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プロローグ

「旦那様。改めて、これからよろしくお願いします」

「ああ」


 それは、思い出すことも叶わなかった、それでも確かに記憶の奥底に眠っていた記憶。


 記憶の中でわたしは純白のウエディングドレスを纏い、旦那様に微笑みかけていた。だが、それに対して、旦那様の反応は素っ気ない。

 でもそれもいつもの事だ。彼のことは幼い頃から知っているのだ。今更傷つくことなどない。


 ……そう、思っていたのに。


「ふっ……う……」


 一人の寝室で、わたしは声を押し殺し泣いていた。ランプの弱々しい明かりは自分の弱りきった心のようだった。

 ――仕方がないわ。諦めていたことじゃない。

 そう思うのに、涙は次々に溢れ出し、わたしは顔を歪める。


「もう……いや……ルカ……様……」


 ただただ譫言のように呟き、わたしは眠りについた。


 そんな夢から目覚めたとき、いつかと同じ寝台に横たわり、同じように一人だった。


「……っ!!!」


 ヴィオレッタは汗に濡れた体を跳ねさせ飛び起きる。


「あれは……?っ!もしかしてわたしの記憶……?」


 ぼんやりとしていた思考が落ち着き、ヴィオレッタは自身が記憶喪失であったことを思い出す。


 ふらつく視界の中、一人では大きすぎる寝台から降り、大きな姿見の前に立つ。


 自慢の銀髪は乱れ、いつもは美しい輝きを放っている紫の瞳は恐怖の入り混じった驚きを映し出していた。  


 一気に記憶を取り戻した反動なのか、ヴィオレッタは息が上がっていて華奢な肩を激しく上下させていた。震える腕を持ち上げ、胸の前に手を押し当てた。

 強く掴まれたシルクの夜着は胸元で大きな皺を作っていた。


 「本当に……わたしは結婚していたのね……」


 15歳の頃、許嫁だったファルコナー公爵の令息ルカとの結婚が決まった。そしてその後……


 ヴィオレッタの脳裏に先程の夢が浮かび上がる。それは、今まで失っていた記憶だった。


 コンコンコン。


「ヴィオレッタ。俺だ。入ってもいいか?」


 夫婦の寝室に入るということはヴィオレッタの夫、ルカで間違いないだろう。そして、この包みこまれるような優しい響きの声は彼に違いなかった。

 記憶を取り戻すまでは、躊躇いなくこの状況ではい、と答えられただろう。

 だが、今は違う。()()()()()()()()()()――


「ヴィオレッタ?大丈夫か?」


 いつまでも答えないヴィオレッタに違和感を覚えたのかルカは気遣わしげな声で問いかけた。


「あ……は、はい」


 声の震えは今起きたばかりだからだろうか。それとも……


 キィィィとわずかな軋み音を立てて開けられた扉から、一人の青年が現れる。

 顔立ちはとても整っていて、すっと通った鼻筋が目を引く。また、不思議な灰色の瞳は心配の色を滲ませていた。

 彼はヴィオレッタの側に歩み寄ると、彼女の頭をそっと撫でた。


「おはよう、ヴィオレッタ。……どうかしたのか?」

「いえ。ただ……嫌な夢を、見ていて」

「そうか。それは辛かったな」


 そう言ってルカはもう一度頭を優しく撫でた。そのおかげか荒い息と震えは収まり、ヴィオレッタは安堵の息を吐いた。


「あっ、あの、旦那様……わたし……」


 ヴィオレッタは記憶が戻ったことを伝えようとして、固まった。それは、何故なら……


「っ!そう呼んでくれるのは久しぶりだな……!」


 感情の表れにくい灰色の瞳には驚きと喜びが見て取れるほどわかりやすく宿っていたからだ。


「え……?あっ……」


 数秒考え、ヴィオレッタは思い出す。〝旦那様〟と呼んでいたのは失っていた記憶の中、つまり結婚後だ。ただ、結婚する前までは〝ルカ様〟呼びがヴィオレッタの中で定着していた

 とはいえ、結婚後のことも思い出したヴィオレッタにとっては逆に〝旦那様〟呼びの方が慣れている。


「ヴィオレッタ?体調が悪いのか?」


 一向に良くならない顔色の悪さに、ルカはやや顔を歪ませながら優しく問い掛ける。


「はい……少し……」

「そうか。ならば無理はするな。朝食は侍女に届けさせる。もう少しここに居たいが仕事の時間だ。悪いが、失礼する」

「大丈夫です……()()()お仕事頑張ってください……っ!」


 体感では少し前だが、実際には1年ぶりの〝ルカ様〟 を口にし、緊張に顔を赤くしながらヴィオレッタは一息に言い切った。


「……っあ、ああ。行ってくる」


 何故かヴィオレッタと同じくらいに顔を赤くしたルカはヴィオレッタの額に口づけを落とすと再び扉を軋ませ、部屋を出ていった。


「ふぅ……」


 部屋に一人残されたヴィオレッタは寝台の端に腰掛けた。人の気配がないことを確認し、パタリとシーツに倒れ込む。


「旦那様は……本当にわたしの知っているルカ様なの……?」


 心許なさを感じ呟いた言葉は先程と同じ震えている。 


 ヴィオレッタの記憶の中のルカは少なくとも心配と言った感情をあのように表すことが全くなかった。それどころか、〝ヴィオレッタ〟と呼んでいたことも殆どなかった。


「なのにどうして……」


 あんなにも優しくヴィオレッタと呼び、頭を撫でてくれたのか。

 ――いや今日だけではない。ヴィオレッタが記憶を失っている間、彼はずっとヴィオレッタに寄り添っていた。


「どういうこと……なの………?」


 考え込むうちに段々瞼が重くなってきた。 

 ヴィオレッタはいつの間にか眠りにつき、広い寝室に小さな寝息が静かに響いていた。

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