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04 虚偽宣誓

 ヴィンセントの訃報に接して、ワルターは肩を震わせて落涙した。





 医務室はベッドごとに淡い色のカーテンで区切られ、全部で三十ほどのベッドが並ぶ広い部屋だ。

 今はそのうち、五つのベッドだけが飛び飛びに使われている。



 医務室の医務官は、厨房のコックと同様、大広間での惨事は知らない様子で、彼はのんびりと本を読んでいたが、ただならぬ様子で入ってきた二人の人間と二人の悪魔には、老いた瞳をぱちくりと瞬かせて驚いていた。


 オリヴァーが、どうやらシャーロットが会おうとしているワルターは、ただの女子寮の門番ではないらしいと確信したらしい。

 問題に巻き込まれるのはごめんだという顔をして、老医務官に事情の説明をする役を買って出て、医務室の入口近くに留まった。


 一方のシャーロットは奥へ進み、マルコシアスは、この隙にストラスに逃げられてはかなわないと思ったのか、嫌がるストラスの首根っこを掴んで引きずるようにして、当然の顔でシャーロットに続いた。



 そんな珍妙な三人組の、しかも人間は一人だけという見舞客を見て、ワルターは驚いたようにベッドの上で身を起こした。


 シャーロットは硬い顔で、ベッドのそばの、見舞客のための丸椅子に腰かけた。


 シャーロットの顔色から、ただごとではない事態が起こったのは察したのか、ワルターは促すような言葉を掛けた。

 それでもシャーロットは言葉に詰まったが、結局は言葉少なに、ヴィンセントに何が起こったのかを話した。


 ワルターは信じられないというように絶句したあと、しかしシャーロットの口ぶり、表情、そういったものから、聞いた話が紛れもない事実だと呑み込んだ様子だった。


 彼は肩を震わせて落涙し、シーツを握って嗚咽を堪えた。


 シャーロットは居た堪れない気持ちで目を逸らした。


「どうしてかな……」


 ワルターがつぶやいた。

 ひどく震える声。


「どうしてかな……あいつの命は、勘違いごときでひょいっと奪われていいものじゃないんだけれども、どうしてかな……」


 シャーロットは答えられなかった。



 ややあって彼女がワルターに声を掛けたのは、退屈そうにしているマルコシアスが咳払いしたからだった。


 ――おそらく、今もショーンはシャーロットを捜しているはずだ。


 「気高きスー」のことを知らないならば、ショーンがワルターやヴィンセントが帯びている役割について知っているはずがない。

 ワルターを襲った不幸は、十中八九がショーンに入れ知恵をした人物が仕組んだものだ。


 だが、ショーンが関わっていた可能性も否定できない。

 ならば彼が、ふと医務室を覗こうと思い立ったとしても不思議はないのだ。



 シャーロットは息を吸い込み、掠れた声を押し出した。


「ワルターさん、それで……」


 ワルターはシャーロットに目を向けた。

 涙が浮かんではいたが冷静だった。


「――議事堂に知らせなければいけないね。それも早く。ここから電話がつながれば話が早いんだが」


 彼が声を低めてそう言ったので、シャーロットはほっとした。


 リクニス学院には、古い建物であるのが祟って電話など一つもないし、そもそも議事堂は外部からの電話など受けられない。

 ゆえに、誰かが出向くほかない。

 そしてその役目はヴィンセントとワルターが担っている。


 勢い込んで、シャーロットは身を乗り出す。


「そうです、ですが問題があって――」


 シャーロットは手早く、ヴィンセントを殺した学生が序列三十番の魔神を召喚していること、その魔神の計らいで、どうやら学院への出入りが出来なくなっていることを説明した。


 使えるのは二人の魔神だが、どちらも序列で三十番に劣る。


「ですが、この二人にがんばってもらいます」


 シャーロットは請け合った。


 マルコシアスはいつもの無表情だったが、ストラスは絶望的な顔をしている。


「フォルネウスの注意が逸れれば、学院の外にも出られるようになると思うんです。ワルターさんはその隙に、」


 シャーロットは一瞬だけ言葉を切った。


 ワルターとヴィンセントを彼女に紹介したのはネイサンだった。

 ワルターがグレース首相とシャーロットの関わりを知っているのか、そこは伏せられているのかは、シャーロットには分からなかった。


「――ネイサンさまに、この事態を伝えてください。

 この二人ではフォルネウスに勝てるか分かりませんから――」


 ストラスがもの静かに何かをつぶやいた。

「なんてお気楽なこと」と聞こえたので、おそらく、「勝てるわけがない」というストラスの予想と、「勝てるか分からない」というシャーロットの言葉の乖離を皮肉ったようだった。


 シャーロットはそれを無視した。


「――どうしても他の魔神の助けが必要です。

 ネイサンさまなら、序列の高い魔神を召喚なさっているかもしれません――間違いなく召喚できるはずですもの」


 ワルターは真面目な顔でマルコシアスとストラスを見た。


 ワルターは魔術師ではないから、悪魔には明るくない。

 だが、シャーロットが魔術師であることは知っている。


 彼は頷いた。



 ワルターがすばやくベッドから足を下ろし、ベッドのわきに置かれていた彼の身の回りの品を身に着けて準備を整える。


 そして、靴を履きながらシャーロットを振り返った。


「ミズ・ベイリー、くれぐれも無事でいてくれよ。最優先はきみの無事だから」


 シャーロットは頷いた。


 マルコシアスがふいに、今はじめてワルターに気づいたかのような目で彼を見て、軽い語調で口を開いた。


「大丈夫だよ、僕がいるから」


 ワルターは悪魔には応じなかったが、シャーロットは思わず、マルコシアスに向かって頷いていた。





 ――この数時間後、自身が大量の銀と建材に押し潰されることを知っていれば、悪魔であるマルコシアスはともかくとして、正直を美徳とする人間であるところのシャーロットは、こうして頷くことを、多少なりともためらったはずである。





「さて、聞いてのとおり」


 シャーロットは言った。



 ワルターが抜け出したベッドには、まだ彼のぬくもりと、彼の形を写し取ったシーツのしわが残っている。


 ワルターにはマルコシアスが精霊をつけて、当座の無事は確認できるようにしているが、シャーロットとしては気が気ではなかった。


 ――ワルターに何かあれば、それはシャーロットのせいだ。

 もうそれには耐えられそうにない。


 そして、仮にワルターが最悪の結果を避け得たとしても、彼への頼みが頓挫すれば、助けを求める手段を失う。


 リクニス学院は切実に、(くらい)の高い魔神の助けを必要としている。

 そしてそれをもたらすことが出来る最も確実な人が、軍省付参考役であるジュダス・ネイサンなのだ。



 シャーロットはてのひらに爪を喰い込ませながら、言葉を続けた。


「お前たちにしてほしいのは陽動と、ワルターさんが学院から脱出できる状況を作ることよ」


 マルコシアスは肩を竦めた。

 ストラスは爪を噛みながら、


「『お前()()』ってことはないでしょうよ、お嬢さん。私よ。

 マルコシアスはフォルネウス相手には腑抜けになるんだから」


「じゃあ、『あなたに』」


 シャーロットは投げやりに言葉を訂正して、息を吸い込んだ。


「とにかく、ジュニアが自由に気ままに歩いている時間が長ければ長いほど、ワルターさんが危ないの。私には、彼の危険を許容する気はないわ」


 マルコシアスは慣れた様子でそれを聞き、首許のストールをもてあそぶようにしながら、ちらっとストラスを見た。


 十四歳程度の少年の姿のマルコシアスよりも、二十代とみえる女性の姿をとっているストラスの方が背丈は高い。

 だというのに、打ちひしがれているストラスはマルコシアスよりも小さく見えた。


 ストラスは無言で顔を覆っている。

 その仕草は奇妙なまでに人間らしかった。

 長年に亘って魔術師に仕えているうちに、彼らの仕草を学んだのかもしれない。



 シャーロットは罪悪感をぴしゃりと心から締め出して、顎を上げた。



「さっさとジュニアを捜して、打って出ないといけないわ。

 ――さあ、ストラスさん。私にはあなたに命令する権利はありませんから。オリヴァーさんのところに戻って、彼の命令をいただきましょう」





▷○◁





 シャーロットは塔の中にいた。



 リクニス学院には数多の塔があるが、この塔は本棟の北東の角を成しているものだ。


 塔といっても独立しているわけではなく、本棟の北側の壁と東側の壁を造っていったところ、最後の最後の寸足らずになり、最後の隙間を埋めるために嵌め込まれたかのごとく、本棟の中に溶け込んでいる。


 それでもここが塔と見なされるのは、本棟の壁から浮き上がった輪郭と、高く突き出す尖塔によるところが大きい。


 内部の構造をいえば、ここはおおむね独立しているといえた。

 本棟とつながっているのは一階と最上階のみで、そこには本棟の廊下に通ずるアーチが開いている。


 この塔への入口、ひいては本棟への裏口は大きなアーチで口を開けており、この塔の内部はそこから、延々と続く螺旋階段に占められているのだ。

 壁に沿うように造りつけられた螺旋階段は、一階層ごとに踊り場で一息つき、そしてまた続いていく。


 そして踊り場には、縦に細長い、硝子も嵌まっていない窓が開いており、太陽が今の位置にある限り、その窓から射し込む明かりはないに等しかった。



 シャーロットはその、三階の高さの踊り場にいて、爪先立って細長い窓の下端から眼下を覗こうとしているところだった。

 爪先が体重の一部を壁に突いた手に譲り渡したせいで、指先が白くなって少し痛いが、どうでもいい――


「お、レディ」


 マルコシアスがそばで囁いた。

 こちらの方は、悠々と空中にあぐらをかいて、余裕綽々に窓を覗いている。


「いたよ」


「良かった」


 シャーロットはつぶやいたが、その後ろではオリヴァーとストラスが同時に、「なにが」とつぶやいていた。


 シャーロットは振り返り、隠しきれない罪悪感を滲ませた微笑を浮かべた。


「あー、いえ、私からも見えたので」


 ストラスは薄桃色の髪に手を突っ込み、いっそ悪魔らしからぬ嘆きの表情を浮かべている。


 オリヴァーは苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、「ストラスさんに命令さえしてくれれば、あとはお付き合いいただかなくても」と遠慮したシャーロットに、「いや、さすがにあぶなっかしいよ」と言って、ここまでついて来てくれたのは彼である。



 シャーロットとマルコシアスが見たものといえば、他でもないショーン・オーリンソンである。



 おそらく、今までのあいだに本棟の中をフォルネウスに捜し切らせたのだろう。


 フォルネウスも、悪魔の真髄のことを隠しておく都合上、マルコシアスがシャーロットを守っている限りは見つけられないのだということを、そう大きな声では言いづらかったに違いない。


 さらにいえば、ショーンが悪魔の言うことに耳を傾けるとは思えなかった。

 彼は監督生――模範的なリクニス学生のはずなのだ。

 つまるところが、悪魔の言うことはつねに疑ってかかるという優秀さと賢明さを持っている。



 ショーンは今まさに、半人半獣のフォルネウスを伴って、苛立ちを隠しもしない様子で、この塔の前を横切ろうとしているところだった。


 フォルネウスの下後半身は怪魚で、その大きなヒレがゆっくりと空中を泳ぐさまは幻想的でさえあり、ここが海の底なのではないかという錯覚をもたらす。



 シャーロットはマルコシアスを見つめた。


「エム、ワルターさんは無事ね?」


「とっても」


 マルコシアスは請け合った。


「今も、早くここから出られるようにならないかってやきもきしているよ」


 シャーロットは頷き、そしてもう一度マルコシアスを見て、今度は合図の意味で頷いた。


 マルコシアスは微笑んだ。


「お任せを、レディ」


 そして振り返り、いよいよ暗澹たる顔を見せるストラスを見遣る。


「ストラス、分かっていると思うけど、ここで僕の指示にそむいてごらん――」


 ストラスは「分かってる」というようにてのひらを見せたが、マルコシアスは念には念をと思ったのか、きっぱりと言葉を続けた。


「――僕はロッテに怒られるのも承知で領域に帰ったうえで、あんたのところに落とし前をつけに行くからね」


 ストラスは悲壮な眼差しをした。


「あなたの小さなレディを見捨てることも頭の中にあるなら、マルコシアス。その決断をもう少し前倒しにして、今、見捨てたらどう?」


 マルコシアスは愛想よく口角を上げた。


「おあいにくさま。いつロッテを見捨てるかは僕の胸ひとつだ」


 ストラスは悪態をついたが、了解を示して頷いた。


 マルコシアスは満足げに笑って、最後にもう一度シャーロットを見てウインクした。


 そして一秒後、その姿が猫に変じた――ほっそりとした灰色の猫が、しなやかな身体をくねらせて細長い窓を通り抜ける。


 と、窓を抜けるや否や、その姿はふたたび十四歳の少年のものに変わった。


 しかし今度は、この背中からコウモリのものに似た一対の巨大な翼が生えている。



 シャーロットは胸のうちに、誇らしさに似た感情が湧き上がってくるのを感じた。


 二年と少し前、マルコシアスはシャーロットのために、あの翼そのものに姿を変えたことがある。

 ネイサンいわくの、シャーロットの「鉄の翼」だ。



 連続で生き物の姿で形を変えることは、悪魔にとって負担になる。

 ストラスが舌打ちした。


「あいつ、自分は端っから戦力外だからって、無茶しちゃって……」



 堂々と翼を広げたマルコシアスに、もちろんのことショーンもフォルネウスも気づいている。


 窓の外、三階分を隔てた地面の上で、叫び声が上がったのが聞こえてきた。



「あの悪魔――」


 オリヴァーが、ちらりとシャーロットを窺ってつぶやいた。


「お前に対して薄情なのか親切なのか、分からないな」


「親切な悪魔なんていませんよ」


 シャーロットは答えて、小さく続けた。


「でもべつに、ありがたいと思うことはいいんじゃないでしょうか」



 窓の外では、マルコシアスが翼を広げて一瞬間滞空したのち、急降下して地面に降り立っていた。


 フォルネウスとショーンの目の前、塔を背後にした位置だ。



 フォルネウスがショーンの前にたくましい手を伸べて、彼を後ろに下がらせ、庇う。


 そして、おだやかな銀色の目を生き生きと輝かせて、破顔してマルコシアスに呼び掛けた。



「これはこれは! わが親愛なるマルコシアス、おめおめと領域に叩き帰されに来たか」



 ショーンが手を叩いた。

 とたん、彼の足許から別の悪魔が立ち上がった。



「――魔精だわ」


 ストラスが、いつの間にかシャーロットの隣に立っており、低くつぶやく。


「まあ、私やマルコシアスの敵じゃないけれど、フォルネウスがいるとなると、立ち回りとしてはちょっとばかり面倒になるかしら」


 シャーロットは舌打ちした。

 ――魔精ならば、「召喚学」の講義の一環で召喚していた可能性もある。考えておくべきだった。



 魔精はどうやら、極端に頭の大きな小人の姿をしているようだった。

 頭の大きさと比べて不釣り合いに短く見える手を、曲げたり伸ばしたりしているのが見える。



 シャーロットがはらはらしながら背伸びし、窓越しに見下ろした先で、しかしマルコシアスは微塵も動揺していないようだった。



 かれの表情は見えなかったが、それでもシャーロットには、マルコシアスが微笑んでいることが分かった。



「格下の威を借るとは情けないぞ、わが友」



 首を傾げて、マルコシアスが言い放った。



「それから、もちろん、逆だ。

 ――親愛なるフォルネウス、あんたを領域に叩き落としてやろう」






















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