第16話 帰路
夜が明けた。
テントの隙間から日が差し込み、俺は体を起こしてトレーラーに向かう。
「おはよう」
声をかけ、ヨーコ達が眠るトレーラーのドアをノックした。
「おはよう」
ヨーコが降りてきた。俺は無理やり笑顔を作った。
多分、嘘くさい笑みを浮かべているはずだ。
「アジトに帰ろう。ホドの奴らを追っ払ってやったって聞いたらイリーナがどんな顔するか楽しみだよ」
ヨーコも笑みを返してくれる。
「そうね。それにボスも貴方を軽んじていたようだし、一泡吹かせてあげましょう」
お互い昨日のことは話題にしない。
まずは、目の前のことに集中するんだ。
「ガンマは?」
「まだ寝てる。昨日は遅かったし、私ももう少し眠りたいくらいよ」
さっきまで寝ていた顔ではない。俺と同様、一睡もしていないはずだ。
俺はどんな顔に見えているんだろう?
「歩いて帰るには少し遠いけど、ガンマを叩き起こしてトラック運転してもらうのも気が引けるよな」
そこへ、男が1人近づいてきた。
頭にターバンを巻き、積み荷が満載の荷車を引いている。
「……君達か。ホドを倒してくれたのは」
「あなたは?」
ターバンの男が頭を下げる。
「私は、このトレーダーキャンプのリーダーを務めているベータという者だ。長らく不義理をしていたイェソドに謝罪したい」
ベータ、と名乗った男は積み荷を手で示した。
「よかったら、これを君達のアジトへ運ばせて欲しい。勿論君達もトラックで送る」
「いいんですか? それは助かりますが、あなた達にも生活があるはずじゃ……」
遠慮する俺に、ベータは渋く笑った。
「今まで、トライブの略奪やモンスターから私達の命を守ってくれていたのはイェソドだ。我が身かわいさに最近はイェソドとの交流を絶っていたが……昔のように再び持ちつ持たれつの関係に戻りたい。また改めて取引させて欲しいというだけのことだ。私は打算的に動いているだけさ」
それはかなりの所で本音なのだろうが、俺達に気を遣わせたくないというベータの優しさを感じる。
俺達はベータの好意に甘えることにした。
ヨーコと共にトラックに乗り込む寸前、オメガさんが顔を出した。
「ガンマはまだ寝てるのか? あの寝坊助め」
「寝てからまだ3時間くらいしか経っていませんし。かわいそうなんで寝かしといてあげてください」
小柄なオメガさんは俺の胸くらいまでの身長しかないが妙に貫禄がある。手を俺に差し出した。
「この恩は忘れない。君達に幸運があることを願っている」
「祈る、じゃなくてですか?」
神に祈るという風習はないのかな? と疑問に思って聞いてみた。すると、
「神を信じ、祈りを捧げているのは教会の連中だからな。トライブやトレーダーの人間は天邪鬼なんで、嫌いな奴等と同じことなんてしない、と意地を張ってるのさ」
「はは。なるほど。――俺も、神よりあなたが願ってくれた方が頑張れる気がしますよ」
オメガさんの小さな手を握ると、強く握り返してくれた。
「トレーダーの人間は自衛能力が低い。また危機に晒されたときは今回と同じくイェソドを見捨てるようなマネをするかもしれん。その時はぶん殴って目を覚まさせてくれ」
「わかりました。その時は殴ってあげますよ。――あなた達を危機から救った後にね」
オメガさんと肩を叩きあって別れ、俺はトラックの後部座席に乗り込んだ。ヨーコも隣に座る。
ベータが車を発進させた。
「今の俺、すっげぇ渋くなかった? 自分で自分がカッコ良すぎて涙目になってるんだけど」
ヘラヘラしながらヨーコに声をかけた。
彼女は困ったような笑みを返してくる。
「真剣な空気に耐えきれなくなっちゃう人なのね、あなたは」
「そんなことないよ。俺はいつも真面目だって。……おーい、ディメンション・ゼロ。どこ行った?」
「ほら。茶化してくれる人を探してる」
それも確かにある。
だけど、本当に昨日トレーダーのキャンプに着いた辺りから姿が見えないぞ?
「ンー……呼んダ?」
トラックのドアをすり抜けてディメンション・ゼロが入ってきた。
眼窩の空洞が半分閉じている。妙に眠そうな顔だ。
「どこいたんだよ。それとお前、異常に眠そうだな?」
「昨日、情報体を何体も蹴散らしたからな……眠ィんだヨ」
ディメンション・ゼロが疲労している。
情報体を無力化する能力は無制限に使えるという訳ではなかったのか。
危ねぇなこいつ、そういう事は先に言えよ。
「ダイチは……疲れてないの?」
心配そうなヨーコ。
そういえば、イリーナやオメガは情報体を使用した後に疲れた様子を見せていた。MP的なやつが削られるのかも知れない。
俺はと言えば、まあ寝不足なので今はダルい。が、情報体を無効化した時に疲労感みたいなものは感じなかった。
ランディさんの言っていた、自律型という情報体の特性か何かだろうか。
その代わり瞬間移動すると激しい頭痛がするがな……。
「俺は平気。情報体を無力化すると疲れるのはディメンション・ゼロだけみたいだ。ラッキー」
「オメー……薄情なヤローだゼ……」
「静かになっていいな。ちょくちょく情報体を倒しに行こうぜヨーコ」
ヨーコが呆れた顔をする。
「もう。ディメンション・ゼロのおかげで助かったのにそんなこと言っちゃかわいそうでしょう」
「オオ、嬢ちゃん。オイラを慰めてくれるのカ……この薄情男とはエラい違いダ」
「日頃の行いだろ。昨日からの付き合いだけど」
ディメンション・ゼロはまだ眠いと言ってどこかに引っ込んでしまった。
沈黙が場を支配すると、昨日の寝不足が祟ったのか、いつの間にやら眠りに落ちていた。
夢を見た。
俺が住んでいる東京のアパートで、お袋とヨーコが談笑している。
俺はそれを部屋の外から見ていた。
淋しくなって会話に参加しようと足を踏み出したが、見えない壁のようなものに阻まれて部屋に入ることができない。
声を上げるのが妙に気恥ずかしかったので、俺は手を振ってこちらの存在に気づいてもらおうとした。
だけど2人は俺に気が付かない。楽しそうに笑って話している。
目が覚めた時、さっき何か夢を見ていたことは分かっているのにどんな夢だったのか思い出せなかった。
ただ、酷く淋しい気持ちだけが心に残っている。
隣を見る。ヨーコが座席にもたれて寝息を立てている。
彼女も、妙に寂しそうな顔で眠っていた。
アジトまでの道中を半分ほど過ぎたところで一度休憩を挟むことになった。
俺はベータからお茶のカップを受け取り、ヨーコと共に外に出る。
「ダイチ、砂で咳き込まなくなったね」
「え? ……そういやそうだな。慣れたのか?」
「マスクしていると暑いから。良かったね」
お茶を啜っているとヨーコがそんな感じで自然に話しかけてくれた。
昨日、勝手に取り乱していた俺のことを怒りもしない。
「き、昨日は、悪かった」
やっとの思いでぶっきらぼうにそれだけ伝えた。
ヨーコはいつもの困った笑みを見せる。
「私の体を心配してくれるのはありがたいけど、私はこの体のことに納得しているの。だから、ダイチは自分のことを考えて」
納得なんてするな。俺に君の体を治す手伝いをさせてくれ。
喉元まで上がってきたそんな言葉を口にしたところで彼女を困らせるだけなので黙っていた。
お茶は苦い。コーラとかジュース飲みたいなと思う。
だけどこの砂漠でそんな贅沢は言えない。ましてや美味しそうに飲んでいるヨーコには絶対言わない。
ふと、後ろで何かが動いたような気配を感じて振り返る。
小高く盛り上がった砂丘があるだけだった。
いや、あの砂丘、妙に丸いような……? 中に何かいる?
丸い砂丘の砂が流れ落ちる。すると、その中から体長5メートルほどの巨大な芋虫のような生物が姿を現した。
「デ、デザート・デスワーム――!」
ヨーコが押し殺した恐怖の声を上げた。俺は驚きに呆然と立ち尽くしている。
「動かないで! ――デザート・デスワームは足音に反応するわ。アイツがこっちに気づいていないことに賭けるしか――」
もう遅かった。俺はヨーコの手を引いてトラックに戻ろうと、彼女の腕を掴んで一歩踏み出そうとしていた。急に足を止められない。
――ざくっ。でかい芋虫は響いた俺の足音に対して敏感に反応。こちらを向いた。――まずい!
「コ――――ルッ! ディメンション・ゼロ!!」
ヨーコを連れて5mほど瞬間移動――運動エネルギーが発生し、俺とヨーコはもつれ合って砂を転げた。
顔を上げる――先ほどまで俺達がいた場所に、デザート・デスワームとヨーコが呼んだ化け物芋虫は液体を吐きかけた。
じゅう、とそこから煙が上がる。強酸性の体液を飛ばしてくるらしい。
あの体躯だ、ヨーコの銃では効果が薄いだろう――と痛む頭で考えた。
「ヨーコ! ナイフとかの刃物持ってない!?」
「どうするの!?」
「い、いい、今は説明している暇が……!」
デザート・デスワームはベータの乗るトラックを次の標的に決めたようだ。体を縮めて再び毒液を吐きそうな気配。
「――お願い!」
ヨーコが腰のシースから大振りのナイフを抜き、俺に手渡してくれた。
俺はそれを右手で握ると、顔をしかめつつ自らの左腕に切りつけた。
「ダイチ!? 何してるの!?」
「いて……! ――こうするためだよ!」
俺は岩に傷口を擦り付けた。鋭い痛みが走る。
かなり広範囲に血液を付着させる必要がある。俺は歯を食いしばって岩に腕を擦り続けた。
ベータがトラックを急発進させた――デスワームの酸を間一髪で回避。
しかし、デスワームは身をくねらせてトラックを追いかける。
「――マテリアル・キャノン!!」
デスワームに向かって大きく足を踏み込んで空を殴りつける。
血を塗った岩壁がえぐり取られて消滅。15メートルほど前方にいるデスワームの手前に瞬間移動した。
直径50センチほどの岩が加速し、デスワームの首の辺りに着弾。頭部をえぐりとばした。
おぞましい黄色の体液をまき散らし、胴体がびたびたと地に跳ねている。
「や、殺ったか?」
フラグみたいな言葉をうっかり口にしてしまったが、ヨーコは安堵の吐息を漏らした。
「ええ、大丈夫でしょう。――ダイチ!?」
それなりの質量を持った岩を飛ばすのはかなりの代償を伴うらしい。
頭を握りつぶされそうな激痛に襲われ、ヨーコの悲鳴を聞きながら意識を手放した。




