04 世の不条理
「これが、シャーロット・ベイリーだ。
彼女を、何が何でも引き渡すように」
薄暗い部屋でそう告げられ、アーノルドは軽く天を仰いだ。
泥棒の次は誘拐か。
――その部屋は、薄暗くはあっても清潔で、整然としており、更に言えば生活感がなかった。
入口のドアを入ったところに、壁を背にした優美な長椅子と、その長椅子に対して、オークのローテーブルを挟んで向かい合う二脚のチンツ張りの椅子が置かれている。
ローテーブルの上には、洒落た意匠の灰皿が置かれていたが、この部屋で煙草を燻らせている者はいなかった。
反対側の壁には暖炉があり、そして奥には広々としたベッドと、そして窓際にテーブルと椅子のセットが鎮座していた。
部屋の中が薄暗いのは、灯りの一つも入れられておらず、そして窓のカーテンが閉め切られているがゆえだった。
足許には毛足の長い、光の加減によっては銀色にも見える灰色の絨毯が敷かれており、アーノルドはそのせいで床を踏むにも怖々と足を運ばざるを得なかった。
今も、チンツ張りの椅子に座るよう促されたものの、彼はそこに浅く腰掛けており、尻の半分ほどしか座面に載せておらず、そのため座る姿勢を取る脚に体重の殆どを預けることになり、ぷるぷるとその脚は震えていた。
とはいえ、とてもではないかチンツ張りの椅子に堂々と寛ぐ気にはなれなかった。
ここは首都ローディスバーグより遥か西に位置する町、リードブリッジのホテルの一室だった。
ここを安宿と形容する言葉を彼は今さっき耳にしたところだったが、これが安宿と言うならば、彼が今まで生活していたところはさしづめウサギの巣だ、と彼は思っていた。
――彼の人生は、ここ数箇月で忙しく回転している最中だった。
彼はノースリントン――首都より遥か東の海辺の田舎に生まれつき、貧しい土地柄の例に漏れず、極貧の家庭で育った。
物心ついたときには既に、水揚げされた魚を市へと運ぶ仕事の手伝いをさせられており、初等学校すら満足に通えぬまま――ノースリントンの学校は、木造の古い平屋建てのものだったが、それは教育機関というよりもむしろ、最低限の金勘定の方法のみを教える場所と成り果て、数字の他の文字すら満足には教えられないものだった――、ノースリントンでは稼ぎに限界があるとして、十歳のときには出稼ぎに向かうことと相成っていた。
出稼ぎとは名ばかり、実質的には口減らしであった。
なけなしの荷物を担いで家を出る間際、母が涙を見せたことが彼の唯一の慰めであった。
母とて望んで自分を手放すわけではないと、幼いながらに理解したからである。
彼は最初、炭鉱で石炭の採掘に当たった。
暗闇の中で硬い岩盤に挑み、下手をすれば噴き出す毒の瘴気に当てられてばたばたと命を失うような場所である。
彼はそこで親しくなった友人を亡くしたが、何はともあれ生き延びた。
派手な落盤事故を潜り抜けたあと、彼はその炭鉱が、もはや採掘を続けられる状態になくなり、閉山されると聞かされた。
十二歳にして職を失い茫然とした彼には、しかし生きるためには茫然とする時間すらなく、ともかくも人の流れに任せるまま、貨物の汽車に忍び込み、やっとの思いで首都に辿り着いていた。
首都で彼はあらゆる仕事をこなした――汽車のために石炭を運ぶ仕事、下水に詰まった死体の処理の仕事、それより比較的平和な煙突掃除、駄賃を貰って道端の酔っ払いを首都警察に届けることもしたし、乗合馬車の詰め所で、馬糞の処理を請け負うこともあった。
彼の塒は首都の外れ、下水道の出口が川へ注ぎ込む傍にあり、そこに彼同様にその日暮らしをすぐ人々が身を寄せ合っていた。
端材や布切れを収集して、集落ともいえない粗末な棲み処がそこに形成されていた。
首都の中心に居を構える人々が一声上げれば、容易く取り壊されるであろう儚い住居に、しかし人々はしっかりと根を張って生きていた。
彼もそこで、夏は暑さに辟易し、冬は寒さに凍えながら、およそ二年に亘り暮らしていたわけである。
そして数箇月前、夏の終わりごろ、いつもと同じく下水に詰まった死体を引っ張り上げているときに、声を掛けられたのだ。
通常の仕事とは桁外れの報酬を示されて、彼は一も二もなくその話に乗った。
よくある話だった――彼のようなその日暮らしをしている仲間の中では、ふらりと高額の仕事の話を持ち掛けられた者がいるという話はよく聞いた。
その仕事を受けた連中は、悉く彼らの前から姿を消していた。
それが、首尾よく報酬をせしめた結果にあのごみだめに用がなくなったがゆえか、あるいは他の理由のゆえなのかは、彼には分からなかったし、興味もなかった。
持ち掛けられた報酬が高額のものだった、それが全てだったのである。
この報酬の額は、それこそ犠牲にする倫理の大きさと正比例しているものではないか、というようなことをちらりと思いこそしたが、実際にその報酬が支払われれば、暖炉のある家を借りられるに違いないという一点こそが、彼をその仕事に駆り立てた。
始めの仕事は簡単だった――彼はとある家に呼び付けられ、首都の下を走る下水道の構造を、ざっと話すだけで良かった。
次の仕事がどうにもきな臭かった――彼は海辺に聳える旧王宮から、下水道を使って、出来る限り素早く首都を抜ける経路を尋ねられた。
可能な範囲で彼は答えた。
そして三度目、とうとう彼は悪魔と対面させられた。
悪魔といえば、魔術師の命令で超常の現象を起こす未知の生き物である。
彼は生涯初めて遭遇する悪魔を前に度を失ったが、その悪魔の主人は手短に、「この悪魔はそれほど力の強いものではないこと」、「命令により、決して彼を傷つけることはない」ということを説明した。
彼はそれで落ち着きを取り戻したものの、そのときはやたらと目玉の大きな犬の姿をとっていたその悪魔が、主人の目に入らないところで、べえ、と舌を出したのは見えていた。
彼に与えられた仕事は、早い話が泥棒の片棒担ぎだった。
いつも彼を呼び出す初老の男性――彼はスミスと名乗っていた――は、悪魔とその主人を指差し、彼らがこれよりとある物品を運び出すので、その脱出の手助けをするよう、と彼に言いつけた。
それが、運び出すとは名ばかりの窃盗であろうということは、如何に学がなかろうと、アーノルドにもありありと分かるところではあったが、同時にそれを正面切って指摘しないだけの自衛の知恵も彼にはあった。
彼は喜んでと頷いて、そして数日前、実際に下水道に潜り込み、何かに追い立てられているが如き凄まじい勢いで下水道に飛び込んできた、鷹の姿をした悪魔の脱出を助けた。
さてこれにて任務完了、暖炉付きのアパートの一室を借りるだけの報酬が得られるぞ、と彼はわくわくしていた。
何しろそのときには年が明け、寒さは絶頂を迎えていたのだ。
だが、それから雲行きが怪しくなった。
スミスは彼に、報酬を渡す前にもう一つ仕事を頼みたい、と言ってきた。
断る術は彼にはなく、そうして彼は汽車に詰め込まれ、生まれて初めて正規の手続きで乗った汽車のコンパートメントの窓から、流れる景色をぼんやりと眺めているうちに、ここへ連れて来られた。
もはや自力で塒に戻ることは不可能だった。
汽車に詰め込まれているうちに、どれだけの距離を移動したのか、もはや彼には分かっていなかった。
そうして打診されたのが、先ほどの一言、つまるところが誘拐の打診である。
そのホテルの一室には三人の人間と、一人の魔精がいた。
チンツ張りの椅子に、座るというより爪先立って尻の一部を載せているようなアーノルド。
そしてその隣の、同じくチンツ張りの椅子に、こちらは深く腰掛けながらも、うなだれて両手の指先をじっと見ている壮年の男性――つまるところが魔精の主であるところの魔術師。
かっちりした灰色の背広を着て、彼は肩を落としていた。
そして、壁を背にして置かれたソファの上で、背筋を伸ばしてゆったりと腰掛ける初老の男性――スミスである。
これが彼の本名であるとはアーノルドも思っていないのだが、とにかくも彼にとって、この男性はスミスである。
スミスは黒い背広を着て、衒いなく脚を組んで、その膝の上に軽く握り合わせたほっそりとした両手を置いていた。
左手の甲に、僅かに色の濃い痣――あるいは、火傷の痕――が見えていた。
スミスは今しがた、ローテーブルの上に一枚の紙を置いたところだった。
几帳面な筆跡で書かれた文字を、アーノルドは読むことが出来ない。
「これが」と言われたということは、恐らく誘拐の目的となっている人物について書かれたものなのだろうな、と推察することしか出来なかった。
そして、魔精である。
かれは不機嫌そのものの表情をした目玉の大きな犬の格好で、魔術師の椅子の影に隠れるようにして、「おすわり」の姿勢を取っていた。
耳がぺたんと寝て、尻尾が丸まって尻の下に隠れている。
その様子を見て、全くもって事態を理解しておらず、ただ頼まれたことを淡々とこなしていただけのアーノルドであっても、あぁこの魔精はとある物品の運び出しには失敗したのだな、ということを察することが出来ていた。
――とはいえ、と、アーノルドはこっそり考えた。
スミスが何を企んでいるのかは知らないが、彼の振る舞いを見ていれば、彼にはここにいる二名の他にも、山ほど自由に動かせる人間がいるのではないかと思えるのだが、なぜわざわざ遠方からアーノルドをここへ連れてきたのか。
少し考えて、アーノルドは歓迎できない結論を頭の中に弾き出すこととなった。
――つまるところが捨て駒である。
アーノルドには縁者がいない。
それどころか、アーノルドが実在するということすら、国家権力は把握していない――それほど世界の末端の人間である。
つまり、何かあれば切り離すことの出来るトカゲの尻尾として、自分が利用されようとしているということを、アーノルドは本能的に察したのである。
もはや、彼に示された報酬を、スミスが実際に払う気があるのかすら危うい。
これは困った、と思いつつも、アーノルドにはこの状況に抗う術がなかった。
既に彼はスミスに手を貸してしまっており、共犯の関係にある。
この状況での「イチ抜けた」の宣言は、恐らくスミスには受け容れられまい。
そして何より、彼の本拠は首都のごみだめにあった。
そこで彼は生活の基盤を築いてきたのであって、あそこに帰る手段が距離という物理的なものに遮られてしまっている以上、まずはここでの拠り所、つまるところが目の前のスミス、彼に縋るより他ないのである。
アーノルドは目を瞑って、現状を受け容れた。
〝期待外れを神さまと人に向かって言うのはナンセンス〟。
アーノルドはアーノルドなりに、生き延びる目を探すしかなさそうだ。
魔術師が手を伸ばして、ローテーブルの上のその紙を引き寄せた。
そして、ちらりとアーノルドを見た。
アーノルドの困り顔から、魔術師は彼が字を読めないことを察したらしかった。
鼻から息を抜いて、魔術師はその紙をぺらりと持ち上げて、目の前に掲げた。
そして、ぼそぼそと読み上げ始めた。
「……シャーロット・ベイリー。ケルウィック在住。この春で十五歳となり、リクニス専門学院に入学予定。
――うん? ミスター・スミス、これは誤記では?」
スミスは動じず、ぴんと皮膚の張った、生気のない頬をぴくりとも動かさずに応じた。
「誤記ではないよ。ミズ・ベイリーは才媛らしいね」
アーノルドは意味が分からず、ただ真顔を作っていた。
魔術師は軽く首を振り、再びその紙に目を落とした。
「身長は四・九フィート。金髪。やや痩せ型。肌の色は白。顔面に多少のそばかす――なるほど、なるほど」
魔術師は頷いて、紙をローテーブルの上に戻し、それをそっとスミスの方へ押し遣った。
スミスは無表情のまま身を乗り出し、それを更に魔術師の方へ押し遣った。
一つの犯罪行為を指先で押しつけ合う大人たちを、アーノルドは無言で眺めていた。
ややあって、魔術師が言葉を濁しながらも言った。
「あー……ミスター・スミス。これは当初聞いていた――その――物品の運び出しとは、およそ無関係に思える件だが?」
魔術師は、横目で椅子の影に蹲る魔精を見遣った。
魔精はすうっと視線を逸らせ、その拍子にアーノルドと目が合って気まずそうな顔をした。
犬の顔面で表情豊かなことである。
スミスは眉ひとつ動かさなかった。
「確かに、そうだ。無関係だ」
スミスは痩せた両手の指を組み合わせ、有無を言わせぬ眼差しで魔術師を見据えた。
「仕事をやり損ねたきみに、まだなお報酬を渡す策はないものかと私は思案した。親切心と思ってくれて構わない」
魔術師が言葉に窮したあいだに、スミスはつぶやくように言った。
「クローブ社の研究職は惜しかろう」
魔術師は息を吸い込み、そしてがっくりとうなだれた。
彼は手を伸ばし、ローテーブルの上の紙を手に取り、今度はじっくりと眺めた。
そうしながらも、彼は哀れっぽい声で、椅子の影に蹲る彼の魔精に言葉を向けた。
「――リンキーズ、お前、本当に、あの……例のものを落としたのはどこなのか、心当たりはないんだね?」
リンキーズと呼ばれた魔精は大きな目玉をぐるりと動かした。
そして、キィキィと甲高い声で囀った。
「ないね。都会ではなかった、それだけ。――ご主人、僕を解雇してくれていいんだよ。報酬はなしでいいからさ」
魔術師はゆるゆると首を振った。
「あと一仕事手伝ってもらうよ。それが成功すれば、もちろん、当初約束した報酬を支払おう……」
リンキーズはぶつくさと一通りの文句を並べた。
しかし、主人に楯突くことはしなかった。
魔術師は諦めの溜息を零して、悲しそうな眼差しでスミスを見た。
「ミスター・スミス。われわれが最初にどこに向かうべきか、その助言は頂けましょうな?」
スミスはやはり表情を動かさなかった。
魔術師が己の思惑に従って動くことに、微笑みの一つも見せはしない。
「ミズ・ベイリーは二箇月ほど前、ちょうどリクニス専門学院の合否が分かった直後に転居した。スプルーストンだ」
魔術師は瞬きした。
「リクニスは全寮制ですが――わざわざそんな遠方に入学直前に移るとは妙ですな。もう初等学校に用はない、ということですかな」
スミスは静かに咳払いした。それで、魔術師もはっとしたようだった。
慌てたように、「スプルーストン」と口の中でつぶやいて、彼は言った。
「ここからほど近い――ですな」
スミスは眉ひとつ動かさなかった。ただ、口調は皮肉っぽくなった。
「そのために、ここへお連れしたのですよ」
アーノルドはうなだれた。
やはり、スミスに彼の「イチ抜けた」を聞く気はないのだ。
それどころか、半歩程度はスミスの側に踏み込んでしまったのだから、ここで妙な挙動を見せれば、恐らくアーノルドは明日の朝陽は拝めまい。
――もはや遠い記憶となりつつある、小さな頃からの母の言いつけがアーノルドの頭の中をぼんやりと過っていった――人を叩いてはいけません。
人のものを盗んではいけません。人が嫌がることを無理強いしてはいけません。いつも正直に、思い遣りを持って。
思い遣り。
思い遣りというものが、今この事態に立ち入る隙間があるだろうか。
スミスは淡々と言葉を続けた。
シャーロット・ベイリーが現在どこにいるのか。
スプルーストンの人口は少ない。人目につかない時間はこの頃で、自分ならその時間の決行を勧める――そういったあれこれ。
アーノルドも、そして恐らくは魔術師も、気が進まないにせよ、事の成否は疑っていなかった。
何しろ、相手は十四歳の少女であり、こちらは――同じ十四歳とはいえ、生活環境によって否が応にも鍛えられてきた――少年と、魔術師である。
ただの少女に抵抗できようか。
「ミズ・ベイリーを無事にお連れすることが出来たら、」
スミスはゆっくりと手指を組み替えつつ、穏やかに言った。
「ベイシャーまで送り届けるよう。そこの港で私が彼女を引き取ろう」
アーノルドには未知の地名だったが、魔術師にも、そして魔精にも、その位置は分かったらしい。
魔術師がもごもごと、「ずいぶん北だね」とつぶやくのが聞こえてきた。
スミスはそれを無視し、しかし魔術師に目を向けた。凍てつくような灰色の目だった。
「きみに後で贈り物があるが――、その前に、」
スミスが手を伸ばして、ローテーブルの上に置かれた洒落た灰皿に指先を触れた。
途端、その灰皿が動いた。
アーノルドはぎょっとして、その拍子にチンツ張りの椅子に深々と腰掛けてしまった。
そうでなければよろけて倒れていたに違いない――彼の目の前で、灰皿はひとりでにかたかたと動き、ややあって、まるで蹲っていた小さな生き物が伸びをするように形を変え、そして見る間に、白々とした羽が美しい大きなオウムへと姿を変えていた。
オウムの左足に、金色の小さな足環が光っているのが見える。
かち、と、オウムの爪がオークのローテーブルに当たる音が聞こえた。
オウムは一度、気取った様子で冠羽を立てた。
しかしすぐにそれを寝かせて、堂々と胸を張ってテーブルの上に立っていた。
アーノルドはただただぽかんとし、目を疑ってわれ知らず目を擦っていたが、魔術師は別の意味で驚倒していたようだった。
魔精は飛び上がり、勢いよく椅子の後ろに隠れた。
「これはこれは!」
魔術師が声を上げて、立ち上がった。
「魔神だ――見事だ――気づかなかった――」
「かれにきみたちを守ってもらおう」
スミスは素っ気なくそう言って、それから立ち上がり、床に膝を突いた。
アーノルドはこっそり息を呑んだ。
この隣の男だけではなく、スミスも魔術師だったとは。
オウムは翼を聳やかして、理知的な、小さなくろい目でスミスを見据えた。
スミスが僅かに首を傾げる。
「お願いしていた通りです。この二人を見ていてくださいますか」
オウムの姿をした魔神は、鳥に独特の首を傾げる仕草を見事に真似てみせた。
かれは声を出したが、特段くちばしが動く様子はなかった。
「――命令だからね。この二人がきみの意に背かないよう見張ろう」
そのとき、アーノルドはあることに気づいてむっとした。
――スミスは魔術師だ。
こうして悪魔に言うことを聞かせているのだから間違いないだろう。
ならばアーノルドに命じた誘拐を、スミスは自分の悪魔を使って達成することが出来るはずなのだ。
それなのにスミスはわざわざこうして、アーノルドとこの気弱そうな魔術師を捉まえているのだ。
――〝期待外れを神さまと人に向かって言うのはナンセンス〟。
自分に言い聞かせる。
スミスはスミスの都合で動く。
アーノルドの都合では動かない。
そして、このオウムの姿をした悪魔が、アーノルドとこの魔術師につけられる監視というわけか。
誘拐任務の遂行を見守り、万が一にもアーノルドや魔術師がスミスの意に沿わないことをしようとすれば、悪魔らしい力で彼らを罰する、というわけである。
誘拐を悪魔に命じることはしないのに、誘拐を見守ることは命じるとは。
この世の不条理に、アーノルドはがっくりとうなだれた。
――さてこれは、キノープス暦九五二年、一月二十三日のことである。