24 追及
――話は分かった。
だとしても、絶対に“ベン”のことを知られるわけにはいかない。
というのが、シャーロットが真っ先に考えたことだった。
そしてそうなると、シャーロットにとっての最大の痛手は、ここにグレイがいないことだった。
これでは、グレイと口裏合わせが出来ない。
もう、グレイの機転に望みをかけるしかない。
――グレイの、緊張のあまりの百面相が瞼の裏に浮かんできて、シャーロットは跪いて祈りを捧げたい気分になった。
シャーロットが隣で祈っているとも知らず、首相に目を向けられたウィリアムは顔を顰める。
「――私に尋ねられましてもね。二年前の一件については、全てが落着したあとになって、ネイサン参考役が娘を連れ帰って来てくださった――というのが本音のところでして」
「シャーロットをスプルーストンへ遣ったのはなぜだ?」
首相が、ほとんど詰問に近い口調で言った。
シャーロットはぎょっとしてしまう。
「私になんの相談もなかったね?」
「それは――」
ウィリアムが言いよどみ、ちらりとシャーロットを見てから、ふうっと息を吐いた。
そうして椅子の背もたれに体重を掛けると、苦い口調でつぶやく。
「――その少し前に、妙なことがありまして。
チャーリー、お前が覚えているかは分からないが、一度、郵便馬車の御者が家に来たことがあっただろう――」
シャーロットも思い出した。ささいなことで忘れていた。
「ああ、ありましたね。道に迷われたといって」
「私はそのときには家を空けていましたが、妻からその話を聞きまして。ケルウィックを走る郵便馬車の御者が、道に迷うことなどまずありえませんからね。
万が一があっては困ると、この子を妻の叔父のところへ」
シャーロットは息が詰まりそうになった。
「ちょっと待ってください――そんなささいなことで、私を大叔父さまのところへやってしまわれたんですか? リクニスへの入学が決まっていたのに?」
ウィリアムが叱責の瞳でシャーロットを見下ろした。
「チャーリー、閣下のお話を聞いただろう。われわれは、特にお前は、それほどささいなことにも気を配らなければならないんだ」
シャーロットは腹が立ったのと恥じ入ったのと、それらが半々で口を開け閉めしたが、首相はまったく感じ入った様子がなかった。
「ウィリアム。どうして私に何も相談しなかった」
そのときはじめて、ウィリアムが首相に喧嘩腰で向き直った。
「閣下にお話しすれば、この子はあっという間に軍省の施設に入れられていたでしょう。
そもそも、この子がリクニス学院を志すと知ったときも、あなたがたは良い顔をなさいませんでした――私のことまで疑ってくださった。
もしもこの子が軍省の施設に入れられれば、この子は一生涯、この学院には入学できませんでしたよ」
シャーロットは父の顔と首相の顔を交互に仰ぎつつ、唖然とする。
「この子が言ったように、ささいなことでした――ならば、田舎にこの子を避難させて様子を見て、今は無理でも今後に可能性を残してやろうと、そう思うのが親でしょう」
「――お父さま」
シャーロットは息を呑み、思わず父の腕を取った。
「お父さま、私がいつかは入学できるようにって、そう考えてくださっていたの?」
ウィリアムは疲れた様子でシャーロットを振り向いた。
「……お前にはずいぶんと恨まれたけれどね」
シャーロットは胸がいっぱいになって、目の奥がつんとした。
「申し訳ありません……おっしゃってくだされば――いえ、おっしゃることは出来なかったんですよね、本当に――」
言葉に詰まるシャーロットの頭を撫でて、ウィリアムが前を向くようにうながす。
シャーロットは鼻をすすってそれに従った。
――そして、たちまち心臓に氷水をかけられたような気分になった。
首相とネイサンが、そろってシャーロットを観察していた。
「――シャーロット?」
首相が語尾を上げて呼ばわる。
シャーロットはあわてて背筋を伸ばした。
「はい、閣下」
首相は微笑んだが、青い目はまったく笑っていなかった。
「きみに初めて会ったとき、きみは、ウィリアムに言われて議事堂まで来た、と言っていた。
――それは嘘だね?」
シャーロットは眩暈を覚えた。
血の気が一気に引いたので、耳鳴りがしたほどだった。
足許から、マルコシアスが面白がるように自分を見上げているのを感じる――シャーロットは息を吸い込んだ。
――今この瞬間、自国の最高権力者に対して重ねた虚偽が暴かれそうになっている場面において、シャーロットの足許を支えていたのはマルコシアスだった。
いざとなれば、必ずかれが自分を守るだろうという確信、少なくともマルコシアスはシャーロットを見て、「面白い」と評し、彼女を自分の領域に招待することまでした――その、無条件の肯定。
それが、血の気が引いたシャーロットの足許をかろうじて支え、知恵が回る余地を残していた。
首相もネイサンも、見たことがないほど険しい表情になっている。
これまでどれだけ、彼らが自分に対してはもの柔らかに接しようと骨を折ってくれていたのかを、今になってシャーロットは理解した。
「――はい、そうです……もちろん、お叱りを頂戴することになるかとは思いますが」
必死になって、彼女は精いっぱい誠実に見えるよう祈りながら、厳しい表情の首相に向かって言い募った。
「申し訳ありません――ですが、あのとき、本当にわけも分からず閣下の御前にいたのです。閣下がベイリーの名前をご存じということも知りませんでした。どうやらご存じらしいと分かったら、放り出されないために父の名前を出すしかありませんでした」
言い切って、どっと冷や汗を背中に感じる。
そして、咎められる前にと、大急ぎで話を進めた。
――マルコシアスは円卓の下からそんな主人を見上げ、当時の彼女の、目を回して蒼白になった様子を思い出して、声を出さずに爆笑していた。
「私がスプルーストンで誘拐されそうになったのは本当です――そのときにグレイさんに助けていただいたことも。あとでお尋ねになっていただければよいかと思います」
お尋ねになっていただくと困るのだが、シャーロットはしれっとそう言った。
「そのときに、オーリンソンさん……オーリンソン補佐助官のお顔が見えて」
シャーロットは必死になるがあまり、オーリンソン補佐助官が当時は政府の高官であり、彼女が誘拐されそうになった日に、議事堂でまさに首相と会っていた可能性もあるということを失念していた。
「グレイさんが、当時はクローブ社でお勤めだったようなのですけれど、彼をグレートヒルで見たことがあるとおっしゃって――」
どうかこの話の筋をグレイと打ち合わせる機会がありますよう、と、望み薄な祈りを捧げながら、シャーロットは必死になって続けた。
「――私、てっきり、お父さまがその方に言われて、私を入学させないようにしたんだと勘違いしたんです」
「まさか」
そう言ったのはネイサンだったが、シャーロットは全力の無邪気な表情でそれを迎え撃った。
「だって、私、まだ十四歳だったんですもの」
マルコシアスは円卓の下で、大きく狼の口を開けて笑った。
ネイサンはあいまいに首をひねった。
「まあ――そういう見方もあるね」
シャーロットはそれを聞こえなかったことにした。
ついでに、笑ったことが脚に伝わる震えで分かるマルコシアスを、円卓の下で軽く蹴った。
「――それで、グレイさんにお願いして、グレートヒルまで一緒に向かったんです。もちろん、無事な顔を大叔父さまに見せたり……その、すぐにではありませんでしたけれど。
それでグレートヒルまで辿り着いたはいいんですけれど、途中でグレイさんとはぐれてしまって」
これは別に嘘ではない。
はぐれたのではなく意図的に逃走しただけで。
「それであのとき、閣下のおそばにオーリンソンさんのお顔が見えたので――思わず飛び出してしまって……」
ようやく作り話と事実を合流させることができ、シャーロットは思わず額をてのひらでぬぐう。
「わけが分からなかったので、とっさにお父さまのお名前を出したんです。
――申し訳ありませんでした」
「――――」
首相とネイサンが軽く目を合わせ、ややあって首相が扉の方へ顎をしゃくった。
それを受け、ネイサンが大儀そうに立ち上がり、円卓を回り込んで応接室の扉を開ける。
そして呼ばわった。
「ミスター・グレイ――ああ、その一本は諦めてください。閣下がお待ちです」
「なんと」
あわてたような声が聞こえ、すぐにグレイが応接室に戻ってきた。
さかんに髪を撫でつけている。
彼が隣に座ると、シャーロットにもふわりと広がる煙草の臭いが分かった。
「ミスター・グレイ――二年前の件だが」
前置きもなしに首相が切り出し、グレイは一瞬、ぽかんとした顔を見せた。
そして、そわそわと身体を揺らす。
彼がくせのように懐に手をやったが、ネイサンとウィリアムが同時に咳払いし、はっとした様子でそれを堪えた。
「ああ――はい。ええ、どこから切り出せばよいものか……」
シャーロットがすばやく、「明日から本当に善行を重ねますから」と頭の中で神に縋りつつ、言った。
「あの、私を誘拐から助けてくださったところからで……」
「ああ」
グレイが言って、シャーロットの方を向いた。
そのまま手を伸ばし、シャーロットの頭を撫でる。
そして自然きわまりなく、そのままシャーロットを抱き締めた。
「あのときは怖い思いをしたね」
シャーロットはこくこくと頷いて時間を稼いだが、そのとき、グレイのポケットから小さなリスが這い出し、超特級で彼の脚を滑り降り、おっかなびっくりマルコシアスに近づくのを目撃した。
言葉もなく二人の悪魔が何かをやりとりし、そしてリスが飛ぶような速さで、静かにひそやかにグレイのポケットに戻る。
グレイがシャーロットを離し、やや心配そうに彼女を見た。
「あのときのことを話して、きみは大丈夫かね」
シャーロットはほとんど感涙にむせんでいた。
彼女を気遣う風情で時間を稼ぐとは、なんと賢い。
首相に至っては、「気遣いが足りなかったか」といったような反省の色さえ、かすかに浮かべてしまっている。
ウィリアムの感謝の表情たるや言うに及ばず。
シャーロットはふるふると首を振って、けなげに答えた。
「大丈夫です。だって助けてくださいましたもの」
ウィリアムが微笑み、首相に向き直る。
じゃっかん顔色が蒼くなっているが、緊張の範囲と言い訳できる範疇だろう。
彼はかすかに震える両手を握り合わせ、それをゆっくりと振った。
「私がスプルーストンにおりまして――」
「どうして?」
と、これはネイサン。
口に出した一文目でさっそく話の腰を折られ、グレイが狼狽を見せる。
「は――はい? どうして、とは?」
「いえ、どうしてかなと」
ネイサンは瞬きもせずグレイを見ている。
「スプルーストンには――失礼ながら、特に見るものもないと思いますが。どこかへ行くに当たっての経由地にも当たらないでしょう。
なぜ、スプルーストンにいらっしゃったのかと」
グレイが顔を顰めた。
そして片手で顔をぬぐうと、本気で嫌そうにつぶやく。
「いえ……あの、これを閣下のいらっしゃるところで言うのも、私としては……つまりその、」
あいまいに肩を竦めて。
「当時、職場で少し……ありまして。私の名前が馘首候補者の一覧表に載っているような状況でしてね。毎日、肩を叩かれるのはいつだろうとびくびくしていて――気晴らしに遠出をしただけで、正直に申しますと、行先はどこでも良かったんです」
シャーロットの胸がじゃっかん痛くなった。
「むしろ人が多いと、いろいろと思い出しますから……あまり人がいないところを選んだと申しますか」
苦笑してそう言われ、ネイサンは驚いたようだった。
「あなたが?」
そう言って、あからさまに顔を顰める。
「クローブ社も見る目がない。技術省にあなたを引き抜くよう助言して正解でした」
グレイは困ったように頭を下げたが、本気でほっとしたようだった。
そして、気を取り直した様子で言葉を続ける。
「そこで、偶然、シャーロットが荷馬車に放り込まれそうになっているところを目撃しまして――ちょうど魔精も召喚していたところですので、あわてて彼女を引っ張り出したんです」
グレイは当時を思い出すような間を取ったが、その顔に罪悪感が浮かぶ前にと、シャーロットはすばやく言った。
「本当に、奇跡だと思いました」
「――それで、」
と、グレイ。
シャーロットはそれと知られぬように息を詰めたが、はたせるかな彼は言った。
「そのときに――驚きました――グレートヒルでお見掛けしたことのある方のお顔が見えたものですから。ともかくもこの子を無事に助けることが先決で、とっさには何も出来ませんでしたがね。
馬車が行ってしまってから、この子が――あれは誰だ、これはどういうことだと、まあ、この子らしく元気に騒いでくれたもので、私も頭が回っていなくて、あの方はグレートヒルでお見掛けしたことがあるな、と、こう答えてしまいまして」
グレイが苦笑する。
彼はシャーロットとは違う――シャーロット誘拐が命じられた日、スミスと名乗っていたオーリンソンが、みずからベイシャーの港でシャーロットを待っていたことを知っている。
すなわち、あの日、オーリンソンがグレートヒルにはいなかったと分かっているのだ。
オーリンソンをそこで見たという彼の言葉は、なかなかの説得力を与える口調を持っていた。
シャーロットは安堵のあまり目が回りそうになった。
「そうするとこの子が、グレートヒルに連れて行けと……まあ大騒ぎを。
そのときは、先に保護者の方に無事なお顔を見せなさいとなだめたのですが、この子が――」
困ったようにシャーロットを見たグレイが、正面の二人には見えない角度で、「これでいいかい?」というように眉を上げたのをシャーロットは見た。
共犯者がいる安堵感に泣きそうになりながら、シャーロットは小さく頷き、顔では照れたように笑ってみせる。
「――いろいろと、リクニス学院に入るはずなのだけれども、急に田舎に寄せられてしまって困惑している、というような話もしてくれましてね。
私も――ウィリアム、申し訳なかったね――親御さんに手紙のひとつも書かなかったのは配慮が足りませんでしたが、彼女がそうとう落ち込んでいるようだったので。気晴らしにグレートヒルまで連れ出してやるのも悪くはないかと思ってしまって――ただ、」
シャーロットを責めるように見る。
これは本気のようだった。
「途中ではぐれたのはいただけなかったよ、シャーロット」
「ごめんなさい」
と、これも本心からシャーロットが謝る。
ネイサンが咳払いした。
「当時、魔神も召喚なさっていたとお聞きしました」
グレイの顔がじゃっかん強張った。
彼の喉仏が上下するのをシャーロットは見た。
ネイサンはグレイを観察するように眺めて、尋ねる。
「その魔神の名前をお聞きしても?」
グレイは笑い出した。
「まさか、魔神から証言を取るおつもりですか? 悪魔の言葉に価値があるなら、あなた方が内密の話をなさっていたあいだにここにいた、この魔神も問題ですよ」
この魔神、と言いながら、シャーロットのそばで寝そべるマルコシアスを示してみせる。
――内密の話をするからといって、犬をその場から出す人間はいない。
悪魔も似たようなものである。
人の言葉を理解するにせよ、人ではない。
人の世の中については興味を持たないため、何を聞かせてもすぐに忘れる。
そういうものだ。
ネイサンも、ふっと笑って肩を竦めた。
「確かに。ナンセンスでした」
そう言って、ネイサンが首相を窺う。
首相は無表情でむっつりと何かを考え込んでいたが、窺われて口を開いた。
「シャーロットが見たという――今回の一件にもいたという魔神は、」
あいまいな身振りをする。
「――どう訊けばいいのだろうな? 悪魔の格好を訊いても無駄なのだろう?」
シャーロットは即答で応じた。
「格好は、白いオウムでした。でも確かに、悪魔にとって格好は重要ではありません。
私の魔神が言うには、位はかなり上――下手をすると序列一桁かもしれないと」
首相はネイサンに目をやった。
ネイサンが顔を顰めて、首を振る。
「それだけでは、魔術師の特定のしようがありません」
首相が頷き、もう一度、グレイに外に出るように促す。
グレイは嬉しそうに立ち上がり、会釈して、いそいそと扉の外へ滑り出していった。
扉が閉まり切る前に、彼が懐からシガーケースを取り出すのが見えた。
「――さて、シャーロット」
グレイを見送って後ろを向いていたシャーロットに、首相が咳払いして声を掛ける。
シャーロットはあわてて首相を振り返り、居住まいを正した。
「はい、閣下」
首相は苦笑した。
「きみがささやかながらも虚偽の申し出をしていたことは――事情が事情だ。深く追及はしないが、今後はふるまいを考えるように」
シャーロットは頭を下げた。
「……はい、閣下」
首相は微笑んだ。
その隣で、ネイサンが小さく咳払いする。
「閣下――少しよろしいでしょうか」
首相が訝しげに眉を寄せ、ネイサンを振り返る。
しかしネイサンは首相を見ておらず、シャーロットを見ていた。
「――どうした?」
やや声を低めて尋ねた首相に、ネイサンがちらりと目を移し、息を吸い込む。
そして、目を伏せて、低い声で囁いた。
「――馬鹿げた想像だとは私も思いますが、――一点、確認させていただきたいことが」
首相はいっそう訝しそうにしつつも、頷いた。
「必要があるならば」
「ありがたく」
椅子に掛けたままとはいえ、胸に手を当てて頭を下げ、そしてネイサンがシャーロットの目をまっすぐに見据えた。
「シャーロット――訊いておきたい。もう一つ嘘をついていることはない?」
シャーロットはどんな表情をすればいいのか分からなかった。
憤慨、狼狽、それらを表情が行き来して、ややあって困惑ぎみに微笑むに留まる。
ウィリアムの案じるような視線を頬に感じるが、そちらを向いていられない。
緊張に喉が詰まる。
「……はい?」
「そこの魔神は、」
ネイサンが顎で、シャーロットの足許を示す。
「有名な姿だ――マルコシアスだろう。入学して二年目でよく召し出せたね。きみは優秀だ」
シャーロットは膝の上でぎゅっと手を握り締めた。
「それは――過分なお言葉、ありがとうございます」
「今回が初めての召喚か?」
ネイサンが重ねて尋ねたので、シャーロットは意図が分からずに首を傾げる風を装った。
「……なぜです?」
「シャーロット」
ネイサンは苛立ったように呼んだ。
「二年前にも、きみのそばに魔神がいただろう。少年の格好をしていた――残念ながら、どの魔神だったのかは私にも分からなかったが」
シャーロットはますます強く手を握る。
てのひらに爪が喰い込む。
必死に、ぽかんとした表情を保つ。
「ええ……」
「本当に、あの魔神はミスター・グレイが召喚していたのか?」
シャーロットは目を瞠ってみせた。
「もちろんです――」
「きみではなく?」
重ねて、言下に問われて、シャーロットは自分の顔色が変わっていないことを祈るしかなかった。
「――もちろんです」
やっとの思いでそう言う。
声が震えなかったことにほっとした。
「参考役さま、あのときの私は十四歳ですよ――入学もまだでした。魔神の召喚は出来ません」
ネイサンは冷ややかに微笑んだ。
「きみ、謙遜も大概にしなさい。私であっても十三のころには魔神を召喚することが出来た。報酬に出来るものがなかったために、契約には至らなかったがね。
きみほどの天賦の才と知識欲があれば、魔神の召喚陣の一つや二つ、当時から描けたとして不思議はない」
シャーロットは瞬きして、首を傾げた。
「――だとしても、です。参考役さま、私も同じです――報酬に出来るものなんて、当時の私にあったと思われますか?」
「確認したいのはそこなんだ、シャーロット」
ネイサンが言って、すうっと首を傾げた。
シャーロットは背筋が冷えるのを感じた。
「きみのその魔神は、ずいぶんきみに忠実だね。私は学生が呼び出した魔神が、これほど長時間に亘って大人しくしているのを見たことがない。
大抵の連中は、途中で退屈して暴れ出し、今ごろ、この円卓を真っ二つにしているところだ」
こんこん、と、指の関節で円卓を叩く。
「きみがここまで来たときも、きみの後ろで大人しくして、きみが椅子に掛けるときには、きみがふらつくと介助していた。
――本当に忠実だ、シャーロット。正直に言おう――それなりの経験がある私であっても、そこまでの忠誠を魔神からは買えない」
シャーロットは無言で、足許に寝そべるマルコシアスを見下ろした。
マルコシアスは円卓の下から、淡い黄金の瞳でシャーロットの視線に応じた。
「〈身代わりの契約〉があるはずのきみが怪我をした――その点に疑問は残るが、シャーロット――はっきり言ってしまうと、私は、きみがかれに約束している報酬が破格なのではないかと疑っているんだ」
シャーロットの呼吸がじゃっかん楽になった。
顔を上げて、ネイサンの灰色の目を見つめる。
「というと?」
「ありえない確率だとは思うが、」
ネイサンはにこりともせずに言った。
いつものユーモアの気配は欠片もない。
「閣下がおっしゃったように、『神の瞳』はまだ見つかっていない――逆にいえば、どこにあってもおかしくない。
そしてシャーロット、きみは誘拐されかけたときに、オーリンソンを見たと言った――目的から考えて、オーリンソンが『神の瞳』を盗み出していたとしてもおかしくはないんだ。
そしてきみを誘拐しようとして――ミスター・グレイによる予想外の邪魔だてが入ったときに、何かの拍子でそれを落としていたとしたら――」
首相も顔色が変わっている。
ウィリアムが目を見開いている。
ネイサンは怖いほどの眼差しでシャーロットの目を射て、尋ねた。
「――シャーロット。きみはそのときに『神の瞳』を手に入れて、その悪魔に、それを報酬として約束したんじゃないか?」




