爵位を継ぐという事
息抜き作品その2
王都にあるオズボーン伯爵家の執務室で父と娘がソファーに向かい合って座っていた。
家族の話と言うよりは事務的な話をする空気が漂っている。
「お父様、これが私がまとめた報告書です。即刻アレン・ロバーツ伯爵令息との婚約を破棄したく思います」
そういって令嬢は書類の束をローテーブルに置いた。
それをちらりと見た父と呼ばれた伯爵は手に取ることなく口を開く。
「話は聞いている。調べてみてどうだった」
「ひと月前の私はおろかでした。ですがようやく目が覚めました」
「目が覚めたようでうれしく思うぞメアリー。明日には破棄が成立する。今日は家にいなさい」
「ありがとうございます」
メアリーは父に向けて頭を下げる。
ひと月前まで彼女は婚約者であったアレン・ロバーツを盲目的に愛していた。
切れ長の青い瞳の目に、輝く金髪をオールバックでまとめ上げ、背も高くイケメンと言って申し分ない容姿をもち、伯爵令息としての礼儀も紳士的でメアリーはとても好感をもっていた。
恋をしていたと言って間違いない。
だが、父親であるオズボーン伯爵の評価は違っていた。
詳しくメアリーに伝えないが「この婚約を続けるのか?」「不満はないのか?」「本当にメアリーを支えてくれるのか?」など何度も聞かれたが、メアリーはアレンを信用しており、自分も愛されていると思っていたため、結婚し子をなし伯爵家を共に盛り立てていく夢を見ていたのだ。
その夢はある出来事で覚めることになる。
彼は外に愛人を囲っていたのだ。
そのうちの一人、平民の花屋の娘との逢瀬を見てしまった。
その日はたまたまメアリーが外に買い物に出かけたために起こった。
店へ向かう道中の馬車の中から見えたカフェに見知らぬ女性と肩を寄せ合い紅茶を飲むアレンを見つけたメアリーは、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
メアリーとのお茶の席で、そのようなスキンシップはない。
貴族であるから当然であるが、派閥での茶会などで彼女と同じように婚約者のいる令嬢からは「二人きり(といってもメイドやボーイなど数名が控えているので完全に二人きりではないが)の時に肩を抱かれてドキドキした」だの、「パーティー会場で腰に手を回されたのが嬉しくも恥ずかしかった」など、行き過ぎない程度のスキンシップの話を聞いていたから、メアリーもそれらのことに憧れていた。
しかし、パーティーにおいてアレンはきっちりとエスコートをしてくれるものの、それ以上のスキンシップを求めてこなかった。
メアリー自身もアレンは真面目なのだろうと考えていたが、どうやらそれは間違いであったらしかった。
婚約者の見知らぬ女性との逢瀬を見た日、家に帰ってきたメアリーは家令と専属侍女に依頼し、情報を集め始めた。
すると次々とよくない話が出てくる。
噂話だけではなく、貴族向けの秘匿性の高い探偵事務所に依頼し、アレンを追跡調査してもらえば、メアリーが見た女とは別に何人かの愛人がいることが分かった。
そのうちの一人がカフェで見た花屋の娘で、一番アレンが熱を入れている相手だった。
つまり、他の女性たちは肉体的関係だけの相手という事がわかってくる。
未婚の女性の家から避妊に"使った"ものが出てくれば否定のしようがない。
彼の行動とこれらの事実をまとめた書類が、今ローテーブルに置かれたものだった。
「私は前から伝えていただろう。本当に良いのか?と」
「はい……お父様はすでにこの事をご存じだったのですね」
「メアリーがアレを愛しているのは知っていた。だがこのまま目を覚まさないようなら無理やりでも覚まさせるつもりでいた」
そういって伯爵はメアリーが置いた書類よりも分厚いファイルを置く。
メアリーはそれを手に取り目を通していくと顔が徐々に歪んできた。
「メアリーも次期伯爵家当主として調査を頑張った。が、まだ粗が目立つ。
学園での成績が良いのはしっているが、それはあくまで"勉強"でしかない。
跡継ぎの為の教育もしてきたが、実践することは難しいだろ?」
「はい、痛感しております」
「アレも、"勉強"はできる奴だった。だがそれだけだ。
メアリーとの茶会の後、私はアレと何度か話したことがあるが、アレは現実が見えていないタイプだ。何もばれていないと思っていたようだが、アレが浮気をし始めた段階でこちらはすでに情報を集めている」
「……それで、私にずっと忠告していただいていたんですのね」
メアリーの言葉に伯爵が頷くと壁際にいたメイドにお茶の用意を依頼した。
「しばらくメアリーと話をしっかりしていなかったな。アレと婚約を結んでしまったことを謝ろう。申し訳なかった。
が、伯爵家を継ぐとなると、まだ足らぬところが多いこともわかったろう? これからはより実務に沿った教育を行い"引継ぎ"をしていくぞ」
「よろしくお願いいたします。お父様。私が初めて会ったときに恋に落ちたことが、この婚約の発端だったことは覚えております。ご迷惑をおかけいたしました」
「メアリーが謝ることではない。人は誰でも失敗する。実際、婚約する前にアレの調査が不完全だった私のミスだ。だがその失敗から学び、次につなげればいいだけだ」
「はい、お父様」
メアリーはこの日以降本格的に伯爵家の仕事に加わるようになる。
伯爵は王城での役職もあり王都に住んでいるが、実際に領地を回しているのは母親であるため、メアリーは3カ月ほど王都から離れた。
久しぶりの実家は空気もよく、失恋の心を癒しながらも次期伯爵としての知識を父からは手紙で、母からは直接指導され、メアリーは大きく成長した。
当然伯爵家を継ぐ未婚約の令嬢ともなれば釣り書きも多く届く。
メアリーは両親と協力してそれらを捌いていった。
そして久しぶりに王都にて、父と共に王宮主催の夜会に参加した。
新たな婚約者との顔合わせのためでもあり、次期伯爵としてほかの貴族との顔つなぎの意味もある夜会だ。
「メアリー!! なんで俺との婚約を破棄したんだ!」
落ち着いた雰囲気の曲が流れる立食パーティー会場において、父親である現伯爵と共に交易で関係がある子爵とその令息と話していたメアリーに、アレン・ロバーツ伯爵令息が声をかけてきた。
話していた全員が顔をしかめ、メアリーは扇子で口元を隠してアレンを見据えた。
普通、他と話してる人との間に入ってくることは無礼であるし、ましてや"婚約者でもない異性を名前で呼ぶ"などマナー違反もいいところである。
オズボーン伯爵と話していた子爵が口を開こうとするのをメアリーは止め、アレンを見返す。
彼女はこの程度さばけずに何が貴族かと気持ちを奮い立たせた。
「ロバーツ伯爵令息様、ご自分の胸に聞いてみてくださいませ。こちらが何も知らないとでもお思いですの?」
「!!?」
「私、婚約破棄を告げる前の段階で貴方に愛想が尽きましたの。さも自分が悪くないように私に声をかけていらしたけれど、すでにあなたの評判は地の底であることをご理解なさることね」
メアリーはそれだけ告げ話していた子爵達へ視線を戻し、無礼があったことを詫びる。
「ご苦労がまだおありとは」
「えぇ、とうの昔にケリがついたことをいつまでも引きずる方とは思いませんでしたわ」
二人の会話に周りで聞いていた貴族たちも苦笑し、ひそひそと話をする。
アレン・ロバーツ伯爵令息の噂はすでに社交界に流れている。
平民の女数人を手籠めにして性欲の捌け口にしていた最低な男。
爵位を笠に着て女たちをだましていた男。
伯爵令息なのに子種をばらまくような真似をした低脳。
どれも事実を若干曲げた内容だが、おおむね嘘でもない。
事実ロバーツ伯爵家はコチラからの婚約破棄と共に証拠を突きつけた結果、自分たちでも調査しアレンの常識のない行動を把握したから"幽閉"扱いとしていたはずだ。
つまり彼は無理やり抜け出してきたに他ならない。
「ロバーツ伯爵家には厳重に抗議いたします。警備の者!このものを引っ立てよ」
「ま、待ってくれメアリー!」
「そのものは私への接触禁止も出ているはずで屋敷の外には出られぬ身です。この場にいること自体が罪ですので多少の乱暴は問題ありません」
すぐに駆け付けた騎士たちにアレンは取り押さえられ縄を打たれた。
ロバーツ伯爵家の没落は間違いないだろうし、王宮の警備側にも問題があったからアレは入ってこられたのだろう。
小さいが王家に貸しを作ることもできそうだ。
「オズボーン伯爵令嬢は、お強いお方ですね」
「次期当主であればこのぐらい普通ではございませんか?」
「えぇ、そう思います。大変頼もしい後継者ですな伯爵」
「自慢の娘ですよ。ですから新たな婚約について彼女は慎重なのです」
伯爵と子爵の会話が途切れたのを確認しメアリーは子爵令息に声をかけた。
「すこしお話よろしいでしょうか? ポール・フレッチャー子爵令息様」
「はい、喜んで。お手をオズボーン伯爵令嬢」
「私のことはメアリーとお呼びくださいな」
メアリーはポールの差し出した手を取りホールから中庭へ移動する。
「私を選んでいただいたことうれしく思います」
「ポール様はとても誠実でいらっしゃるご様子、それにすでにフレッチャー子爵のサポートもされているとか」
「私は次男ですから、そうでもしないと生きていけませんので」
「ですが、その手腕はなかなかと聞いておりますわ。ぜひ私を支えていただきたいと思いますの」
「はい、喜んでお支えいたします」
ポールは恭しく膝をつき、メアリーの手を取る。
「私はメアリー・オズボーン伯爵令嬢を生涯支えます」
そして指先にキスを落とす。
彼のブルネットの整えられた髪は輝きがあり、すっと立ち上がり向き合ったオリーブグリーンの瞳は強い意志を感じた。
すでに二人の婚約は書類を王宮に提出すれば整う状態だ。
ポール・フレッチャー子爵令息。
彼はフレッチャー家の次男として生まれ、将来は兄を支えながら身分としては平民となり生活していくことを覚悟していた。
周辺の年の近い子爵や男爵の令嬢で跡取りとなるものはとうの昔に婚約者が決まっており、高位貴族は言わずもがな。
子爵令息である彼は良くて下位の伯爵家へ婿入りできるか?というレベルでしかないところに、中位伯爵家のオズボーン伯爵令嬢の婚約解消の情報が飛び込んだことから、即座に動いた。
ほかの次男三男の貴族令息たちが自分の容姿や学校成績のよさをアピールしている中、ポールは自領の発展のための結婚として、現在行っている貿易とは別に新しい産業について共同事業を提案した。
それはメアリーの目にもオズボーン伯爵の目にもとまった。
メアリーは両親の力を借りながら、ポール本人についてと、提出された共同事業について調査し、評価した。
ポール本人は真面目であり、年頃の貴族男性が遊びに行くようなところへ赴いたりしていない。
次男である自らの立場をよく理解しており、兄をサポートすることに主軸を置いていたため、それはメアリーをサポートすることも同様にできるだろうと判断した。
また、提案された共同事業も悪くなく、新たな保存食工場建設による労働者雇用の創出と子爵領の農産物の伯爵家への輸出拡大というプラス面が担保されたものだった。
そこで、メアリーは王宮主催の夜会の前に一度顔合わせを行い、その場で婚約を決めた。
夜会での顔合わせはより多くの人間に、両家の仲を見せるための場でもあったのだ。
「よろしくお願いしますね、ポール」
「はい、メアリー私は生涯貴方だけを愛することを誓います」
半年の婚約期間を終えメアリーとポールは結婚式を挙げ、正式に家族となった。
オズボーン伯爵は王宮での役職をポールへと引継ぎ、領地へと隠居という形でメアリー達の統治を支えることになった。
「私、今とても幸せだわポール」
「僕もうれしいよメアリー。いっしょに伯爵家をよくしていこう」
二人の結婚式は多くの親類縁者や取引のある貴族家から祝福されたものだった。
伯爵家は安泰だ。
派閥の貴族からも安堵と期待の声があがった。
のちにポールの企画した事業は瓶詰工場から缶詰工場へと発展し、地域の食糧供給の安定化や王国軍用食として活用されるようになり、大きな利益を生むことになった。
逆に、ロバーツ伯爵家は困窮の末、降爵となった。
息子の王宮への侵入に際し、本来は長男が使うはずであった招待状がアレンによって使われたことにより様々な管理不足を指摘され、オズボーン伯爵への慰謝料と共に罰金を科されたことで、伯爵位を維持できなくなった。
最終的にロバーツ家は男爵位にまで落ち、アレンは病死となった。
それと同時に長男が当主とかわって前伯爵は病気療養の為隠居となった。
ロバーツ家は王都の屋敷も売り払い、法衣貴族だったがゆえにごくごくわずかな領地しか持っていない状態からの再出発となった。
跡継ぎであった長男からすればいい迷惑だが、家としての体面を考え弟をいさめなかった責任も重い。
しばらくは、どの家もロバーツ家とかかわろうとはしないだろう。