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06 掌中の珠

 シャーロットは乗合馬車の駅にいた。



 駅といっても建物があるわけではない。

 そこは大きな円形の広場で、その中央には背の高い円形の花壇が設けられていた。


 他にも、広場のあちこちに、馬車が進むべき道を明らかにするための、細長い花壇が設けられている。

 花壇と花壇の間を抜けて、単純な迷路を辿るようにして、乗合馬車が進むように出来ているわけだ。

 ――が、それほど多くの馬車がスプルーストンを走ったのも今は昔、最近は乗合馬車も一日に二台が走るか走らないかといったところで、駅は閑散としていた。

 乗合馬車の切符は車内で切るものであって、駅に人がいる必要もない。


 花壇は、過日こそ手入れされていたようだったが、今となっては崩れているものもあった。

 根気強く生命が可能性を追求して根を伸ばした結果、石の継ぎ目を内側から破ることに成功した例も少なくない。


 だがかろうじて、広場の真ん中に設けられたひときわ大きな円形の花壇は、今もこまめに手が入れられているようだった。

 多少の古びた感はあるものの、花壇には行儀よく葉ボタンが並び、白いスイセンが眩しいほどに咲きこぼれている。

 アネモネのつぼみが綻びつつあった。


 晴れ渡った冬空の下、降り注ぐ鋭利な陽光が、花壇の花々を輝かせて見せている。



 少年の姿のマルコシアスが速足で駅に駆け込んだとき、シャーロットはその花壇に腰掛けていた。


 外套も着ず、濃紺のワンピース姿でうなだれており、もし仮に誰かが通りかかれば、思わず声をかけてしまうような佇まいだった。


 寒さは感じているのか、彼女は両腕を組んで、無意識にではあれ暖を取ろうとしている姿勢を取っていた。



 マルコシアスはほっと息を吐いた。

 少なくとも彼女が、今すぐにでも独力で家に帰ろうとして、馬車の到着を虎視眈々と待っている風ではないことを確認して、安堵のあまり息が漏れたのだ。


 だが一方で、シャーロットが悄然とした様子を見せていることに困惑した。

 誘拐されたときでさえ、シャーロットは打ちひしがれるよりもまず、状況に対して怒りをあらわにしてみせたというのに。



 足早にシャーロットに歩み寄って、マルコシアスは彼女の正面で足を止めた。


 シャーロットは、花壇から咲きこぼれるスイセンの中にうもれるようにして腰掛けている。


 近づいてきたマルコシアスに気づいて、シャーロットが顔を上げ、眩しげに目を細めた。

 ちょうどマルコシアスの頭の上に太陽が輝いていたのだ。


「――やあ、ロッテ」


 マルコシアスは挨拶して、首を傾げた。


「こんなところで何してるの?」


 シャーロットは無言で首を振った。


 それが、「何もしてないわ」という意味なのか、「お前に話すことじゃないわ」という意味なのかは、マルコシアスには分からなかった。


 マルコシアスは肩を竦めて、断りなくシャーロットの隣に腰を下ろした。

 かれの背中に押されて、咲きこぼれていたスイセンは花壇の内側に押し遣られた。


 マルコシアスは地面に足を下ろさず、足裏を花壇につけるようにして、脚のあいだに両手を置いた。


 シャーロットはマルコシアスをとがめなかったが、声を掛けることもしなかった。


 二人の肩と肩のあいだには、一フィートの隙間が開いていた。



 しばらくそうして、二人はそれぞれ目の前の空間を見つめていた。


 スズメが一羽、ぱたぱたと近くの地面に下りてきて、周囲にパンくずが落ちていないかを神経質に点検した。

 ちょんちょんと地面を跳ねたスズメはやがて、寒そうに羽毛をふくらませると、機嫌を損ねた様子で、またぱたぱたと飛び去っていった。



 そのスズメを見送ったところで、マルコシアスは根負けした。

 垂涎ものの報酬を握っている主人が気を落としている原因が、まったく分からないのである。


 そして彼女が気を落とし過ぎると、下手を打てばそのまま解雇だ。

 それは避けたい。


 後にも先にも、これほど楽な役目を果たして『神の瞳』が手に入る好機はなかろう。


「――ロッテ、どうしたの?」


 お伺いを立てるしもべに、シャーロットは軽く息を吸い込んだ。


 そのまま少し息を止めて、そうしてシャーロットは、吐き出す息に紛れるような小声でつぶやいた。


「……お前には、本当に関係がないのよ」


「だろうね」


 にべもなくそう言ったものの、マルコシアスはすぐに神妙に言葉を継いだ。


「正直に言うと、ロッテ。あんたが急に勢いをなくしたように見えて、僕は心配なんだ。

 あんたが勢いをなくし過ぎると、どうにも僕への報酬がなくなる気がするんだけど」


 ゆっくりと深呼吸して、シャーロットが両手で顔を覆った。


 彼女がうつむいたので、金色の髪がマルコシアスの目から彼女の顔を隠した。


 マルコシアスはぎょっとして、それから少々息を詰めた。

 シャーロットがあまりにも弱気な様子に見えたからだった。


「ロッテ?」


「お前は――」


 シャーロットがつぶやいた。声はくぐもっていた。


「――お前には、本当に関係がないのよ。お前は悪魔だもの。……でも、」


 言葉を継いで、シャーロットは顔を上げた。

 そのときにようやくマルコシアスは気づいたが、シャーロットの頬は蒼褪めていた。


「……()()()()

 エム、お前には関係がないことだし、分からないでしょうけど、」


 鼻をすするようにして、シャーロットは息を吸い込んだ。


 ややあって、彼女は言葉を吐き出したが、その声は震えていた。



「――人を殺すのはいけないことなの」



 マルコシアスは軽く目を瞠った。

 彼女を殺そうとした男一人を撃退したことが、こうも顕著な変化をかれの主人にもたらしたらしいと察して驚いたのだ。


「……はあ」


 ぽかんとして声を漏らすマルコシアスを、シャーロットは見なかった。


 彼女は思い詰めた様子で続けている。


「少なくとも、他の手段が残されているときは、絶対に採ってはいけない手なの。

 人一人がいなくなることは、同じ人間にとっては、本当に取り返しがつかないことなの。

 ――私はそう思っているし、それに少なくとも、この国では悪魔を人殺しに使ってはいけないことになってるわ」


 マルコシアスは肩を竦めた。


「前に呼ばれたときもそうだったかな?」


「お前が呼ばれたのは三十年くらい前のことでしょう。そのときにはもう、この決め事はあったわよ。

 ――決め事と実際のところがずれることは、たぶん、世の中にはいっぱいあることなんでしょうけれど」


 シャーロットは低い声でそう言って、マルコシアスはきょとんとしてシャーロットを見遣った。


 彼女がどうして、かれが前回召喚された時期を正確に知っているのか、それが分からなかったためだ。


「私は……」


 シャーロットが言い淀み、橄欖石の色の目を伏せて、また目を上げた。


「……リクニス学院に入りたくて……そのために家に帰りたくて……、――でも、」


 ぎゅっと両手を握り合わせて、シャーロットはつぶやく。


「昨日、お前を止めるべきだったのに止められなかったから、そんな人間は、リクニスに入学する資格はないわ――少なくとも、私は自分がリクニスに入学するのを許せないわ」


「――えっ?」


 マルコシアスは飛び上がった。

 人間を精緻に真似たかれの顔が、即座に血の気を失った。


「ロッテ? ――いやいや、嘘でしょ。僕のしたことだ」


「馬鹿な悪魔ね。お前がしたことは私がしたことよ。だって私はお前の主人だもの」


 即答に近い迷いのなさでそう断言して、シャーロットはうなだれた。


 マルコシアスは覚えず、少し腰を浮かせた。

 ――シャーロットは頑固だ。一度こうと決めたら梃子でも動くまい。


 彼女が真実、家に帰るという目的を失ってしまったのなら、マルコシアスは間違いなく契約を破棄されてかれの領域に戻されてしまう。


 マルコシアスは思わず、勢い込んで口を開いた。


「間抜けなレディだな、ロッテ――それはおかしい。

 あんたを殺そうとした人間のために、あんたが諦めることはない」


 シャーロットはいっそううなだれた。


 マルコシアスはすっかりうろたえ、意味もなく周囲を見渡した。


 冬の駅は静まり返り、人っ子一人見当たらない。

 マルコシアスは、首の枷を隠すストールを、そわそわと直した。


「ロッテ……」


 シャーロットはうなだれたまま、聞き取りにくい声でつぶやいた。


 その声を聞くために、マルコシアスはシャーロットの方へ身体を傾けなくてはならなかった。


「……私が本当に嫌な気持ちになるのは、」


「うん?」


 先を促すマルコシアスの前で、シャーロットはようやく顔を上げた。

 本当にうんざりした顔をしていた。


「この期に及んで、まだ私はリクニスに入学したいのよ。

 ――絶対に、自分が入学するべきじゃないって分かってて、それでも諦められないのよ」


 諦めなきゃいいんじゃない? と、マルコシアスは言おうとしたが、それよりもシャーロットが言葉を続ける方が早かった。


 彼女は、いかにも嫌な作業をしているかのような顔つきで、指を一本立ててみせた。

 その指先は寒さに赤らんでいる。


 立てた自分の指先をまじまじと見て、シャーロットは吐き捨てるようにつぶやいた。



「諦められないから――実はあの人が筋金入りの悪人で、それこそ死んで当然の人だったなら、私はこうして思い悩まずに済んで、結果として大手を振ってリクニスに入っても許されるんじゃないかしらって、そんなことまで考えてしまうの。だってそうでしょう、よそのおうちに凶器と一緒に乗り込んで来るような人ですもの。

 あの人が本当に――普通のふるまいしかしていなかったら、今ごろお前はお役御免よ」



 マルコシアスは瞬きした。


 三回呼吸するあいだ考え込み、それからかれは興味深げに言った。


「――なるほど。あんたにとっては、あんたを殺そうとしたことは、あいつが悪人だった証拠にはならないわけだ」


 シャーロットはあいまいに肩を竦め、立てた指をしまい込んだ。


 マルコシアスは淡い金色の瞳を細める。


「あんた――ちょっと変わってるね。このあいだもそうだった。()()()()()()()()()()()と言っただろ。

 あんたにとっては、自分の敷いた道から逸れた自分の人生なんて、別に要らないものなのかな」


「……は?」


 本気で面喰らった様子で橄欖石の色の目を瞠るシャーロットを眺めて、マルコシアスは肩を竦めた。

 どのみちかれが深入りする問題ではなかった。


「別に。ただ、あんたはあんまり自分の命を勘定に入れないんだなと思っただけだ。これまで色んな人間に仕えた経験から言っておくと、そういう人間は肝心なところでしくじることが多い」


 シャーロットは心当たりがない様子で首を傾げた。

 ただ、じゃっかんの気まずさは感じたらしい。彼女は目を伏せた。

 青白い頬に、睫毛の影が落ちた。


 そうして目を逸らすシャーロットを眺め、マルコシアスは息を吸い込む。


「……じゃあ、こうしない?」


 シャーロットが瞬きしたが、視線はマルコシアスには向けないままだった。


 マルコシアスは肩を竦めて、両手の指を軽く絡める。


「ロッテ、これからしばらく、あの男が悪人だった証拠を探そう。そもそもあんたを殺そうとした人間だから、善人だったことはないと思うけど、あんたはそれだけじゃ納得できないんでしょ?

 ――で、首尾よくあの男が悪人だった証拠が見つかれば御の字だ。あんたは何も気に病む必要はない。僕を使って、世の中のためにならない人間を一人、反撃の末に排除しただけのことになる。大手を振って、あんたの望みを果たしてくれ。

 それで、もしも、あの男がそんなに悪人だったってわけでもなくて――」


 シャーロットが口を挟んだ。

 この世で最も恐ろしい可能性を口にするようにして、彼女は囁いた。


「――()()()()()()()()()――」


 マルコシアスの唇が、悪魔に独特の表情で歪んだ。


「――そう、そうだね。で、あんたが僕を使って、何て言うのかな、道義に外れることをしたんだって分かったら、そのときは、あんたは入学と、家に帰ることを諦めて、その辺の憲兵――おっと失礼、今は警察っていうんだね――に、自分の罪を告白すればいい」


 シャーロットはマルコシアスに視線を向けた。

 蒼褪めた顔の中で、橄欖石の瞳だけが熱を残しているようだった。


 彼女は分岐点に立ち、彼女を支える最も大きな二本の柱が、それぞれ相反する道を行けと示すがゆえの葛藤に、真剣に打ちのめされているように見えた。


 シャーロットの唇が震えた。


「……それは――」


「ロッテ、悪いことはない」


 マルコシアスは素早く言った。


 まさしく、文字どおりの、悪魔の囁きだった。


 かれは両手の人差し指を立てて、それを胸の高さで振ってみせる。

 まずは右手の指を振り、


「あの男が善人だったなら、あんたの末路はこのまま警察に行くのと変わらないわけでしょ。遅いか早いかだ。ちょっとくらい足掻いてもいいんじゃないの、どうせ期限は九月までだ。

 ――それに、」


 今度は左手の指を振る。


「このあいだの誘拐といい今度のことといい、あんたが度外れた不運の持ち主じゃない限り、どうにもおかしなことが続いてるんじゃない? 三度目の何かがあるかもしれないよ」


 シャーロットは息を吐いた。


 少し唇を噛んでから、彼女はつぶやいた。


「――確かに、あの人、どうしてだか私の名前を知ってたわ。

 ()()()()()()()()、こんなことで迷ったりはしないのに」


 癖のない髪をゆっくりと掻き上げて、シャーロットは小声で毒づく。


「……自分が嫌になりそう……」


 マルコシアスは両手をぱっと開いてみせた。お手上げ、の意味だ。


「あんたは本当に頑固だね」


 このときばかりは純粋な親切心から、マルコシアスは請け合った。



「でも、任せて。あんたが良心に恥じることをしていたなら、誓っていい、絞首台の縄よりも素早く、出来るだけ楽に、僕があんたを殺してあげるからさ。

 ――絞首台に上がるときは、僕を信じてくれていい。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 シャーロットが息を吸い込んだ。

 彼女がマルコシアスに向き直り、かれの顔を覗き込んだ。


「――本当に?」


 その橄欖石の瞳に、紛れもない期待の色がある。


 間違いなく彼女は、自分の良心を担保するものとして、マルコシアスのこの申し出を喜んだのだ。



 ――マルコシアスは微笑んだ。



 あの夜、彼女の耳許にかれの()()()名前を囁かせたもの。

 あのときに覗いた彼女の本質。


 ――『先に死んでくれなんて、そんな格好の悪いことは言わないわ』。



 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()退()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 自分の敷いた道から逸れた人生など要らないと、無意識にではあれ決め切っているほどの、この激烈な自我。


 自我を折られるくらいならば、彼女は堂々と絞首台に立つに違いない。



 ――かれが人間であれば、違和感を抱いたはずだ。


 人間のいう()()の意味を理解していれば、それが論理でどうこう出来るものではなく、痛むときには激しく痛んで他の全てを擲つ動機になり得るということを知っていれば、シャーロットの言い分に、違和感を抱いたはずだ。


 彼女の、この機械的に天秤の両腕に自身の目的と良識を載せようとする考えに、馴染まないものを感じて首を傾げたはずだ。


 だが当然、マルコシアスは悪魔であり、良心というものを、辞書の上の言葉としてしか知らなかった。

 かれにあるものは生存に対する本能的な欲求であって、良心も愛も希望も、今のところのかれの心にはないものだった。



 だが少なくとも、マルコシアスの目に映る彼女の意固地なまでの生きざまは本物だった。



 仮に彼女の目的にあたって千の死体が必要になるならば、彼女は他では持ちえない強固な意志をもって、精巧な()()()()の死体を用意するに違いない。

 期限までにその用意が一つ及ばなかったならば、迷いもせずに自分自身がその最後の一つになるに違いない。


 ものの真髄を見抜く悪魔の目を持つマルコシアスをして、そう思わせるだけの激烈な自我。



 激烈であり、――そして同時に、あやうい。



 この()()()()――自身の突き進むべき道と、倫理において導かれる道とを天秤にかけ、保たれるはずのないその均衡を、それでも何が何でも保とうとする、傲岸なまでの、この()()()()


 脆さを感じさせていいはずのそのあやうさが、しかしこれほど強固に激烈なものであるとは。



 この心根は終生変わるまい。


 ()()()()だが――この心根はそれでいい。



 悪魔の目から見て、それは一種の硝子細工を思わせた。

 脆く、あやうく、透明で、今にも割れそうでいながらその形を失わない――



(――それでこそだ)



 微笑んだまま、マルコシアスは頷いた。


 彼女のあやうさが、まさにいつ砕けるとも知れない脆いきらめきが、しかしそれでも終生続くであろうその一点が、ふいに掌中の珠のごとくに感じられた。

 この脆いばかりの傲岸なあやうさをもって、彼女がこれからどこまで進んでいけるのか――あるいはその生きざまの中で出会うであろうあらゆる事象に、彼女がどのように噛みついて生きていくのか――それがふと好奇心を刺激した。


 もちろんそれは悪魔の気まぐれ、瞬きのうちに消え去るはずの一種の感傷ではあったけれど。


「ああ、もちろん」


 シャーロットはなおも、探るようにマルコシアスを見つめている。


「私が――そうやって、自分に都合のいい証拠探しをするあいだ、お前に色んなことを命令するわよ。それでもいいの?」


 マルコシアスは一笑に付した。


「そもそも、僕はあんたの命令に従うために召喚されたんだ。

 それに、僕をだれだと思ってるの。〈マルコシアス〉だよ。おちびさん――あんたの命令をこなすことなんて、わけないよ」


「でも、エム」


 重ねて慎重に、シャーロットは言葉を続ける。


「お前は私の魔神だから、私の倫理で命令をこなさないと駄目なのよ。

 他に本当に方法がないとき以外は、盗んだり火を点けたり、――ましてや人を殺したり、そんなことは絶対にしたら駄目なのよ」


 一呼吸を置いて、彼女は付け加えた。



「他の主人がどうだったかは知らないけれど、私はこれを命令するわ。

 ――エム、マルコシアス、私の良心に従って命令を果たしてほしい。触れないで――壊さないで――奪わないで。

 ……それでいいの?」



「――――」


 マルコシアスはまじまじとシャーロットを観察した。


 生真面目な表情、真剣な目許、頑固そうに引き結ばれた唇、蒼褪めた頬。

 この脆さ。このあやうさ。

 尖った硝子のように鋭利で硬く、それでいて今にも砕けそうな儚さ。



 ――かれが初めて、かれの()()()名前を教えた主人。



 ――『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』。



 マルコシアスは肩を竦め、立ち上がった。


 首を傾げたシャーロットの視線がかれを追いかける。



 かれはくるりとシャーロットに向き直り、その場で丁寧に跪いた。



 誰もいない冬の駅で、スイセンにうもれるようにして腰掛けるシャーロットの手を取り、魔神マルコシアスは頭を下げた。


 彼女の手背を押しいただき、まさにその瞬間は、主人に忠誠を誓う従者の手本のような姿勢で。




「レディ・ロッテ、なんなりとご命令を。

 仰せのとおりにいたしましょう、ご主人様」




 顔を上げて、マルコシアスは微笑んだ。

 閃くような笑みだった。



「あんたはそこそこ面白い。

 お互いにいい結果になるように、存分に僕を使ってくれ」






















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