泣けない赤ん坊
第2話です!
――冷たい。
最初に感じたのは、それだった。
水の中に沈んでいるような感覚。
息ができないのに、苦しくはない。
全身を包む圧力が、ゆっくりと抜けていく。
――出る。
そう思った瞬間、世界が反転した。
「……っ!」
声を出そうとした。
だが、喉から出たのは意味のない音だけだった。
「――おぎゃあ!」
甲高い泣き声。
それが自分のものだと理解するまで、数秒かかった。
……は?
視界がやけに低い。
というか、ぼやけている。
目を動かそうとしても、思うように動かない。
(……マジで赤ん坊かよ)
エリザールの言葉が、遅れて頭をよぎる。
――魔法や基礎知識は最初からインプットされる。
正直、半分も信じていなかった。
だが、今のこの状況をどう説明すればいい。
……おかしい。
頭の中を探っても、何もない。
知らない言葉も、術式も、知識の断片すら浮かばなかった。
(……本当に、全部話したのか?)
「元気な子だわ」
柔らかい声が聞こえた。
次の瞬間、温かい何かに包まれる。
布……いや、腕か。
「ほら、見て。ちゃんと泣いてる」
「本当だ……よかった」
今度は、少し低い声。
男の声だ。
(……誰だ?)
必死に目を凝らす。
ぼんやりとした輪郭が、二つ見えた。
金色に近い髪。
穏やかな表情をした女性。
(母親……か?)
胸の奥が、僅かにざわついた。
前世の俺は、母親の顔を知らない。
生まれてすぐに亡くなったと聞かされただけだ。
だからだろうか。
目の前の女性の存在が、やけに現実味を持って迫ってくる。
「名前は……どうする?」
「もう決めてある」
男――父親らしき人物が、少し照れたように言う。
「シェリルだ」
……シェリル。
(俺の名前、か)
悪くない。
少なくとも、前世の自分よりは。
「シェリル……」
その名前を呼ばれた瞬間、胸の奥がきゅっと締め付けられた。
――守られている。
そんな感覚。
(……やめろ)
そう思った。
期待するな。
また失う。
前世では、何も守れなかった。
助けた少女は生きて、自分は死んだ。
この世界でも、同じとは限らない。
だが、油断するにはまだ早い。
ふと、抱きしめる腕が一瞬だけ強張った。
ほんの一瞬。
だが、確かに。
(……不安、か?)
母親はすぐに笑顔を取り戻した。
その違和感だけが、胸に残る。
「ほら、シェリル。お父さんだ」
男の顔が近づく。
精悍な顔立ち。
日に焼けた肌。
狩人……そんな印象を受ける。
「綺麗な目だな。青い」
(……分かるのかよ、そんなの)
突っ込みたかったが、口は動かない。
「元気に育てよ」
「ええ……大切にしましょう」
二人の声が、穏やかに重なった。
その瞬間、理解した。
――ここは、確かに“人生のやり直し”だ。
だが同時に、胸の奥で何かが警告を鳴らす。
(……俺は、この幸せを信じていいのか?)
泣き声は出る。
だが、心までは泣いていない。
前世の記憶は、はっきりと残っている。
後悔も、虚無も、そのままだ。
(……エリザール)
名前を呼んでも、答えは返ってこない。
代わりに、知らない世界の匂いと、体温だけがあった。
――こうして俺は、
泣けない赤ん坊として、第二の人生を始めた。
この時の俺は、まだ知らなかった。
この温もりが、そう長く続かないことを。
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