3-14 近侍と女中の秘めた思い
書き上げたら思いの他長くなったのでまず前半を。
続きは近日中に。
神暦721年 剣の月27日 岩曜日
明かりがない所為で真っ暗な室内…仕事を終えたエミリーは、一人自室に戻っていた。
小間使い達はユーリアの部屋に出かけ、ポーレットはまだ仕事中だったが直にそれも終わるだろう。
彼女は憂鬱な気持ちを奮い起こすと燭台持って廊下に戻り、壁の蝋燭立てから火をもらって自室に戻った。
台の上ででゆらゆらと揺れる燭台の明かり。
崩れるように椅子に腰掛けた彼女はしばらくそれをぼうっと眺めながら、このお屋敷に来てからの事を思い出していた。
(お屋敷に来てから…最初の1年は大変だったわね…。)
4人部屋に女中が一人だけという部屋に宛がわれたエミリー。
宿舎の他の部屋に比べ頭数が少ないその部屋に、彼女が割り振られるのはごく自然な事だった。
だが、その部屋で掃除女中のジゼルと同室となった事が彼女の不幸の始まりであった。
エミリーの1年ほど前に屋敷にやってきたジゼルは、元から居た使用人が年季が明けて出ていった後に、同郷の知り合いでありペルト子爵令嬢である客間女中のデボネアと、同じく客間女中でデボネアの従兄妹のキアラを引き込んで、その部屋を3人の溜まり場として利用していた。
そして何人かの使用人が新しくその部屋に入っては何故かすぐに辞めていく中、新たにその部屋にやってきたエミリーは彼女達にとっては格好の獲物だった。
最初は優しく迎え入れたものの、徐々に身分を嵩にしてエミリーを自分達の召使に仕立て上げると、部屋の掃除、衣類の洗濯、こまごまとした雑用など、身の回りの世話をすべて彼女に押し付けた。
今にして思えば彼女達は身分を妄信して随分と無茶をしていた物だと思うが、当時のエミリーにとって彼女自身の去就を盾に取られてしまっては、彼女達に逆らうといった手段は考えられる物ではなかった。
それからおよそ1年間、彼女の生活は碌に休みも取れずに多忙を極め、他の女中達とは比べ物にならないくらい過酷なものであった。
だが、過酷な環境に身を置きながらも自らの仕事を忠実にこなす彼女の働きを、ちゃんと見ていた者は存在したのだ。
家政婦や調理長に給仕と給茶の腕を認められた彼女は、何時しか侯爵夫人専属の給仕係になっていた。
だが、それはいままで以上に気配りが必要となる重要な仕事。
その重責と、碌に休む暇のない疲れに押しつぶされそうだった彼女にとって唯一の間の安らぎは、仕事の僅かな合間にお屋敷の屋上から外の景色を眺め、山あいの故郷に思いを馳せる時間だけであった。
そんな時に、彼女は見た。
何気なく眺めていた練兵場で、細身の新入り従騎士が先輩従騎士の有望株を見事打ち倒すのをお屋敷の屋上からしっかりと目撃したのだ。
山間の生まれで、町生まれの者に比べて特に目の良かったエミリーにとっては、まるで目の前で起きた出来事の様にしっかりと。
(それにしては、その従騎士が男性だと信じて疑わなかったわね。)
そして顔を上げたその騎士と視線が合わさった瞬間、彼女の胸は激しく高鳴った。
それ以来、エミリーにとってその場所で練兵場を見下ろす事が日課となったが、その騎士を目にするのは数日に一回程度であり、それが彼女をやきもきとさせた。
やがて春の夜会から始まる一連の騒動が、彼女に大きな転機をもたらした。
日頃の疲れからか、夜会の招待客にとんでもない粗相をはたらいてしまったエミリー。
そのエミリーのフォローに入って頭に血を上らせた招待客の打擲を受けたのが、奥方付きの侍女であったユーリアであった。
(思えば、マリオンさんと初めて出会ったのもその夜会でしたっけ…。)
そこでエミリーは従騎士の正体がユーリアであることを知って、彼への恋慕は彼女への憧れと変わった。
そしてその数日後、ユーリアに彼女の境遇を知られた事から始まった、余りにも目まぐるしい数日間。
それが終わって気付いてみれば、お屋敷からはデボネアとジゼルが去り、部屋を移ったエミリーを待っていたのは、同室であるポーレットと小間使い達、そしてユーリア達と過ごす穏やかな生活だった。
(それまでの生活からは考えられない程の幸せな日々…ですが、デボネアさんたちと仲直りできなかったと悔やむのは、私のわがままでしょうか…。)
彼女はそこまで記憶を辿ると、のろのろと身を起こしてからエプロンを脱ぎ、椅子の背もたれに掛け置いた。
そしてお仕着せの合わせを外して胸元を緩めると、そのままの格好で自分のベッドに倒れ込む。
室内に2つある2段ベッドのうちのひとつ、その1階。
本来であればベッドの1階は両方とも小間使い達が使うべきだが、まだ身体の小さい2人は一緒のベッドを使ったり自分達のベッドにもぐりこんだりする事が当たり前となっている為に、彼女がそのうちの片方を使用していた。
そしてそのまままんじりともせず、身じろぎもせずに過ごす彼女。
だがしばらくして彼女は、自分の視線が自らの手のひらに固定されていることに気付く。
(そう、確かあれは去年の水の月の頃…。)
水仕事が辛くなり始めた水の月の初め。
いつもの部屋でユーリアも交えた雑談をしていた時に、これから始まる水仕事の苦労をエミリーとポーレットが口に出した事があった。
それを聞いたユーリアは、室内でお茶を飲んでいたマリエルに声をかける。
「えっ、肌荒れの軟膏?別に作れるけど、ちょっと高くつくわよ?」
ユーリアとマリオンが用意した焼き菓子を小間使い達と共に遠慮なくかじりつつも、自分の仕事が増えるのを嫌ってか渋るマリエル。
そんな彼女にユーリアは記憶を漁りつつ提案した。
「ほら確かこの前、灰紫苑が変色しそうだからって、新しいの仕入れてたじゃない?軟膏になら多少変色しても問題ないだろうし、変色して薬効が落ちればあとは捨てるだけなんだから、それでぱぱっと作っちゃいなさいよ。」
「ええーっ、やだー、めーんーどーうー。」
ユーリアの提案にマリエルは目の前のテーブルに突っ伏すと、駄々っ子のように足をばたつかせてそれを拒否する。
それを見てため息をひとつついたユーリアは、マリエルの真似をしようとするアリアとアリスに視線を合わせると無言で「めっ!」としかりつけてから口を開いた。
「仕方がないわね。じゃぁ、酒場の貸しの1回分で手を打とうじゃないの。もし駄目なら…次のお手当ての日に、いままでの貸し、耳をそろえて返してもらおうかしらね?」
「わっ、酷いわ!横暴よ!それが姉弟子に対する態度なの?この守銭奴ユーリア!」
ユーリアの言葉に「げっ」と驚いて飛び起きたマリエル。
その口からはユーリアへの恨み言が次々と飛び出すが、当のユーリアは涼しい顔だ。
そしてマリエルの恨み言が出尽くした頃に、余裕の表情で再び問いかける。
「で、どうするの?」
目を細め、低い声で問いかけるユーリアの態度に、たじろぐマリエル。
そして渋々といった体で、口を開く。
「じゃぁ2回分で。」
「分かったわ。じゃぁ早めにね。一巡り程度なら待ってあげるから。」
それから数日の後、仕事の後の自由時間にマリエルは約束通り二つの軟膏の入った小さな壷を持ってユーリア達の部屋にやってきた。
その彼女の目の下には隈が浮かび随分と疲れた様子だったが、エミリー達に使用上の注意を伝えた後に「寝る。」とだけ不機嫌そうに告げてその日は去っていった。
「ふーん、臭いもほとんど無いし、結構上等な軟膏なんじゃないの?これ。」
説明を横で聞いた後、壷から少量を取り出して自分の手に伸ばしながらナターシャが言う。
「具合がいいなら、私も貰っておこうかしら。私もマリエルには貸しがあるし。」
彼女はそう続けてほくそ笑む
「まぁ、とりあえずは使ってみてからね。ほら、手を出して。」
ユーリアがそう告げると、エミリーはおずおずと自分の手を差し出す。
その手を取ったユーリアは、壷から指先に掬い取った軟膏をエミリーの手の甲に塗り広げた。
(あっ…。)
思わず赤面するエミリーの表情をよそに、彼女の手の上をユーリアの指が這いまわり、2人の指が絡む。
(ああ、ユーリアさん自らに軟膏を塗ってもらえるなんて。私は…私は幸せ者です…。)
エミリーはその光景を熱に浮かされたような目で眺めながら、天にも登る様な気分であった。
それから数ヵ月後、冬も明けた玉座の月の初め、食堂で昼食を終えたエミリーはひとり椅子に座ってボンヤリとしていた。
屋敷の住人達の食事が一区切りついての昼食、この短い休み時間が過ぎればすぐに夕食の仕込みが始まる。
そんな僅かな休憩であったが、彼女はいつものように自らの手を眺めながら薄く笑みを浮かべていた。
水が温み始めたとはいえ、まだまだ水仕事には辛い季節。
だが彼女の指には、毎年見られたアカギレや肌荒れどころか、仕事に付き物の軽い火傷の跡すらも見当たらない。
そう、ユーリアが彼女に贈った軟膏は、彼女から冬の悩みを消し去っていたのだ。
だがそれだけではなく、あの日以来彼女は自らの手を目にするたびにあの時の光景を思い出しては、幸福感に包まれていた。
「おや、いつもながらにご機嫌すね。」
声に振り向けば、そこにはトレーを持ったポーレットが立っていた。
「ええ、軟膏のおかげで今年はアカギレもないから…。」
「アレは辛いっすからね。ほんと、今年は大助かりですよ。」
エミリーの向かいの椅子に腰掛けながら、ポーレットがしみじみと呟く。
「…そういえば、ようやくマリオンお嬢様が来たみたいっすよ?しかもユーリアさんと同室。いやぁ、ナターシャさんが故郷に帰ってからのこのタイミング、絶対狙ってたっすね。」
そうどこか楽しげに呟くポーレットに、エミリーは曖昧に頷く。
そしてその日から、彼女の苦悩の日々が再び始まったのだ。
同室となったユーリアに、彼女達の部屋の中のみであったが思う存分に甘えるマリオン。
まるでそれは、出会ってからすぐに始まった別離の1年間を埋めるかの様だった。
だが、その関係はやがて変化を迎える。
最初は仲の良い…多少良すぎる感もなかったが…姉妹のようだった関係は、少しのぎこちない期間を経てからまるで恋人同士の様な物へと変化した。
無論、仕事中はあくまでも同僚といった関係を保って居たが、食事中などのふとした合間の視線や会話から、近しい者達が察するまでそれほど時間はかからなかった。
そしてそれは、エミリーにとっては酷く衝撃的な事実だった。
祝福、嫌悪、羨望、羞恥、嫉妬…彼女の中で様々な感情が渦巻き、そして最後に残ったのは諦念だった。
(貴族であるユーリアさんにはマリオンさんこそが相応しいわ。只の平民の私じゃ不釣合い…これでよかったのよ…。)
そう理由をつけて自らの心を閉じ込めたエミリーであったが、ユーリアの周りに更にカスティヘルミが現れたことで、彼女の心は再び千々に乱れてしまったのだ。
まどろみの中から目覚めてみれば、エミリーの目の前にはユーリアが腰掛けていた。
薄暗がりの中微笑みながらこちらを見つめる彼女に、エミリーは未だにまどろみの中にいるのかと考えた。
(まどろみの中でなら、何時までもユーリアさんと…。)
彼女の瞳にじわりと涙が浮かぶ。
そして彼女はその手を伸ばすと、ユーリアの頬に触れる。
「どうして…どうしてカスティヘルミ様なのですか…?」
彼女の問いに、ユーリアは首を傾けて続きを促す。
(ユーリアさんの頬が温かい…そしてなんて愛しいの?)
まどろみの中にいると信じて疑わない彼女は、感情のままに口を開く。
「マリオンさんだけなら、私は諦められました。2人はお似合いだって、私の入り込む隙間なんてこれっぽっちもないんだって、そう理由をつけて…。でも…でも…カスティヘルミ様までユーリアさんの傍にいるようになったら、どうしても期待しちゃうじゃないですか!ひょっとしたら、ひょっとしたら私だってユーリアさんのそばにいられるんじゃないかって!私だって…ひっく、ユーリアさんの事が…うぇっ、大好きなのに…。」
エミリーはそこまで伝えたが、それ以上は言葉にならなかった。
ただユーリアの頬の温もりを感じながら、嗚咽をこぼして涙を拭うだけだった。
目の前で嗚咽を漏らすエミリー。
そんな彼女を見つめながら、ユーリアは内心ため息をつく。
彼女からの好意には気付いていたつもりだったけど…ここまで思い詰めさせていたなんて…少し可哀想な事をしたわね。
そして小さな決心で気持ちを切り替えると、慈愛とも取れる微笑を浮かべて横たわるエミリーに頬を寄せた。
「ありがとう、エミリー。あなたの気持ちはとても嬉しいし、私も貴女の事が大好きよ?」
その言葉に、エミリーは大きく目を見開き、そして再び涙の雫が彼女の頬を伝う。
「ユーリアさん…。」
「でも、私とマリオンの関係は、あくまでもこのお屋敷に居る間だけの物。貴族という恵まれた家に生まれた以上、家のために身をささげるのは貴族の義務…もしそれを忘れて彼女と共にあることを望むのであれば…すべてを捨てて逃げるしかないわ。」
そこまで伝えてからエミリーを見ると、彼女は真剣に私の話に耳を傾けているようだったが、イマイチ話の流れを掴めていない様に見えた。
ちょっと遠回りしすぎたかしら?
「だから永久の愛を誓う事もできないし、あなたに操を立てる事もできない。…それでも私のことを想ってくれるのなら…それ以上幸せな事は無いわ。」
私の言葉に、エミリーは大きく目を見開いた後にそっと閉じる。
そして閉じられたそのまぶたの間から、はらはらと雫がこぼれた。
「はい、私は…ユーリアさんの事をお慕いしています。ユーリアさんにマリオンさんがいても、カスティヘルミ様がいても、変わりはありません。」
私は彼女の言葉に苦笑を浮かべて、頭をかく。
「カスティヘルミさんとは別にそういう関係のつもりは無いんだけどね…。でも、貴女の事は大好きよ、エミリー。」
「ユーリアさん…。」
私が耳元で囁くと、エミリーは私の名を呼んでからその瞳を閉じる。
そして交わされる口付け。
はらはらと流れる涙に私は彼女への思いを強くすると、そっと彼女を抱き寄せたのであった。
読んでいただき、ありがとうございました。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
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