21 捜し人見当たる
シャーロットがそばに戻ったとき、アーノルドはかすめるように彼女の左手首を見た。
そこから腕輪が消えていることを察したのかも知れない。
だが、彼がスミスの手先だとすれば、ここで何を不審に思おうが、彼はそれを呑み込んで、淡々と――演技を含んで――彼女をスミスのところへ連れていくはずだ。
そう考えて、彼女は堂々としていた。
案の定、アーノルドは何も言わなかった。
「で、ええと」
ズボンのポケットに手を突っ込んで、アーノルドはぼそぼそと言った。
「議事堂だっけ? こっちだよ」
歩き始めようとして、それからアーノルドはぱたっと足を止め、シャーロットを振り返った。
青灰色の目が、むすりと細められた。
「あのさ、おれ、一応これはさぼってるってことになるから――」
「人目は避けていきましょうね」
シャーロットは真面目に頷いた。
「ちょうどいいわ、私も、見つかるとここから放り出されかねないのよ」
その数十分後、二人はその場から放り出されないために、死に物狂いで路地を疾走していくことになる。
▷○◁
人目を避けるのは、最初はともかく、進んでいくにつれて難しいことになった――企業が軒を連ねる、グレートヒルの心臓部においても端に位置する区画では、この時間帯の人通りはないに等しかった。
ところが、垂教省の辺りにさしかかると、多くの役人が忙しく歩き回っているのだ。
シャーロットもアーノルドも知らないことだったが、これは暗黙の了解のうちに成り立ったことだった。
つまるところ、国の機関に属する人間は、午前のうちに外部との折衝を済ませることが多い――もちろん、大臣その人や貿易省などの、一日中を外部との折衝に使うような機関は別だ――、そして、小包の配達なども国の機関にこそ優先して――つまりは午前中に――行われる。
そして隔壁に寄って立ち並ぶ企業たちにおいてはそこに一歩を譲り、彼らがどっと外に繰り出して折衝を開始するのは、午後になってからのことなのだった。
例外はといえば、たとえば逓信省の役人がジョン・トワーズ石炭貨物社の人間を呼び出し、「ここからここへ物資を運ぶには何日かかる?」というようなことを、専門家の知見を求めるために尋ねるときのような、役人側の都合による場合だけだった。
最初に、子供の二人連れを怪訝に思った役人は、かすかに眉を寄せただけだった。
シャーロットは精いっぱい、「ただの見学です」という顔を装っていたし、アーノルドはアーノルドで、「仕事です」という、ここにいるのは当然だという表情を繕っていた。
だが、二番目に彼らを不審に思った役人がよくなかった。
彼は訝しそうに――さらにいえば、この辺りは垂教省(つまるところが、国中の学校を統轄する機関)であるはずだというのに、子供を見て嫌そうに顔を顰めると、そばにいた別の役人に、何事か囁きかけた。
囁かれた方は首を捻りつつも何かを言うと、すたすたとシャーロットとアーノルドに近づいてきた。
アーノルドはさっさと歩を進めた――見学にきた女の子を、使用人が案内していることほど不自然なことはないからだ。
つまり、唐突に、シャーロットとは連れではないと装ったことになる。
責めることではないので、シャーロットはそれをなんとも思わなかった。
ただ、足早に近づいてくる役人には狼狽した。
とはいえ、ここで逃げてしまえば、下手をすれば衛兵を呼ばれてしまう。
そんなわけで、シャーロットは不承不承ながら足を止めた。
不安そうな顔になることは止められなかった。
「――きみ」
足を止めたシャーロットに歩み寄って、若い役人は面倒そうに眉を寄せた。
「ここに何か用? 今日は特に、見学の申し入れもなかったけれども」
そう言いながら、役人は懐を探って煙草とマッチを取り出した。
マッチを擦ってしゅぼっと火を点けると、彼は煙草に火を移し、マッチの方は軽く振って火を消して、足許に落として靴の踵で踏みつけた。
つまらなさそうな顔で煙草の煙を吸い込み、ふうっとそれを吐き出すと、彼はシャーロットを矯めつ眇めつした。
「一人なの? 親御さんか、先生はどこ?」
「ええっと……」
シャーロットは目を泳がせた。
「今日は見学の申し入れもなかった」と言われたことが、彼女を動揺させていた。
アーノルドならば顔色ひとつ変えずに言い訳を繰り出しただろうが、そこは場数の差である。
「……見学なんですけど、はぐれて、迷ってしまって……」
とはいえ、かろうじてそう言うことは出来た。
少し先の曲がり角を折れ、ちょうど建物と建物のあいだの路地のようになっているそこに隠れたアーノルドは、はらはらしながらそれを窺っていた。
路地を振り返ってみると、どうやらそこは主に使用人たちが利用する通路になっているらしく、表には見えていないごみをまとめた袋や、資材の入った(あるいは、入っていた)木箱や樽が、所狭しと積み上げられている。
とはいえ、アーノルドがねぐらとしていたスラムに比べればはるかに清潔で、虫やネズミが湧いていることもない。
半地下の、恐らくは使用人が控えているのだろうスペースに通ずるのだろう裏口が複数見えていた。
そういった裏口に至る短い下りの階段は、誤って転落することを防ぐためだろう鉄柵に囲まれている。
いざとなったらここを逃げられるだろうか、と算段しつつ、アーノルドは悲壮な表情をシャーロットを窺う方へ戻した。
(頑張れ、頑張れ……)
「はぐれた?」
役人は眉を上げている。
もう一度煙草を吸うと、とんとん、と無頓着に足許に灰を落としながら、彼は少しばかり声のトーンを上げた。
「あー、どこで?」
シャーロットは緊張で息も止まりそうになっていた。
どこで? どこで?
――どこだろう。
結局、彼女はかろうじて、絞り出すように言っていた。
夜を日に継いで没頭した魔術の文献の中でよく触れられていた機関の名前が、反射的に彼女の口を衝いていた。
「――技術省の辺りです……」
「技術省?」
役人は語尾を上げた。
シャーロットは胃痛を感じた。
役人は煙草を持っていない方の手で額を掻くと、首を傾げた。
そして振り返ると、不機嫌そうな顔をしたもう一人の役人に、あろうことか大声で尋ねてしまった。
「技術省って、今日、見学があるとか言ってましたっけ?」
シャーロットは思わず目を閉じた。
緊張で耳鳴りがした。
どくどくと鼓動の音が反響する耳に、不機嫌そうな返答がかすかに聞こえた――「聞いとらんぞ。あそこは見学は入れん」。
シャーロットが目を開けると、目の前にそびえ立つ役人は、一転して厳しい顔で彼女を見下ろしていた。
彼が片手を伸ばしてくる――
「ちょっときみ、いいかな? 迷子になってるなら、私が親御さんを探してあげるから――」
「――――」
シャーロットは息を吸い込み、あれこれを考えるよりも早く、ウサギのように身を翻していた。
「おい、ちょっと!」と怒鳴る声が背後で聞こえる。
空中で事態を観察していたカササギは意地悪く笑ったことだろう。
転がるように走り、飛び込んだ角の先の路地で、アーノルドが狼狽して蒼くなっている。
「おい、ばか、何やってるんだ――」
「仕方なかったでしょう!」
シャーロットは理不尽に声を荒らげた。
「捕まっちゃったら、良くて摘まみ出されるし、悪ければ牢屋行きなんだもの!」
「もう、ばか!」
叫びながらも、アーノルドはシャーロットを見捨てなかった。
あの役人の足音が迫ってくる。
アーノルドがシャーロットの手首を掴んで、路地の先へ走り始めた。
あの役人がその後ろ姿を見たのだろう――「ちょっと誰か! 衛兵! 衛兵を呼んで!」と叫ぶのが背後に聞こえ、シャーロットはその場で転倒しかけた。
「おい! しっかりしろよ!」
手を引くアーノルドが檄を飛ばし、一方のシャーロットはもはや泣きそうになりつつ。
「だって、ここで捕まったらリクニスの入学は取り消しになっちゃうわ!」
「そんなことより下手すりゃ死刑だ! どっちにしろ、捕まんなきゃいいんだろ! ――こっち!!」
木箱をかわし樽をかわし、シャーロットの手を引くアーノルドが、適当な裏口に通ずる短い階段を、踏みもせずにもはや飛び降り、それに引っ張られて体勢を崩し、階段を転がり落ちそうになったシャーロットを器用に受け止めた。
そして、背中で体当たりをするようにして、正面玄関に比べればみすぼらしく見えるほどに質素な、その裏口の扉を勢いよく押し開けた。
シャーロットは、面喰らった様子のカササギがすばやく急降下してきて、間違いなく嫌そうな顔をしながらも、一瞬で白いネズミに化けるのを見た。
ネズミがちょろちょろと走って扉をくぐる。
扉を開けた先は土間になっていた。
戦場のような騒がしさが一気に押し寄せてくる。
十数フィート入ったところからは、広々とした厨房になっている。
広々としているとはいえ、調理台と竃が所狭しとそれぞれ複数並べられ、多くの人が忙しなく立ち働いているとあっては、いっそ手狭に見えるのだから不思議なものだ。
チーズが足りないのスープはまだかだの、金切り声が聞こえてきている。
立ち働いているのは男女が半々といったところ。
全体の進捗を管理するべき役割とみえる壮年の男性が、厨房の奥で椅子の上に立ち、帳簿を片手に大声で何事かを怒鳴っているが、それも竃の火がはぜる音と鍋がぐつぐつと煮える音、包丁が振り下ろされる音に遮られて聞こえない。
火が使われているから、冬とは思えない温かさだ。
実際、働いている人たちは額に汗している。
シャーロットは竦んで足を止めたが、断固として扉を閉めたアーノルドは彼女の手を掴んだまま、ずんずんと奥へ入り始めた。
それに気づいて、凄まじい速さで牛肉を削ぎ落としていたふくよかな女性が、「あらまあ!」と声を上げた。
シャーロットは目の前が真っ暗になったが、アーノルドは平然としている。
「まあ、可愛らしいお二人さん。どうしたの?」
その声で、続々と二人に気づく周囲の人々。
さかんに後ろを気にするシャーロット。
アーノルドは申し訳なさそうに笑ってみせた。
「すみません……仕事中で……この子は見学中に迷子になっちゃって……なんかお役人に見つかって大事になっちゃってるんですけど、この子、今捕まっちゃうと、お父さんにも先生にも怒られちゃうんです……」
その、不自然さも緊張も、一切みられぬ声音と口調よ。
シャーロットは、「これが嘘の手本か!」と、こぼれんばかりに目を見開く。
ふくよかな女性は、不審に思った様子もなかった。
周囲も忍び笑いを漏らしている。
「まあまあ! 災難ね! お役人なんて、あーんな偉そうな顔をして、子供のすることも見逃してやれないのかしら」
アーノルドは内心で、グレートヒルにおける使用人の待遇が、さほど良くはないことに感謝をささげた。
お陰様でおばさまを味方に出来た。
彼は困った風の微笑を浮かべる。
「おれも新入りで……道、よく分かんなくて……」
「あらあ。どこに行きたいの?」
「――えあっと……」
言い淀むアーノルドに、シャーロットが後ろから囁く。
「逓信省」
「あっ、逓信省の方――」
「じゃあ、あっちのお勝手から出て、道なりに進んでいきなさいな」
「ありがとう!」
アーノルドが笑顔を見せ、女性が示した方向へ、立ち働く人たちのあいだを縫うようにして進み始める。
手を引っ張られてされるがままになりながら、シャーロットは好奇心に負けて囁いた。
「なんのご馳走ですか?」
「今日は大臣がいらっしゃる日なの。昼餐のお支度よ」
どんどん奥へ。
表がどんな騒ぎになっているのかは分からないが、今のところ、ここへ通じる扉が開け放たれて、「御用改めである!」と叫ばれる様子はない。
いや、一瞬後にもそれがあり得るかと思うと、シャーロットは変な汗をかいてきた。
(まずいまずいまずい……)
「おい坊主。その格好、清掃下男か?」
椅子の上で帳簿を片手に怒鳴り声を上げていた男性が、アーノルドを呼び止めた。
シャーロットとしては、アーノルドのこの格好も芝居の一環であるという認識がある。
そのために恐怖に駆られたが、アーノルドは落ち着いていた。
椅子の上の小太りの男性を見上げて、彼は平然と。
「そうだよ。アングレアさんとこの」
彼の対応ぶりときたら、シャーロットが、彼はスミスの手先であるという自分の仮説を疑いかけたほどだった。
(だって、ちょっと落ち着き過ぎというか堂々とし過ぎというか……)
「ちょうど良かった」
小太りの男性は唸るように言って、ぴょん、と妙に愛嬌のある仕草で椅子から飛び降りてくると、右手に持った帳簿で左のてのひらをばしばしと叩きながら、困惑と怒りが半々になった顔で言った。
「今日の昼餐終わりの清掃の連絡がこねえ。こっちだって後始末があるんだ、手が回らねぇから誰か寄越すように言ってくれ。じゃねぇと晩餐までに片づかねぇぞってな」
アーノルドは一瞬、ためらって腰が引けたようだった。
シャーロットとしては気が気ではない。
いつ裏口が開け放たれて、「捕まえろ!」と叫ばれるかと思うと、爪先立ってしまうような心地である。
思わずアーノルドの背中を叩いて、「早く早く早く」と口早に囁いてしまう。
アーノルドはそんなシャーロットを目だけで振り返り、少し困った様子で頬を掻き、男性を見上げてつぶやいた。
「――分かった」
「助かる」
そうとだけ言って、男性はまたよっこらせと椅子の上によじ登り、あれこれと指示を飛ばし始めた。
アーノルドがシャーロットの手を引いて、親切な女性が示した勝手口へと進む。
用心しながらその勝手口を開けたとき、きゃあっと背後で悲鳴が上がった。
「ネズミがいるわ!」
シャーロットにとってさいわいなことに、「あの馬鹿」と独り言ちた彼女の声は、アーノルドには聞こえなかった。
数秒後、アーノルドに手を引っ張られて、シャーロットはふたたび冬の冷たい空気の中に踏み出した。
同時に、白い小さなネズミも、追い立てられるようにして路地へ突進した。
シャーロットは思わず、責めるようにそのネズミに向かって顔を顰めてみせたが、アーノルドは無論のこと、ネズミには気づきもしなかった。
ネズミはネズミで腹を立てているらしく、気の立ったネズミにふさわしく、細長いしっぽをピンと立てていた。
アーノルドがシャーロットの手を引いた。
「寄り道しちゃったけど、議事堂はこっち。
行こう」
続く道のりは、特大の障害にぶつかるまでは順調だった。
シャーロットが覚悟したような、迷い込んだ子供を捜す上を下への大騒ぎは起こっておらず、ただ辺りを徘徊する衛兵が増えているだけだった。
シャーロットとアーノルドは、こそこそと物陰から物陰へ渡り歩き、用心深く衛兵の目を避けて奥へ進んだ。
衛兵にしても、不審者がたとえば武装した若者であったなら、それこそ血眼になって不審者を探し出したことだろうが、あいにくと通報によれば不審者は非力そうな少女一人である。
彼らはのんびりと捜索していた。
ただ一点、シャーロットに大誤算があったとすれば、アーノルドが律儀に清掃下男を探し出して、椅子の上の帳簿男の伝言を果たそうとしたことだった。
シャーロットはこれに驚き、続いてあれこれ言って――もういっそ、アーノルドの格好がにせものであると当たりをつけていることまで言うべきか、彼女はずいぶん迷った――、今はそんなことをしている場合ではないのではないか、と伝えたものの、彼は頑として譲らなかった。
「おれは今、きみに付き合ってるから、直接あっちの清掃に入ることは出来ない」
と、アーノルドは律儀に設定を守って言った――
「けど、おれがあの伝言を伝えなかったとすると、あのおっさんは困ることになる」
シャーロットはすっかりぶうたれたが、それでも律儀に清掃下男を探し出し、あの伝言を繰り返すアーノルドを見て、彼が自分よりずっと善良な人間であるらしいということは、渋々ながら認めざるをえなかった――何しろ、彼女はあの伝言のことなど気にも留めていなかったのである。
白いネズミはシャーロットの足許にいて、興味深そうに二人のやりとりを見守っていた。
アーノルドは緊張したことだろう――シャーロットは、彼の立場を考えてそう想像した。
彼からすれば、シャーロットには自分のことを清掃下男の一人と思わせておかねばならず、そして捉まえた本物の清掃下男には、「お前は誰だ?」という疑念を持ってもらっては困るという、二重苦をともなってまで伝言を託したわけである。
そのお人好しぶりを見て、シャーロットは本当に彼が悪意をもって自分に同行しているのかどうかを疑ったほどだった。
(もしかしたら――もしかしたら、この人、スミスって人の手先じゃないかも知れない?)
伝言を果たし、安堵した様子でそばに戻ってきたアーノルドに、シャーロットは控えめに言った。
「さぼってるのがばれるかも知れないのに、お人好しね」
アーノルドは青灰色の目でちらっとシャーロットを見て、微笑んだ。
思いがけず優しい笑顔だった。
「きみだって、おれに字を教えただろ。同じようなもんだ」
シャーロットはあいまいに肩を竦めた。
「あの場合だと私に損はなかったけど、今の場合だとあなたに損はあるじゃないの……」
とはいえ、その「損」が致命的に働くことはなく、二人は議事堂近くで無事にほっと一息をつくことが出来た。
これはまったく度外れた運の良さといって良かった。
かれこれ八十年の平和のうちに、徐々に油断も出てきたとはいえ、それでも国中で最も警備の厚い場所の一つなのである。
アーノルドからすれば使用人の格好が、シャーロットからすれば「見学の学生さん」とみられるような年恰好だったことが、本人たちも知らぬうちに二人を救っている場面も多々あった。
アーノルドからすれば、やっとの思いで脱出した議事堂付近に戻ってきたことになる。
とはいえ、アーノルドは議事堂の横手の裏口から脱出した――対して、今臨んでいるのは議事堂の正面である。
議事堂は、この〈神の丘〉に建つ中で最も古い。
とはいえその歴史は七十年程度である――かつては王宮をこそ議会の場としていたものを、国政の心臓をグレートヒルに遷した時期が、ちょうど「ローディスバーグの死の風」の疫病が鎮まった時期と重なっているのだ。
国の一大事をようよう乗り越えたころに建造された議事堂は、グレートヒルに並ぶ他の建物と比べてみればやや無愛想な灰色の立派な外観を持っている。
それは、他の建物をその威容で押し退けたかのごとく、手入れの行き届いた広い芝生の上、〈神の丘〉の中腹に、堂々と陽の光を浴びて建っていた。
距離があってなお視界いっぱいを占領する広さと高さ、幅広の階段、林立する柱を抜けた先の巨大な入口――
「物陰に隠れていく作戦は、ここで終了ね」
口許にこぶしを当てて、最後の物陰(司法省の仰々しい柱の陰だった)にしゃがみ込んだシャーロットはつぶやく。
今しも、あきらかに政治家の一団だろうと分かる複数人が、手厚く衛兵に囲まれて、芝生の上に敷かれたレンガの道を通って、しずしずと議事堂に向かっているところだった。
議事堂をぐるりと囲むようにして衛兵が立っており、そこには一分の隙もない。
「――――」
アーノルドは黙り込んでいる。
彼は衛兵に囲まれて歩みを進める政治家の一団を、目を丸くして眺めている。
議事堂の周りがぽっかりと空いた芝生になっているのは、むろん、今の二人のような不届き者が、こそこそと忍び込むのを防ぐためである。
代々の首相に貸与される居宅――通称、〈ティスルハウス〉――は議事堂のそばにあり、その周辺も同じ理由で、ぽっかりと空いた芝生になっている。
芝生はよく手入れされ、磨かれたような明るい緑色で、冬の日差しに瑞々しく輝いていた。
「スミスって人、議事堂に出たり入ったりするかしら。もしそうなら、ここでずーっと見ていれば、いつかは通ってくれるんでしょうけれど。
あ、でもその前に、さすがに見つかっちゃいそうね。どうしましょう。でも議事堂を覗こうにも、この芝生の上なんて、入っただけで衛兵さんたちが駆けつけて来そうじゃない? ――ね?」
ひそひそと隣にそう囁きかけたシャーロットは、そのときようやく、アーノルドが言葉を失って政治家の一団を眺めていることに気づいた。
彼女は目を瞠る。
「どうしたの、アーニー?」
「あ、いや……」
声をかけられてわれに返り、それでもどもりながら、アーノルドはおずおずと、その政治家の一団を指差した。
「……あの、気のせいじゃなければ、あれ」
シャーロットは瞬きした。
「えっ?」
アーノルドはしっかりと、くだんの政治家の一団の最後尾あたりを示していた。
「あの人が、スミスさん」
シャーロットは、こぼれんばかりに目を見開いた。




