表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
81/155

06 狙いさだめて

 とはいえ、そう何秒もののしってはいられない。


 シャーロットは細長い窓の下端から顔を出して、眼下を覗いた。

 尖塔が崩れて瓦礫の山と化したそこに、ブロンズ色の肌の半人半獣に庇われたショーンがいる。


(まあ、正確には、半人、四半獣、四半魚かしら……)


 目を凝らしてみれば、半人半獣の魔神とショーンの周囲の限られた範囲だけが、ドーム状にあらゆる粉塵からも庇われているのが分かった。


 ストラスは上空からこれでもかと宝石の刃を降らせているが、フォルネウスは全くそれを問題にしていない。

 なんなら欠伸でも漏らしそうだ。


 ショーンの足許には、異様に頭の大きな小人の格好をした魔精もいるが、こちらはストラスに怯え切っている。



 割れて砕ける宝石の雨が、きらびやかに降り続いている。

 きらきら輝く雨粒が地面を打つ音は驟雨よりも鋭く耳を聾するが、光景はいっそ幻想的だった。


 その雨の光景の向こうに、トラウザーのポケットに手を突っ込んで立ち、つまらなさそうにフォルネウスの方を見つめているマルコシアスがいる。


「お前の魔神、暢気だな」


 オリヴァーが囁いた。緊張しているのか声が上擦っている。

 シャーロットはあいまいに応じた。


「さあ――よく分からないんですけど、フォルネウスとは仲がいいみたいなんで。自分には矛先が向かないと思っているんでしょうね」


 オリヴァーは「なるほど」と呻き、そして言った。


「俺が今、何を考えてるか分かるか?」


「大変なところに来ちゃった、とかじゃないんですか?」


「いや、あのへんに散らばってる宝石を持って帰って売ったら、学費の心配はしなくて良くなるんじゃないかと」


「ああ――」


 シャーロットは、きらきらする破片に覆われた瓦礫の山を見下ろした。

 ついで、自分が握った尖晶石も見つめた。


「――確かに、そうですね」


 認めたものの、シャーロットは少しばかり警戒ぎみに付け加えた。


「時間が経ったら消えてしまうとか、そういうのじゃないんでしょうか」


「ああ、悪魔お得意の。――消える前に売れば、なんとか」


「それ、詐欺じゃないですか。――でも、この事態の弁償に充てたい気持ちはありますね、すっごく」


 そんな馬鹿げたことを、緊張を紛らす手段として二人の人間がこそこそと囁き合っているあいだに、とうとう眼下でフォルネウスが声を上げた。



「――ストラス、埒が明かないよ! 高いところが怖くて降りて来られないなら、迎えに行ってあげようか?」



 シャーロットたちからは見えない上空で、ストラスは大きく息を吸い込んだ。


 そして、可憐なドレスの裾をひるがえし、まるでそこに透明な階段があるかのように、しずしずとそこを降り始めた。


 爪先で優雅に宙を探って、昂然と頭をあげて地上へ下るストラス――その姿が、ある一点を境にして変化し始めた。


 宙を探る爪先が厚みを増す。

 華奢な足首が筋張り、足環は花の意匠から棘の意匠へ変化する。

 ふくらはぎが隆々と張る。

 肌は浅黒く変化し、上背が増す。


 ものの数秒のうちに、可憐なドレスを纏っていた華奢な女性が、生成り色のチュニックとシャルワールを纏った、上背のある筋骨隆々の男に変化していた。


 薄紅色の髪は刈り上げられて頭頂部で短く逆立ち、ラズベリー色の大きなまるい目は、細く鋭い切れ長の双眸へと変貌している。



 かれがちょうど塔の前を下った際にその姿が目に入り、シャーロットは唖然としたが、オリヴァーはまったく無反応だった。

 ストラスのこの姿も、当然ながら知っていたのだ。



 瓦礫の上に爪先を伸ばしながら、ストラスがさっと手を振った。


 とたん、瓦礫の下から這い出すように、自然ではありえない急成長を遂げた蔦が、それ自体が鞭のようにしなってショーンとフォルネウスへ襲い掛かった。


 ショーンは顔をそむけたが、フォルネウスは瞬きひとつしなかった。


「ああ、ストラス、こんな」


 フォルネウスが嘆かわしげに首を振る。

 伸びた蔦に火が点き、黒煙を上げ、よじれながら燃え尽きていく。


「こんなことが精いっぱいだとは言わないでくれよ。こないだ会ったアスモデウスは、もう少し頑張っていた――」


「だろうな」


 雷鳴のようなだみ声が轟いた。

 シャーロットは少し考えなければ、それがストラスの声だとは気づけなかった。


「俺よりアスモデウスの方が格上だ」


 フォルネウスは嬉しそうににっこりした。


「そのとおり。そして、そのアスモデウスよりも私の方が格上だ。

 さあ、ストラス。策があるなら早めに見せてくれ。私がきみの相手に飽きるよりも早くね」


 フォルネウスが、ぽん、と手を叩いた。


 周囲の瓦礫が震えながら浮き上がり始めた。


 その下の地面にまで亀裂が入り、土くれを落としながら塊になって持ち上がり始める。

 砕けた宝石の欠片が、ばらばらと周囲に落ちていく。


 ストラスはためらわなかった。

 かれが、尊大な仕草で後ろにいるだれかを招くような仕草をする。


 それにしたがって、ストラスの後ろにある――まさにオリヴァーとシャーロットがいる――塔の壁に亀裂が入り始めた。



 まさに自分たちがいる塔の外壁が崩れていく音を聞いて、シャーロットとオリヴァーは顔を見合わせた。


「話が違うんじゃない?」


「いや、俺がいる限りは平気なはずだが。いくらストラスでも、自傷趣味はないだろう――」


 シャーロットも言葉を呑み込んだ。

 本当にまずい事態になれば、マルコシアスが助けに飛んでくるはずだ。

 かれは平然と、二人の魔神から距離を置いて立っているままだ。つまり危険はないと判断している。


 が、それはそれとして、シャーロットは大広間に引き続いてこの尖塔も、わがために崩してしまった。

 あこがれの場所を倒壊させていっているという事実に、シャーロットの中でやましさが疼いた。



 塔から引きはがされた石のかたまりが、空気を切り裂いてフォルネウスに向かって飛んでいく。


 シャーロットとオリヴァーがいる階にも、彼女たちから見て右側に大きな穴が開いた結果になったが、ストラスは器用にも、二人がいる階を最大限に避けて飛び道具を確保したようだった。


 同瞬、フォルネウスの側からも、瓦礫や地面の欠片が、ストラスが投擲した塔の破片の何倍もの勢いで、かれを目がけて殺到した。

 ストラスの精霊たちがそれらを受け止め、あるいはストラスがそれらを手を触れずに叩き落としたが、全てとまではいかなかった。


 いくつかの瓦礫がストラスを逸れて吹き飛び、塔にぶつかって砕け、シャーロットとオリヴァーは足許が揺れる衝撃を受けてその場に座り込む。


 耳をつんざくような音とともに、石の壁にぶち当たった石が砕ける。


 ストラスは全く動じなかった。

 かれ自身に何もないのだから、召喚主であるオリヴァーにも何事もなかったと判断したのだ。


 そして、ここでオリヴァーを案じて彼の居所をあきらかにするような真似をすれば、フォルネウスはためらわずオリヴァーに狙いを定め、ストラスを動けなくさせるだろう。


 そもそもが、敵の悪魔の主がそばにいるときは、悪魔そのものよりも主に狙いを定めよというのが、マルコシアスが頻繁に活躍していた戦争時代の常識だったのだ。

 同じ時代にも活躍していたフォルネウスが、その王道の勝ち筋を忘れてくれるはずがない。


 ストラスが大きく手を振って、指を鳴らした。

 今度は広範囲、半径二十ヤードていどの地面から、一斉に太い蔦が突き出してフォルネウスに襲い掛かった。


 更に、フォルネウスとショーンの頭上から、ふたたび金剛石やら紅玉やらの刃物が――ただし、今度は小さなものが無数に――降り注ぎ始める。



 シャーロットがストラスに要求し、そしてマルコシアスがかれに言い聞かせたことは、とにかく陽動に徹することだった。


 目的はあくまでも、ワルターが学院を脱出できるようにすること。

 つまり、()()()()()()()()()()()()()()()


 重視すべきは有効打ではなく手数。

 フォルネウスが手いっぱいになることを優先し、かれが精霊を総動員する程度には鬱陶しく感じる攻撃を繰り出すこと。


 ただ、もちろん、ストラスだけでそれが可能とはいえまい。


 マルコシアスがハルファスと競り合ったときも、マルコシアスには余裕があった――ストラスとフォルネウスのあいだには、マルコシアスとハルファスのあいだに開いていた序列よりもまだ差がある――



 ――だからシャーロットとオリヴァーがこのそばにいる。



 フォルネウスがうんざりしたように手を振る。


 大音響とともに、降りしきる宝石の雨が砕け、周囲にはじけ飛んだ。


 舞い散る破片がストラスをかすめて飛んでいく。

 フォルネウスに迫っていた蔦が次々に発火し、黒煙がのろしのように上がる。



 シャーロットは内心で、この煙をエデュクスベリーの町の人が見ればいいと考えた。

 見て、異常事態が起こっていることを察して、警察へ届ければいい。


 そして警察から軍へ話が伝わればいい――



 だが、その可能性は低かった。

 リクニス学院の学生は、優秀だが変人の集まりとして見られている。


 学内から煙が上がることなど、よくあることに過ぎないのだ。



 だが、学内にいて、今まさに異常事態の真っ最中だと知っている学生や教授たちにとっては、この異変は恐ろしいだろう。



(早くなんとかしないと――)


 シャーロットが焦っているのを察したように、オリヴァーが横目で彼女を見た。


 シャーロットは唇を舐める。


「まだ駄目です――」


 彼女は囁いた。


「呪文の魔術で援護したら、近くに魔術師が――ストラスの主人がいられると知れます。ストラスにとっては弱みを晒すことになるから、慎重にいかないと。

 ストラスがフォルネウスに掛かりきりになっているときはエムが守ってくれますが、エムの弱みは私で、ストラスの弱みはあなたです。エムに守られているあいだは、絶対に私から離れないでくださいね」


 オリヴァーは瞬きした。


「さっきから思ってるんだが、お前、なんだか慣れてるな?」


「慣れてはいません」


 シャーロットは言った。


 実際、十四歳のあのとき、議事堂で大騒ぎを起こしたとき、彼女はほぼ全ての面において、マルコシアスやアーノルド、グレイやリンキーズに頼り切っていた。


 ただ、あのときの経験で、悪魔が主人の魔術師にどういったふるまいを望むのかは分かっていた。



 二人はすばやく、既に打ち合わせてあった事項を再確認した。

 呪文でどの魔神の力を借りてストラスに加勢するべきか。


「狙いはオーリンソンさんか?」


 オリヴァーがすっかり動転した態度で言い、シャーロットは思わず彼の向こうずねを蹴った。


「そんなことしたら、あのジュニアと同類になるでしょう!

 もちろん、全部の狙いはフォルネウスです」





▷○◁





 マルコシアスはストラスの奮闘を見守っていた。


 実際、ストラスがなにがなんでもフォルネウスを打ち負かそうとしていれば、もうとっくにかれは地面に叩き伏せられ、フォルネウスお得意の皮肉を聞きながら()()()()()を喰らうことになっていただろうが、なまじ勝ちにこだわらず、手数に振り切ったのが吉と出た。


 色とりどりに燦然と降る宝石の驟雨の中で、二人の魔神が睨み合い、瓦礫の上を滑るように動いて、円を描いて互いに相手のふところに回り込もうとしている。


 フォルネウスに庇われ、かれが促すままによろめきながら瓦礫の上を移動するショーンは苛立ちのあまり真っ青になっているが、フォルネウスからしてもこの若い主人には業腹だろう。


 なにしろ、主人がそばにいるせいで、実力をいかんなく発揮することも出来ていない。

 フォルネウスも、ストラスと鉢合わせすることが分かっていれば、主人は安全な場所に置いてきたはずだ。



 瓦礫がひっきりなしに浮き上がり、相手に叩きつけられようとしてははじけ飛び、あるいは砕け散り、周囲には宝石の驟雨の音の他にも、重低音の轟きが響き渡っている。


 マルコシアス自身、いく度かこちらに飛んできたいわゆる流れ弾を砕かなくてはならなかった。



 ストラスはまた、魔精にもかなり苛立っているようだった。

 フォルネウスに集中して対処したいだろうに、時おり這い出てくる魔精が、虫が刺すようにストラスを刺そうとしてくるのだ。


 ストラスは何度か、ののしるようにマルコシアスを呼んだが、マルコシアスとしても手の出しようがない。


「フォルネウス、僕に、そこの魔精と一対一でやり合わせてくれる気はない?」


「冗談だろう、マルコシアス」


 フォルネウスは愉快そうだった。

 ストラスが前線に出ているかぎり、マルコシアスがかれを守ってやれないことを承知している。


「こんなに怯えたわが舎弟を、きみの前には出せないよ」


 マルコシアスは肩を竦めた。



 ストラスは徐々に消耗している。


 フォルネウスはストラスの消耗の度合いに比例して、かれの相手に飽きているようだった。

 ちらちらと周囲を窺うそぶりを見せている。


 ストラスの主人を捜しているのだ。



 瓦礫の一つがストラスの頭に当たった。

 ストラスの頭が、がくん、と揺れる。


 悪魔の頭部から血は出なかったが、こめかみに小さな亀裂が走ったのが見えた。


 かれが怒りの声を上げると、宝石の驟雨が激しくなった――だがそれも、ほんの十数秒のことだった。


 フォルネウスを守るドーム状の見えない障壁は揺らいでいない。

 小雨を傘で避けるかのように宝石の驟雨を遮って、フォルネウスがにっこりと笑う。


 砕けてしぶきのように散る宝石の破片が、射しこむ午後の陽光を受けて真っ白にきらめいている。


「そう怒らないで――大人しくしていてくれれば、手早く済ませるけれど?」



 マルコシアスは精霊に学院の境界を観測するよう命じた。

 すぐさま返答がある――()()()()()


 マルコシアスは舌打ちした。

 見たところ、ストラスの根気強い魔法を受けて、主人を守るためにもフォルネウスはかなりの数の精霊を手許に呼び返している。


 だが、まだ学院を覆っている精霊に、その手を引くよう命じてはいないらしい。



 弾丸として使用された瓦礫が散り、地面が露出している。


 その地面に次々に割れ目が走り、地面が持ち上げられていく。

 いく度もそれが繰り返されて、すっかり地面は起伏に富んだ地形と化してしまっている。



 フォルネウスが面倒そうにストラスを指差し、吹き飛んだ地面の破片が、いくつかはストラスの精霊に排除され、あるいはストラスに砕かれながらも、残ったものがまともにストラスにぶつかった。


 衝突音――ストラスが後ろに倒れ込みそうになって踏み留まったのが分かる。



 マルコシアスはゆっくりと息を吸い込むと、トラウザーのポケットに手を突っ込んだまま、ぶらぶらとストラスに近づき始めた。


 フォルネウスがそれに気づいて、数秒ではあれ驚いた顔をする。


 当然だ――今、マルコシアスに出せる手はない。

 フォルネウスはそれを知っている。


 かれは探るように微笑んだ。

 マルコシアスも同じ微笑で返した。


 マルコシアスの靴の下で、砕けた宝石が砂利と化して、軋むような音を立てた。


「――こいつを助けたいのかな、マルコシアス?」


 フォルネウスが意外そうに眉を上げる。

 マルコシアスは首を振った。


「いいや」


 マルコシアスはあっさり言って、肩を竦めた。


 フォルネウスが、()()()()()を与えるために手を上げている。

 指先はまっすぐに、序列三十六番の魔神を向いている。


 ストラスが、とうとうよろめきながら一歩下がった。


 よく頑張った方だが、マルコシアスからしてみれば、ここでかれに戦線離脱されては困る。



 宝石の驟雨がついにやんだ。


 ショーンがほっとしたような顔をするのが、マルコシアスの視界にも映る。

 守られていると分かってはいても不安だったのだろう。



 マルコシアスは口角を持ち上げた――()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 フォルネウスが上品に首を傾げる。


「マルコシアス?」


「フォルネウス、ひとつ、いいことを教えてあげよう」


 マルコシアスは言って、気取って指を立てた。


 ショーンがその動きにびくりと反応したが、フォルネウスは主人を宥めもしない。

 本気で訝しそうに眉を寄せている。


「おいおい、わが友、どうした?」


 マルコシアスはとびきり大きな微笑を浮かべた。


「僕を戦力外と思ったのが間違いだったな」


「は?」


 フォルネウスが、ありていにいえば、マルコシアスの正気を疑うような顔をした。


「なにを言っている?」


 マルコシアスは大袈裟に両腕を広げた。



「ま、僕自身は戦力外だけどね。

 ――ただ、抜かったな、フォルネウス。

 僕が一人じゃないのを忘れた」



 フォルネウスの銀色の瞳が、つかの間、怪訝そうに細められ――



「僕には頼れる相棒がいるもんでね」



 ――直後、その頭上で閃いた灼熱のいかづちが音高くはじけ、狙い違わず、蛇のようにのたくって、半人半獣の魔神を打ち据えた。

























評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ