深淵を覗く者は
『前衛芸術家 草間彌生さんが亡くなりました』
何気なく見ていたテレビの中で、語るニュースキャスターの言葉に一瞬息を止めた。
最近になってネットのニュースで活躍を知った。
あの頃と変わらない姿を見て、ずっと元気だと思っていた。
今でも創造という 芸術の波に挑んでいるのだと思った。
私が20歳の頃に1年間働いていた病棟に草間さんは入院していた。話したことも 数回しかないが、 その目をその声をまるで 昨日会った人のことのように思い出す。
あの頃は友達の勧めで東京の病院に就職した。 だが同僚は年配の人ばかり。
寮の同じ階には誰もいない。私一人。
寮費や食費を払ったら手取りは 12万。
よく 古本屋に行って本を買い込んでラヴクラフトを読み、時々バスに乗って 新宿 アルタに行って 明石焼きを食べる。ささやかでも それは贅沢なことだった。
病棟では長閑な時間がゆったり流れていた。絵画療法で絵を描き 音楽療法で歌を歌い作業療法でぐちゃぐちゃ な物を私も作った。
その中で 草間さんは異質だった。
「行ってくるわ」
外出証を差し出し看護婦の目を見て 草間さんが言う。
あの頃もテレビで見るのと同じメイクをして、おしゃれをして黒い帽子をかぶって。
「いってらっしゃい」
それを受け取り 笑顔で言う。
「いつもどこへ行ってるのかしら?」
ある看護師がつぶやいたが答える人はいなかった。
「戻ったわ」
「おかえりなさい」
「これ食べて」
いつもコージーコーナーのケーキを看護師に帰ってきてくれる。
「ありがとうございます」
笑顔で受け取る。
それが毎日のことだった。
食堂の隅っこで、バイトの人が かぼちゃを作っている。
あの頃は 石膏で作っていたと思う。
鮮やかな黄色で、黒の水玉模様を描いて。
丁寧に丁寧に。
あまりに 正解に再現しているので いつも同じかぼちゃに見えた。
それも日常だ。
ある日 草間さんが 角川 野生時代新人賞を取ったと聞いた。書店に積まれている『クリストファー男娼窟』を買ってみた。
「草間さん、これ買ったのよ」
「⋯看護婦さんが買ったの?」
少し驚いたようだった。
「うんうん」
「⋯サインしたげるわ」
丁寧にサインしてくれた。
「ありがとう」
草間さんの書いた本を読んだ。
爆発する 原色の世界そのものだった。
あの頃はもちろん パソコンなんかなかったから 原稿用紙に一文字一文字 当然 手書きで書いていた。
今はどうなのかと『我が永遠の魂』をちょっとだけ呼んでみた。
言葉ひとつが重い。
草間さんの声で文章が読み上げられているようだ。
一切の妥協を許さない人だった。
きっと最後までパソコンを使わず手書きで書いたのだろう。
ある日 ちょっと聞いてみた。
「草間さん、オノ・ヨーコを知ってる?」
「知ってるわ」
「オノ・ヨーコは、どうやってジョン・レノンの心を捕まえたの?」
「好きで好きで 追いかけて追いかけて捕まえたのよ」
「そうなのね」
私はコクコク頷いた。
「そうよ」
生前の草間さんの映像がニュースで流れる。
『闘っています』
『死に物狂いで闘っています』
何と戦い 何を目指しているのか?
幼少期から発現した幻覚 への恐怖⋯
あの頃も今も、調べればすぐ分かったこと なのに私は知ろう ともしていなかった。
20歳の頃に見た 草間さんを、鮮明な写真として 私は記憶の中に持っている。
凍りついたような目をしていた。
それは今 YouTube で見ても変わらない。
私は 何千人としゃべってるし 一億人とすれ違っている。
でも あの凍りついた目をしてる人は見たことがない。
あの目は何を見ているのか?
ふと ニーチェの言葉を思い出した。
『深淵を覗く者は、 また深淵から見つめられてると知れ』←那由他の意訳
あの目は常に深淵の怪物を見つめていたのか。
確かに 午前中に あの目をしていることが多かった。
はためには 穏やかに過ごしているように見えても、心の中では水玉や 網目の幻覚に襲われ恐怖しつつつ解放の時を待ってひたすら耐える。
『描かなければ死んでしまう』
午後になると死地へと向かう戦士の目をしてアトリエに行く。
「行ってくるわ」
あの静かな決意に満ちた目、決意に満ちた 声。
おしゃれだと思ったあの服も死装束だったのか。
歩いて数分のアトリエで ひたすら水玉を描く。
自分を水玉の中に溶かし込んで 消し去る。
そして無限の宇宙になる。
凄まじい 集中力が必要だったろう。
だが、それは生存をかけた戦いだ。
死力を尽くして描き終わって生へと帰還する。
今日も生き延びたと ささやかなお祝いに、何も知らず待っている看護師たちにケーキを買って。
それは今の自分を消し去り、 新たな自分に生まれ変わる為のイニシエーションか。
毎日死んで、毎日生まれ変わる。
どれほどの精神力があればそれができるのか 私には分からない。
『地球も月も太陽も 星も、そしてあなたも私もみんな 宇宙を構成する水玉なのです 』
みんなが 水玉 なのだから、 地位や名誉も草間さんにとって区別はなかった。
「那由他は地位と 名誉と権力に頭を下げない」
と公言する私であるが、その芸術への真摯な姿勢に、その決意に満ちた生き方に、心から敬意を表する。
Facebook の友達に草間彌生さんの追悼文章を書くと約束したので、エッセイとして こちらでまとめてみました。
「考えろ。考えて考えて考えぬけ!!」という
総合病院の口腔外科部長 が 研修医に言った言葉をとても真剣に聞いて ずっと覚えていたのですが、今回は本当に考え抜いてとても時間をかけて書きました。(←喋りました)
これほど考えたことは今までなかったのじゃないかと思います笑




