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32 神の瞳を撃て

 世界最高の魔術大国とはどこか。

 ――プロテアス立憲王国である。


 では、プロテアス立憲王国における魔術の最高学府はどこか。

 ――リクニス専門学院である。


 では、リクニス専門学院を卒業した者たちが、最も多く集まる場所はどこか。

 ――疑いの余地なく、グレートヒルである。



 そのグレートヒルにあって、リクニス学院卒の者たちでさえ、これほど多くの魔神を見たことはないと断言した。



 もともとはアモンに立ち向かうため、方々に走っていたアディントン大佐の麾下たち――彼らが招集した、グレートヒル各所からやって来た魔術師が、このときになって集結しつつあったのだ。


 呼び出された魔神たちの姿は千差万別。

 頭上に光り輝く輪を浮かべた可憐な女性の姿のクロケルから、度を越えて巨大なクロウタドリの姿をし、その姿に剣帯を巻き、翼の先端の手指で剣を掲げるカイムまで、さまざまだ。



 かれらが呼び出され、口々に報酬を問うときには、豪雨は鳴りをひそめていた。


 代わって、この夏には信じられないほどの冷気が、たった今まで降っていた雨の名残を凍りつかせており、水溜まりは瞬く間に白く濁った氷のかたまりと化していた。

 敷石にはあっという間にきらめく白い霜が降り始めている。


 その霜の上を、灰色の濃霧が冷気と混じり合いながら渦を巻いて這っていく。



『スー! スー、どこにいる!』


 巨大な魔神が、議事堂の残骸をさらに踏みしだき、周囲を見渡している。


 大きな深緑の独眼は、しかし、足許に集結しつつある人間のことも、それどころか同族である悪魔たちのことも、かすめるばかりで注視することは一切なかった。

 ただ一人の姿を熱烈に求め、いっそ脅迫的なまでの必死さで、独眼が瓦礫の上を浚い、グレートヒルを辿っている。


 その頭上の空が、毒々しいまでに澄んだ透明な紫色に輝き渡っていく。


 かれは、今や疑いなく混乱し、怯えていた――スーザン・ベイリーがそばにいないこと、かれに声を掛けないこと、その理由が分からず混乱し、スーザン・ベイリーがどこか遠くにいるのではないかという可能性に怯えている。


 その混乱と恐怖こそが、桁外れの冷気となって周囲に押し拡げられつつあったのだ。



 吐く息が白く流れていく――真冬のようなこの寒さに、夏の格好をしている人間たちが震えている。


 シャーロットも例に漏れず、雨に濡れそぼったあとに容赦なく冷えていく空気に晒され、歯の根も合わないほどに震えていた。


 魔神を呼び出した魔術師たちも同じだったが、ここでしくじっては後がないということもあり、異口同音に報酬を――もはや意味が分からないながらも自棄ぎみに最後の望みを懸けて――述べていく。



 そのころには、呼び出された魔神たちも事態に気がついていた。


 有り得ないはずの事態、人間が名前を知るはずのない魔神が、議事堂を踏みしだいて屹立し、声を限りにただ一人の名前を絶叫しているという事態に。


 召喚陣の上で騒然とした魔神たちが、告げられた報酬にさらに度を失っていく。


「だれだ!」


 燃える瞳を持つ豹の姿、序列六十四番フラウロスが怒声を上げた。


「だれだ――人間に()()を漏らしたやつは!」


「黙れ、〈フラウロス〉」


 コウノトリの姿のハルファスが間髪入れずにフラウロスを叱りつけ、しかしながらかれもまたうめき声を上げる。



 シャーロットは、ハルファスを見たことがあった――それこそ十四歳のときに。

 だがどうやら、ハルファスの方はすっかりそれを忘れているらしく、かれがシャーロットに気づいた様子は一切なかった。



 かれらの最も古い契約を現代の人間に教えた犯人捜しの声を聴き、マルコシアスが舌を出したが、それに気づいた目敏い魔神はさいわいにもいかなかった。



 そしてこうなった以上、召喚されてしまった魔神たちも頷かないわけにはいかない――悪夢を見る人間の恐怖や不快の感情は、人間と契約を交わした悪魔たちにとっては重要な力の源のひとつだ。


 ここで、万が一にもそれを()()にしたなどということになれば、かれらの(せかい)においても、同胞たちから憤怒をもって追い回されることになるのは疑いがない。



 魔神たちの了承の返答と同時に、かれらに枷がかかる、形容し難い音が幾重にも上がった。



「急いで、急いで」


 思わずシャーロットはそうつぶやいていた。


「寝起きを襲わなきゃ勝算はないわ!」


 グレートヒルの魔神は、まだなおスーザン・ベイリーを捜して眼下を睥睨し、頑是ない悲鳴を上げている。


 かれが正気に戻り、七十年もの月日が過ぎたこと――スーザン・ベイリーはもうこの世にいないこと、それに気づくときこそまさに、このグレートヒルが地獄と化すときだろう。



 魔神たちが省略された召喚陣から足を踏み出し、輝きを失っていく円を背景に、固唾を呑んで一列に並んだ。


 ナベリウスもそこに並び、三つの頭の全てを抱えんばかり。


 マルコシアスが後ろを振り返り、座り込んだままではあったものの、ほとんど親しげと言っていい仕草で片手を上げてだれかに合図したので、シャーロットはもしやフォルネウスがいたのかと釣られて振り返ったが、そうではなかった――疲れ切ったオリアス、真紅の馬に跨った黄金のたてがみのライオンの姿の魔神が、消耗し切ったところをなおも主人に促され、この場に到着したところだった。


 マルコシアスは珍しいことに、本気でオリアスには助けられたと思っているらしい――ゆえの親しみの籠もった合図だったが、「だったらここから退かせてくれ」というオリアスの哀願の視線には、全く気づかない様子でシャーロットに視線を戻し、笑顔で言っていた。


「オリアスが来たよ、レディ。いざとなったら、あいつをあの()()()()の前に差し出そうじゃないか」


 シャーロットは笑い声にならない声を上げた。



『――スー! 顔を見せて!』


 グレートヒルの魔神が、片脚を動かした。


 それで、まだ無事だった司法省の省舎の一部があっけなく崩れ去る。

 石材が割れ砕ける轟音と、漂う冷気の中で上がる粉塵。


 巨大な魔神の足許で、まだ人間たちが生きていられている理由はただ一つ、()()()()()()()()()()()()()()()だ。


 地響きとともに地面が揺れ、魔術師の中からは泣き出す者も出てきた。


 シャーロットもよろめいて、後ろにいたアーノルドに支えられる。

 アーノルドがまだ平気そうに立っているのは、彼が魔術師ではなく、しかるに悪魔の力の激烈さにも思い及ばないところが多いためであるようだった。

 アーノルドの青灰色の目には、まだぽかんとしたような、現実味を失ったようなところがある。





 ――このとき、首都ローディスバーグに住むほとんど全ての人が、異変を察して目を覚ましていた。


 それでいながら何が起こっているか分からず、そばの親しい人と手を取り合っていた者は多い。


 スラムでは身を守る壁も心許ない浮浪児たちが、年長者のもとに寄り集まり、不安げに周囲を見渡して、夜が明けるのを待っていた。





 豪奢な冠を頭上に戴き、深紅の繻子のローブを纏った美貌の女性の姿をとる、序列五十六番グレモリーが、押し殺した声で囁いた。


「……これはまた……本当に大物だねぇ……」


「〈ローディスバーグの死の風〉がまた起こったら、もう取り返しがつかないわ」


 シャーロットは呟いたが、胸が詰まって不明瞭な声になった。


「あー、まだ例の毒を垂れ流してる感じじゃないね」


 マルコシアスがそう言って、膝の上に頬杖を突いた。


「そんなことになったら、あんたはすぐにばったり死んじゃうだろうし」



 アディントン大佐が罵倒混じりの怒鳴り声を上げている。


 ――グレートヒルの魔神は、史上初めての、そしておそらくは唯一の、()()()()()()()だ。


 つまり、通常の火器において有効打を与えることが出来るはずなのだ――その効果のほどはさておいても。


 ゆえに麾下に指示を出し、自身でも前に出て、小銃を構えている。


「この中で生き残るやつがいれば、いいか、銀の弾丸の備蓄を切らすなと後世に伝えろよ!」


 冗談めかしたその言葉に、凍えるような笑い声が上がっている。

 ――怯え切っている魔術師たちとは反対に、軍人には訓練された冷静さがまだ残っていた。



 ランフランク中佐の声が、阿鼻叫喚一歩手前のその場の空気を貫いて上がり、ここまで届いた。

 全ての魔術師に、どの悪魔から力を借り受ける呪文を唱えるべきかを指示している。


「バエル、アガレス、ウァサゴを最優先に!」


「バエルからは橋梁のための『爆砕』で、アガレスからは『地震(ない)』で、ウァサゴなら他の魔法を中和できるはずです、その呪文で――」


 シャーロットが叫び、あちこちからつぶやくような声が上がり始めた。


 呪文に不安のある魔術師たちが、近くの者と知識のすり合わせを行っている。


 近くの若者から震え声で呪文を尋ねられ、同じく震え声ながらもそれに応じるグレイの声も聞こえてくる。

 グレイは雨が止んだとみるや、震える指で煙草を取り出し、魔精のエセラに命じて火を点けさせていた。

 とはいえ寒さと緊張に指が震えるあまりに、上手く吸えてはいない。灰がぽろぽろと足許に落ちている。

 エセラもすっかり怯えて、グレイの襟元に隠れていた。



 シャーロットはアーノルドの足許で震えるリンキーズに目を向けた。


「リンキーズ、魔精だけど、あなたも加勢するのよ」


「なんてことだ」


 リンキーズが呻いた。


「僕はさっき酷い目に遭ったばっかりなんだぞ」


「あんたは僕のロッテに借りがあるだろ。黙って言う通りにするんだ。

 あんたの助勢なんて雀の涙だが、それでも()()よりマシだからね」


 マルコシアスが手厳しくそう言って、リンキーズがしっぽを垂れて悲しそうな顔で前に進み出るのを見守ってから、億劫そうに立ち上がった。


 仕草にいつもの軽やかさこそなかったものの、『神の瞳』を奪われた痛手から、徐々に立ち直りつつあると、シャーロットには分かる身ごなしで。


「あんたの策がちゃんと実りそうで良かった」


 シャーロットは頭の中で、バエルから力を借り受けるための長い呪文を、一言一句違わずに覚えているものかどうか、おのれに問うて総浚いしている最中だった。


 肌が凍りそうな冷気は、息を吸い込むたびに肺を痛める。


 寒さと自責と緊張に、頭のてっぺんから爪先まで震えながら、彼女は応じた。


「馬鹿な悪魔ね。実るかどうかはまだ分からないでしょ」


「間抜けなレディだな。

 ――珍しく弱気になってるね、ロッテ」


 マルコシアスが軽く目を見開いてからかうようにそう言って、手を伸ばしてシャーロットの右手を取った。


「なるようにしかならないさ、深呼吸だ」


 マルコシアスからそうやって励まされることは初めてで、シャーロットは目を見開いた。

 しかし素直に、言われたとおりに息を吸い込み、吐き出す。


 マルコシアスは愉快そうにそれを見て、淡い黄金の瞳を煌めかせて、軽く首を傾げた。



「よしよし、それでいい。

 ――さあ、準備はいいかい、相棒?」



 シャーロットは息を吸い込み、寒さに震えながらも胸を張った。



「出来てるわ、エム」



 マルコシアスが、いたずらっぽくシャーロットの手を押し戴くようにする。



「報酬の“秘密”はあんたのものだ。

 ――では、連中にご命令を、レディ・ロッテ」



 シャーロットは暗い中で白く立ち昇る冷気と、魔神の足許から這い上る灰色の濃霧を透かして、居並ぶ悪魔たちを見渡した。


 魔精を召喚して加勢につけた魔術師もいる――この七十年のあいだ、これほどの数が一挙に召喚されることはなかった。



 悪魔が群れ成す――今日こそ歴史に残る一点。



 マルコシアスのてのひらを握り返し、左腕の痛みに息を詰めてから、シャーロットは宣言した。



「――()()()()()()



 マルコシアスは微笑んだ。

 かれらしい、ひらめくようなその表情。



「仰せのとおりに、ご主人様」



 かつて戦場を多く踏んだ悪魔らしく、マルコシアスは居丈高に魔神たちを見渡した。


「よし。――総員聞いたな」


 グレートヒルの魔神が、巨大な片足を上げた。


 堪え損ねた悲鳴が人間のあいだから上がるなか、マルコシアスの声が透る。



「あそこにいる、すっかり寝惚けたわれらが同胞は、()()()()()だ。

 ――さあ、やつの独眼(ひとつめ)に、文字通り、目にもの見せてやれ」



 グレートヒルの魔神は、当惑した様子で足を下ろした。

 まるで、どちらに行けば目当ての人に会えるのか、それが分からないというように。


『スー……? どこ……ここは、()()()……?』



 シャーロットは恐怖に息を詰めた。


 いよいよ、グレートヒルの魔神が周囲を注視し始めようとしていることを感じたのだ。

 もしもかれが、眠っているあいだに過ぎた年月を察してしまえば――



 魔術師たちが、口々に呪文を唱え始めた。


 グレートヒルの魔神を見つめて、一心不乱に唇を動かす者、あるいは耳を塞ぎ、他の者の声を耳に入れるまいとしながら、必死に記憶を手繰って言葉をつむぐ者――



 アーノルドは息も殺してその場に立っていた。

 祈っていたといってもいい。

 彼の目の前で、シャーロットが口早に、彼には理解のできない言語で、凄まじい速さで呪文を唱えていく――



「作戦は、僕のレディが仰せのとおり、」


 マルコシアスがグレートヒルの魔神を指差した。


 かれが足踏みをしたその場所で、さらに地面が割れていき、硫黄の臭いのする煙が上がっていく――



「神の瞳を撃て!」





 幾筋もの閃光が炸裂する。


 アディントン大佐率いる軍人たちが構えた小銃、それらが一斉に火を噴いた。

 爆音にも似た大音響が上がり、火薬のきらめきと共に、鉛の銃弾が吐き出されて回転しながら『神の瞳』を狙い撃つ。



 魔術師たちの呪文が結実した。

 呪文で要請された魔神の力が、要請された形でこの交叉点(せかい)に顕現する。


 ウァサゴから力を借り受ける呪文が、グレートヒルの魔神の、意図すらせずに垂れ流される魔力を中和した。

 アガレスとバエルから力を借り受ける呪文、本来ならば橋梁や建物の建設のために地面を崩すために使われる呪文が、グレートヒルの魔神の独眼をこそ標的にして炸裂した。



 そしてその一瞬後には、十人の魔神と多数の魔精の、全力の魔法が天地を震わせて撃ち出されていた。


 凍った地面を這った銀光が、瞬きのうちに躍り上がって深緑の独眼に襲い掛かる。

 紫色に輝き渡る空から、うなりを上げるいかづちが降り注ぎ、『神の瞳』を打擲する。

 巨大なグレートヒルの魔神の頭を、それこそ宝冠のようにぐるりと囲む、きらめく光点が出現した――直後、その光点から凄まじい数の氷槍が射出され、それら全てが『神の瞳』に殺到する。

 精霊たちまでもが、怯えながらも『神の瞳』めがけて力をふるった。



 激烈な光に目が潰れ、シャーロットからはグレートヒルの魔神の姿でさえも見えなくなる。


 ただ、マルコシアスが怒鳴る声を聞いた。


「ハルファス、ヴィネ――やれ!!」



 グレートヒルの魔神を中心として、(わたり)にして四十フィートほどの正確な円を描くように、瓦礫の上に輝線が走った。



 そして、その輝線からするすると伸びるようにして――()()()()()



 塔の堅牢な石壁が伸び、ものの数秒のうちにグレートヒルの魔神を覆い隠すほどの高さに到達して、かれの頭上で、巨大な蓋が描き出されるようにして塔の天蓋が閉じる。



 シャーロットも見覚えがある――というよりも、一度は標的にされたことのある――ハルファスの魔法だ。


 塔を建設し、その内部にいるものを皆殺しにするという、物騒な魔法――



「――ヴィネも同じ魔法が使えるの?」


 囁いたシャーロットに、マルコシアスは、今夜二度目となる全力の魔法の行使に息を切らせつつも、あえぎながら応じた。


「いいや、ハルファスみたいな物騒なことは出来ない。けど、頑丈な塔を創るのは十八番だ」


 二人分の魔神の魔力で造られた塔の内側で、()()()()()――と、不吉な音が響いている。


 その振動が、シャーロットの足許にまで伝わっていた。



 今まさに、塔の内側では無数の砲門が開き、塔の内壁にびっしりと設けられたおびただしい数の大砲が、ただ一つの標的に狙いを定めているはずだ。



「――撃て」


 耳を聾する大音響とともに、塔が震えて地面が揺れた。


 内部で、凄まじい数の魔神の砲弾が撃ち出され、その全てがグレートヒルの魔神の独眼を狙い撃ったはずだ。



 全ての砲弾が撃ち出され、束の間の静寂――



「当たってさえいりゃ、アモンでも()()()()()にはなるはずだ……」


 ナベリウスの三つの頭のうち、猟犬の頭がつぶやいた。


「――七十年前でも、ここまで魔神が集結して、すぐさまあの化け物に対処することはなかったはずだ」


 ランフランク中佐の、喉に絡んだような声が聞こえる。


「スーザン・ベイリーは全くの不意打ちであれを差し向けてきたと記録にあった――」


「――それに、あの魔神は()()()よ」


 シャーロットも、抑えた声でつぶやく。

 かつてストラスも言っていた――「起き抜けはいい好機」だと。



 七十年の眠りから醒めた直後、召喚主の姿がなく混乱したうえで、これだけの猛攻を一度に喰らった。



 全員が、口に出さないまでも、たった今の一度こそが、最初で最後の好機だと分かっていた。



「頼む、頼む、頼む――」


 誰かが必死につぶやいている。


 地面に張った氷が靴底に砕かれる高い音、どこかで瓦礫が崩れる音が小さく聞こえ――



 ――そのとき、ハルファスとヴィネが造り上げた塔が吹き飛んだ。



 かつて――七年前に――マルコシアスがしたように、塔をへし折ったのではない。

 塔がまさに、一瞬のうちに砂塵の山となるほどに、完膚なきまでに吹き飛んだのだ。



 砂礫が飛び散り、顔を庇って後退った者は数知れず。



 辺りに異様な音が満ちた――見えない弦が空中に張り巡らされており、それらが一本一本掻き鳴らされているかのような、音というよりもむしろ、憤怒そのものが耳に届いているかのような、低い、脳髄を揺らすような音が。



 ――そして、傷ひとつないグレートヒルの魔神が顔を上げた。



 かれの深緑の独眼が、瞬きをするようにひっくり返り、また元に戻った。


 巨大で奇妙な顔貌が、足許を一瞥するためにうつむく。



 瓦礫を踏みしだき、グレートヒルの名無しの魔神は、堂々とその場に君臨し、



『――おまえたち、』



 今や間違いなく、足許に群れる、かれからすれば虫けらにも等しい人間と悪魔たちを認めており、



『おまえたちは、スーの敵だな?』



 シャーロットは息を呑んだ。


 絶え間なく溢れて渦を巻いていた灰色の濃霧――その性質が変わろうとしている。



 肌を刺すような不快な感触、喉を突き、体内を腐らせるような異様な臭気――



「……()()、」



 口と鼻を覆い、人間たちが後退る。


 毒の臭気が目を刺して、目許を覆う賢明な者たちもいたが、大半の者が目を閉じることも忘れ、恐怖に瞼を開いていた。



 そしてその毒が、悪魔にとっても()()のものであることに疑いはなかった。

 魔精のエセラが悲鳴を上げて、身をよじりながら消えていく――



『――スーのともだちが、()()()()()()乱暴をするものか』



 万感の怒りを籠めたグレートヒルの魔神の声が〈神の丘〉に響き、



「――〈()()()()()()()()()()()()()……」



 七十年前、一夜にして首都を恐怖と混沌に陥れ、日没から夜明けまでのあいだに首都の人口の四分の一を殺し、それ以上の人間に回復不能の障碍を与え、数多の子供から親を奪い、無数の親から我が子を奪った――産業に十年以上も尾を引く壊滅的な打撃を与えた、歴史に残る疫病。



 それをもたらした毒が、今まさに、ふたたび、グレートヒルから溢れ出そうとしていた。






































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― 新着の感想 ―
[一言] 更新ありがとうございます やっぱり効かなかったか… 本当に一連の事件は歴史に残る一体歴史書何頁使うのか
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