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16 人質、人質、人質

「――大佐は千人規模で司法省を包囲する勢いで向かったからね。

 その悪魔が()()()になったとして、全員をミンチにするには()()()()()()よりはちったぁ時間がかかるさ」


 軍人の一人がおどけた調子で言ったが、瞳はこの上なく真剣だった。


「で、行列の最後に大佐がいることを祈るとして、――どうする」


 「軍曹」と、中で声が上がる。

 軍曹と呼ばれた彼が頭を傾ける。


「自分は魔術師です――軍曹、大佐をお止めしなきゃなりません。序列のついている魔神を戦場に引っ張り出すなんざ、最悪の虐殺行為ですぜ。それも序列一桁とは――良識を感じませんな」


「伝令は走れるか――」


 軍曹がそう言って、一瞬黙り込み、シャーロットに目を向けた。


「あるいは、ミズ、その悪魔に伝令の真似事は出来るかね。大佐が悪魔の言うことをお信じになるかは賭けになるが――」


「出来ます! かれはリンキーズですよ! それに大佐はこの子に一度会っています!」


 言下に断言したシャーロットに、こんな場合であってもリンキーズがじゃっかん胸を張る。

 逆に、マルコシアスが舌を出した。


 シャーロットはリンキーズのそばに膝を突き、あわてるあまりに言葉に詰まりながら命令した。


「アディントン大佐――分かるわね、伝言してもらった人よ」


「おお、牢屋から脱出できたんだ!」


「そうよ。司法省に向かってらっしゃるの――お止めして! そばにランフランク中佐もいらっしゃるはずだから、アモンの序列は分かってくださる――」


 リンキーズはせわしなく頭を上下させる。


「了解、了解――待てよ」


 ぴた、と動きを止めて、リンキーズは翼をばたつかせた。


「こりゃいい――運が向いてきたぞ、ここ久しくなかったことに!

 僕が行かなくていいみたいだ――親愛なるグレイがきみのお友だちの大佐の近くにいるよ!」





▷○◁





 ウィリアム・グレイにとっては、人生で最も度胸を試される夜となろうとしていた。


 とはいえ彼は自身はまだそれを知らない。

 ふうふうと息をあえがせ、夏の夜の暑さに汗をにじませつつ、グレートヒルの中心部に至ってもなお、シャーロットの姿もアーノルドの姿もなく、それどころかすれ違う人影すらもないことに、刻々と不安を募らせていた。


 省舎が立ち並ぶ辺りに入って、そのおびただしい数の窓からこぼれる明かりに、グレートヒルは夜を圧するように光り輝いている。


 しばらくのあいだ、省舎のあいだをうろうろとさまよっていると、今度は常ならぬ声が聞こえてきた。

 何かを警告する声が夜陰を切り裂いて響いている。

 角笛の音らしき音も耳につき、グレイはますます不安になった。


 知らず知らずのうちに足を運ぶ速度は増し、誰でもいいから話が出来る人間に出会わないものか、と、辺りを窺う瞳には鬼気が迫り始める。



 そんな彼は今まさに、つんつん、と髪を引っ張った魔精のエセラに向かって、「うん?」と声を掛けたところだった。


「どうしたね、エセラ」


 エセラはあまり声を出さない魔精で、声を出すにせよ囁き声、しかも単語をつなげるように話す。

 決して上等とは分類されない魔精ではあったが、悪魔にしては珍しく、振る舞いがおだやかということに定評があった。


 エセラは小さな緑の羽をはばたかせて、グレイの頭の上から舞い降り、彼の肩に立って、耳たぶを引っ張った。


 ごく小さな、鈴が鳴るような囁き声がした。


「――伝言……さっきの」


 グレイは瞬きした。


「リンキーズだね?」


 エセラはぱたぱたとグレイの目の前に飛んできて、こくん、とはにかんだ様子で頷いた。

 そして、一方向を懸命に指差す。


「あっち……行く。お願い……」


 グレイは困惑に眉を寄せつつも、示された方向に足を進めた。


 ざっざっ、と、不穏な大人数の足音が聞こえてきた辺りで、彼も妙だと思いはしたものの、エセラがまっすぐに指差し続ける方向に進み続けた。


 彼としてもそろそろ、今の状況をはっきりさせたい気持ちがあったということもある。


「リンキーズからの頼みだね?」


 エセラの周囲で、きらきらと白い光が散っていた。


 魔術に慣れたグレイの瞳が、それが精霊のきらめきであると見て取っている。

 風よりも足の速い精霊たちが、何かをやりとりしているのだ――十中八九が、リンキーズの精霊がエセラの精霊に、何かを伝えているのだ。


 とはいえ精霊は、悪魔に輪を掛けて人間の都合が分かっていない。

 伝言が単純な内容であればいいのだが、と、グレイは気を揉む。


 しかも、リンキーズ本人が飛んでこないところを見るに、リンキーズもまずい状況にあるか、あるいは相当な急ぎなのだろうと分かる。


 不安はいや増すばかりである。



 エセラが迷いなく道を指差していくので、グレイはふうふう言いながらそれに従って、グレートヒルを貫く大通りの一つを登り、さらに路地に入って別の大通りへと抜けようとする。


 その辺りで、足音どころか複数の囁き声までが聞こえてきて、グレイは身を隠すべきかを思案したが、エセラはしきりに、「あっち、あっち」と急かす。


 グレイに何かあれば、しっぺ返しを喰らうのはエセラである。

 その認識があるエセラがきっぱりと急かすのだから、取り返しのつかない事態に頭を突っ込むことにはなるまい。


 そう判断して、グレイはハンカチで額を拭きつつ、息を乱して大通りに足を踏み出した。



 そして、まさに軍隊の中に突入することになった。



「――は?」


 正確には、軍隊の前に進み出た形になった。


 聞こえていた足音は彼らの軍靴の音だったのだ。

 この人数にしてみれば、かなり静かに足を運んでいたことになる――この人数? グレイは目を回して一歩下がった。

 何人いるのだろう――百人か、五百人か、千人か。


 先頭の、顔に傷痕のある赤い髪の、士官とみえる男が、ぎろりとグレイを睨んだ。



 グレイは息が止まったのを自覚した。



 エセラはこの軍隊を見逃したのだろうか――悪魔だから、人間の格好には無頓着だろう、つまるところ、服装が意味する集団の性質も理解できていないだろうから。

 リンキーズならばそんなことはなかった。

 かれはきわめて目敏く、悪魔にしては珍しいほどに人間の事情に精通しているのだから。


 ひゅうっと首を絞められたような息の音を漏らしたグレイの耳許で、エセラは満足そうに囁いた。


「いた。この人間……この子に伝言なの」


 グレイは耳を疑った。

 あやうくエセラを掴んで振り回しそうになったが自重する。


「そういうことはもうちょっと早く言ってくれ……!」


 グレイは喰いしばった歯のあいだから囁き、そのときには複数の軍人が、腰に手を伸ばしながら彼を取り囲もうとしている。


「――失礼、ミスター」


 金髪の、上背のある軍人が威圧的に言った。


「この夜分に、こんなところで、何をしておいでで?」


 エセラがはにかんだ様子で、その金髪の軍人に手を振った。


 パニックを起こす目玉を叱りつけてよくよく見れば、金髪の軍人の肩にはフクロウが乗っており、そのフクロウもまた、間違いなく悪魔だった。

 フクロウがきょとんとした顔でエセラを見ている。


「伝言……伝言は、ここで止まって、って」


 エセラがグレイの耳許で囁き、グレイは思わず、「それは誰の?」と訊き返していた。


 金髪の軍人が眉を寄せ、一歩、間合いを詰めてくる。


「リンキーズといえど、誰の指示もなくそんな伝言は寄越さないだろう……!」


「リンキーズのご主人さま」


 エセラが罪のない風でかわいらしく告げ、グレイは呻いたのちに開き直った。


 両手を挙げ、精いっぱい善良な顔をして、金髪の軍人と目を合わせ――ようとして失敗し、彼の額の辺りを凝視した。


「グレイ――ウィリアム・グレイといいます。おたくはご存じかな……シャーロット・ベイリーの友人で、彼女の悪魔から、まずいことになっていると伝言を受けてここにいるんですが」


 金髪の軍人が瞬きし、一歩下がり、赤い髪の軍人を振り返った。


 赤い髪の士官が進み出て来たので、グレイは悲しく思った――顔面の傷痕もあいまって、金髪の軍人よりも赤い髪の士官の方が、数段恐ろしく見えたのだ。


 だが、意外にも、まじまじとグレイを見た赤い髪の士官は、数秒ののちに麾下たちに下がれと合図した。

 そして、ごく自然に右手を差し出して握手を求めてくる。


「ああ、ミスター・グレイ。直接こうしてお会いするのは初めてですね。閣下があなたのことをおっしゃっていました」


「閣下?」


 条件反射で彼の右手を握りながら尋ね返すと、赤い髪の士官は微笑んだ。

 寂しげな、誇らしげな、かすかな笑み。


「チャールズ・グレース――私の主人です」


 グレイはぽかんと口を開けた。

 確かに彼はチャールズ・グレース首相に面と向かったことがあるが、首相がそのことを覚えているとは思っていなかったのだ。


「それは、その……」


 言い淀む彼を訝しそうに見ながら、赤い髪の士官は苛立たしげに首を傾げる。


「――それで、あなたはどうしてここに? ミズ・ベイリーが、悪魔を使ってあなたに頼み事でもしたのだろうか」


「はい」


 あわててそう言って、グレイはまた額を拭き、ふところから煙草を取り出そうとして自重した。


「ああ――ええっと、伝言では、あなた方にここで止まってほしいと」


「ここで?」


 赤い髪の士官が眉を寄せる。


 その後ろから、また金髪の軍人がずいと足を踏み出してきた。

 何かを警戒するような眼差しで、腰に向かって手が動いている。

 グレイが誰かの差しがねで、虚言を聞かせに来たと疑っているのかもしれない。


 エセラの小さな囁きを捉え、そして胃がひっくり返るような気持ちを味わいつつ、グレイは口早に言い切った。


「どうも、あの子曰く、今からあなた方が向かわれるところ――ネイサン参考役のところ、でいいんですよね? ――そこに、いやはや信じられないことですが、アモンがいるそうです。もちろん、ネイサン参考役のしもべとして」


 赤い髪の士官が顔を顰めただけだったので、グレイは金髪の軍人に目を向けて、助けを求めた。

 何しろ、彼の肩の上に悪魔が乗っていたので。


「察するにあなたは魔術師のようですが、アモンについてはご存知でしょう?」


 金髪の軍人は少しのあいだ黙り込み、赤い髪の士官が彼を振り返ってようやく、考え考えといった様子で口を開いた。


「――ミスター・グレイ。どうやらあなたはわれわれの命の恩人ということになりそうだ。――大佐、ネイサンのくそやろうが、アモンに暴力をふるわせる心積もりで待ち構えているならまずいです。

 アモンは序列七番ですが、序列四番ガミジンに圧勝した話はまだ伝わっていますからね」


 息を吐いて、金髪の軍人は顎を撫でた。


「これだから争いごとに悪魔を持ち出す気違いは嫌いなんだ。やっていいことと悪いことがある――建物ひとつを簡単にぶっ飛ばせる暴力を持ち込んでおいて、勝敗の意味がどこにある。仕掛ける側も守る側も、その反則はしないでおきましょうねって決めてから、まだ七十年だぞ。

 ああくそ、大佐――ちょっと考える必要がありそうです。麾下をむざむざ死なせることはないでしょう」


 大佐、と呼ばれた赤い髪の士官は、冷めきった目で金髪の軍人を眺めてから、溜息を吐いた。


「――ミズ・ベイリーを連れてくる必要がある」


 彼が言ったので、グレイは聞き間違いかと思って、自分の耳たぶを引っ張った。


 金髪の軍人もそう思ったらしい、彼が、「はい?」とすっとんきょうな声を上げる。


「大佐?」


「その悪魔がわれわれ全員を叩き潰せるとして、それは叩き潰していい相手しかいない場合だろうが。ネイサンにとっては、ミズ・ベイリーは今のところ、何にも替えがたい価値のある人間のはずだ。われわれの中にミズ・ベイリーがいれば、あいつは過度な暴力は慎まざるを得なくなるだろう」


 金髪の軍人はぽかんと口を開け、「いや……」と声を出す。


「どうでしょう、ミズ・ベイリーには悪魔が……いや待てよ」


 口許を覆って、金髪の軍人が独り言ちる。


「本当にマルコシアスがやつを裏切ってミズに着いたなら、やつはミズ・ベイリーが〈身代わりの契約〉を結んでいる悪魔はいないと思っているはず……」


「よく分からんが、――だろ?」


 わざとらしく眉を上げてみせてから、大佐が後方を振り返る。


「――おい、ケラー!」


 無造作に呼ばれて、にきびの目立つ頬の若者が手を挙げる。


「はいっ、大佐!」


「お前、今来た道をひとっ走り戻れ! 馬より速く走ってみせろよ。ミズ・ベイリーとその警護の役立たずどもを連れて来い!」


「はいっ!」


 応じながらも、若者は困惑の表情。


「ミズが、行きたくないと言ったらどうすればいいですか! 無理に連れて来ようとして、殴って怪我をさせるわけにもいかないと思うのですが――」


「おお、心配無用だとも」


 大佐が、金髪の軍人をちらっと見て破顔する。


 金髪の軍人は顔を顰めていた。


「議事堂の手水場から脱走してまで、危険な場所に首を突っ込みたがるお嬢さんだ。――分かったらさっさと行って来い!」





▷○◁





「リンキーズ、伝言は上手くいった?」


「たぶんね」


 カラスがばたばたとはばたいて、円卓の上にかちりと爪を鳴らして着陸して、そう応じた。


 条件反射なのか、手の届くところに来たリンキーズに向かって、いたずら心満点の顔をしたマルコシアスが手を伸ばしかけたが、「だめ」とシャーロットに制止されて、しょんぼりした様子でその手を下ろした。


「それから、あなた――もうすぐネイサンさまから私に脅しが届くって言った?」


「言った」


 リンキーズは平然と答え、色めき立つ人間たちをちらっと見渡してから、カラスの胸を張ってみせた。


「ただアーニーを殺したところで、別にきみには関係ないじゃないか。来なきゃ殺すぞって言ってからじゃないと」


「ただアーニーがいなくなるのでも、私に大いに関係があるわよ!」


 シャーロットは怒鳴り、軍曹を振り返った。


「司法省に行かないといけません――」


「おいおいおい」


「いや、待て」


 オリヴァーが泡を喰った様子で突っ込むのと同時に、軍曹も彼女にてのひらを向けて「待て」を示した。


「気持ちは分かる――()()()分かる。だが、落ち着け。

 きみをむざむざ司法省に向かわせるわけにはいかない――」


「アーニーを死なせられません」


 シャーロットは叫んだ。


 最後に見たアーノルドの、たくさんの重荷の隙間からかろうじて息をしているような、あの儚いような背中を思い出していた。


「これまでも不幸な目に遭ってきた人です――彼が人生を楽しむ前に死んでいいはずがない!」


 そこまで叫んでから、シャーロットは息を引いた。


(違う、冷静にならなきゃ)


 必要なのは感情論ではなく説得だ。


「それに、」


 必死に言葉を継ぐ。


「私がどうなったところで、ネイサンさまの王手にはなりません――『神の瞳』がまだ無事です」


 ここまで言って、はたして軍曹はどこまで知っているのだろう、とふと思う。


 だが彼は、問題なく事情を呑み込んでいる顔をしていた。


 他の者たちは怪訝そうだったが、軍曹が事情を呑み込んでいるならば、なんら問題はないということで意見は暗黙のうちに一致しているらしい。命令を待つ顔になっている。


「もっといえば、人質はアーニーだけではありません――誰であっても人質として作用します。

 ネイサンさまは、私の生家の場所でさえ知っています」


「きみの生家には、グレース閣下が監視を置いている」


 軍曹がつぶやいた。


 首相がそれほどシャーロットの家族の無事に気を遣っていたということに彼女は胸を打たれたが、それも一瞬だった。

 シャーロットはほとんど喧嘩腰で返した。


「悪魔の大軍にも対応してくださいますか」


 軍曹が肩を竦め、魔術師だと名乗った麾下を見遣る。

 彼は、「とてもとても」と言うように首を振った。


 軍曹が言葉に詰まる。


 シャーロットはマルコシアスに目を移した。


 マルコシアスは無邪気な瞳で人間たちのやりとりを見守っていたが、主人の視線がおのれに向いたと察すると、両手を挙げて率直に言った。


「レディ、あんたのためなら、僕だって頑張れるところまでは頑張るけど、アモンが相手じゃ歯が立たないよ。荒事であいつの右に出るやつはいない。いつも言ってるけど、僕は自分がいちばんだからね」


「でしょうね――ありがたいことに」


 つぶやいて、シャーロットは息を吸い込んだ。


 そして、軍曹に目を戻して、マルコシアスを指差した。



「『神の瞳』は()()()()()()()()()



 軍曹が目を見開く。


 唐突な暴露に、マルコシアスも一瞬面喰らったような顔をする。


「は?」


「ちょっと、レディ」


 シャーロットは言い募った。


「いざとなれば、一瞬もかからず、かれは『神の瞳』を持ったまま、かれの(せかい)に引き返すことが出来ます。ネイサンさまの王手にはなりません」


 軍曹が目を見開いたまま、まじまじとマルコシアスを見つめる。


 マルコシアスは気を取り直したのか、気取って頷いてみせた。


 軍曹はかれから視線を引き剥がすようにしながら、なおためらった。


「しかし――」


「それに、」


 シャーロットはもはや軍曹に詰め寄らんばかりで、そんな彼女を、後ろからオリヴァーが押さえている。

 「軍人に喧嘩を売るのはまずいって!」と、彼の表情が全力で叫んでいた。



「いざとなったら私が、()()()()()()()()()()()()()

 ご存じのように、ベイリー家の女子は、今はもう私一人です。それで片をつけてみせます」



 オリヴァーの手が緩み、彼がぽかんとしてシャーロットを眺める。


 軍曹以下、その場にいる軍人たちがどよめくなか、リンキーズが待ってましたとばかりに嬉しそうに頭を上下させる。


「そうこなくっちゃ」


 直後、マルコシアスに冷ややかな目を向けられて、リンキーズはすみやかに黙り込んだ。


「――ロッテ」


 一呼吸の間を置いて、マルコシアスは笑いながら指摘した。


「あんたが生き延びるのは目標のひとつでしょ」


「アーニーを助けるのも目標のひとつでしょ!」


 シャーロットが言い返し、マルコシアスが肩を竦める。

 かれの淡い黄金の瞳が、面白がるようにきらきらときらめいている。


「お望みとあらば、レディ、僕があんたに始末をつけてあげるけどね」


 シャーロットは軍曹をじっと見つめた。


 軍曹もしばし判断に迷ったようだったが、そのうちに頭を掻きむしって叫んだ。


「ええい、どのみち、百人をミンチに出来る魔神がいるなら、ネイサンが虐殺に踏み切れないよう、あいつの目の届くところにお嬢さんをぶら下げておくことも必要だろう。

 そこの悪魔が、いざとなったらさっさと退散できるっていうのは本当なんだろうね? この国の未来がそこに懸かっていると言っても過言ではないんだが」


 シャーロットは夢中で何度も頷く。


 軍曹は指を鳴らした。


「よし、行こう」





 部屋の外の軍人たち――言うまでもないが、シャーロットの警護にとつけられた小隊のうち、室内にいるのはごく一部なのである――にも、あわただしく事態が伝えられていく。


 シャーロットはやきもきするがあまりに卒倒しそうになっていたが、彼女以上にリンキーズが慌てふためいているので、それを見ているうちに落ち着いてきた。



 マルコシアスが円卓に腰かけ、片脚をもう片方の腿に乗せて、ご注進、という口調でつぶやいた。


「ねえ、僕にさっさと逃げ出す許可をくれるなら、レディ。

 あんたがピンチになったときに、多少は時間稼ぎをしてくれそうな、ストラスはそばに呼ぶべきじゃないの?」


 シャーロットとオリヴァーは目を見交わした。


「お前でアモンに歯が立たないなら、ストラスは駄目でしょう」


「今回の、俺が約束している報酬はかなり微妙だからな……。

 そばに呼んでも、ストラスが敵前逃亡しかねない」


 マルコシアスは舌打ちした。


「呼ぶだけ呼ぼうか。あいつでも、クッション代わりにはなるかもしれない」


 きわめて悪魔らしい台詞を吐いて、マルコシアスがぱっと手を振った。


 ぽんっ、と軽やかな音がしてもくもくと煙が立ち、その目の前に唐突に、一台の電話機が出現する。


 軍人たちが絶句する中、マルコシアスはその釣鐘型の受話器を持ち上げ、耳にあてがった。

 電話機の送話口に顔を近づけて、かれはその十四歳の少年の少年の見目にそぐわぬ傲慢な態度で呼ばわった。


「――やあ、ストラス」


 向こう側のストラスが、どのようにしてその声を聞いたのかは分からないが、少なくとも何かの応答があったらしい。


 マルコシアスが、ふっ、と、かれの伸びすぎた灰色の前髪を吹いて、ぞんざいに言う。


「知らないよ、そんなの。ストラス、精霊をそこの見張りにつけて、今すぐこっちにおいで」


 間。


「知らないよ、そんなの」


 間。


 マルコシアスの眉間にしわが寄り、不意にかれが空いている方の手を持ち上げて、その手を子供が拳銃を真似るときの形にすると、まっすぐにオリヴァーを指した。


 オリヴァーが唖然とする。


「おい?」


 その反応には頓着せず、マルコシアスは言い放った。


「今すぐ来い。

 でないと、あんたの主人の頭を吹き飛ばすぞ」


 オリヴァーの顎が落ちた。


 シャーロットは黙っていた。

 シャーロットとの約束がある以上、マルコシアスが実際にオリヴァーに危害を加えるはずがない。


 だが、それはシャーロットとマルコシアスだけが心得ていることであり――


 ――()()()()()()分かるはずがない。


「ふざけんなよ、お前」


 出し抜けに、その場に薄紅色の髪を刈り上げた偉丈夫が現れた。


 軍人たちの何人かが、こらえ損ねた声を上げる。

 リンキーズも、「うわっ」と叫んだ。


 オリヴァーが彼の悪魔に気の毒そうな目を向けるのをよそに、マルコシアスは笑顔で、ちん、と音を立てて受話器を電話機に戻した。


「来てくれると思ったよ。さすが僕の弟分だ、ストラス」


「だれが弟分だ!」


 ストラスが叫ぶと同時に、がしゃん、と騒音がして、マルコシアスが作り出した偽物の電話機が爆発四散する。


 マルコシアスはふうっと息を吐いて、巻き上がった小さな噴煙を払うと、ぴょん、と円卓から飛び降りて伸びをした。


「よろしい。――ロッテ、あんたのそのお友だちを引きずってでも連れておいで。ストラスがついて来なきゃならないようにね」


「聞いてないぞ!」


 オリヴァーが叫ぶ。

 シャーロットもさすがにためらった。


「エム、さすがにそれは……」


「大丈夫」


 マルコシアスは請け合ったが、まったく安心材料にならない確信を籠めて続けた。


「アモンが機嫌を損ねたら、あいつから一インチのところだろうが一マイルのところだろうが、危険ってことでは変わりないから」


 ストラスが唖然とした様子で顎を落とす。


「おい、今、アモンって言ったか? あいつがいるのか? まさか敵にいるのか?」



「言った。そうだ、やつが敵だ」



 平然とそう告げて、マルコシアスはシャーロットの手を取った。



「さあ、序列七番の大いなる君と、人質交渉とやらをやってみせてくれ、僕のご主人様」
















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