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19 事の顛末

「――どうして、こうなるのよ……っ!」


 ぶるぶると震えながら、シャーロットは柱に取りつけられた無骨な電話機の横側に、小さな釣鐘型の受話器を戻した。


 彼女は怒りを堪えるために深くうなだれ、電話機本体から突き出す、同じく釣鐘型をした送話口に額がつきそうになった。



 その店の主は、興味津々といった様子でシャーロットの様子を窺い、聞き耳を立てていたが、その実低いカウンターの奥でくたびれた椅子の上にくつろぎ、その日の新聞を広げ、夢中になって読んでいる振りに余念がなかった。





 ――ここは、ベイシャーの隣町に当たる。

 隣町といっても、距離は数マイル開いているが。


 シャーロットに命じられて周辺を探ったマルコシアスは重々しく、ベイシャー周辺には乗合馬車は通らないし、いわんや汽車は通っていないし、もっといえば電話もないと断言したのだ。


 シャーロットは惨めな思いで数マイルを歩き、途中、運よく通り掛かった荷馬車への便乗に成功し、この隣町まで辿り着いた。


 この町では、中央にある郵便馬車の支店に電話があった――ただし、シャーロットがケルウィックにあるものと同じものを想定して通りを突き進んだ結果、一度は支店の前を通り過ぎてしまうという結果になったが。


 マルコシアスは礼儀正しく咳払いし、正しい位置で足を止めて、「ここだよ」と、シャーロットからすればどう見ても民家にしか見えない一軒の建物を示したのだった。


 どうやら車庫は、建物の向こう側にあるようだった。



 かくて、壁一面に備えつけられた棚に配達前の手紙が押し込まれて溢れんばかりになっており、中央の大きな机ではあわただしく手紙の宛先を選別する作業が行われている狭苦しい支店にシャーロットは滑り込んだ。

 奥の低いカウンターまで進み、ポシェットの中から銀貨を取り出してそこに置き、「電話を使わせてください」。


 カウンターの向こうのこの店の主は好奇の眼差しでシャーロットを見たものの(何しろ、子供が一人で、しかも全身が砂埃にまみれ、明らかに怪我を庇う歩き方をしているのだ)、銀貨を掌で押さえると、顎をしゃくって、棚と棚のあいだで押し潰されそうになっている電話機を示し、「使っていいよ」と告げたのだ。


 シャーロットは安堵と喜びにはち切れそうになりながら電話に駆け寄り、受話器を上げ、電話交換手に向かって、「ケルウィック七番地、ベイリーを!」と叫んだわけである。





 シャーロットの後ろでは、「これはローズ通り」「こっちはコバルト通り」と、さかんに交わされる声が響いている。


 マルコシアスはさりげなくシャーロットの後ろに立っていたが、彼女が怒りに震える気配を察して、肩を竦めていた。


「上手くいかなかったのかい、ロッテ」


「――上手くいかないどころの話じゃないわよ!!」


 シャーロットが癇癪を起こして叫び、しばし、支店内の全ての作業が中断され、全員が首を伸ばしてシャーロットの方を窺う事態となった。





▷○◁





「なんで、なんで、なんで!!」


 シャーロットが癇癪を爆発させて叫んだのは、それから数日後、スプルーストンの例の大叔父の屋敷の、彼女に割り当てられた狭い部屋の中でのことだった。


 とはいえ、彼女は地団駄は踏まなかった――自制したのではなくて、床が抜けそうで怖かったのである。





 ――事の次第はこうである。


 あの日、シャーロットが誘拐されたあと、大叔父は彼女が残した(正確には、マルコシアスが玄関先に運んでおいた)トランクを発見した。


 そこで大叔父はシャーロットの家出計画を察知し、激怒した。


 彼は即座に、スプルーストンで唯一電話を所有しているルースター夫妻を訪ね、そしてそこで、「親御さんのなさることを、いっこうに理解してくれないのが年頃のお子さまというものですよ」などといった慰めを後ろに聞きつつ、ケルウィックのベイリー夫人につなぐよう交換手に指示を出した。


 そして、訝しげに電話口に出たベイリー夫人に向かって、「お前の娘が家出をしたよ」と告げたわけである。


 ベイリー夫人は、自身の叔父に気を遣った。

 すなわち、彼が借りを作っている夫――つまるところシャーロットの父には、このことは伏せておきましょうと提案したわけだ。


 大叔父はいたく感激したことだろう。


 かくて、シャーロットに幸運は微笑まなかった。


 彼女がわが家に電話をかけたとき、当然ながら父親は仕事に出ており、その電話を受けたのは彼女の母だった。

「お母さま、私、誘拐されて」とシャーロットが勢い込んで言うのを遮り、彼女は溜息混じりに言ったのである。


「もう、大叔父さまを困らせるのも大概になさい。母さまもお父さまも、無理を言ってあなたを預かっていただいているのよ。そんな嘘をつく前に、大叔父さまにお謝りなさいね」


 そこからは取りつく島もなかった。

 シャーロットの必死の主張は退けられ、父親の耳にも入らず、母は厳しく、「今あなたが戻ってくるようでしたら、そのまま小包にして郵便馬車に詰め込んで、送り返してあげますからね」と断言した。



 シャーロットが怒り心頭に発しながらも待つこと二日、大叔父が彼女をその町に迎えにきた。


 ろくな宿もなかったために、シャーロットは郵便馬車の支店の屋根裏を間借りして、彼を待つことになっていた。


 当然、彼女は仏頂面だったが、大叔父はさらに鬼気迫る激怒の表情を見せていた。

 彼がシャーロットに手を上げなかった唯一の理由は、そこが人目につくところだったからである。


 シャーロットはシャーロットで、苛立ちに加えて恥ずかしさで身悶えしそうだった。


 大叔父の格好ときたら!

 まるで百年前から抜け出してきたような、派手なフリルのついた黄ばんだシャツ(そのフリルは、胸元のみならずジャケットから覗く袖口にも常軌を逸してひらひらと靡いており、シャーロットを絶句させた)、ぶあついベストに、膝下までの毛羽立ったジャケット、そして半ズボンの下にぴっちりしたタイツ!


 外套を着ていても隠し通すに困難なその時代遅れの服装を、しかしシャーロットを迎えに来た大叔父は、屋内に入るや否や外套を脱いでしまった――シャーロットが世話になった郵便馬車の支店の幾人かが、笑いを堪え切れないと判断して奥に引っ込むのをシャーロットは見ていた。

 見て、顔から火が出る思いだった。


 マルコシアスはそのとき、目立たないよう小さなトカゲの姿になって封筒の山を積んである棚の辺りをちょろちょろしていたのだが、かれもまた、笑うための声帯を持っている姿なら爆笑していたに違いない。

 なにしろかれは召喚陣を通って、近年の服飾についての知識も与えられているので。


 真っ赤になった顔を伏せるシャーロットを、大叔父は折檻しかねない勢いでがみがみと叱りつけ、仕草ばかりは昔とった杵柄、丁寧きわまりなくその場の全員に頭を下げ、シャーロットの耳を掴んで外に引きずり出した。

 小さなトカゲもそれに続いた。


 乗合馬車に乗るまでのあいだ、シャーロットはがみがみと叱られ続けたが、彼女もまたそれに等しい勢いで、「誘拐だった!」と主張した。


 無論のこと信用は得られなかった。

 間もなくシャーロットの喉は嗄れた。





 ――そして今、シャーロットは怒りに打ち震えながら、頓挫した家出計画の名残であるトランクを、怒りを籠めて叩いている。


 マルコシアスは灰色の髪の少年の格好で、短く脚を切った小さなベッドに腰掛けて脚を組んでいる。


「なんで! もう! 家に帰りたいだけなのに!!」


「まあ、落ち着きなよ、ロッテ。少なくとも待遇は向上したんじゃないの? あんたの大叔父、もう一度逃げ出されたら敵わないと思ったのか、あんたに撞球室を使ってもいいって言ってたじゃないか」


 マルコシアスはのんびりと言って、シャーロットは思わずかれの頭を叩きそうになった。


 それを堪え、懐の『神の瞳』を内包した首飾りを衣服の上から握りつつ、彼女は辛辣に言った。


「馬鹿な悪魔ね、私は帰りたいの。

 だいいち、お前にも私を帰してくれるように命令してるんだからお忘れなく。私が家に帰るまで、絶対に報酬は渡さないわよ」


「間抜けなレディだな、僕はもちろん命令を忘れたりはしないよ」


 マルコシアスは軽やかに言って、梁に頭をぶつけないよう気をつけつつ、ベッドから立ち上がった。


 ぐっと伸びをして、かれはシャーロットに微笑みかけた。



「レディ・ロッテ、仰せのとおりに。

 ――あんたの人生最大の危機はもう終わっただろうからね、大叔父さんがあんたに光らせてる目を緩めたら、すぐにでも僕が連れて帰ってあげるよ。

 だから、あと少しばかりどうぞよろしく、ご主人さま」



 ――あとになれば分かるのだが、このとき、マルコシアスが口に出した言葉のうち、二つの事柄は明確に誤っていた。



 一つは、シャーロットの人生最大の危機はもう終わった、という言葉。


 彼女はこれから、さらに大きな災難に見舞われることになる。



 もう一つは、()()()()()()()()()()()、という言葉。




 レディ・ロッテと魔神エムの腐れ縁は、まだ始まったばかりである。
























次話は幕間となります。






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