兵主・風神考2
貝塚茂樹は湯川秀樹の兄で、中国考古学の泰斗(巨人)であり、甲骨文字のような出土資料を用いた研究の第一人者だ。
【また、古代中国の思想書『淮南子』の記述より西風・西北風の特殊性が窺えることに関して、風伯の本拠が西方・西北方にある為だと述べ、その風伯が風神たることを示す象徴物は〈鞴〉であったと推定している。】
支那の風神、風伯は、西北を本拠地とするーーー穴師ではないか。
【(貝塚茂樹「風の神の発見」)…まえに引いた四方四風に祈年する卜いの文には、西方の風を「(表記不能、卅を右向きに横にしたような文字)また西方を「(同上、やはり上記文字に似ている)」などと書いている。
他の卜辞には「(表記不能、韓に似ているか?)」風とある。
この字の偏の韋はなめした革の材料をさし、旁は人夫が足でなめし革で作ったふいごを踏んで、風をおこしているさまを表したのであろう。
なめし皮製のふいごが西風、または西方の風神の名として用いられていることは、西方の風神すなわち巫女がふいごをもって西方の風を調節していたからであろう。…(中略)…
風を支配してきた蚩尤は、またふいご技術によって青銅兵器の製造を行った部族の代表者であり、この技術の発明者でもあり、古代においては神秘的なふいごの用法、青銅器鋳造の秘密を知っている巫師の祖先と仰がれる人物であった。
特に彼は、山東地方の斉国では天主、地主につぎ八神の一として兵主と呼ばれて、尊崇されていた。…
(ここから長見菜子氏稿)卜辞に記された西風及び西方の風神の名は〈人夫が鞴を踏み、風を起こす様を表す〉文字に由来し、風伯である巫女が鞴を持物・象徴物として風の調節に努めたことを示す。
蚩尤は青銅器製造に携わる部族の象徴神、鋳造にまつわる巫師の祖先神としても崇められたという。西北風が恐怖の対象とされること、西方風を司る風神の名前が鞴に由来することは、西風・西北風の特殊性と無関係ではないだろう。鞴が風伯の象徴であるのは、強風が生産活動を助けるために利用されたことを示唆している】
伊吹おろしだ。息長氏が、タタラ場の火力を確保するために利用した自然風。息長氏が用いたのは、伊吹山から琵琶湖側へ吹き下ろす風だった。
西風・西北風が、鍛冶に関係する鞴の風であり、それこそが風神の吹かす風。
このことは、作者には秦王朝を思わせる。
秦は、戦国七雄のなかで、もっとも西に位置する国家だった。周知の通り、峻烈な制度改革と、豊富な鉄器を用いて、六国を次々と下し、最後に山東半島の斉を下して、春秋戦国時代に幕を下ろした。
そして鉄の古字は「銕」夷の金属なのだ。秦は、当初、西戎のたぐい、野蛮国と見下されていた。戦国時代中期になるまでは、諸侯の会盟にも呼ばれなかった。
アナシの風を用い、豊富な鉄器を利用して、秦は六国を征服したのではないか?
その秦を標榜する秦氏が、息長帯姫を八幡神として崇め、その息長氏も伊吹おろしを
息吹という風伯の風を利用して、鉄を作っていた。
穴師山は弓月山。穴師坐兵主神社には、八幡神こと兵主蚩尤がいる。
秦、秦氏・・ゴビ砂漠の北西から吹きよせるアナシは、家系図的には朝鮮半島を経由して日本にまで吹きよせていたのではないか。
そうやって運ばれる砂は、現在では「黄砂」と呼ばれるのだ。
アナシは今も吹いている。それは、朝鮮半島から古代日本へやって来る渡来人の船を推進させた風でもあっただろう。
【貝塚は殷の祭祀に着想を得ているが、殷と斉は殆ど変わらない地理にある。故に、殷王朝において、風、特に西風・西北風を操作した風伯(巫師・巫女)の性格は、風伯の資質を有し、巫師の祖と仰がれる蚩尤に転化され、西・西北風を操る資質を持った兵主神として斉国で奉斎されたと推測される。穴師が西北風だとされるのは、風伯や蚩尤の性質が原点にあるためではないか】
殷のあった河南省は斉のあった山東省の隣だ。殷や斉で信仰された兵主蚩尤に合致するのは、西方から六国を平らげた夷狄・秦であり、その豊富な鉄器が製鉄の業─秦─蚩尤として記憶されたのかもしれない。
徐福は、秦の始皇帝に命令され、不老長寿の薬を求めて船出したわけだが、彼自身は、じつは、斉の貴族なのだ。
(秦とは兵主の国だ。蚩尤の国だ)
そういう強烈な刷り込みが、徐福にも、その伝説を掲げた秦氏自身にもあり、彼らは製鉄の神である蚩尤─兵主─牛頭天王─八幡神─スサノヲ─大国主を祀ったのかもしれない。全国の兵主神社の主祭神は、ほとんどがスサノヲか大国主(八千矛神)である。
〽神風の音も静かにそよふらん
御代のそよぎも 松の音
弥高村の氏子雨乞歌ひとつに、えらく含蓄がある。自然風を用い製鉄をしていた点で、息長氏は風の祝であり、穴師でもある。
秦氏、渡来人の足跡は、弥高、高天原まで及んでいたのだろう。息長川(天安川)を挟んでアマテラスに対峙したスサノヲのように。
本稿は神功皇后を「和邇水依姫」などと呼んでいるが、渡来人にとって恩人である応神朝の聖母だ。
それ故に、息長姓に編入され、彼らの守り神「八秦神」の一ペルソナになったのではないか。
濡れ女と牛鬼のように、彼女は、兵主蚩尤と習合している。
風と鍛冶の関わり、その神話のはなしをしていると際限がないが、鉄が銕だったことにちなんで、ギリシア神話のサイクロプスを紹介したい。巨人族の鍛冶師であり、オリンポスの神々に強力な武具をもたらした彼らもまた、片目(一つ目)の鍛冶神であり、風神の側面がある。
高名なサイクロプスの三兄弟は「アルゲース(落雷)」「ステロペース(電光)」「ブロンテース(雷鳴)」であり、荒天の精、アラシだ。ギリシアでも、荒天の強風を利用して、鍛冶製鉄が行われていたのだろう。
だから、彼らがゼウスに送った最高の武器は「稲妻」なのだ。
『ところで鍛冶屋にも関連した一目連の異形は、世界的に共通しているのは甚だ興味深い。私はかつてシシリー島で額に巨大な一つの目があるキクロブスの面を求めたことがあるが、キクロブスは大地の女神ガイアが最後に生んだ異形の鍛冶屋の神であり、また風神でもあった。このような異形の風神像はヨーロッパでは各地にあり、日本の場合は中国の蚩尤をへて伝来したものと思われる』
気象研究家・根本順吉氏の稿「風の民俗学の効用」より引用。
『三重県の俗謡に"伊勢にまいらば多度をもかけよ、お多度まいらにゃ片参り"というのがある。
多度神社は近鉄養老線の多度駅からタクシーで10分位のところにある。養老山脈が終わりになるところ、山の鼻の南側にその神社はある。この神社の祭神は天照大神の御子神・天津彦根命である。
これを祀った本殿の右側、崖から落ちる水流を背にして別宮があり、この祭神は天津彦根命の御子神にあたる天目一箇神である。神体は目、足とも一つの異形であり、風の神であると同時に鍛治屋の神でもある。ブイゴの発明される以前に、精錬に必要なのは自然の強風であり、したがって精錬師達はそのような局地的な強風の吹くことを待ち望んだのである。』
多度という言葉も山容から来た地名だというが、なにやら多々良を思わせる。天津彦根はスサノヲとアマテラスがうけい(誓い)したときに、スサノヲの息吹からむすんだ五柱の一柱であり、水神や風神、龍神でもあるという。
彼の子が、明立天之御影神であり、天目一箇神、本邦のサイクロプスだ。
つながる。鍛冶と異形と風。
『天目一箇神は通称一目連という。連は竜からの転化という説もあるが、後世のこじつけであると思う。
おそらく日本に渡来した精錬などの技術者ムラジから出たものと思われる。それがなぜ片目で片足であるのか。
この説明として鍛治屋の職業病としての見方もあるが、竜巻などの強風を表徴化したものとする見方もある。その場合一本足は乱れた雲底から垂れ下がる竜巻雲として解釈され、江戸時代の本にはすでにそのような見方をしている本(たとえば「甲子夜話」)もあり、竜巻の移動から〝一目散〟と いう言葉も生まれたとする人もいる』
鍛冶神天目一箇神が、風の妖怪一目連なのだ。トルネードを、片目で一本足の妖怪に見立てるというのは、面白い。そういえば、台風の中心を〝目〟といったか。
『三輪山の北に沿って流れる巻向川の北岸に穴師はあるが、そこは局地風が強いところであるという。北西の風は昔はアナシとよんだ。アナは詠嘆詞、シは風の古語とする語源説があり、これを〝あゝ〟と驚くほどの強い風として解釈する。しかしこれは穴師に都合のよい風としての北西風、もしくは帰化人の穴師達が渡来してきた方向から吹く風と解すべきではないかというのが私の推論である。ブイゴの発明以前は強風によるのでなければ精錬は不可能であり、風名にまで影響は及んでいたと思われる』
皆がそういう。どうも、伊吹山の風は製鉄に益し、高天原は盛んにタタラ場の煙を立てている、鉄器で栄えた王国に思える。




