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08 誤解

 幌馬車を脱出してからこちら、シャーロットにとっては散々なことが相次いだ。



 無事に馬車から脱出した事実を呑み込むことにたっぷり五分は掛けてから、しかし快哉を叫ぶ間もなく、シャーロットは彼女にとって最優先の緊急課題となっていたことを、極めて静かに頼んでいた。


 つまり、「人気(ひとけ)のない、人に見られない茂みの中に私を連れて行って、すぐにお前も離れなさい」という。


 マルコシアスには想像力が欠如しているのか、かれは首を捻っていたが、すんなりとその頼みを聞いた。


 シャーロットは大急ぎで、彼女にとっては人生の一大事となっていた、生理的な欲求をやっつけた。



 それからようやく落ち着いて物事を考えられるようになり、茂みを出て道に戻ると、シャーロットは暢気に構えている大きな狼に掴み掛からんばかりの勢いで、声を殺して叫んでいた。


「どうして誘拐なんかさせたのよ!」


 狼は見事に悪びれなかった。


「いや、僕がさせたわけではないけれど」


「ああいうのを防ぐのがお前の役目でしょう!」


「それは、まあ、そうだね。あんたがぼーっと立ってるんじゃなくて、三秒くらいは抵抗してくれていれば、僕がなんとかしてやれたんだけど」


「びっくりしたのよ! 悪かったわね!」


「別に構わないよ。ほら、こうしてあんたを助けられた」


 シャーロットはわなわな震えたが、これ以上は不毛な議論であるということも認めた。


 一歩下がって落ち着いて、行儀よく道の真ん中に座った狼を眺めて、彼女は息を吸い込んだうえで尋ねた。


「――私のトランクは?」


「置いてきたよ。トランク片手の救出劇がお好みだったかな?」


 シャーロットは髪に手を突っ込んだ。


「お好みだったわよ。馬鹿な悪魔ね、あそこに全部入っているのに」


「間抜けなレディだな。手を離したあんたが悪い」


 とは言ったものの、すぐに気になったのか、マルコシアスは真剣な口調で尋ねた。


「訊いておきたいんだが、ロッテ。あんた、僕の報酬までどこかにやってしまってたりはしないだろうね?」


 シャーロットは胸を張った。『神の瞳』はなおも、彼女の日用(デイ)ドレスの()()()に収まっている。


「ご心配なく。きっちり持ってるわよ」


 マルコシアスは本気で安堵したようだった。ぱたり、と、尻尾が振られた。


「そりゃ良かった。安心だ」


「とにかく、ここはどこかしら」


 シャーロットはつぶやいて、暗い辺りを見渡しながら、外套を着込んでいてなお忍び込む夜気の冷たさに腕をさすった。


 道は真っ暗で、街灯の一つもない。

 茫漠と広がる夜の闇に、シャーロットは思わず身震いした。


「人のいるところに行かなきゃ」



 ――そして、散々な目に遭った。



 シャーロットがやっとのことで探し当てた民家において、根気強いノックの末に顔を出したその家の主人は、いかにも胡乱そうにシャーロットを眺めて、シャーロットが懸命に事情を説明しようとするのを迷惑そうに遮り、ぴしゃんとドアを閉めてしまった。


 シャーロットはたっぷり三分間、茫然とその戸口に佇み続けたが、やがて気配から彼女がそこを去ってはいないと気づいたらしき家の主人が、ドアを内側から強く叩いた。


 その音に怯えて、というよりは、虫でも追い払うような所業に傷ついて、シャーロットはすごすごとその戸口を離れた。


 そのあと、更に三軒の家でほぼ同じような目に遭い、シャーロットは悄然とうなだれることとなった。



「なかなか上手くいかないね、ロッテ」


 いっこうに彼女を慰める気のない声で、マルコシアスは欠伸まじりにそう言った。


 シャーロットが戸口に立っているあいだ、無論のことかれは離れた場所にいたのだが、さすがに様子は窺っていたらしい。


 さぞかし怒り心頭に発しているかと思いきや、マルコシアスにとっては意外にも、シャーロットにその様子はなかった。


「仕方ないわ……」


 しょんぼりした様子ながらも、シャーロットは言った。


「夜だし、見知らぬ子供が一人で訪ねてくれば怪しむのは当たり前だもの。それにここ、あんまり栄えていないんだもの。人が他人に親切に出来るのは、分け与えられるくらいにうんとものがいっぱいあるときだけなのよ」


 マルコシアスはそれを理解しなかったが、適当な相槌で返した。



 だが、とはいえ、シャーロットは疲れ切っていた。


 馬車の中で十分に休めたのではないかと思う人は、一度誘拐されてみて、後ろ手に縛られたままうとうとしてみるといい。

 意識の底の緊張で、きっとあなたは疲れ切っている。



 夜の闇は深く、シャーロットの足許は覚束ない。

 シャーロットは寒さもあって鼻を啜って、つぶやいた。


「もういっそ、人のいないところで、屋根のあるところで朝まで休みたいわ」


 マルコシアスは狼の首を傾げて、淡い金色の目を片方瞑った。


 しばらくそうした後で、マルコシアスは素っ気なく告げた。


「僕の精霊がちょうどいいところを見つけた。歩いて、ロッテ」





▷○◁





 山道を目の当たりにした瞬間の、「馬鹿な悪魔ね!」というシャーロットの悪態は置いておく。


 少なくともマルコシアスは、「人のいない、屋根と壁のあるところ」というシャーロットの希望を満たす場所を見つけたのだ。


 そもそもこの集落においては、人の住んでいない空き家が極端に少なかった――空き家として放置された年月が長きに過ぎ、また海の近くという立地もあって、潮風や高潮や嵐に負けて、人の住んでいない建物は既に倒壊しているものが多かったのだ。



 かつては初等学校だったのだろう大きな平屋の建物に案内され、触れた途端に内側に倒れたドアや、その向こうに分厚く積もった埃を見て閉口したものの、シャーロットであっても、これ以上の場所は望めないだろうということは分かった。


「あんたは中にいて」


 マルコシアスはそう言って、溜息を零すような仕草を器用にも表現してみせた。


「僕はくたくたになったあんたに代わって、この辺を見て回って、あんたの役に立つ情報を探してくるから」


 シャーロットは頷いた。それが妥当だろうと思った。


 シャーロットは確かにくたくたであり、足は爪先が鈍く痛み、踵を擦り剥いていた。


 マルコシアスには召喚陣から得た今の時代の知識もある。情報収集には支障あるまい。


 それから、


「食べるものも……お願い……」


 呻くように伝えると、あからさまに嫌そうな顔をしたものの、大きな狼は頷いた。


 それから、マルコシアスは鹿爪らしくシャーロットを眺めた。

 そうして、彼女にではなくかれの精霊に語り掛けていると分かる口調で、ぞんざいに命令を下した。


「僕のこの間抜けなご主人を守ってやって。何かあったら知らせてくれ」


「間抜けとは失礼ね」と反駁しようとしたシャーロットは、しかしその気力すらなく、よろよろと古い学校の中に入っていった。

 彼女の足許で埃がふわふわと舞った。


 精霊が慌てて彼女を追い掛けて、ささやかな光になって彼女の足許を照らしたが、もはや足許が少し明るいことへの違和感も、シャーロットの覚えるところではなかった。


 そうしてよろよろと暗い廊下を進んだシャーロットは、目についた教室に踏み込んだ。

 入口から最も近い教室を避けたのは、彼女の無意識の防衛本能であった。もしも誘拐犯が追い掛けてきたら!


 半開きになっていたドアを押して広く開け、埃の積もった教室の中に入り込む。

 鼻がむずむずして、くしゃみが飛び出した。


 掌で鼻を覆いつつ、積み上げられた長机を迂回し、ぎしぎしと軋む床の、広く開いたスペースまで進み出る。


 周囲を見渡す。

 積み上げられた長机、長椅子。埃の積もった教卓、罅の入った黒板。

 長机の上に、乱雑に本が積まれている。崩れてページが破れた本の山。


 彼女は顔を顰めた。


 そして、備品だったのだろう、燭台や蝋燭、石版や白墨も、山積みになって机や床の上に積まれていた。


「昔は子供が活発に過ごした場所」


 シャーロットは抒情的につぶやいた。


 彼女は外套を脱ぎ、それを長机の陰に広げて敷いた。

 そして、へなへなとその上に座り込んで、長机に凭れ掛かった。


 さすがに、外套を挟んだとはいえ、この埃塗れの床に伏せる気にはならなかった。


「わが城としては悪くないわ。探検は明日ね」


 もごもごとそうつぶやいて、そして彼女は眠り込んだ。





 ――目が覚めたとき、シャーロットは混乱していた。

 ここはどこ! どうしてこんなところに!


 はっと目を開け、眠っているあいだに吸い込んだ埃でいがらっぽくなった喉に咳き込み、慌ただしく周囲を見渡して茫然とする。


 ややあって、彼女は現在の状況を思い出した。


 ――すなわち、誘拐され、そこを辛くも逃げ出してきたところ。

 現在地、不明。帰る手段、なし。頼れるのは皮肉っぽい魔神だけ。

 誘拐犯がいつ取って返してくるか分からない状況。


 涙が滲むのを感じ、シャーロットは瞬きした。

 パニックが波のように押し寄せてきた――苛立ちに似たパニックだった。


 私はただ家に帰りたいだけなのに! 「家!」と叫んで戻れるならば、喜んでそうするのに! なぜこうも邪魔をされなくてはならない!



 そのとき、ぐぅ、と彼女の腹が鳴った。



「――――」


 ゆっくりと、意識して、シャーロットは微笑んだ。

 ごしごしと目を擦る。


 その拍子に埃が目に入って、いっそう涙が沁み出す。


 苦笑して、シャーロットは自分を鼓舞するためだけに口を開いた。


「こんな場合でもおなかは空くのね、変な気分だわ」


 よいしょ、と立ち上がる。

 日用(デイ)ドレスが埃塗れになっただろうことを思って顔を顰める。


「それにしても、マルコシアスがあんな悪魔だとは思わなかったわ……せっかく直に会えると思って選んだのに……」


 はたはたとスカートをはたく。


 辺りを見渡そうとして、暗さに戸惑う。

 外に面する窓は曇っていて、向こう側の明るささえもよく分からない。


「今は夜中かしら、朝かしら――マルコシアス、いつ戻って来るのかしら」


 ドレスの()()()を押さえる。

 銀の首飾りに封じ込められた『神の瞳』は無事だ。


 手許が暗い。

 彼女は辺りを見渡した。


 ぼんやりとものの形は見えていた。

 手探りで進んで(途中で一度、逆さまに積まれた長机の脚に激突して)、彼女は目的のものに手を伸ばした。

 すなわち、使い差しの燭台だ。

 手で辿って確かめたところ、蝋燭が差されたままになっている。


「火……」


 つぶやいた途端、ぱっと火花が散って、蝋燭の先にぽっ、と灯が点った。


 きゃあ、と叫んだシャーロットはしかし、すぐに思い当って胸を押さえ、動悸を抑え込んだ。


「ああ……精霊……精霊ね、そうよね……」


 どことも知れぬ相手に向かって、取り敢えずは聞こえるものだろうと判断し、「ありがとう」と虚空につぶやいておく。


 燭台を手に持ち、高く掲げてみる。

 弱々しい光が、薄い大袈裟な影をあちこちに投げ掛けた。

 天井の隅に貼られた蜘蛛の巣が、複雑な網目模様を天井に映し出している。


 しばらくそうして、宛てもなく周囲の様子を目に収めていた彼女だったが、やがて溜息を吐いて手を下ろした。


「マルコシアスが戻るまで、私はここで待つ、と……」


 孤独感は人を多弁にさせる。


 シャーロットは視線を彷徨わせ、しかし結局のところ、目を留めるものは決まっていた。


 彼女は本の山に手を伸ばした。


 ――小さなときから本は好きだった。

 文字の向こうの言葉、語り、そして世界を、彼女はこよなく愛した。


 埃の積もった本を、そうっと片手で持ち上げる。

 片手は燭台で塞がっているからだ。


 埃でべたつく本を引っ張り寄せ、近くの机の上に載せて、慎重に――というのも、紙が弱くなっていて、すぐに破れてしまうかも知れないと思ったからだ――ページをめくる。

 どうやら一般的な教本のようだった。


 別の本を手に取る。

 これは童話の本だった。


 更に別の本――これは風土記のようだった。


 顔を明るくして、シャーロットは慎重にその本と燭台を抱え、長机の陰に敷いた外套の上に再び座り込んだ。


 燭台を傍に置き、埃塗れの表紙を開き、こわごわとページをめくる。


 というのも、ページのあいだに虫が入り込んでいたら嫌だな、という考えに至ったからだった。




 古くなって掠れた文字を追うこと、どのくらいの時間が経ったか。


 不意に、ぎぃ、と軋む足音を聞いて、シャーロットは危うく本を取り落としそうになった。


(空耳?)


 違う。

 ぎぃ、ぎぃ、と、規則的に足音は続いている。


 窺うような慎重な足取りを思わせる歩調――


 シャーロットの心臓が一瞬止まり、そしてばくばくと激しく脈打ち始めた。


(誰? 誰? ――誘拐犯?)


 身体が揺れるのではないかと思うほどに心臓が跳ね回る。

 シャーロットは凍りつき、息も忘れて身を縮め――


 ――ぎぃ、ぎぃ、と軋む足音が、ゆっくりと、だが着実に、遠ざかっていった。

 シャーロットはほうっと息を吐く。


 察するにあの足音の主は、入口を入ってから、こちらと反対側に進んだのだ。


 だが、こちらに引き返してくる恐れは十分にある。


 シャーロットはばくばくと肋骨を叩く心臓を抱えながら、本を片手にそろそろと立ち上がり、床が軋まぬよう細心の注意を払って、もはや足裏を滑らせるようにして、数歩動いた。


 振り返る。

 ドアは半開きのまま。


 それを閉め切りたい思いに駆られたが、シャーロットは踏み留まった。


 ――蝶番が錆びついて、きちんと閉まらない可能性もある。

 それに、ドアを閉める音が廊下にいる誘拐犯(かもしれない誰か)の耳に届いたら大変だ。

 いたずらにここへ引き寄せてしまう結果になる。


 からからになった喉では唾も呑めない。


(どうしよう――)


 足音は遠ざかり、ほとんど聞こえなくなった。

 シャーロットは祈りながら耳を澄ませた。ややあって――シャーロットには永遠にも等しい時間が流れ――再び、ぎぃ、ぎぃ、と軋む足音が、シャーロットの耳に届き始めた。


 ――こちらに近付いている。


(そのまま外に出て行って――!)


 シャーロットの、生涯最大の渾身の祈りは、しかし通じなかった。

 ぎぃぎぃと軋む足音が近付いてくる。


 入ってきたときよりも近く――


 シャーロットは涙目になった。


 自分がここから引きずり出され、誘拐犯によって馬車に引きずり戻され、どこか遠い異国の地に売られるところまでが、一秒とかからず鮮やかに彼女の脳裏に描き出された。


 自分がもう少し善行を積んでいなかったことを悔やみそうになったが、


(まだ諦めるには早い!)


 シャーロットは素早く周囲を見渡した。

 この教室の前を誘拐犯(と決まったわけではない)が素通りしてくれればいいが、もしこの教室まで入って来られるとなると、何かの対抗策が必要だ。



 ――この時点で、シャーロットの頭からは、マルコシアスのことはおろか、そばにいるはずのかれの精霊のことさえ、綺麗さっぱり抜け落ちていた。


 緊張とはそういうものである。



(入って来た人は――)


 まず、この薄暗い中で目立つ、蝋燭の灯に目を留めるはずだ。

 だから、上手くその後ろに回って、頭を殴るなりなんなりして逃げればいい。


 シャーロットの好きな冒険活劇に、そうして死中に活を求める一幕があった。

 やってやれないことはなかろう。


 何もしなければそこまでだ。


 震える足で後退る。

 後ろをよく見ていなかったのが悪かった。


 腰が後ろにあった長机に当たって、かたん、と音がした。

 廊下の足音が止まった――この音が聞かれたのだ。


(まずい、まずい!)


 シャーロットは慌てて、燭台を置いた場所から後退り、教室の、外に通ずる窓のある方へ積まれた長机の陰に屈み込んだ。

 その拍子に、また机にぶつかって、かたん、と小さな音がしてしまう。


(私のばかっ!)


 そのときになって、ひどく自分の手が震えていることに気づいたが、もうどうしようもない。

 寒いせいだと思い込もうとしたものの、外套は床に置いてきてしまった。


 心臓は破裂寸前で、息は浅くなり、勝手に目が泳ごうとする有様。


 あとは、この教室に誰も入ってこないことを祈るしかないが――


 ぎぃぃぃ、と、悲鳴のような騒々しい音を立てて、この教室のドアが開いた。


 シャーロットは思わずぎゅっと目を瞑ったが、すぐに懸命になってその目を開けた。

 手が震える。

 息が荒らぎそうになるところを、唇を噛んで必死に堪える。


 教室の中に、誰かが入ってきた。


 思ったよりも慎重な足取りで、探るように一歩一歩中へ入ってくる。

 シャーロットからはその姿は見えない。

 見えるのは、長机の脚の間から覗く、侵入者の二本の足だけである。


 その足が、シャーロットが置いた燭台のそばで、ぴたりと止まった。



 何かを考えるような沈黙――



 ――もうためらっている場合ではなかった。

 行動のときだ。


 シャーロットは震える足で立ち上がり、手にした本で遠慮なく侵入者の頭を叩こうと、半ば以上目を瞑りながら長机を回り込んで突進しようとし――



 がくん、と体勢が崩れた。


 がたんっ、と、けたたましい音がした。

 シャーロットの日用(デイ)ドレスの後ろのリボンが、何の拍子にか長机の角に引っ掛かったらしい。


(え――!?)


 侵入者がぱっとこちらを振り返った。


 シャーロットは初めてその姿をまともに見た。

 そして、振り下ろそうとした本を、全力で頭上に掲げ続けることとなった。


「うわっ!」


 侵入者が叫んでいる。


 体勢を崩していたところに加えて、勢いのついていた動作も無理やり止めたことで盛大にたたらを踏んで倒れそうになったシャーロットもまた、われ知らず叫んでいた。


「わあっ!」


 侵入者が目を見開いて及び腰になる。


 なんとか倒れずに踏み留まったシャーロットは、蝋燭の明かりを頼りにその姿を直視した。



 ふわふわとした金茶色の猫っ毛。

 ぼろ同然の衣服は着丈が合っていない。上着は大き過ぎるし、ズボンは丈が短くふくらはぎの半ばまでしか覆えていない。

 どちらも薄汚れて破れ、穴が開いたりしている。


 足許は、これもまた爪先に小さな穴の開いた短いブーツ。


 びっくりして見開かれた目は青灰色――薄雲を纏った青空の色。

 穏やかそうな顔立ちで、しかし日に焼けた頬は不健康なまでに痩せている。


 そして、歳――歳の頃は、まさにシャーロットと同い年かそこらか。



 そんな、幼いといえる年齢の、少年。



 少年は驚きのあまりにか、顔を隠そうとしている。


 シャーロットは慌てて口を開いたが、肩透かしを喰った口調は隠せなかった。

 ――凶悪な誘拐犯かと思いきや、人畜無害そうな少年だったのだ。


「――あ……急に乱暴なことをしようとしてごめんなさい、あなた――あなた、誘拐犯じゃないわよね?」


 少年は瞬きした。

 本気で訝しそうだった。


 そして、ためらいがちにつぶやいた。


「ええっと……誘拐ってなんのこと?」


「――あ」


 シャーロットは手にした本で口許を隠した。


 ――当然だった。


 ()()()()()()()()()()()()()()

 唐突に「誘拐」という言葉を聞いて、訝しむのは当然のことだ。



 何しろ、シャーロットの誘拐事件とはまったく無関係なのだから。




















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