飛翔
小説「忘却の彼方への旅」の後編、「続・忘却の彼方への旅」です。
飛翔
西暦2025年 ―
日本のうだるような夏の日差しを避けて、信太は昼食後の午後のひと時を実家で過ごしウトウトし始めた。どこにいるともなしに大きな教会前の広場で彼は佇んでいる。しかし、教会はパリにあるサンシュルピスであると理解するのにさほど時間が掛からなかった。ここには4、50年前に訪れたことがあって、広場の中央には「4人の枢機卿の座像」があり噴水になっているし、その時の教会正面の列柱が特に印象的だったのだ。
信太はなぜかこのサンシュルピス教会を見ていてアテナイのアクロポリスを思い出す。このアクロポリスというのは紀元前1600年頃から防衛拠点として使用されていた。大規模な整備はアテネの全盛期である紀元前5世紀のペリクレス*の時代に行われ、神殿は紀元前432年に新たに造営された。あの小高い丘に建つ円柱の神殿の華麗と荘厳さに信太は懐かしさと敬意を覚える。どうしてだろう?
信太はサンシュルピス教会に入って身廊を直進し、祭壇前を左に折れて後陣を歩き側廊に沿って出口に向かうが、出口前に壁画の祭室があってなんであろうと見るとドラクロワの作品だ。面白いことに前に見た時は額縁に絵画が嵌めてあるというものだったが、今回見るとそうではなく、壁に絵が施してある。「天使と格闘するヤコブ」、あるいは、「天使とヤコブの闘い」という タイトルの壁画である。ヤコブと言うのはどこかで聞いたことのある名前に思えるが、それはともかく教会を出ると秋晴れが気持ち良い。右側を見ると角にカフェテリアがあるので、白ワインでもいっぱいと思って飲んでいると、噴水にある座像が一体立ち上がりこちらに広場を横切って向かって来る。2メートル50はあるという巨体だ。信太の前で立ち止まって隣にいる二人の仏人女性に声を掛けるでもなし、また、婦人らはこの巨人に一向に気付く様子でもない。彼は信太に曰く、
「私に付いて噴水までご同行願いたい」
「今から直ぐにですか?」と、信太はワインを飲み乾さなくて行ってしまうのは勿体ない気がする。
「できれば、、、」と彼は優しく答えて踵を返す。
ならばと信太は観念した様子で付いて行く。そうするとどうしたことか、枢機卿の後ろ姿が徐々に薄れ、噴水の色と交わる。そして、信太も又、脚元から徐々に消えゆくのが分かる。
信太は自分が浮遊しているような感じがするが、どこを飛んでいるのか分からない。すると、新しい空気に触れたような気がして、異世界に足を踏み入れたと感じる。その世界は信太が今まで見たこともないものだ。世界は深紫色の海、広大な空間はキラキラと光り輝いていた。この時、月が見えたのでその裏側へ行った際、どこにかぐや姫の屋敷、御殿があるのだろうかと目を凝らすが素早く通り過ぎたので分からなかった。その後、暗黒の宇宙に没入して、光りは一点も見届けられない。一体どこに向かっているのだろう?極寒地獄か?天国か?
次の瞬間、信太はただならぬことが起こったと感じた。肌は粟立ち、筋肉は弛緩し、神経細胞が揺らぎ始め、まるで内部崩壊を思わせるものがあるのだ。それに伴って細胞核の周りの電子が切り離さられるという思いもよらぬ事態が起こる。
サン=シュルピス教会 フランス の パリ6区 にある カトリック の 聖堂
*ペリクレス(ペリクレース、古希: Περικλῆς、古代ギリシア語ラテン翻字: Periklē̃s、紀元前495年? - 紀元前429年)は、古代アテナイの政治家・将官であり、アテナイの最盛期を築き上げた重鎮として有名である。また、彼と愛人アスパシアとの間に生まれた庶子で、後に軍人になった小ペリクレス(英語版)と区別して大ペリクレスとも呼ばれる。




