん。

 だが、途中で何かに気づいたのか、その声が変化する。

 あれ?

 いま何か聞こえた…囁き声?


「そこかっ!この盛りのついた若造共が!!」


 ロワさんはこの僅かな明かりの中でもはっきりと認識できる程に怒気で表情を歪めると、闇の中に身を翻す。

 と、その怒号に驚いたのか、彼の進む先で短く悲鳴が上がって、足音と共にいくつかの気配が遠ざかっていった。

 それを追いかけながらも、少し先の散策路のちょっとした広場で足をとめたロワさんは、腕を組んで暗闇の先を睨むと鼻を鳴らした。


「まったく、毎度毎度、困った物だ。」


 そう呟きつつも彼の横に並んだ私を横目で見ると、肩の力を抜いて再びその頭を掻いた。


「ここ最近な、昼が特に暑い所為もあってか夜の庭で逢瀬を繰り返す連中が増えてなぁ。まぁ、年配者としてはその若さを暖かく見守るべきだとも思うが、綺麗に揃えた芝生を荒らしたり、剪定された生垣に潜り込んだりとやりたい放題でな。それで園丁達が交代で見回っておる。まさかユーリア嬢はそのような事をしてはおるまいな?」


 じろりと睨む彼の問いに、私は顔の前で手を振って否定する。


「まさか。私は噴水のところで少し涼むだけよ?」


 精霊術の事はわざわざ広げる事も無いし、逢瀬なら自分の部屋で事足りている。


「左様か。なら別に構わんのだが、それ以外にも庭を出歩く若い娘によからぬ事をしでかそうとする輩も居ないでもない。その方ならば大抵の男は跳ね除けるであろうが、用心は忘れぬようにな。」


 そう告げると、ロワさんはくるりとその身を歩く先へと回す。

 はぁ、ロワさんの様な園丁にも私の腕の事は伝わってるのか。


「もっとも、男衆が寄り付きもしない年頃の娘というのも、それはそれで問題…っと、さっさと見回りを続けるかの!」


 おせっかいなその言葉に私が剣呑な視線で睨み付けると、慌てて言い訳らしきものを呟いて歩き出すロワさん。

 私は彼のカンテラの光が遠さかって行くのを無言で見送る。

 全く、大きなお世話よ。

 行儀見習いが終わったら嫌でも他家に嫁がなくちゃいけないんだから、今くらい好きにさせてくれたっていいじゃない。

 そんな事を考えているうちにカンテラの明かりも垣根の曲がり角に消え、私はため息をついて気分を切り替える。

 さて、私もさっさと鍛練を済ませて帰ろうかしらね。




 噴水の縁に腰掛けて一息つく。

 辺りに響くのは虫の声と噴水の水音、そして私が呼びかける声。

 その精霊語による呼びかけが夜闇に消え入ると、間を置かずして目の前に『科戸風の命(ブレスウインド)』が姿を現した。

 寝苦しいこの季節、今日も私達の部屋で涼んでいたポーレット達は私が部屋を出る前に自分達の部屋に戻っていった。

 後に残ったのはマリオンとエミリー。

 彼女達には悪いけど、『凍える大河(フローズンリバー)』の冷気だけで我慢してもらおう。


 ―――ユー、ユー、アソンデ、アソンデ。


 私の周りをくるりと1周してから正面に留まった『科戸風の命』と目が合うと、脳裏に声が響く。

 精霊を使いだしてそろそろ一年、少し前から私は『科戸風の命』との意思疎通ができるようになっていた。

 いままでは一方的に語りかけた後、相手の反応でその心情を読み取るばかりだったので、かなりの進歩と言ってよいだろう。

 もっとも、それを憶える知能が無いのか、私の事はいつまで経っても「ユー」としか呼んでくれないが。

 『科戸風の命』との関係もここまで進んだ以上、そろそろ次の段階に進んでもいいかもしれない…。

 そんな事を考えながらも私が『科戸風の命』に頷くと、それはテンションを上げて周囲を飛び回る。

 さて、じゃ、いつもの訓練行ってみましょうか。



 練り上げた体内の魔力を呼び水に、周囲の魔力を一度集めてから拡散させる。

 そしてその魔力を吸収しつつ私の周りを飛び回る『科戸風の命』に、一つづつ指示を与えていく。

 風を生み、それを操って一瞬で矢を逸らすための壁を作りあげ、また風に戻す。

 それを何度か繰り返して得た手応えに、私は小さく頷く。

 うん、『科戸風の命』任せではなく、自分の意思で壁を作るのにも随分と慣れてきた。

 咄嗟の状況でも確実に矢を逸らせる事ができるようになれば、たとえ戦場に出たとしても余程の事が無い限り矢傷に倒れる事も無くなるだろう。

 まぁ、魔力量の限界から、数刻に渡って休むことなく矢が飛来するような事態にではそうも言っていられないが、その時は普通に盾でも使えばいい。


 そして私は次ぎに新たな指示を『科戸風の命』に伝える。

 彼方の音を自分の耳元に届ける。

 これはいままでに何度も行ってきたが、今日からは次の段階だ。

 音を耳に届けるのはそのままで、その方向をゆっくりと動かしていく。

 虫の音、木々のざわめき、かすかに聞こえる町の喧騒…それらに耳を澄ませながら、自分の周囲の音を意識して排除する。

 次第に小さくなる噴水の水音と、さらに形を際立たせる遠方の音。

 そして私は、聞こえる音に意識を集中する。

 この一定の足音は…これは方角からしてロワさん?

 そしてその先から聞こえるのは潜められた睦言と嬌声…あらあら、お盛んね。

 でも、そこにロワさんがまっすぐに近づいて行ってるって事は…既に気付かれてるようね。


「見回りが来てるから、さっさと逃げた方がいいわよ?」


 私の呟きに小さな悲鳴が上がると共に睦言が止まる。

 そしてその後に聞こえるのは少し乱雑な物音と衣擦れの音。

 私の声に驚いて、慌てて身支度を整えているのだろうか?

 けど、人目の無い夜の庭とはいえ、一体どこまでやってたのよ。


 遠くから届けられたロワさんの怒号と悲鳴を無視して、さらに方向を変えていく。

 ちなみにこの聞き耳だが、未だに有効な距離ははっきりとはしないが、お屋敷の物音が届く事からして今の状態で半スタディオン(92.5m)以上はあるようだ。

 これは、使い方によっては周囲の警戒にかなり役立つ様に思える。



 さらに角度を動かしつつ聞こえてくる音に耳を澄ませていると、窓越しにお屋敷の中の音が漏れ聞こえ始める。

 このお屋敷はさすが侯爵家の物だけあって、住人の部屋や客室には冷気で室内を冷す魔導具が備え付けられている。

 なので、この寝苦しい夜にもかかわらず部屋の窓は締め切られ、開けられた窓は廊下の物ぐらいなのだが、締め切られてもガラス窓は意外と音を伝えるものだ。


 …坊ちゃまはままだ眠くないのか、子守り相手にお話をねだっている。

 …お嬢様の部屋からは特に物音は聞こえないが、ここからでも明かりが漏れているのが見えるので本でも読んでいるのだろう。

 …こっちは旦那様の部屋…中からは旦那様と奥様の話し声が………おっと、思わず聞き入っちゃったけど、いくつになっても中睦まじい夫婦ってのは理想よね。

 って、これじゃ盗み聞きしてるのと変わらないじゃない。


 思わず赤面した顔に手で風を送りつつ、『科戸風の命』に戻るように命じて息をつく。

 さて、じゃぁ、そろそろアレを試してみようかしらね。




 いつかの雪辱を晴らすため、私は水の精霊(ウンディーネ)との契約を試みる。

 以前はお皿に水を汲んでいたけど、直接噴水を使用しても別に構わないでしょう…多分。

 お皿を用意するのを忘れたとか、持ってくるのが面倒だったとかそう言う訳じゃないわよ?


 そんな誰へともつかない言い訳を心の中で思い浮かべながら、いつかの様に魔力を練り上げ、ゆっくりと回転させながら噴水の水面に下ろしていく。

 強く、大きく、ゆっくりと。

 魔力不足で失敗して何度も繰り返すのも面倒なので、自分でも不必要と思われるくらいの魔力をつぎ込む。

 ここまで魔力を使っちゃったら、今日の訓練はこれっきりね。

 流石に倒れるまではいかないだろうけど、いい加減に限界だ。

 噴水の周囲では、溢れ出した魔力の濃さにテンションを上げた『科戸風の命』が狂喜乱舞している。

 あなたの為の魔力じゃないんだけどね…まぁ、仕方ないか。



『―――水の精霊よ、現れ出でよ。』


 集中しながらそう呟くと、噴水から広がる波に揺られるだけであった水面に変化が起きる。

 回転させながら下ろした魔力のその中心点。

 そこから雫が一粒飛び上がり、水面に落ちたと思うと今度は水面が盛り上がる。

 期待を込めた熱い眼差しを送るその先、やがてその盛り上がりはゆっくりと人の形を取った。


 …って、以前見た水の精霊に比べて、随分とふと…ふくよかな外見ね。

 そしてその精霊は、私ではなく宙の一点を見つめたまま、声にならない声を上げていた。


 ―――オオオオオオオオオォ…。


 む?

『科戸風の命』との時とは随分と様子が違うわね。


 私は多少戸惑いつつも、気を取り直して声を掛けた。


「はじめまして?」


 私の声に、彼女の視線がゆっくりと下がっていき、そして私の姿を認める。

 あれ、反応はそれだけ?

 戸惑いを深めつつある私が見つめると、彼女はぴたりととその声を止めて…。


 ―――キイィィヤァァァァァ―――――――ッ!!


 脳裏を劈く絶叫と共に、噴水の水が爆発的に飛び散った。



 視界を覆う水飛沫を貫き、数本の柱状の水流がこちらに迫る。

 周囲の状況に混乱しつつあった私は、その水流に直感めいた危険を感じて咄嗟に叫ぶ。


「『科戸風の命』!!」


 その意図を理解したそれによって生み出された風の壁は、私へと向かう水流を払い、逸らし、打ち落とす。

 そのうちの打ち落とされた一本が地面に置かれた石畳をめくり上げるのを見て、私は背筋を寒くする。

 あ、危ない所だった。

 毎度毎度、『科戸風の命』には命を救われてばっかりね。

 けど、魔力を摘み食いしていたんだから、その分は働きなさいよ?

 我ながら人(?)遣いの荒い要求に、それは任せろとばかりに胸を張って応える。

 それにしても…。


 「ちょっと、呼ばれて出てきた癖に、随分な挨拶ね!ちょっとはこっちの話を…。」


 キヤィィアァァ―――――――ッ!!


 突然の攻撃にちょっとカチンと来ながらも、それを我慢して語りかける私。

 だが、水の精霊はそれに反応さえ見せずに絶叫を続けばがら幾本もの水流を無差別に周囲へばら撒く。

 だがそのうちの私の方に向いた物は、『科戸風の命』が残らず軌道を逸らし続けている。

 だけど防戦一方の状況が続き、傍目にもそれが焦れて来ているのが良く分かる。


 「『科戸風の命』、とりあえずは防御中心ね。まだ手を出しちゃ駄目よ?」


 私の命令に、頷く『科戸風の命』。

 これで私の身の安全は確保…できたかな?

 まぁ、この間に打開策を探りましょう。


 「ほら、出てきた以上、私と契約するつもりなんでしょ?貴女の力はわかったから、いい加減大人しく…。」

 

 無視されてもめげずに語りかける私。

 だけど、どこぞの森妖精(ヘンタイ)と違って、放置プレイを喜んだりはしないわよ?


 そうしている間も『科戸風の命』は良く耐え続けていたが、段々フラストレーションが溜まってきて、ついに我慢の限界とばかりに叫び声を上げると、水の精霊に向けて風を放った。

 あーあ、平和的に終わらせればと思ったんだけどね…まぁ、仕方が無いか。

 先に手を出したのはあっちだし。 

 そんな風に外見上はため息をつきつつも内心でほくそ笑んだ私は、『科戸風の命』の放った風が纏った僅かな精霊力の揺らぎ…それを捉えて視線を動かす。

 それは相手の目前で解け、そしてその身に纏わりつく。

 その攻撃とも呼べない風に、私は『科戸風の命』の意図を訝しむが、それが合図をした次の瞬間、風の一筋一筋が刃と化して水の精霊の身を切り刻んだ。


 うわっ、私は使った事は無いけど、ああいう手も持ってるんだ。

 思った以上にえぐいわね。


 アァァ―――――――ッ!!


 だが、相手は水の精霊。

 一度は水面に吸い込まれる様にその姿が掻き消えても、すぐに何事もなかったかの様に傷ひとつ無い身を起こす。

 そして二人の間で繰り広げられる風と水の応酬。

 水の精霊は有り余る魔力を回復に回しているので、全く堪えたようには見えない。

 そして『科戸風の命』も周囲に漏れ出た魔力を使って『風の刃(カマイタチ)』を放っているようなので、完全に元が私の魔力を二人が浪費し続けている事になるのか…ちょっとは遠慮しなさいよ。


 そんな事を諦め顔で考えながらも、気分を切り替えて私は現状の解決策に考えを巡らす。


 戦って自分で何とかする?

 けれど武器もなければ、魔力も枯渇寸前だ。

 これだったら横着なんてしないで、まずは少量の魔力で試すべきだったか…完全に後の祭りだが。

 案外彼女が攻撃的なのも、魔力を注ぎすぎた事が原因なのかもしれない…いや、それしか考えられないか。

 やっぱり、別の意味での身の危険を感じても、専門家(カスティヘルミさん)を連れて来るべきだったかしらねぇ?


 だったらこの隙に逃げようか?

 でも、いつまで水の精霊が顕現してるか分かったものじゃないし、もし明るくなってもそれが続くものなら、庭師や庭園に来た住人達にまで被害を及ぼしかねない。

 だから、誰かがここに近づくまでに決着をつけなければならない。


 なら…応援を呼ぶ?

 武器の一つでも持ってくる?

 けどいつまでも『科戸風の命』も持つかわからないし、私がこの場を離れた事によって、それに伝わる魔力が減って拮抗が崩れる事も十分に考えられるから出来れば避けたい。


 結局、自分で何とかするしかない訳か。



 ため息をつきながらも覚悟を決めた私は、戦術を組み立てる。

『科戸風の命』と水の精霊との応酬は互角。

 これなら『科戸風の命』に私が付くだけで、戦況は大きく傾くだろう。

 そうしたら二人で押し込んで、力尽くで言う事を聞かせよう。

 あとは私の攻撃手段だが…普通の格闘じゃ精霊には効かないのよね。

 精霊を倒すには、銀または魔法の武器か、魔法自体によって傷を与えなければならない。

 生憎と寸鉄すら帯びていない現状、魔法に頼るしか無いのだけど…いい加減限界なのに、さらに魔力を消費する事を考えると、頭がいたい。

 いや、比喩ではなく現状鈍い頭痛が出始めているのだ。

 これなら使えるか術は一回きり、そしてチャンスも一度きりだ。


『我が手に宿れ、魔の力よ―――フォースエンチャント』


 本来であれば武器にかけるフォースエンチャントを、そのまま両手に宿す。

 属性付与やら持続時間延長などは、今回は無しだ。

 少しでも魔力が惜しい。

 そして一度両手を握り締めて具合を確かめるとタイミングを計る。


 水流が飛び出す。

『科戸風の命』が風で弾く。

 風の刃で水の精霊を攻撃する。

 水の精霊が風の刃を受けてその身を飛び散らせる―――よし、今だ!

 水の精霊が水面へと戻るそのタイミングで、私は噴水の中へと身を躍らせた。

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