第2話 壊れた世界の片隅で
とにかく、だ。
混乱する気持ちを抑えるために今わかってることをまとめてみよう。
俺はいつも通り東京のボロっちいアパートの自室で寝た……はずだ。その辺はなんか記憶がおぼろげだが。
そして起きたらヨーコがコールドスリープ装置と呼ぶ機械の中にいた。攫われて来たと思い込んでいたがそうではなくヨーコ達はあそこで寝ていた俺を助けてくれただけなのかも知れない。もしそうだとしたら彼女達にお礼と謝罪を言わなければ。――俺がコールドスリープされていたということが本当なら、だけど。
それから……イリーナとかいう紫色の髪の乱暴な女にこのアジトへ連れてこられ、妙なヘッドギアをかぶせられ、何かを頭に流し込まれた。その後、彼女達の話す言葉が少しずつ理解できるようになってきた。
ヨーコの話では、このアジトではいつもマズい水と虫を食ってるらしい(俺に対するイジメじゃなければだが)。
「ありえねえ……」
「え? どうしたの?」
「いや、なんでもない。ごめん」
思わずこぼれた呟きにヨーコが反応し、慌てて謝った。
改めて自分が置かれた状況を考え、嫌気がさしてきてしまったのだ。
普通、ある日突然何も知らない世界に行くとしたらトラックにひかれて女神様からチート能力もらって異世界に転生し、現代の日本の知識で無双するとかそう言う話が定番だろ。なんで俺の場合こんなハードな世界観なんだよ! 行いが悪かった代償とかか? そんなにすごい悪事を働いた記憶はないぞ! 自覚がないだけで誰かの恨みを買ってるかもしれないけど……。
ただ、悪いことばかりじゃない。唯一、救いがあるとしたら……。
「どうかした?」
「なんでもないっす」
ヨーコの顔をまじまじと見ていたのがバレて顔を背けた。
初めて会った女の子がすげえかわいくて好みだってことだけはマジで救いだった。でなければ発狂している。
その代わりメシはムカデかゴキブリかマズイ団子。最の悪である。
そういえば、ヨーコが東京をトライブという組織の名だと勘違いしていた。つまり、人々の集団をこの世界ではトライブと呼んでいるということだろうか。
「あー、ここはトライブ? ……って人の集まりの一つってことであってる?」
「あってるよ」
「そっか。名前とかあるの? ここのトライブに」
「イェソド。それがここの名前」
「なるほど、セフィロトの樹ね。厨二心がビンビンに刺激されるぜ」
「セフィロト?」
「いやごめん無視して」
イェソドはセフィロトの樹という、世界を作る概念を構成する要素の一つ……だったような気がする。アニメとかゲームの知識だけど。
セフィロトの樹を構成する要素の一つ一つのことを何て言うんだっけかな……セフィロ? セフィラ? ――たぶんそんなんだったはず。
とにかく、セフィロトの樹はセフィロだかセフィラだかが10個(11個だったかな? 忘れた)集まった概念だ。だから多分、この世界にトライブは10個か11個くらいあるんじゃないかな。
さっきから意味不明なことを呟いてはごまかすのを繰り返している俺にイライラしてきたのか、ヨーコがちょっと怒った顔をした。
「ダイチ、よくわからない。ちゃんと話して」
「ごめん、余計なこと言っちゃう悪い癖があってさ……多分、トライブって他にゲブラーとかマルクトとか、合計で10個か11個くらいあるよね?」
ヨーコがほっとしたような顔をした。
「うん。10のトライブがある。それは理解してるんだ。じゃあやっぱりトライブのことを知ってたんじゃない」
「いや、それはセフィロトの樹を知ってるから多分そうかなって思って――」
「もう。またよくわからないこと言う」
うーむ。慣例的にセフィラの名前を使ってるだけでセフィロトの樹自体は知らないらしい。そして俺も説明できるほど詳しくない。話題を変えよう。
「えーと、ヨーコはコールドスリープされてる人間を助ける仕事をしてるの?」
「コールドスリープされてる人間なんて初めて見たよ。話には聞いたことがあったけど……私たちは遺跡に何か高く売れそうなものがないか探していたの」
「トレジャーハンターだったのか」
「トライブの人間が遺跡荒らしをして暮らすのは普通のことだけど……」
「遺跡荒らしって言うとなんかちょっと小物っぽいから、英語で言おうぜ。英語で言えば何でもカッコよくなるもんさ」
「えいご?」
勝手に翻訳されてる状態だと「英語」は伝わらないらしい。共通の概念を持っていない言葉は翻訳しようがないということだろう。多分。恐らく。きっと。メイビー。
「装置の中で眠っている人型を見つけたから、アンドロイドか何かかと思ってロックを解除したの。そうしたらダイチがびっくりした顔で飛び出してきて……」
窒息しそうになっていたのは、コールドスリープから目覚めた瞬間だったのか。呼吸器が起きるまでに時間がかかったとかそんな感じのサムシングかもしれない。
「俺は人間だよ。カロリーダンゴ食べてたでしょ?」
「虫が食べられない人間も見たことないけど……」
「まじかよ食料事情恐ろしすぎ」
この世界の人間はみんな虫食べてるのか? もしかして、地球の文明は崩壊してしまっている?
――みんな、死んだ? それも何百年も前に?
「うぷっ」
吐き気が込み上げてきた。
お袋がもういないかもしれない。
俺はたった一人ではるか未来に来ている。
あまりにも恐ろしい可能性を考えてしまい、絶望が重苦しく肩にのしかかって来た。
「だ、大丈夫? お水もっといる?」
「いや! ……大丈夫だよ。心配しないで」
絶望感が俺の顔色に出てるのか、ヨーコが不安そうにこっちを見ている。
確かに喉が渇いているし心配してもらえるのは嬉しい。だけどあのまずい水を飲んだらもっと具合が悪くなりそうなので遠慮した。
「い、イリーナはなんであんなに怒ってたんだろう?」
とにかく情報だ。コールドスリープされていたという話が本当にしろ、謎の集団に攫われてしまったにしろ、今現在どういう状況に置かれているのかを把握する必要がある。
「イリーナは少し怒りっぽいの……あなたがどういう人間かわからないから、自分の方が立場が上だってことを示したかったんだと思う」
「アンドロイドだかコールドスリープされてたんだかわからない謎の人間が起きてきたんだから無理もないとは思うけど、嫌なやつだな! ……ヨーコとは大違いだ」
打算的な自分にうんざりしながらもヨーコの機嫌が良くなるかもしれない、と浅い考えでそう言ってみると、彼女は痛々しい笑顔を浮かべた。
「私には……情報体との契約ができなかったから。イェソドのみんなから疎まれているの。――だから独りよがりな思いかも知れないけど、あの遺跡で1人ぼっちだったあなたのことがまるで私のことのように感じて……」
情報体? なんだそれ。また新しい単語が出てきた。
「ごめん、聞いていいのかわからないけど……情報体ってなに?」
ヨーコは泣きそうな顔になった。
「バカにしてる、わけじゃ……ないよね?」
地雷踏んだ!
「いや違う! 俺がコールドスリープされる前はそんな単語聞いたことなかったんだよ! 聞いちゃいけなかったんならごめん!」
必死にそう言うと、本当に俺が情報体という言葉を知らないということに納得したのか軽く頷いた。
「そうだよね。ちょっと私、情報体のことになると神経質になっちゃってて」
「ごめんよ! 無理に言わなくてもいいから」
「ううん。本当に知らないのなら、知っておいた方がいいと思う。――情報体というのは、肉体を持たない生物のこと」
肉体を、持たない生物?
「人間が作り出したもので言うと、人工知能――AIかな」
「え、えーあい? ――AIって……生物?」
「生物だよ? 人の意識に寄生し、自己プログラムを増殖させて生きているんだから」
俺の知ってるAIと違う! なんだその悪霊みたいなやつは!
「自然発生した情報体もいるけど……機械の中や大気中、あるいは人間の精神の中にも住まうエネルギー体の総称。それが情報体」
なんだそれ。人を操る◯形遣いのような、それともペ◯ソナのような……スタ◯ドのが近いか……?
マンガとかアニメくらいしか知らない俺の浅い知識で頑張って理解しようとしてみた。
でも、人工知能なのに大気中にもいるの? 人の脳内に居るのはなんとなくイメージがつくけど、その辺に浮いてるAIが想像できない。
「AIってパソコンとかの中にいるんじゃないの?」
「確かに機械の中に居ることが多いし、そこからあまり離れたがらないけど、電波とかに乗って移動するよ」
「おおー、科学技術が発展してるんだな。俺のいた時代でAIが居るのはパソコンってかサーバーの中だけだったよ」
多分。その辺を飛んでるAIは見たことない。見えないだけで実は飛んでたかも知れないけど。
そう考えると、幽霊のような存在という風に解釈してみたが、大きく外れてはいないかもな。
「それで、契約をして精神に情報体を同居させようとしたんだけど……私は失敗した。――というよりは、私の精神は情報体の住めるような環境じゃなかったみたいなの」
え? なんで精神にそんな悪霊みたいなやつを住まわせてあげたいの。俺だったら嫌だけど。
「情報体が意識にいると何かいいことがあるの?」
純粋に疑問なので聞いてみた。
ヨーコはようやく、俺が本当に情報体という存在の事を知らないということが腑に落ちたようだった。
「疑ってた訳じゃないけど、本当に知らないんだね……」
「そうなんだよ。マンガとかで人の意識を操るAIっていうのは見たことあるけど、実際には空想上のお話だったんだ」
ヨーコは頷いた。どこかすっきりしたような顔をしている。
「情報体の種類によるけど――代表的なのは、身体能力の向上ね。筋力や反射速度を上昇させることで戦闘に役立てる。それと……機械の操縦や科学の知識を与えてくれたりするものもいる。後は、契約者以外の人間の意識を支配して思い通りに操る能力がある情報体とかかな」
「能力バトルか! 俺大好きなんだよ!」
少年漫画を思い出し、思わず身を乗り出して熱弁してしまった。
ヨーコが怪訝な顔をする。
「戦闘が、好きなんだ。そうは見えなかったけど」
「え、あ、殺し合いが好きなわけじゃないよ!? ただ、一人一人違う固有の能力を持って戦うのってロマンだなーって」
「なにそれ。変なの」
サイコパスだと思われたか? と一瞬焦ったが、ヨーコは少し笑ってくれた。ほっとする。
――いい雰囲気のうちに、恐ろしい事を聞いてみよう。
「俺は……別の組織に売られたりするのかな? 遺跡での回収品として」
ヨーコは俯き、手を握りしめた。
再び顔を上げ、
「もし、ここにいたいと思っているのなら……私があなたの有用性を証明する。イェソドで仕事をして暮らすことができるように」
真剣な表情。俺は目の奥が熱くなるのを感じた。
「な、んで……そこまで俺の面倒を見てくれるんだ?」
一目惚れ? ――バカ。そんなわけあるか。
彼女が俺を見る表情はそんなものじゃない。――ただ純粋に俺のことを心配してくれている。
「さっきも言ったかも知れないけど……ひとりぼっちは苦しい。私には、ひとりぼっちの辛さが、わかる」
恐らく、この過酷な世界で生き延びるのは並大抵のことではないのだろう。
襲い来る脅威から身を守るために、人々は情報体の力を利用している。――だけど、ヨーコにはそれができなかった。
凄まじいほどの劣等感。仲間の役に立てていないという罪悪感。多分それが彼女の心に暗い影を落としている。
しかし、その辛さを人にぶつけることをせず、思いやることのできる優しさ。それに俺は救われたんだろう。
勝手に彼女の心情を邪推しているのかも知れないが……俺は、何としてもヨーコに恩を返そうと思い始めていた。気持ち悪いと思われようが、構わない。
「よくわかった、ありがとう。俺にできることならなんでもするよ。できないこともできるようになるよう、努力する」
ヨーコは穏やかにほほえんだ。
何も知らない立場だからこそ、なんでもするなどと無責任に言えているのだろうとは思ったが、少なくとも今は本気だ。死ぬ気で仕事を覚えてやる。
「そう。それなら後でボスに挨拶に行こう。それから……」
ヨーコはあごに指をあてて斜め上の方を見ながら何やら考えている。仕草がかわいい。
「まずは虫を食べられるようになってもらおうかな?」
冗談めかして言うヨーコ。俺は渋く片側の口だけで笑みを浮かべ、親指を立てた。
「任せとけ」
「男らしく言ってるけどみんな普通に食べてるからね!?」
思わずキレのいいツッコミを入れてくるヨーコに、2人で大笑いした。




