1-10 お嬢様、小間使いを雇う
神暦720年 王の月12日
戦闘終結後、まもなくして奥の集落から騎士達が駆けつける。
ダミアンさんも一緒だ。
「お嬢様、御無事ですか!?」
「ええ、何とか。こっちで4人仕留めたわ。錬金術師も一緒よ。」
「それは何よりです。いやしかし、肝を冷やしましたぞ。」
周囲を探索したところ、夜明け前には気づかなかったあぜ道が見つかった。
最奥の集落と、街道を結んでいるようだ。
これを使って錬金術師は逃げ出したのか。
「もうじきブレイユの衛士たちが来る頃合だ。出くわす前に帰ったほうがいいんじゃねぇか?」
周囲を見渡し、町への帰還を促すダミアンさん。
戦闘の後始末もほぼ片付き、我々はお役御免といったところだろう。
なお、ブレイユの領主と盗賊ギルドは、他の町と比べ良好な関係を結んでいる。
無論犯罪行為をお目こぼしされることはないが、ギルドは非道な仕事を硬く禁じ、治安維持などの面で領主へは協力的だ。
なので、今回はブレイユの町を出発後しばらくしてから、ダミアンさんの使いが領主の館に状況説明と援軍要請に向かっていた。
アジトの襲撃後に、残党を捜索&掃討するための数として使うため、もしくは戦力が拮抗した場合は包囲して時間を稼ぎ、衛士の到着を待つことで敵を確実に殲滅するために。
到着までは今しばらく時間がかかるはずだが、たしかに私達がこのままこの場に残り、領主の手勢と鉢合わせすることになるのは…少々拙い。
隣接という程ではないが、近隣の領主の娘が町に立ち寄ったにも関わらず領主に挨拶がない・・・のはまぁ公式の訪問ではないので問題とはならないが、手勢を率いてその土地の盗賊ギルドとつるんで刃傷沙汰…などというのはさすがに見逃される物ではない。
痛くも無い腹を探られた上に両家の関係が悪化、それどころか難癖をつけられ拘束でもされれば、我が家への悪評となり今回の行儀見習も取りやめとなるだろう。
あるいは内密に処理をしたとしても、大きな借りを作ることになりヴィエルニ家はブレイユ領主に頭が上がらなくなってしまう。
「一応、日が落ちる前にこちらの騎士隊の顔見知りには挨拶を済ませておりますが…。」
とボーダンさん
「ですがダミアン殿の言にも一理あると愚考いたします。お嬢様、早期の撤収を具申いたします。」
「そうね。貴方達もいい加減疲れたでしょう?」
私は昨日の昼から何度も仮眠を取ってはいるが、彼らは一睡もしていないはずだ。
フェリクスもうんうんと頷いている。
が、
「この程度のこと、任務中であれば何でもありません。」
表情を歪ませるフェリクスに比べ、正騎士たちは余裕顔だ。
「でも私は疲れたわ。撤収しましょう。」
「はっ!フェリクス、先行して分岐点まで馬車を呼べ!他の者は撤収準備!」
「それではダミアンさん、お先に。」
「おう、ゆっくり休みな。晩にはウチの店で祝勝会やっからよ、よけりゃぁ顔を出しな。」
「はい、必ず伺せていただきます。あ、あとアンジェも連れて行きますね。」
「ん?構わんよ。いてもやる事も無いだろう。」
ダミアンさんの返事に、私はアンジェに向き直る。
「さ、アンジェ。とりあえずは歩いて馬車まで戻るわよ?」
だが、アンジェは後ずさる。
「でも、ミーアが…。」
数年ぶりに再会した剣牙猫。
今や天涯孤独となってしまった彼にとっては、何物にも代え難い存在だろう。
「ええ、だから馬に乗らずに猫と歩くのよ。」
それを聞き、安堵の笑みを浮かべる。
「姉ちゃん、ありがとう。」
はじめて見た彼の笑顔は、その名の通り天使のようにかわいらしかった。
思わずそれを見つめ、微笑を浮かべる。
おかしいな、自分は年下趣味では無かったはずだが。
ミーアをつれたアンジェの手を引きながら、街道へ向かう。
アンジェはちらちらと昔住んでいた家のほうを見ていたが、丘に隠れて見えなくなる前に、少しだけ立ち止まった。
「やっぱり戻りたい?」
私は尋ねる。
だが彼は私の言葉に首を振って答えると、少しの間だけ家の方を見つめたあと、踵を返し街道へ向け再び歩き出した。
その一歩は小さかったが、眼差しは前だけを見つめ、その後は一度も振り返らなかった。
その眼差しの先にあるものを見てみたいと思った。
まだ幼い子供だが、強い心を持っている。
彼ならきっと悲しみに打ち勝ち、立派に成長して一角の人物になるだろう。
街道へ戻ると既に馬車が待っていた。
私がそれに乗り込み、アンジェに手を差し伸べ引き入れるが、ミーアは馬車の下に座ったまま入ってこなかった。
これはチャンスか?
仕方なく降りる…そう表情を装って馬車を降り、ミーアを抱え上げようとする。だが、
「ミーア、行こう。」
アンジェが呼ぶと、抱え上げられる前に今度はするりと馬車に上がる。
モフれなかった…のは残念だが、まぁよしとしよう。
馬車の中ではアンジェと二人、並んで腰をかける。ミーアは足元だ。
そこでアンジェの身の上を聞いた。
あの集落に住んでいたこと、幼い頃からミーアと一緒に育ったこと。
両親と一緒に村を出るとき、町にはミーアを連れて行けないと泣く泣く別れたこと。
両親が病死した時に同じ病で隔離されていたため、そのお墓がわからないこと。
回復したあと村に帰りたかったが、1人で町の外に出る勇気が無かったこと…。
今後どうするのかと聞くと、わからないと答えた。
ミーアと離れる事はもうできない。
だが、町では一緒に暮らせない。
このままでは、ギルドの庇護を受け盗賊予備軍となるか、近隣の村で農家の下働きとなり糊口をしのぐしかないと思った私は、ひとつの提案をした。
「どうかしらアンジェ、私の小間使いとして一緒に来ない?」
アンジェの表情が、驚きに染まる。
「でも姉ちゃん、行儀見習いに行くんじゃないのか?何年もかかるんだろ?」
「ええ。その間、私の実家で働きなさい。うちは田舎だから、剣牙猫とも問題なく生活できるはずよ。それに、私の名で庇護を与えれば、最低限の生活は保障されるでしょう。そこで多くを学べばいいわ。読み書き、計算、教養、礼儀作法。さらに家か、町で働けばお金を貯めることもできる。それで高等教育を受けるのもいいわね。別に手に職をつけたって構わないわ。その後、私に仕えてくれればうれしい限りだけど、無理強いはしないわ。」
「でも…なんで孤児の俺なんかに、こんなに良くしてくれるんだ?」
「言わなかったかしら?私の足に縋られたからよ。私はお姉ちゃんで、年下に頼られると弱いのよね。」
そう言って微笑む。
その眼差しが気に入った…とは言わなかった。
アンジェは私の言葉に驚いたようだったが、やがて涙を浮かべるとうつむき袖でぬぐう。
「ごめんな、姉ちゃん、迷惑ばかりかけて。おれ、がんばるよ。姉ちゃん自慢の召使になる。」
そう言って咽び泣くアンジェをやさしく抱きしめ、その頭をなでる。
そうしているとミーアが私達の間に割り込んできて、そこで丸くなった。
仲間はずれは嫌らしい。
それを見て2人で笑い、その後はミーアを思う存分モフることにした。
うむ、余は満足じゃ。
宿屋に着くと自分の部屋に向かった。
ちなみに部屋割はセミダブル(私)、ゆったりツイン(正騎士)、4人部屋(従騎士+アンドレ)である。
到着したのが昼前だったので、宿の朝食は既に終わっていた。
なので、昼に皆で食事に出かけることにして身支度を整える。
夜食を頼んでおいて本当に正解だった。
鎧類は既に馬車の中で脱いでいたので、アンジェにそれを部屋に運ばせる。
宿の者に湯を沸かさせて、部屋備え付けの浴室にためる。
1人で風呂に入り軽く身体を洗い、身を清める。
あがった後に服を着付けると、ちょうど馬の世話を終えて部屋に戻ってきたフェリクスに出くわしたので廊下で捕まえる。
「フェル、お願いがあるんだけど。」
「何だよユーリア、散々働いて俺は眠いんだ。とっとと寝させてくれ。」
本気で眠たげだ。
「私の部屋の浴室に湯を張ったんだけど、アンジェを洗ってやってくれない?」
「はぁ?何で俺が…。」
「ふーん、伯父様にはこき使ってやってくれって言われてるんだけどなぁ?まぁ私が洗ってあげてもいいんだけど、あの年頃の男の子は恥ずかしがりやだからね。変に意識されても困るし。ついでに貴方も入ればいいじゃない?」
「あー、それは助かるな。4人部屋には風呂はないし、こんな時間じゃ共用風呂も使えないしな。まぁ馬を洗うついでに軽く水は浴びたんだけど・・・まぁいいぜ。」
承諾させ、部屋に入る。
「アンジェ、フェルと一緒にお風呂に入って洗ってもらいなさい。」
「ええっ!?」
なぜか驚くアンジェ。
「いいよ、おれ1人で洗えるし…」
顔を赤らめて小さく呟く
「おい坊主、行くぞ。俺も洗うからついでだ。」
「おい、やめろホントマジでちくしょう姉ちゃんそういう趣味かかんべんして…」
手を引かれ、浴室へ引きずり込まれるアンジェ。妙に抵抗していたが…
私はベッドに座り、そのまま後ろへ倒れる。
浴室のほうでは、まだぎゃーぎゃーと声が聞こえる。
部屋の隅に視線を向けると、毛づくろいの最中のミーアと視線が合った。
こいつも風呂に入れるべきかと考えていると、浴室の戸が勢いよく開き、全裸のアンジェが飛び出してくる。
「おい、お前!?」
そうフェリクスの声が聞こえるなか、アンジェは身体の前を隠すように服の塊を胸に抱えているが、下半身は隠せておらす……って、ついていない?
アンジェの股間には男の物はついておらず、普段見慣れた女の形だった。
「アンジェ、あなた…女の子?」
「悪いかよ、そうだよ、女だよ!?」
涙目で叫ぶ。ああ、なんという失態。
彼女の身の上話を聞いた限りでは兄弟も無く、男に対する免疫など無いだろう。
そして、女の子は男の子よりも羞恥心が芽生える年齢が早い。
私はベッドからシーツを剥ぎ取ると、アンジェをそれで包み、抱きしめた。
「ごめんなさいね、アンジェ。すっかり男の子だと思ってたから。恥ずかしかったでしょう?」
「姉ちゃん…2度目は無しにしてくれよ?」
そう言って、アンジェはされるがままに抱きしめられていた。
浴室に声を掛けフェリクスに1人で入るように言う。
しばらくして、湯から上がったフェリクスが出てきた。
「おい、ユーリア、お前知っていたのか?」
言葉は静かだが、明らかに怒気が透けて見える。
騙されたと感じたのだろうか?
「そんな訳無いじゃない。私も知らなかったのよ。」
そう答えて、肩をすくめる。
「とりあえず詳しい話は昼食のときに。私はこの子を風呂に入れるわ。」
私がそう言うと、フェリクスはアンジェに深く頭を下げ謝罪した後、部屋を出て行った。
アンジェと共に浴室へ入る。
アンジェからシーツを剥ぎ取り、私は濡れてもいいように下着姿になる。
「ほら、浴槽に座りなさい。汚れてるから…かけ湯はやるだけ無駄ね。」
アンジェを浴槽に座らせ、浴槽内から湯をすくい、頭からかける。
それを何度も繰り返すうちに、汚れが浮き、湯に色が着く。
「うわー、予想以上に汚れてるわね。」
浮浪児としてスラム暮らしをしていただけあって、風呂には入っていなかったようだ。
浴槽の側にあるきれいな湯の入った樽、これを大事に使おう。
私は煮詰め椰子の実を入れた小袋でアンジェの身体をこする。
がりがりに痩せ、まだ2次成長を迎えていない身体には女としてのふくらみの欠片も見られない。
「ちょ、姉ちゃんくすぐったい!」
「はいはい、我慢我慢。」
くすぐったがり、身をよじるアンジェを押さえつけ洗う。
昔はよくアレリアと一緒に風呂に入って、こうして洗った物だ。
ちなみに煮詰め椰子は、大陸の南方に生える油椰子の実を、とある鉱物と一緒に煮込んだ物だ。
これを水につけると、よく泡立ち汚れが落ちる。
貴族の間ではこれを精製した石鹸が使われるが、庶民の間ではもっぱらこれだ。
「はい、次は頭ね。目を瞑ってー」
小袋を揉んで、泡立てる。
泡を頭に落として、もみ洗い。
泡が汚れてきたら、一度洗い流す。
最初はぼさぼさだった髪も、それを何度か繰り返すと指通りも良くなり、本来の色を取り戻す。
きれいなハニーブロンドだった。
しっかり洗った後で、樽に残った湯で泡をよく洗い流し、身体を拭く。
そしてさっきまで着ていた服を着せる。
結構汚れてしまっている。
これだけで着替えも無いので、後で数着買ってこよう。
私と違って、女の子っぽい服も似合うだろう。
風呂を出た後で、皆で食事に出る。
私とアンジェ、騎士達にアンドレも含め7人だ。
食事と飲み物を注文し、簡単に今朝の騒動での無事を祝い、食事に取り掛かる。
相変わらずアンジェは良く食べた…というか喰い散らかした。
このままであればすぐに肉がつくだろうが、その前にまずはテーブルマナーだな。
そして食事の間にアンジェを小間使いにしたことを皆に話し、アンジェから男の子の振りをしていた理由を聞いた。
身寄りの無い女の子など娼館に売られたり、変質者の慰み者になるのが関の山だったので、男の振りをするようにと親が今際の際に言い残していたとのことだ。
ちなみに彼女の本名はアンジェル。
時々良い笑顔で笑うようになった彼女にはぴったりの名前だった。
食事を終えた後、服屋でアンジェルの服を見繕う。
旅の途中なので、動きやすい服とズボンを2着ずつ、下着を3着、寝巻きを1着、そしてかわいらしいフリルのついたワンピースを1着。
続いて靴屋で動きやすい靴、あとは雑貨屋で生活雑貨とそれを入れる鞄を購入。
宿に戻ると、ミーアに餌として買ってきた肉を与えた。
そのあとアンジェルを買ってきた下着と寝巻きに着替えさせ、一緒のベッドで眠りについた。
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アンジェル:ユーリアが男装すると思った?残念、オレだよ!!