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第二十二話 八雲家

 携帯電話の向こうから聞こえてくる声は、非常に穏やかだった。だから、ついつい素っ気なくなってしまう。その声が温かければ温かいほど、甘えることが怖くなる。

 この不得手な感情を、一体どう評すればいいんだろう? 精神学とやらを専攻していたお姉ちゃんなら、この気持ちを理解してくれるのだろうか。


『――由紀? どうしたの、いきなり押し黙っちゃって』


「ん……。いや、なんでもないわよ。ちょっと寒いなあ、って思っただけだから」


『そう? なら、ちゃんと暖かくしないと駄目よ。今年は寒くなるみたいだし……』


「仕方ないじゃない、梅雨に雨が降らなかったんだから。天気に文句言っても仕方ないわ」


『それは判ってるけど……』


「用はそれだけ? 人を待たせてるから、用事が無かったらもう切るわよ」


『あらそう? ……じゃあね、お正月は帰ってこれる? 別に、ずっと高校にいる訳じゃないんでしょう? なんだかんだ言って、去年は一回も帰ってこないんだもの……。お父さん、随分寂しがってたわよ』


「うーん……。部活の活動状況によって変わってくるから、はっきりとは言えないわ。じゃあ、また電話するわね。お父さんによろしく言っといて」


『あ、由紀――』


 何か言いかけた母親の言葉をボタンひとつで強引に遮断する。かといって、本当に疎ましい訳ではない。これが反抗期なのかな。


「……七時十五分か」


 ビルに囲まれてぽつんとある公園の時計で現在時刻を確認する。この時点で既に十五分遅れていることには眼を瞑ろう。

 だって、急に母親から電話が掛かってくれば出るしかないじゃないか。とりあえず、急ごう。

 指定された喫茶店にて、冷めかけた紅茶を啜りながら写真鑑定の続きをしている先輩達の姿が頭に浮かんだ。





「――すみません。遅れました」


「ざっと二十六分はな」


 叱責ではなく、報告に近い口調で由宮先輩が言う。彼とて、本気で責める気はないのだろう。


「これでも、結構走ったつもりよ」


「そのわりに、全然汗を掻いていないんだが」


「仕方ないじゃない。夏と冬とでは温度が違うわ」


「息も切らせてないし」


「これから人と会うって言うのに、呼吸を乱したままでいるのはマナー違反でしょう? しかも、それが目上の人ときたら尚更ね」


 私の完璧な返答に、由宮先輩は珈琲を掻き回していたスプーンをナプキンに置き、腕を組んで背もたれに背中を預ける。


「……う~ん。破綻箇所が見当たらねぇ、見事な詭弁だな」


「まあ、詭弁でも真実でも、信用されないのなら同じことよ。相手を納得させることが出来れば、ぶっちゃけ真偽そのものは関係ないんだから」


 よっこいしょ、とおばさんくさい声を出してしまったことに後悔しつつ、水蓮寺先輩の正面に座る。

 タイミングよく、隣のテーブルを片付けていた店員に挨拶して、いつものアップルティーを注文する。


「それで、八雲君はどうして遅れてきたんだい? 怒らないから、部長に話してみなさい」


「それ、絶対怒るやつだろ」


「そうよ朱祢ちゃん。遅刻常習者の貴女が言えることじゃないわよ」


「葵、あんたもね」


「あっはは、どっちもどっちっすね」


「雛森先輩も大概だと思います……」


 みんなの他愛の無い会話を微笑ましく眺めながら、運ばれてきたばかりのアップルティーに口をつける。


「……実は、遅れてきた理由のひとつは、電話が掛かってきたからなのよ」


「消費者金融? それとも、脱税かしら」


「実家からよ」


「由紀の家族、前科持ちの人がいるの? 最近は物騒ねえ」


「村沙先輩、それ以上言うと口を縫い合わせるわよ」


 手で口をかくして、朱祢部長の背中に隠れる村沙先輩。目が隠れてないから、目にしようかな。


「もうひとつの理由は?」


「寒いのに走るわけないじゃない」


「結局歩いたんかい!」


 由宮先輩の典型的なツッコミを聞き流し、こんどは私から質問をする。


「ところで。どうして、雛森先輩が私たちと一緒になって、お茶をしているのかしら?」


 雛森先輩に冷ややかな視線を送るも、それをものともせず、涼しい表情で話し出す。


「近所迷惑で告訴したっす。そしたら、勝訴したっす。あーんっ!」


 意味の分からないことを堂々と言い張り、パンケーキを頬張る先輩。

 どう応えていいのか分からないので、同じく、パンケーキを頬張っていた朱祢部長に視線を向ける。


「……ん? んっ、ふぅ……。ご両親がお仕事で遅くなるみたいで。たまたま、この喫茶店で食事をしていたから、俺達この後も活動するけど、一緒にどう? って誘ったわけ。もちろん、昼間の騒音のお詫びも兼ねてね」


「お詫びとして活動させるのはどうかと思うわよ……。それで、この後はどうするの?」


 アップルティーの残りを一気に煽って、この後の活動内容について問い掛ける。


「え? えっと……、この後は八雲君の神社に行って、鑑定し終わった写真達をお炊き上げしてもらう……予定だけど。あれ、今回の活動を決めるときにちゃんと話してたよね? あれ、あれ?」


 今にも泣き出しそうな顔で、みんなに視線を巡らせて確認を取っている。

 そして、何故か由宮先輩は酷く悲しそうな目で私を見詰めていた。


「若年性健忘症かぁ……」


「違うってば」


「認知性とどう違うんだろうな」


「どうでもいいって」


「……で、忘れてたってことは、お前んちの神社には話は通ってないわけだな」


 呆れた声は、私が遅刻してきたときと変わらない。

 けれども、ここは真面目に受け答えすべき場面だろう。


「だから、そんなんじゃないって。雛森先輩は活動内容を把握してないんだから、念のために聞いたのよ。神社(うち)に来て騒がれても困るしね」


「なっ?! 由紀りんは私が神社に行った程度ではしゃぐと思ってるんすか!?」


 ぷんと怒った顔で詰め寄ってくる。


「私、お正月はお祖母ちゃんの神社を手伝っててね。去年だったかなー、立ち入り禁止の柵を乗り越えようとして、注意されてた女子高生が居たのよ」


「へ、へー……、そんな不届き者が居たんすねー……」


 顔に怯えのような影を走らせ、明らかに挙動不審になる。


「その不届き者がまた変な格好でね、安全第一って書かれた黄色のヘルメットを被ってて……」


 疾風の如く敏速な動きで、被っていたヘルメットを脱ぎ捨て、納まっていた長い髪が一瞬散るように踊って肩に流れる。

 気に入って被ってたんじゃなかったのかしら……?


「……まあいいわ。どうせ昔のことだしね。その人も、今は大人しくしているんじゃないかしら」


 隣で雛森先輩が高速で相槌を打つ。

 振り乱れる髪が鬱陶しい。


「さてと、そろそろ八雲君の神社に――」


「あ、その前に。一つみんなに聞かせてほしいことが……」


 朱祢部長の言葉を遮り、みんなに質問をする。


「急にこんなこと聞いて悪いんだけど、その……もし、みんなも私みたいに、色々と見えてしまうことに気付いたとき、誰かにそのことを喋る?」


 至って冷静に、殊更に何も考えないように私は問い掛ける。

 私にとって、この問いには何の重みもない。今となっては。

 ただ、みんなにとってはそうでないかもしれない。その違いだけが、怖いといえば怖い。

 みんなは、各々空になったカップをスプーンで掻き回したり、腕組をしたりしながら、ぼんやりと答える。

 でも、朱祢部長が唐突に言った、電話の話と何か関係があるの? ――という返しの言葉は、なぜか私の想定から除外されていた。


「朧さんが勝手に喋っちゃったのを除外するなら……。たぶん、お父さんに相談するかも」


「俺もたぶん、親父に言うかな」


「私はお母様かな」


「あ、私もお母さんに喋るかも」


「わ、私もです」


「私もお母さんに喋るっす」


「そう。ちゃんと喋るのね、みんなは」


「……その口ぶりだと、事情が違うみたいだね。八雲君は」


「……まあ、そんな直角には違わないと思うけど。ただ、ね……うん、お母さんに自分のことを言ったときは、ちょっとあれだったかな。リビングを見て、お姉ちゃんが居るって言ったとき……。お母さんに『嘘つくんじゃないの』って言われた」


 お母さんにも、悪気はなかったと思う。

 優しい笑顔で、小さな嘘を言ってしまった子どもを窘めるような口調だった。


 嘘じゃないよ、本当なんだよ――。


 つたない主張を受け流され、泣きそうになりながらも、お姉ちゃんが帰ってきたことを告げた。

 ……でも、私は否定されたのだ。

 自分の能力ごと、真実ごと、他愛もない嘘なんだと涙に掻き暮れながら、教えられた。


「……まだ許せないの? 実の母親のことを」


 真面目で優しい口調で、朱祢部長が聞いてくる。


「いいえ。そんなことはないわ」


 小さく首を横に振る。

 あのときにお母さんがしたことは、別に間違ったものじゃないと思う。ごく普通に、子どもの真実を軽んじてしまっただけ。

 そこに善悪の境界線を引くことは簡単だけど、それをしたところで何の意味もない。

 遥か昔に置き去りにした、ちっぽけだった私の自尊心を満たすだけ。


 でも、私は今ここにいる。

 目指すべきは、そんな過去の傷跡じゃない。


「……ただ、そこで私は思ったのよ。私は、在りえないモノを見る力を持っている。世の中には、何か特別な力を持った人が他にもいるに違いない。ということは、この世にはまだ解き明かされていない部分がある。だから、そこにある真実を暴いてやろう。あのとき私が言ったことは、紛れもない真実だったんだと――必ず証明してみせる、ってね」


 思えば、それが始まりだった。

 あのときお母さんに否定されなければ、この力も世界に満ちている力のひとつだと納得できた。

 でも、『違う』と言われた。

 何が『違う』のかと考えたら、それはこの世界にあるものとは『違う』ということ。


 そう考えれば、否定されてしまった私が向こう側に惹かれるのも――当たり前の話だった。


「なるほどー! だから由紀ちゃんは部活動に熱心なんだね!」


「縁はどうなの? 貴女が心霊に興味を持つきっかけとか、そんなのは」


 彼女は、興味深げに尋ねる私を勝ち誇ったうれしそうな目で見返し、使い終えたスプーンで私を指す。


「由紀ちゃ~ん。もしかして、自分がしたことを覚えてないの? ふふふ」


「――あ~、そういえばそうだったわね」


 白々しい台詞を吐く私に、縁は楽しそうに微笑む。

 まあ、簡単に言うと、縁は私のほうから心霊研究部に入ろうと熱心に勧誘したのである。


「……やっぱり、さっきの言葉は訂正させてくれ」


「え、何を?」


 もしかして、家族が前科持ちというところだろうか。

 わざわざ宣言してくれるとは、由宮先輩も律儀だなあと思っていたら……どうやら違ったようだ。

 由宮先輩は、やけに自信満々な口調で宣言する。


「お前、記憶力抜群だな」





 喫茶店を出た後、私たちは街から少し離れた神社へと向かうため、足を運んでいた。

 途中で、私はみんなから少し後ろに距離を取り、携帯電話を手に取る。

 寒空の下、手袋もつけないで鉄の塊を掴むのは結構しんどいけれど、まあそれもすぐに慣れるだろう。

 だけど、やっぱりお母さんには早く電話に出て欲しいと思うのだ。


『――はい、もしもし。八雲ですけど』


「ああ、お母さん? 私だけど、私」


『……名前は?』


「由紀よ、八雲由紀。別にお金をふんだくるつもりはないから安心して」


『あ、やっぱり由紀なのねえ。気ぃ悪くしたらごめんなさいね、でも対策は取っておかないと』


 変わらない。変わっていない。

 あのとき、私に笑いかけてくれた人物と、いまさっき私の声を犯罪者だと思ってくれた人物と。

 うっかり者で、多少は抜けたところがあるけれども、基本的には優しい人なのだ。


「あのさ、さっきの電話だけど。……やっぱり、お正月は帰ることにしたわ。下手すると、お父さん泣くかもしれないし」


『かもねえ。もしかすると、由紀も一緒に暮らす人が出来るかもしれないし』


「…………な」


『そうなったら、落ち着くまでは由紀もうちには帰って来れないでしょう? そんなことない?』


「……当たり前じゃない。誰が何と言おうと、盆と正月くらいは実家に帰らせていただきますよ」


『でも、今年は帰らなかったじゃない。だからお父さん、由紀に季節外れの春が来たーって泣きながら喜んでたのよ?』


「……それはそれは。よろしく言っておいて」


 いろいろと言いたいことはあるが、それは正月のときまで取っておく。

 ――今は、他に言うべきことがあるから。

 寒さで指が動かなくなる前に、小さな声で言ってしまおう。


「ねえ、お母さん」


『うん? なあに、由紀』


 小さく深呼吸して、少し前を歩く大切な仲間達を見つめる。


「――私ね。意識を集中させるだけで、お姉ちゃんといつでも話ができるのよ」


 どうしてかは判らないけど、私の声はやけに弾んでいるらしい。

 楽しそうな私の言葉を聞いて、お母さんも静かに笑った。


『あら、そうなの? 凄いわねえ』


「そうなのよ。実は凄いの、私」


『ふふふ、凄いのねえ』


 私の証明は終わらない。

 とりあえず、あっち側にあるという幻想を暴くまでは。


 ……でも、まあ。今のところは、お母さんを納得させただけで満足するとしよう。

 たとえ、お母さんがあのときのように、私の言うことを信用していなかったとしても。

 あのときの言葉がなかったら、心霊研究部としての私は存在していなかっただろうから。


 だからせめて、お母さんだけは。

 私の力を否定することで、私を証明し続けてほしいと切に願うのだった。


『それじゃあ、今は何か話してる?』


「ええ。私もお母さんと喋りたいって、ずっと言ってるわ」


『……あらま、毎日遺影には喋りかけてあげてるわよ』


「それはきっと、一方的に喋ってるのよ。それか、独り言」


『そうなのかしらねえ……?』


 携帯電話の向こう側で、首を傾げているお母さんの顔が目に浮かぶ。

 私は、霊能力のないお母さんのために、お姉ちゃんが伝えて欲しいという言葉を心に刻み付ける。


「じゃあ、教えてあげるね。――いつも話しかけてくれてありがとう、大好きだよ。私の言っている言葉は、遺影なんかよりよっほど正確よ?」


 悪戯っぽく微笑んで、私は自分の正しさを主張した。

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