サクラ*サクラ
風が吹いても、その蕾を固く閉じた桜は散ったりしない。あたしは胸を撫で下ろした。
春なんて来なければいい。そうすれば、桜は永遠に散らずに済むから。
散るからこそ美しいなんて、あたしは思えない。散ってしまった桜になんて、みんな見向きもしないでしょ?ゴミの様に踏み潰される花弁を見る度に、あたしは言いようのない悲しみに襲われるんだ。
あたしの名前は先谷 サクラ。
桜は言わば、あたしの分身。あたしそのもの。
もうすぐあたしの季節が来る。
――春なんか、大っ嫌い。
「でもさ、それっておかしくない?散るとかどうとか以前に、桜は咲かなきゃ見れないじゃない」
親友の叶恵はあたしの前の席、本当は高木くんの席なんだけど、そこに座って話している。
あたしが例の話をしたら、妙につっかかってきて。ちょっとした口論になってしまった。
「いいの。あたし、満開になるのは一生に一度で十分よ」
「サクラじゃなくて、桜の話をしてるの!混乱させないで」
「どっちもあたしよ?」
しらっと言ってみせると、叶恵はウザそうに目を細めた。
「それ、本気で言ってるならかなりイタイけど」
本気だけど、あたしは別に、と答えた。アタマのおかしな娘だとは思われたくないからね。
「じゃあ、桜は必要無いのね?それなら安心でしょ?」
「ううん。平穏無事に佇んでる桜の木を見てるのが好きなの」
バカみたい、って叶恵は笑った。
「真冬のカサカサな桜なんて、他のと見分けつかないわよ」
「あたしはつく」
「普通はつかないの!」
あぁ、どうやらこの口論に終わりは無さそうだ。だって、あたしも叶恵も意見を変える気なんて始めからないんだもの。
あたしは気付かれないようにそっと溜め息をついた。
ちょうどいい時にチャイムが鳴ってくれて、叶恵は席へと戻っていった。次の休み時間までには、今の話を忘れてくれているといいな。
あたしはその一時間のほとんどを、グラウンドの青々とした桜を見るのに費やした。
ここにも桜……。
まだ誰にも気付かれずに、桜は静かに立っている。
「あんたは、綺麗に咲いて歓声を浴びることが幸せなの?」
あたしは分からなくて問いかけた。桜は真っ直ぐ立っているだけ。
「幸せ、なのかな……」
平穏無事な桜の木は、安心するけどどこか物足りない感じ。
「さっきからさ、なんで木に話しかけてんの?」
「え……?」
一瞬、桜に話しかけられたかと思った。だけどそこまでオカシクはなれなかったみたいで、犯人は背後に立っていた男。
「アタマ、大丈夫?」
目の前まで歩いてきた男は自分の頭を指差しながら、何故か爽やかに笑った。
「盗み見てるなんて、趣味悪いのね」
あたしの悩みなんて何にも知らないくせに。
「これ、桜だろ?好きなの?」
「あたしなのよ。これは」
男は何故か、見分けがつかない筈の桜の木を知っていた。ピンク色じゃない桜を分かってくれた。
「早く春にならないかな。ポカポカ気持ち良くてさ、桜の華がいっぱい咲いて。俺、春が一番好き」
「ねぇ、そこの誰かさん。あたしは春なんて大っ嫌い!二度とあたしの前でそんな事言わないで」
あたしは憤慨した。悩みに追い討ちをかける言動は、とにかく控えてほしかった。
歩き去ろうとするあたしを、男のでっかい手が引き留めた。掴まれた手が、暖かい。
けれど男の顔には怒りが浮かんでいて……。これって逆ギレ?
「お嬢ちゃん、理由を聞かせて貰おうか。春の何処が嫌いなんだよ!この世に春の嫌いな奴が居るなんて信じらんねぇよ」
それほど年が離れているようには思えないのに、明らかにあたしを下として見てるこの男。ムカつく。
「結構いるわよ。花粉症の人が大勢」
「それは……病気なんだから仕方ないだろ。質問に答えろ」
あたしはしょうがなく、今一番の悩みを告白した。なんでこんな奴に……。
「お前、バッカだなぁ〜!そんな理由で春が嫌いな訳?桜は、次の年また綺麗に咲くために散るんだよ。華だって、晴れ目を見ずに死んで行くなんて嫌に決まってる」
「でも、泣いてるの!毎年、毎年、桜が散るたびに泣いてる気がする……」
何よりも、笑い飛ばされたことが悲しい。
「それは嬉し涙だ。なぁ、華って何であんなに綺麗なのか知ってるか?」
あたしは首を振る。そんなこと、考えたことすらなかった。
「人を魅了するため」
「何それ」
こいつはきっと、天性の大ほら吹きだ。
「桜は昔から、人の心を掴んで離さないんだよ」
「だから?」
「だから毎年綺麗に咲くのが、桜にとっての一番の幸せだろ」
「なんで?」
男は口の端をニッと持ち上げた。無邪気な顔……。桜のピンクが似合いそうな笑顔だと、何故かあたしは思った。
「まだわかんねぇの?桜は人々を魅了して、幸せにするのが幸せなんだよ!」
「あたしは……、あたしはそんなの信じらんない」
幸せって何?桜が散る度、死にたくなる程苦しいあたしの幸せは?桜は何であんなに真っ直ぐ立ってられるの……?
「だって、もしそれが本当なら、桜はあたしなんかじゃない……」
裏切られた様な気持ちになった。元からあたしが一人で考え、一人で悩んでる妄想にしか過ぎないのに、バカみたい。
−−バカみたいで、切ない。
「いや、そっくりだ」
人より茶色の濃い瞳に、あたしが映った。彼のガラス玉の中で、あたしがグラグラと揺れる。
「なにが?何に……?」
「お前が、桜に?」
「何で疑問系?」
「何でだろうな」
お互い、短く、テンポ良く会話を進める。 あたし達を観てるのは桜だけ。
「あたし昔から、桜と一心同体のような気がしてた。思い上がりだけど」
「桜の華やかさなんて少しも無いけど。……桜はあたしを理解してくれる気がした」
「春の桜より、秋や冬の桜の方があたしと近かった」
「嫉妬してたのかも。名前は同じなのに、春になると見違えるように綺麗になって、みんなに注目してもらえる桜に……」
「あたしはいつも隅の方に座って、中心を眺めてるような子だったから」
「……桜を独り占めしたい」
「あたしは花びらを踏んづけたりしないし、誰よりも桜の気持ちが分かるから」
「そうだよね?」
男は一言も言葉を発さなかった。ただ、じっとあたしを見据えて、あたしの話を聞いてくれる。
その様子は、幼い頃に話を聞いてくれた桜の木にそっくりで……。穏やかで、たくましくて、寛大な桜が見えた気がした。
あたしは口をつぐんだ。自分があまりに幼稚で、くだらない事を言っているのに気付いたから。
「桜にそっくりなのは、あなたの方よ……」
男は桜色に微笑む。華やかな笑顔、無表情なあたしとはやっぱり真逆。
「俺は、桜だからな」
「じゃあ教えてよ。あたしはどうすればいい……?」
「簡単じゃん。自分らしくしてればいい。少しでも幸せになれるように」 そんなこと簡単に言わないで欲しい。自分らしく居ることの、なんて難しい事だろう。
「いつものサクラらしくさ。桜に悩みきいてもらうくらいでいいんじゃん?」
いつものあたしなんて、知らないくせに。優しい嘘は、優しくなんかないんだから。
「人も桜も関係ない。この地球上に生きる全ての命は、きっと幸せを求めて生きてるんだ。幸せを探すために、産まれて来る」
「桜も……?」
男は質問には答えなかった。その代わり、桜色の笑顔が満開に咲いた。それが返事。
「また来いよな。待ってるからさ。春になったら、ぜってぇ来いよ」
「うん……。分かった」
男は名残惜しそうに肩を潜めて、もう一度微かに微笑んだ。
あたしも少し寂しく感じて、男にそっと微笑み返した。
「サクラのために、満開に咲いててやるからさ」
あたしは突風に思わず目を瞑り、再びゆっくりと開いた。
空中から、ひらりと一枚の栞が落ちる。押し花になってるピンクの花びら。
男は、声だけを余韻として残して、跡形も無く消えてしまった。
「桜……?」
甦る。昔よく一緒に遊んでた男の子の事。いつもそばで満開に咲いてた大きな桜の木の事。
そう言えばよくあの子に慰めてもらってた。
あの子は誰だった?いつ知り合った?思い出せない……。
今の男は誰だった……?どうしてあたしの事を知ってるかのように話してたの?
「消えてしまってから気付くなんて……」
あの男は、あの時の子だ。じゃあ、また来いよって言うのは?ここ?それとも……。
「春になったら、また会えるよね?」
あたしは前を向いて歩き出した。シャンと背筋を伸ばして。さぁ、幸せを探しに行こうか。
桜、桜、ピンク色に輝く桜。
桜が満開になるころに、あなたに会いに行きます。
サクラは桜と共に……。
Fin*
結局は、どんな形であろうと皆欲しいのは幸せ。産まれて、死んでいくことに、意味なんて無いかも知れないけど、それでも人が生きようとするのは、先にある幸せを求めるからだと思う。未来に幸せが欠片も見えなくなってしまったら、人は死を選ぶのかな……?
そんな世の中ではあってほしくないと思う今日この頃です。
では、ここまで読んで下さりありがとうございました。意見・感想など、お待ちしております!