24 七十年前までは
彼はほとんど卒倒しそうになりながら、慣れた廊下を速足で歩いていた。
すれ違う下官たちが彼に挨拶や会釈を寄越したが、彼はそれに対する返答も上の空でこなしていた。
――シャーロット・ベイリー! どうしてあの娘が忽然と議事堂に現れるのだ!
ウィリアム・グレイは何をしている。「進展なし」とメモを書いて寄越されたばかりだ、目と鼻の先にいるあの小娘を見落とすとは!
いらいらと顔をぬぐう彼の左の手の甲に、色の濃い痣が見えていた。
彼はゆっくりと息を吐き、頭の中で算段を組み立て直そうとしていた――まだ全てが水泡に帰したわけではない。むしろ、あの娘の方からてのひらに飛び込んできたともいえる展開だ。
ただ、首相にあの娘の所在が知れたことには、苦い味を覚えざるをえなかった。
(首相はあの娘の処遇を気にかけるだろう……)
舌打ちを堪えながら、彼はなんでもない風を装って――そしてまた、それは完璧な仮面となったが――、廊下の一画の電話ボックスに入った。
木の板で簡単にスペースが区切られ、一つ一つのスペースに一つずつ、電話が三つ並んでいる。
そのうち一つに歩み寄り、彼は壁に取りつけられた電話の、釣鐘型の受話器を取って耳に当てた。
電話機のそばの壁にもたれ掛かるようにして、廊下を行き交う人々を眺める。
すぐに、交換手の明るい声が聞こえてきた。
この電話は外につながるものではない――議事堂の中、あるいは他の省をつなぐだけのものだ。
「どちらへおつなぎしましょう?」
明るい、てきぱきした女性の声に向かって――実際は、無愛想な電話機の釣鐘型の送話口に向かって――彼は送話口に向かって身体を傾け、愛想よく言った。
「技術省のアレス・メッセンを頼む」
「技術省――ミスター・メッセン――お待ちを」
彼が内心でいらいらし、受話器と電話機をつなぐ導線を指先でこねくり回しながら待つこと数十秒で、ようやく相手が電話口に出た。
声をひそめており、背後の音がざわざわと受話器を通じて彼の耳にも届く。
アレス・メッセンは、己の死刑執行人にお茶を出す任務を課されたかのような屈辱を籠めて、縊られる鶏のような声で、電話機に届くぎりぎりの、囁くように応答した。
「――なんです、昼間に、珍しいですね。
こっちはウェスナーのヘマの尻拭いで忙しいんですが」
「上手くすれば二度と他人の尻拭いをせずとも済む金を払ってやる」
彼の言葉に、電話の向こうのメッセン氏は黙り込んだ。
しばしのあいだ、電話の向こうのざわめきだけが聞こえていた。
ややあって、メッセン氏の声がざらつきを伴って聞こえてきた。
「なんでしょう。こちらも、ボリスの二の舞は避けたいんで、そういうお話じゃなければ嬉しいんですが」
彼は即答した。
「残念ながら、そういう話だ」
「なら――」
メッセン氏は受話器を置きたそうな声を出した。
それを察知して、彼はうんざりした声を出した。
「このやりとりは何度もしたと思うけれども、メッセン。
私がいなければ、お前はレウゼンバーグ工場の爆発の責任と債務を一身に負うことになるんだよ」
メッセン氏は悪態をついたようだったが、どうやら顔を電話機から離していたらしく、詳細な言葉の内容までは彼の耳に届かなかった。
ややあって、メッセン氏はどうにかしてこの依頼を穏便に断ろうとしたらしく、情けない声であわれを誘おうとした。
「それでもですよ、いいですか――僕とあなたのあいだのことは、あんまり公にしていい類のことではないでしょう。
僕がこの忙しい中で席を外して、スプルーストンなりケルウィックなりに向かい始めたら、同僚たちがどう思うか――」
「その心配は無用だ」
言いながら、彼はふと廊下を歩く知人に気づいて、なんでもない風に微笑んで、軽く会釈してみせた。
あちらもそっけなく頭を下げて、足早に去っていった。
彼は息を吸い込む。
彼の心情を表しているのは、その声音のみだった。
「――彼女は今、議事堂にいる」
電話の向こうで、メッセン氏が大きく息を呑んだ。
「それはまた……。あの人がお知りになれば、ただじゃ済みませんね」
彼は深く息を吐いた。
「――もうご存じだ」
メッセン氏は少しのあいだ黙り込み、そのあいだ、彼の耳には受話器を通して聞こえるざわめきが届いていた。
大きく息を吐き出すにぶい音がしてから、メッセン氏が諦めた様子でつぶやいた。
「そういうことなら、分かりました。
――ただ、あのお嬢さん、悪魔を召喚してるんですよね、魔神……」
「そう、魔神だ」
彼は認めて、姿勢を変えて壁を向いた。
「序列と名前は不明だが、あのかたの魔神が一度見ている。位は低くはないそうだ」
「あの人の魔神でも名前が分からないんですか」
メッセン氏が不安そうな声を出し、しかし直後に思い直したように言った。
「そうか、自分より序列が低いから、逆に分からないのか」
「そうかもしれないな、私には分からないが」
彼はそう言って、相手の言葉を待った。
メッセン氏がつぶやいている。
「微妙だな……、僕が今召喚している魔神はハルファスだけです。序列は三十八番。
仮にこれを上回るなら、僕が召喚している他の魔精を合わせても、及ぶかどうかは――」
彼は気忙しくメッセン氏の言葉を遮った。
「勝ち負けは二つに一つだ、彼女を捕らえろ。勝算はそちらで考えることではない、こちらで判断して、お前にこれを依頼している。必要であればビフロンスの加護の水でも掛けてやれ」
メッセン氏の声に苦みが走った。
「だから、それを使ってしまうと、彼女はもう目を覚まさなくなるんですって。あなたはそれでもいいんでしょうが、こちとら教育を受けた魔術師だ、そんな風にあの加護の水を使うのは気持ちが悪い――あぁ、いや、大丈夫、すぐに戻るよ。収拾はいつごろになりそうかとのお問い合わせだ」
最後の一言は、電話越しの彼ではなくて、メッセン氏の近くにいる誰かに向かっての言葉であるようだった。
どうやら、多忙の中で電話機にかじりついているメッセン氏に、誰かが怪訝の声を掛けたらしい。
彼は溜息を吐いた。
長話をしすぎた。
電話口に戻ってきたメッセン氏は、気もそぞろの様子で言った。
「――ええ、じゃあ、僕の悪魔に依頼して、ともかくもやってみますよ」
「賢明な判断だ。――あと一つ、いいかな」
彼の言葉に、いよいよ受話器を置こうとしていたらしいメッセン氏が、かすかな苛立ちを滲ませて応じた。
「はい? なんです」
「魔精を一つ借りたい。私の命令に従うよう言い聞かせてくれ」
メッセン氏は面喰らったようだった。
「え? ――そりゃまあ、出来ますけれども……」
「よろしい。魔精リンキーズよりも格上のものを」
よどみなくそう言う彼に、メッセン氏がくぐもった笑い声を上げた。
気の毒そうではあったが、対岸の火事を笑うような調子でもあった。
「あらあら。グレイが何かやりましたか。
――魔精エディルを召し出しますよ。気性は荒いですが忠実です。今どちらです? 向かわせます」
彼はまた姿勢を変えて、電話機のそばの壁に半身でもたれ掛かり、横目で廊下を行き交う人々を眺めた。
心もち送話口に向かって身を傾けるようにして、彼は声もひそやかに続けた。
「逆だ。何もしない、役にも立たない。あれはもうけっこう。
――今は議事堂二階だ。これから私の執務室へ向かう」
答えまでに一拍の間があった。
「――承知しました。向かわせます」
▷○◁
「――皮肉……ですか?」
シャーロットはぽかんとして、首相の言葉を繰り返した。
一方の首相はシャーロットを見ていなかった。
彼はぼんやりとシャーロットの足許のあたりを眺めて、何かを思案しているようであり、そして二人の軍人は、もともと首相が座っていた席のそばから、一歩も動かず直立しているままだった。
三秒後に、それはシャーロットにとっての幸運へと転じた。
ひょい、と顔を出した窓の向こうのマルコシアスの顔が、硝子越しにはっきり見えたのだ。
ばっちり目も合った。
マルコシアスはちょっと考えたあと、ひらひらと小さく手を振ってきた。
(は――はあ?)
シャーロットはさすがに表情を繕えずに唖然としてしまったが、それを怪訝に思ったらしき軍人の一人が窓を振り返ると同時に、マルコシアスはふたたび頭を引っ込めていた。
軍人は不思議そうにシャーロットに視線を戻した。
そのときにはもう、シャーロットはなんとか表情を立て直し終えていた。
もう一人の軍人が、そっと首相を振り返った。
ちらりとシャーロットを見てためらったようでもあったが、彼は小声で進言した。
「――例の盗難のこともあります――」
首相が軽く片手を挙げて、彼の言葉を制した。
そしてその手をみずからの顎に当てて、さらに何かを考えた様子だった。
そして、元のとおりに椅子に座った。
膝の上に肘をつくようにして、彼は身を乗り出してシャーロットを見つめた。
シャーロットはおののいた。
「はい」
「シャーロット、誘拐されそうになったというのは、いつ?」
シャーロットは即答した。
なぜなら、それすなわちマルコシアスを召喚した日であったために、よく覚えていたからだ。
「一月二十七日でした、閣下」
首相は少し考えた。
それから、やや慎重に尋ねた。
「他に何かなかった?」
「――えー……」
シャーロットは言いよどんだ。
“何か”も何も、屋敷に殺し屋が乗り込んできたり魔精が尾行についていたりと、明らかに思い当る節があるのだが、それを話してしまうとマルコシアスのことを話さざるを得なくなる。
シャーロットが迷っているうちに、首相は言葉を変えた。
「最近は大きな怪我もしていないね?」
これには返答で迷うこともなく、シャーロットはこくりと頷いた。
そして、何か言わねばという強迫観念に駆られた結果、ごく小さな声でつぶやいた。
「……お心遣いありがとうございます、閣下」
首相は奇妙な表情でシャーロットを見た。
シャーロットは赤くなった。
しかし首相はいかにも国家の最高権力者らしくそれに頓着せず、右手を軽く挙げて指を曲げた。
きわめて簡素な手招きの仕草であり、それに応じて腰を屈めた軍人の一人に、彼は小さな声で囁きかけた。
シャーロットが全神経を集中しても、その声をかすめとるには及ばない程度の声量だったが、ここはマルコシアスが気を利かせた。
かれに仕える精霊がかいがいしく、彼女の耳許に首相の声を運んできた。
「――彼女が無事なら、盗難がその目的であっても、達成には至らない」
話が見えず、シャーロットは本音をいえば盛大に眉を顰めたくなったが、首相の声が聞こえた様子を見せるわけにもいかず、あいだをとって唇を噛んだ。
首相の言葉に軍人が――不安な様子ながら――頷き、首相はまたシャーロットに視線を戻した。
目尻のしわが笑みに深くなったが、決して本心からの笑みというわけではなさそうだった。
彼の青い目は翳っていた。
「きみ――シャーロット。あんな大騒ぎを起こさずとも、きみ、家名を名乗って軍省に名乗り出ていれば、私へ話は通ったのだよ。次からはそうしなさい」
「次……?」
シャーロットは思わず口の中でつぶやいた。
首相はそれにはかまわず、言葉を続けた。
「この二人がきみを軍省に連れていく。今後は保護するから安心しなさい。
軍省で、きみを誘拐しようとした人物について、知っていることや見てとることの出来た範疇での容姿について、彼らに話すように」
そう言い置いて、首相が立ち上がった。
そのまま彼が立ち去ろうとする気配を察して、シャーロットは椅子の上から飛び上がった。
それを見て、「何してんだよもう!」と叫びそうになったのは、窓の外のアーノルドである。
身分のある相手を呼び止めるとは何を考えているのか、と、道ゆく貴族の馬車の視界に入っただけで鞭打たれた友人を持っている彼としては、気が気ではない。
とはいえシャーロットの方にも言い分はあった。
このままでは、軍省の奥に押し込められて、とてもではないが九月までに自由の身にはなれそうもないということを、予感として察したのである。
首相の態度は、取り急ぎこの――シャーロットが巻き込まれたのか、はたまた彼女が生まれる前から彼女に付きまとっていて、ここに至って顕在化したものであるのか――厄介事を片付けようとしているものではなかった。
連綿と続いてきた何ごとかの一環として、この状況を受け容れようとしているものだった。
「お待ちください!」
衝動的に叫んでから、シャーロットは自分に注がれる軍人たちの目が厳しくなったのを感じ取り、さらにいえば許しもなく地位のある人の前で立ち上がるのは褒められたことではないということを思い出し、しかしながら椅子から飛び上がってしまったものは取り返しようがなく、折衷案としてその場で礼儀正しく両膝をついた。
それで、シャーロットが首相に何ごとかを哀願しているような格好となった。
シャーロットは可能なかぎり、自分が椅子から立ち上がったのはそもそも膝をつくためであったのだ、と言わんばかりの表情を作ってみせた。
「閣下――私はお父さま……父から、詳しいことを聞かされてはおりません。
どうして私は――」
首相は振り返り、まじまじとシャーロットの蒼褪めた顔を見つめた。
心情もあって蒼褪めているが、元より彼女の顔は青白かった。
「そう焦らなくとも、十八になればおのずと知らせる」
首相は慎重にそう言ったが、シャーロットの表情は意固地なものになった。
頑として譲らず、彼女は言った。
「閣下、お言葉ですが、十八になるときには、私はリクニスの寮にいる予定です」
首相は瞬きして、なおもまじまじとシャーロットを見遣った。
彼――チャールズ・グレースは伯爵家の出身であり、「お言葉ですが」という言葉を振り翳して自分に対して食い下がる子供を、そう何人も見たことがあるわけではなかった。
さらにいえば、彼はローディスバーグに所在する彼の生家のタウン・ハウスで生活し――両親は、マナー・ハウスに生活の拠点を置いており、幼いチャーリー少年にとっては母親よりも、親身に仕えてくれた乳母の方が心情的には親しいほどだった――、元より政治家を志して勉学に励み、ローディスバーグの名門の中等学校を出て、同じくローディスバーグの一画を占める大学へ進み、法律と経済を学んだ。
その間、彼はタウン・ハウスと大学のあいだを、彼の生家の紋章が染め抜かれた馬車で行き来して生活し、寄宿舎での生活は、ついぞ経験したことがなかった。
そして、リクニス専門学院――魔術師を目指す者たちが夢見る、魔術の最高峰を誇る学院――そんなところは、政治を志す以上、一度たりとも考えに入れたことすらなかった。
魔術師は政治家になることは許されない。
国王の権威は革命の中で失墜したが、政治は未だに、連綿と続いてきた貴族の血筋の所有物だ。
今も生き残っている貴族の血筋はすなわち、あの革命を生き延びる知恵と狡猾さを持っていた者たちの血筋だ。
議会を構成するのは貴族院と庶民院だが、貴族院の声が大きいのは明らかなことであり、庶民院に至っては、あれは財力のある商人たちの持ちものとなっている。
だが、そう、議会には、魔術師は一人たりとも立ち入ることは許されない。
昔は違った――七十年前までは。
七十年前の首席宰相と戦争省大臣は魔術師だった。
(この子はそれも知らないか――)
「閣下、お言葉ですが――恐れ入りますが、」
シャーロットは、「恐れ入りますが」という言い回しをやっとのことで思い出し、何かをじっと考え込んでいる様子の首相に向かって、懸命に言葉を作った。
「私がどうして、誘拐されそうになったり――こうして閣下と直にお会いすることが許されるのか、私自身がそれを知らないと、今後もしも同じようなことがあったときに、私がそれに対処できましょうか」
「きみが対処する必要はないんだよ」
首相は、苛立ちを懸命のおだやかさの陰に隠してそう言った。
「聞いていなかったか、これからは軍省がきみの保護に当たる」
「そんなことはおっしゃらないでください」
シャーロットは哀願した。
彼女は無意識に両手の指を組み合わせていた。
「そんなことになれば、私はいよいよリクニスに入学できなくなります――」
「――きみがリクニスを志すにあたって、その動機は、特段の問題のないものだ、とウィリアムは言っていたな」
ふいに首相はそうつぶやいた。
独り言のようだったが、それにしては語調がはっきりしていた。
「動機?」
シャーロットは尋ね返した。
その彼女の表情を見て、首相は唐突に気を変えたようだった。
彼が背広のポケットから金の懐中時計を出し、時刻を確認した――次の予定までの間合いを計ったようだった。
そして、首相はふたたび、元のように椅子の上に腰かけた。
「閣下」
軍人が一人、強い口調で為政者を呼んだ。
心変わりをとがめているようだったが、首相はそれに頓着しなかった。
「『どうして』か」
首相は無意識の仕草で懐を探った。
煙草を探したのだったが、どうやら携行していなかったとみえる。
彼は肩を竦め、脚を組んで、その膝の上にゆるく組み合わせた両手を置いた。
「掛けなさい、シャーロット。少し話そう――」
そう言われて、シャーロットは慌てて立ち上がり、後すさって、元のように椅子に腰を下ろした。
彼女の橄欖石の色の瞳は大きく見開かれており、それを見た首相は、彼女の父親もまた、全く同じ色合いの目を持っていることを思い出した。
――ことによるとシャーロットの曾祖母も同じ色の目だったのかもしれない、と考えて、首相はふと、その橄欖石の色合いが歴史を見守ってきたような錯覚を覚えた。
ゆっくりと息を吐いて、首相は首を振った。
「シャーロット、きみはずいぶん意志が固いようだから、この先、私たちがきみに求める責務と、きみの志す道が食い違うこともあるだろうと思う。
そのときにきみが、私たちがきみに求める責務をこそ選んでくれるように、今ここで少し話しておこう」
窓の外から、ひょっこりとマルコシアスが顔を出した。
かれが明瞭に顔を顰めたために、アーノルドの襟首を掴んだまま懸命にはばたいているリンキーズは肝を冷やした。
シャーロット本人は顔を顰めることもなく、傾聴を示すべく、行儀よく両手を膝の上に置いていた。
ここへきてようやく、彼女が巻き込まれた――あるいは生まれたときからそこにあって、ここ一箇月程度で顕在化した――問題を、欠片なりとも知れるとあって、シャーロットはまず何よりもほっとした顔を見せていた。
首相はしばらく、といっても数秒のあいだ、その顔を見ていた。
そして、溜息を吐いて言った。
「きみ、聞いたことはあるかね――ウィリアムが話したことがあるかな――〈神の丘〉、そう、ここだ、ここに眠る神の祝福を受けて、ローディスバーグの疫病を収めた乙女が、祖先にいると」
「――――」
シャーロットは無言で瞬きした。
人間、あまりにも驚くと声が出なくなるものである。
十数秒にもわたってまじまじと首相を眺めたうえで、シャーロットは小声でつぶやいた。
「……はい。あの、小さなころに同じ話を聞いたおうちの子なら、私も何人か知っていますけれど」
遠回しに、「それは与太話ですよね?」と確認した形だったが、首相は乾いた微笑みを浮かべて首を傾げた。
「そう……当時、いくつかの家が替玉として同様の話を流布した。そう聞いている」
シャーロットはまた、すばやい瞬きを挟んだ。
「はい……はい……?」
首相はそんな様子を見て、軽く笑い声を立てた。
軍人の一人が重々しく咳払いし、それで首相はその笑い声を収めた。
それからゆったりと椅子の背に体重を預けると、彼はおもむろに言った。
「その乙女とはきみの曾祖母だよ。
彼女が深く関わっている疫病は、きみも知っているだろう――〈ローディスバーグの死の風〉だ」
首相は片手で顎を撫でて、ごくおだやかな口調でつぶやいた。
「あれをふたたび起こさないため、われわれはきみの一門ときみを監視しつづけねばならない」




