1-01 お嬢様、故郷で育つ
初投稿です。よろしくお願いします。
十数年前、とあるファンタジー系HPに投稿した短編へと至る物語です。
神暦720年 王の月7日
東の空が明け、周囲に光が満ちる。
遠くの山並から太陽が姿を現し、谷底に位置する町を照らす。
光に照らされる町のはずれ、砦のそびえる丘の下にある屋敷で、少女は眠っていた。
「ユーリア様、お目覚めのお時間です」
いつものように侍女に揺り起こされ…ても起きず、眠りにしがみつく少女に対し、侍女はベッドの頭側の左右にある留め金を外す。
するとベッドの半ばを支点にしてガクンと少女の頭側が浮き上がり、足側が沈む。そして開かれた窓から差し込んだ朝日が、重力により布団を足側に引っ張られた少女の顔を照らす。
長い髪の少女だった。朝日とは対照的な夜の闇を思わす黒髪を肩の下まで伸ばし、長い睫と一晩の睡眠で乱れた前髪は朝日に輝き、その下のきりっとした貌を眩しさにゆがめ、だがまだ目は閉じていた。
「ユーリア様、お目覚めのお時間です」
「ん、ん~」
侍女の声にうなり声で返事をする。侍女は続けて声をかける。
「ユーリア様、お目覚めのお時間です。本日は奥様によるお稽古が控えております」
「あふぅ…はぁぃ」
少女は目を閉じたまま身を起こし、大きなあくびをした後に目を開く。
そして体を頭側に移動し、寝床が水平になったところで侍女が留め金をかける
こうして、少女のいつもと変わらぬ、だが残り少ない日常が始まった。
私の名はユーリア・ヴィエルニ。
カノヴァス王国デファンス領領主、エルテース・ヴィエルニ伯爵の長女、先日成人したばかりの15歳だ。
うちの領地はカノヴァス王国の北西のはずれにあり、北に"紅の森"、西に"大山塊"が広がり、その向こうは隣国ラヴォリ国、リオタール公国の領土となる。
領地の南側には丘陵地帯が広がり、中央を東西に流れるラムダウ川沿いにしか耕作に適した土地はなく、その中心に領内唯一の町…デファンスが存在する。
そう、唯一だ。
領地は狭くはないが山地や森林が大半であり、他のまともな集落は開拓村がいくつかしかない。
だが、この領地には古代の遺跡がいくつも現存し、また古代から続く古い家系のため、田舎貴族の割に上級貴族にも一目置かれ、爵位も伯爵となっている。
そして遺跡目当ての冒険者や国の学術調査隊などが周辺国から集まるため、関連産業が発達し、国内の中堅都市といえるほどには栄えている。
そんな町に私は生まれ、育った。
だが、私の人生のスタートは無難なものではなかった。
私の出産後に生母イーリアが亡くなり、父上は悲嘆に暮れ酒に溺れ、赤子である私を気にかけなかった。
それを見かねたレイア…生母の親友(自称:大親友)であり領内の正騎士、そして父上の幼馴染であった彼女は、慰めの言葉(と腕力)で半ば強引に父上の妾となり、家内を取り仕切った。
父上は精神の平穏を取り戻し、尻に敷かれ、私は順調に成長することができた。
まぁ、今にして思えば心神喪失状態の父上に無理やり迫るのは倫理上正しいことなのかと疑問は沸くが、結果を見ればまぁよしとしよう。
その後彼女が懐妊したのを機に正式に妻となり、弟と妹が生まれた。
だが母上は先妻の子である私を蔑ろにしたりせず、むしろ実の子以上に可愛がった。
それどころか夫よりも重きを置くほどに。
何でも、生前生母との間に『お互いの子供同士を結婚させ、親族になろう』といった約束があったらしいのだが、果たせなかったその約束の代わりとして、実の子以上に愛情を持って育てたらしい。
そんな私も15歳で晴れて成人となった。
父上は以前から、私をどこぞの貴族に行儀見習いに出そうと画策し、各方面に連絡をとっている。
名家で行儀見習いを勤め上げれば、淑女としての箔がつき、よりよい縁談も舞い込んでくる。
田舎育ちのお転婆でも良縁が見つかるといった考えなのだろう。
…無駄な考えだ。ならばまず、奥方が率先して娘に剣術を叩き込むことから止めるべきだろう。
まぁ、できるとは思わないが。
気合とともに、木剣で母上に切りかかる。
上段から振り下ろされたその剣を片手に握った剣で軽くいなし、返す刃で切先を突き入れてくる。
その剣を下からかち上げ、がら空きの胴体へ肩から体当たりを仕掛けようとする私に、素早く体勢を戻した母上の三連撃。
フェイントを織り交ぜ、体勢を崩したところにさらに力を入れた一撃。
それをかろうじて受けたところで不利な体勢から鍔迫り合いに入られ、そのまま地面まで押し倒され、膝が鳩尾に入ったところで私の負けとなった。
「体当たりに入る間合が遠すぎるわね。あれならばいくらでも対処できるわよ?」
そう言う母上。はっきり言って、私では歯が立たない。
独身の頃はこの領地の正騎士として活躍し、同じく正騎士であった彼女の兄と二人でオーガ5匹からなる群れを討伐、『デファンスの鬼女』と呼ばれた彼女だ。
今では伯父上がデファンス領騎士隊副隊長。
なぜなら、彼もまた『デファンスの岩鬼』と呼ばれた特別な存在だからです。
ちなみに隊長は父上だ。
そんな彼女は35歳。子供二人を出産し、体型の維持のためのエクササイズ代わりに稽古をつけてもらっている…はずが、いまだ衰えずである。
「でも体勢を崩してからよく受けたわね。あれで決めるつもりだったのだけど。とりあえず、貴方は組み合いは避けたほうが無難ね。私は手癖足癖が悪いからどうしてもそっちに行っちゃうけど、普通に考えれば悪手よ?」
ただただ荒い息をしながら彼女の話を聞く。
「じゃぁこれでお稽古はおしまい。食事の前に水を浴びていらっしゃい」
「はい、母上。ご指南、ありがとうございました。」
そう言って、浴室のほうへ向かう。
薪式の小さなものではあるが、我が家にも風呂はある。
こんな状態では外で水浴びもいいが、さすがにそれは淑女的にどうなのかとこっ酷く叱られるだろう。
それよりも、稽古の後でも涼しい顔して汗ひとつかいていない母上を思い出し、憤りを感じざるを得ない。
わが身の不甲斐なさ故に。
水を浴びて汗を流す。
我ながら引き締まった体つきだとは思うが、女性としての丸みはまったく…あまりない。
お母様はどうだったのだろうか?
今に残る彼女の姿は数枚の肖像画のみであり、ゆったりとした服を着ているためあまり分からない。
父上に聞くのははばかられる。
『お母様の身体はどうでしたか?』などとは聞けるはずがない。
これでも年頃の娘なのだ。
母上にお聞きすれば…そうだな、数時間は話してくださるだろう。
時間があるときに尋ねてみよう。
そのほかにも母様については情報が少ない。
お師匠様の養女だったということだけだ。
ならばこれはお師匠様に聞いてみようか。
服を着替え、食堂に向かう。
食堂では、私以外の家族がみな集まり、既に朝食を始めていた。
父、エルテース。
デファンス領領主にしてヴィエルニ伯爵。
壮年期も終わりに差掛かるが、長身で引き締まった体の40歳。
金髪を短く刈り上げ、あごひげを蓄え穏やかな顔つきをしている。
母、レイア。
ボディラインを気にする35歳。
銀髪を結い上げた美人。
淑女としてのたおやかさと武人としての力強さを備え持つ、ある意味(私の)理想の存在だ。
長男、レオリウス。
まじめに勉学と鍛錬に励む12歳。
母譲りの銀髪、父譲りの繊細な顔つきを持つ美少年…家族の贔屓目に見てもそう言ってもいいだろう。
剣の腕はまだまだである。
次女、アレリア。
遊び盛りの11歳。
父譲りの金髪、母譲りの元気な体でかなりのお転婆。
ま、私ほどではないがな(ドヤァ)。
レオリウスよりも私によくなついている。
そう、家族の中で黒髪は私だけである。それどころか、この国では黒髪は珍しい。
母様の出自について父上にお聞きしたことがある。
だが、『詳しくは知らない』という答えが返ってきただけであった。
私が自分の定位置である父上の左、母上の正面の席に座ると、すぐに侍女が給仕をしてくる。
今日はパンとベーコンエッグと豆類を中心としたスープだ。
デファンス領はそれなりに豊かではあるが、質素倹約、質実剛健が我が家の家風だ。
「どうだねユーリア、今日は1本取れたかね?」
父から声がかかる。
「いえ、父上。未だに力及びません。」
籠からパンを取っていた私は、正面から父を見て応える。
勝てないものは勝てない。
そしてそのまま食事を再開する。
「そうか。まぁ、未だに私が苦戦するぐらいだからな、レイアの腕は。」
「それでは父上は母上に勝てるのですか?」
レオリウス…レオルも驚いたようだ。
「昔、レイアが成人した頃に1回だけ勝ったことがあった。」
自信ありげに応える。
「1回…ですか?」
思わず聞き返す。
1回だけだと?
それに母が答える。
「まぁ、あの時ですか。あの時は月の物が重くてまともに立ち会えませんでしたから、勝った内に入りませんわ。」
顔色を変える父上。
「何、それは真か!?道理でその後しばらくイーリアの視線が冷たかったわけだ。」
「ええ、そんな理由で勝てただけなのに、勝った勝ったと大騒ぎして…紳士失格ですわね。」
残念、父の威厳は地に落ちてしまった。
まぁ母上が規格外なので情状酌量の余地は認めましょう。
レオルも苦笑しているが、そこにアレリアが割ってはいる。
「ねぇねぇ母上、アレリアにも剣術をおしえてください。」
そのお願いに母上がほほに手をあて、首を傾げて答える
「まぁ、どうしましょうか…そのようなことでは立派な淑女にはなれませんわよ?」
母上、それでは私はどうなるのですか?
「でもたのしそう…アレリアも母上と姉上と剣術したいです。」
その言葉を聞いて自分でも相好を崩すのがわかる。
そうか、二人だけの鍛錬を聞いて羨ましがっていたのか。
そんな私と母上の視線を受けて父上が答える。
「そうだな、アレリア…剣術はあまりお前向きではないかもしれないが、護身術程度なら無駄にはならないだろう。レイア、できるか?」
「ええ、では私が手ほどきを…ただし、生兵法は怪我の元。最低でも3年はかけて、じっくり稽古をつけますわ。」
「そうか、では仕方がないな。頼む。」
父が苦い顔で言う。
妹までも武闘派になってしまっては、ヴィエルニ家における男性の発言力は益々低下する。
かといって無碍にもできない。
苦渋の選択である。
「そういえば、ユーリアの行儀見習いの件だが…数日中に、大体の事が決まりそうだ。詳しいことは決まり次第伝えるが…3年程度はデファンス領の外で暮らすことになるだろう。」
私は黙って頷いた。
行儀見習いの件に不満を唱え、『姉上と離れたくない』と駄々をこねるアレリアをなだめすかしたあと、レオルとアレリアを連れ、家を出る。
行き先は"賢者の家"だ。
この町の北の外れにある砦の丘、ヴィエルニ家の屋敷はその南側に隣接し、屋敷の裏の石造りの階段は砦へと続いている。
そしてその丘の東側の崖下にその家はある。
この領内の名家の子女を相手に高等教育を施す賢者、"隠者レイシェル"の屋敷である。
通常、隠者といえば森の中などの人の立ち寄らない辺鄙な所に小屋を建て、そこに住まうものだがこの町では私塾を兼ねるので比較的大きな家となる。
この村の名家や富裕層の子女は10歳になるとレイシェルに師事し、高等教育を受けるのが慣わしとなっている。
尚、代々の領主の意向により、この町に数箇所、領内の開拓村にはそれぞれ1箇所ずつ寺子屋が設けられ、10歳までの子供はそこに通い文字の読み書きや算数を学んでいる。
基本授業料は只であり、教師の給料は領主からの支給とコミュニティ内の助け合いでまかなわれている。
この取組みによりこの領地は国内のほかの領地に比べ識字率が高く、優秀な者は他の都市に出て官吏となったり、学者に師事などして身を立て、後に故郷に帰り後進の育成に余生を過ごすものも多い。
道すがら、アレリアはまだぶつぶつ言っている。
理屈ではよい縁談のために行儀見習いに出ることは理解できるが、『大好きな姉上』と離れ離れになることは感情的に納得できるものではないらしい。
私は立ち止まり、妹の前で屈んで目線を合わせながら妹の手を取り話しかける。
「私もね、アレリアたちと離れ離れになるのはつらいわ。だけど私はヴィエルニ家の娘。良縁を結び、嫁いで、双方の家の発展のために生涯を捧げなければならないの。それは貴女のためでもあるわ。私が名家に嫁げば、きっとよい縁談が貴女にも舞い込んでくるはずよ。わかってくれるかしら?」
そう言って微笑むと、こちらを見つめて顔を赤くした妹は、うつむいて答える。
「姉上はずるいです…そんな風に言われたら、嫌と言えません。」
私は身体を起こすと妹の頭を少し乱暴になで、手を繋いだまま歩き出す。
「まだ出発するまでは時間があるはずよ。それまで、いっぱい話をしましょう。」
「では姉上、またいっしょに寝てもいいですか?」
小声でねだるアレリア。
以前は毎日のように私のベッドに潜り込んで寝ていたアレリアだが、自立心を養うために10歳の誕生日を機に"添い寝禁止令"が発令されていた。
彼女の今できる精一杯のわがままだろう。
「そうね…母上に頼んでみましょう。」
私の返事に、アレリアは満面の笑顔を浮かべて頷くのだった。
読んでいただき、感謝いたします。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
2013/04/22 後半を次話へ分割。
2013/05/18 あらすじにあった序文を移動。