15 序列七番
「――さて……きみは、“気高きスー”の血にとっては、価値のある人間かな」
ネイサンのおだやかな口調のその言葉に、アーノルドは瞬きした。
彼はすばやく十四歳のときの記憶を探り、「気高きスー」がすなわちシャーロットの曾祖母であることを思い出し、つまるところ「気高きスーの血」とはシャーロットを指すのだろうと察しをつけたが、ここで物分かりの良さを発揮したとて、何も益があるとも思えなかった。
彼は無言で首を傾げた。
ネイサンが笑って、言葉を改める。
「失礼、シャーロットのことだよ。シャーロット・ベイリー」
「ああ……」
得心したようにつぶやいてから、彼はいかにも困ったように肩を竦めた。
「さあ、どうでしょう。おれのことなんて、もう忘れてると思いますが」
ネイサンは微笑んだ。アーノルドは半歩下がった。
その拍子にアットイにぶつかりそうになり、視線は向けずにてのひらだけを向けて謝罪を示す。
ネイサンは物憂げに顎を撫でる。
「ついさっき、シャーロットの口からきみの名前が出たものでね」
アーノルドはこっそり息を呑んだ。
では、どうやら、シャーロットは自分のことを忘れ切ってはいないらしい――驚くべきことに。
彼は微笑を堪えようとして苦労したが、すぐにそれは苦労ではなくなった。
ネイサンが淡々と言葉を続けたがゆえだった。
「どうやらきみのほのめかしのために、シャーロットはここ四年、ずっと私を疑いの目で見ていたらしい。警戒して私の出したお茶に口をつけることすらしなかったのは、どうやらきみのせいだったようだね」
アーノルドは真顔で、当惑した様子を作って首を傾げた。
とはいえ、その実、心臓は激しく打っていた。
(あんなに分かりにくいほのめかしで――気づいたのか)
そのためにシャーロットが多少なりとも身を守れたのならば、文字を教えてもらったことへの礼としては十分だろう。
これで貸し借りなしに違いない。
シャーロットが示した、あの無垢で打算のない親切にもとづく関係が、これでいったん精算されたと思うと、アーノルドはなぜだか少しの寂しさを覚えたが、そんなことにかかずらっている場合ではなかった。
アーノルドはネイサンを見上げてから、頭を下げた。
「気づかないうちにまずいことを言っていたようです。すみません」
ネイサンは冷ややかにアーノルドを眺めたが、すぐに首を振って、床に座る五人の男性に視線を移した。
アーノルドも、ついそちらに目を遣った。
五人は警戒し、怯え、当惑している。
アーノルドの錆びついた良心が悲鳴を上げ、彼は息苦しさにあえいだ。
「あの……」
つぶやく。
「誰ですか、この人たち――?」
「本来なら、」
ネイサンは面倒そうに応じた。
「きみがその顔も見ることが出来ない雲上人だ。だが今は、きみにとってはきわめて光栄なことだが、きみと彼らは同じ役割をになっている」
アーノルドは素直に、意味が分からないことを表情で訴えた。
主人が、彼の表情から物事を汲んでくれることはないに等しかったが、今は違った。
ネイサンは親切そうに微笑んで、言った。
「今夜、私は革命を起こすが、彼らにも、きみにも、その役に立ってもらう。
彼らには、彼らの司る法律というものに少し柔軟性を加える意義を、先刻から説明しているところだ。
そしてアーノルド、きみは、」
まじまじとアーノルドを眺め、ネイサンは、錆びた銀メッキのがらくたに大金を積もうとする愚か者を見る目で笑った。
「――親愛なるシャーロットが、きみの無事にどれだけの重きを置くものか見てみよう」
アーノルドは瞬きし、今度は一歩下がった。
おそらく、いや間違いなく、ここ七年で最も危ない局面に自分が立っていることは間違いないらしい。
ネイサンは白いオウムに目を向けた。
「出来るね、アモン」
オウムは欠伸を漏らした。その影が少し伸びた。
「いつでも、ジュダス」
――さてこの様相を、離れたところからアーチを透かし、目を見開いて凝視していた一羽のカラスがいたことは、ことこの夜においては、特筆すべき事実といえよう。
▷○◁
「僕のレディを危ない目に遭わせた言い訳なら聞いてあげるよ」
「十五連隊第一大隊は軍省へ。衛兵を制圧して軍省役人を守れ。
第二大隊は軍省軍事部へ。あのくそやろうがどこまで軍を掌握したのかは分からないが、ともかくも工兵隊と軍医を押さえろ。
第三第四大隊は技術省へ。ネイサンのやろうの手を回させるな」
「ロッテの前で銃を撃つとは」
「第五大隊から小隊一つ、この場に残ってミズ・ベイリーの保護に当たれ。
十六連隊第一第二大隊、詰め所の外で待機。俺とランフランクが合流しだい、司法省に向かう!
第三大隊第一小隊から三人ばかり、議事堂に向かってグレース閣下をお連れしろ。
残りはさっさとグレートヒルを回れ。事情を知らない連中に事情を説明して避難させろ!」
マルコシアスが嫌味ったらしくこぼす小言を、アディントン大佐は人間らしく全て無視した。
悪魔の囁きに耳を傾ける人間など、魔術師くらいのものである。
マルコシアスはマルコシアスで悪魔だから、人間のそのような態度は当然のものとして受け止めて、目の前で繰り広げられた銃撃戦のショックから立ち直り切っていないシャーロットの頭の上にてのひらを置いて、「ロッテ、大丈夫?」などとのたまっている。
一方ランフランク中佐は、どうしても口を出したくなったのか、ぼそっとつぶやいた。
「悪魔と契約している魔術師が危険に晒される方が稀だろう」
「僕のレディが今持っている楯は、頼りなくてしょぼいから」
マルコシアスは歌うように答えて、ひょいっとシャーロットの手を取って、彼女の顔を覗き込んだ。
「時間があったら、召喚陣を描き直して僕を呼んでいいよって言っているところだけど」
「どうもありがとう」
頭痛を覚えながら、シャーロットはマルコシアスの手から自分の手を引っこ抜いた。
――衛兵の詰め所である。
今やその主は完全に交替し、衛兵は地下に押し込められて(あるいは気絶したまま廊下のあちこちに倒れて、引きずられていくのを待っており)、実質の指揮官はアディントン大佐となっていた。
アディントン大佐とランフランク中佐が、たった二人で彼らの麾下を解放したかといえばそうではない。
二人でじゅうぶんに衛兵たちの悪夢の種にはなっただろうが、決め手になったのは二つ――衛兵たちがかなり及び腰になり、捕虜とした二個連隊の監視が弱まったところを、その気配を察して、徒手のまま見張りの衛兵に突撃していった――どうにも向こう見ずな軍人たちと、ひょっこりと顔を出したマルコシアスだった。
衛兵たちは、ネイサンが悪魔に人を傷つけさせるところを見ている――ゆえに、マルコシアスが悪魔、しかも魔神であると気づくや否や、その恐怖が先に立ったのだ。
悪魔の暴力は人間の暴力を、威力として遥かに上回る――それを彼らに目の当たりにさせていたことが、回り回ってネイサンの足を引っ張ったのだ。
「なんて失礼な」とシャーロットはむくれたが、「言っている場合か」とオリヴァーから呆れられた。
そう言うオリヴァーは、二十歳を超えているとは思えぬきらきらした憧れの目でアディントン大佐を見て、「かっけぇ……」とつぶやいていたのだが。
彼らが一時的に落ち着いたのは、衛兵の詰め所の二階の一室である。
窓が開け放たれ、なまあたたかい夏の夜風が吹き込んでいる。
平時には会議室として使われているのだろう、円卓と椅子が置かれた殺風景な部屋で、今や椅子の上に立ち上がらんばかりのアディントン大佐と、彼の命令を背筋を正して聴く麾下たち――察するに、中佐や少佐、あるいは大尉といった、それぞれの隊を指揮する立場の人々だろう――が詰めかけている。
そしてその中に、シャーロットとオリヴァー、ついでにマルコシアスも紛れ込んでいた。
マルコシアスは円卓に座り、誰よりくつろいで堂々としている。
シャーロットもオリヴァーも、さすがにくつろぐことは出来ず、直立に等しい姿勢で立っていた。
アディントン大佐からの命令を受ける士官や下士官たちは、誰も彼もが大なり小なり怪我をしている。
とはいえ、捕虜にされる際には、派手な抵抗は慎んだということだった。
「まあ、大人しくしてりゃ拘束も緩くなるでしょうし、そしたら助けに来てくださったとき、動きやすくなるだろうと思いましてな」
と言っていたのは、目の上にこぶを作っている初老の士官だった。
壮年の下士官がにやっと笑って、
「連中が不意を突かれて総崩れになった敗因は、われわれの大人しさを信じて丹念に縛り上げなかったことです」
と宣言している。
「黙れ、さっさと行って命令を伝えろ! その辺の犬でもお前たちよりは聞き分けがいいぞ、このへぼ兵士どもが!」
アディントン大佐が怒鳴り、「はっ!」と揃った声の返答を返して、士官たちが会議室から速やかに退出していく。
アディントン大佐が溜息を吐き、落ち着かない様子で部屋の中をぐるぐると歩き回り始め、ランフランク中佐が甲斐甲斐しくそれに付き従いながら、何事かを小声で打ち合わせ始めた。
軍人の集団が目の前からいなくなり、シャーロットはよろよろと椅子に座り込んだ。
それを見て、オリヴァーもどっかりと椅子に座る。
ランフランク中佐が視界の隅にそれを留めたのか、二人を振り返って眉尻を下げた。
「すまない、軍人の中で気を張らせて」
二人のリクニス出身者は、揃って首を振った。
「いえ……」
そのときになってはたと気づいた様子で、オリヴァーは言った。
「ストラスはどこだ?」
マルコシアスは鼻唄を歌って、じりじりと逃げようとしていたオンルを捕まえ、ひっくり返してみたり羽根をいじってみたりと遊んでいる。
シャーロットが咳払いした。
「エム、ストラスはどこ?」
「議事堂」
マルコシアスが顔を上げ、即答した。
「あそこに人間を入れないのがお望みだろう、ロッテ? そう思って、人間どもを追い出したあと、見張るように言っておいた」
シャーロットはあわてて腰を浮かせる。
アディントン大佐とランフランク中佐が、ぎょっとしたようにマルコシアスを見ていた。
「たいへん。今、グレース閣下をお迎えに、何人かの方が向かわれたところなのよ。その人たちは通してもらわなきゃ」
「あんたが言うなら、僕がストラスに伝言してやってもいいけど」
マルコシアスが手をひらひらさせながらそう言って、そのひらめく指先で、精霊たちがきらきらと輝いた。
シャーロットは顔を明るくする。
「お願いできる?」
「お安い御用」
あっさりと頷き、マルコシアスがオンルを抱えたまま少し前屈みになって、まるで目には見えない侍従に何かを言づけるように、何かを囁いた。
少しして、ぱっとかれの眼前で白い光が弾けて、消える。
マルコシアスは満足した様子で顔を上げた。
「これで、少なくともストラスがわれを忘れるほどはしゃいでなければ、大丈夫」
「ありがとう」
シャーロットはほっとして、椅子の背中に少々姿勢悪く体重をかけた。
大佐と中佐も、ほっとした様子でそれぞれてのひらで顔をぬぐい、あるいは髪をかき上げる。
息を吐いて、シャーロットは首を傾げた。
「ストラス、そんなにはしゃいでたの?」
「そりゃもう」
マルコシアスが頷いたので、ストラスの主人であるところのオリヴァーが、じゃっかん挙動不審になった。
なにしろ、ストラスが人間にかすり傷の一つも負わせた瞬間、オリヴァーがカルドン監獄送りになりかねないのである。
「誰にも怪我はさせてないわよね?」
シャーロットが心配そうに尋ね、マルコシアスがにやっと笑った。
「あんたと契約しているあいだは、僕はあんたの倫理に従う。約束だろ? はしゃいでるあいつに言うことを聞かせるのは難儀したけどね」
瞬きしてから、シャーロットは破顔した。
「本当にありがとう、エム」
「なんなりと。――ところでグレース閣下って誰?」
マルコシアスがオンルをひっくり返しながら無邪気に尋ねたので、シャーロットは言葉に詰まった。
何かを話し合っていた様子の、大佐と中佐の声もぴたりと止まる。
しばらく黙り込んでから、シャーロットはつぶやいた。
「この国の首相閣下よ」
「あれ、もう死んだんじゃなかった?」
マルコシアスが首を傾げて言い放った。
シャーロットはもとより、大佐と中佐が息を止めたのが分かる。
それを察知した様子はもちろんなく、マルコシアスは不思議そうに続ける。
「死んだあとの身体にも用があるの? 人間ってのは強欲だね」
「ああ、エム」
シャーロットは首を振り、マルコシアスにてのひらを向けた。
「悪魔のお前が理解する必要はないんだけど、亡くなったあとでもその人の身体に敬意を払いたいというのが、私たちの感覚なの」
マルコシアスは人間をそっくりに真似た仕草で瞬きし、肩を竦めた。
「なるほど。あんたに仕えているあいだは覚えておこう」
「ありがとう」
小声でつぶやいて、シャーロットは息を吸い込み、身を乗り出した。
「それはそうと、かれをいじめちゃ駄目よ。とっても役に立ってくれたんだから」
そう言って、シャーロットが遅まきながらオンルをマルコシアスの手から救出すると、オンルは熱烈な声を上げた。
「なんと素敵なお嬢さん! 次はこのオンルをご所望あれ!」
「僕のレディに色目を使うな」
マルコシアスが不快そうな顔をする。
オンルはぱたぱたとはばたいて、マルコシアスから離れた位置の椅子の背に止まり、素知らぬ顔でフクロウらしい声を上げた。
オリヴァーは椅子の背もたれに沿ってずるずると身体を寝かせながら、「目が覚めたら全部終わってたりしないかな」と呟き、腕を目の上に乗せている。
シャーロットもまったく同感で、その場で目を閉じた。
マルコシアスが完全に面白がり、「おお、よしよし」などと言いながら、近寄ってきて彼女の頭を撫でる。
そのときふとシャーロットは、十四歳のあの夜、ベイシャーで名無しの悪魔に遭遇したあとに、野宿する彼女の頭を、今と同じようにマルコシアスが撫でていたことを思い出した。
ちょっと馬鹿にしたような、手に余るといわんばかりの、うんざりしたような手つきで。
だが今は違った。
かれの手つきは、悪魔の仕草をそう評することが許されるのであれば、優しく真心が籠もっていた。
十七歳のときに感じていたような、マルコシアスがシャーロットの遭遇する不幸を待ちかねているような、そんな奥底にある不穏さや不安定さはまるでない。
間もなくして、どやどやと複数人が部屋に入って来る気配があった。
シャーロットは顔を上げようとしたが、それには及ばないというように、マルコシアスが彼女の頭の上に手を置いたまま、あわてて立ち上がって挨拶をするオリヴァーをよそに、高慢な調子で言った。
「僕のレディはお疲れだ」
「ああ、そりゃありがたいね」
誰かが、マルコシアスに応じてというよりは独り言のようにして、そう言った。
魔術師以外の人間は、悪魔の言葉を言葉とも思わないものなのだ。
いわんや対話をやしようか。
シャーロットの知る中で、魔術師でもなく悪魔と平然と会話していたのは、それこそアーノルドだけだった。
「だいぶお転婆だって聞いてるからね。寝ててくれるなら警護もしやすい」
シャーロットは、マルコシアスの手を払いのけて頭を上げた。
部屋の中に入ってきた一団は、おそらくアディントン大佐が指示した、シャーロットを警護する小隊の一部だろう。
アディントン大佐とランフランク中佐は、彼らと入れ違いで出て行ったのか、姿が見えない。
オンルももちろん、主に付き従っているのだろう――姿はない。
小隊の彼らが、これみよがしにシャーロットに目配せして、笑い混じりに囁き合っている。
「ランフランク中佐の愚痴はすごかったな――当時は少尉か。手水に連れてったはずが姿が見えなくなったって、ショックが過ぎて二、三日眠れなくなったっておかんむりだったな」
「あれ、何年前だ?」
「五年――もっとか、七年くらい」
十四歳だった自分の大暴走を思い出し、シャーロットは思わず両手で顔を覆った。
オリヴァーが、「お前、そんなことをしてたのか」と、目を見開いてシャーロットを眺めている。
「十四のときに議事堂で騒ぎを起こしたって、本当だったのか」
「疑ってたんですか?」
「いや、半信半疑ってくらい」
「この期に及んで!」
シャーロットは思わずうめいた。
確かにあのとき、グレース首相のそばにはアディントン大佐――当時の階級はなんだったのだろう――と、ランフランク中佐――当時は少尉――がいて、シャーロットがオーリンソン氏を告発した結果として、外に走り出て行ったのがアディントン大佐だったのだ。
あの場に残っていたのがランフランク中佐だったことを思えば、確かに、「気分が悪いので手水に行きたい」と申し出たシャーロットの、まさかの議事堂からの脱出劇には閉口したことだろう。
片棒をかついだマルコシアスをちらりと見る。
マルコシアスはどうやら小隊のひそひそ話は聞いていないらしい。
退屈そうに指で拍子を取っており、その指先から、色とりどりの火花が散っていた。
室内に移動してきた一団は、小隊の中のごく一部だろう――状況が決して楽観できるものではないとは重々承知だろうが、ユーモアを失わずに互いに笑い合って、数人が円卓を回り込み、窓のそばに立った。
彼らが窓から周囲を見渡してから、窓を閉めて掛け金を下ろす。
窓硝子が室内の様子をぼんやりと反射する。
シャーロットがそわそわしていると、一人がそれに気づいて、優しく彼女に微笑みかけた。
「そう気を張らないで、ミズ。きみの任務は、何よりもまず無事でいることだ」
シャーロットもそれに応じて、おずおずと微笑み――次の瞬間悲鳴を上げた。
「わあっ!!」
というのも、なにものかが凄まじい勢いで窓硝子にぶつかり、があん! と音を響かせたかと思うと、次の突進で窓硝子を通り抜けて、こちらにすっ飛んできたからだった。
窓のそばにいた軍人が一斉にそれを叩き落とそうとして、
「私の悪魔です!」
間一髪のシャーロットの叫びでその動作を堪え、窓硝子を突っ切って室内に転がり込んできたカラスが、毛玉のようになってシャーロットの膝に軟着陸する様を見守った。
「リンキーズ、どうしたの? アーニーは見つかった?」
まだ驚きにどきどきする心臓を押さえながら、シャーロットはカラスの頭を撫で、毛羽立った黒い羽根を直してやった。
リンキーズはきわめてカラスらしく、ぜぇぜぇとしばらく息をしたあと、
「――本当にやばい!!」
叫んだ。
われ関せずを貫こうと顔をそむけたオリヴァーでさえ、その勢いに思わずカラスに注目する。
軍人はいわずもがな――全員が今やリンキーズを注視していた。
「マジでやばい! もうすぐあいつ――あの参考役からきみに脅しが届くよ!
アーニー、殺されそう!!」
シャーロットは凍りついた。
「――どこ?」
マルコシアスがぼそっと、「あんた、そんなに大騒ぎして――人間の流儀に染まり過ぎじゃない?」とつぶやいたが、この場でそれに耳を傾ける者はいなかった。
リンキーズがぶるぶると身震いする。
「なんか、ええっと、あれはどこだ――あれはなんて言うんだっけ――そうそう、裁判! 裁判するところみたいな!」
「――司法省だ」
誰かがつぶやき、シャーロットは思わず腰を浮かす。
その拍子に彼女の膝から落ち、ぼとりと床に着陸したリンキーズが、タップダンスを踊るような仕草で暴れ狂う。
「あいつ、マジで、アーニーを餌にしたらきみが寄って来るかどうか、駄目もとでも試してみる気だ!」
「司法省なら大佐が向かっている――」
誰かが、シャーロットを落ち着かせようとしたのかそう言った。
だが直後、リンキーズががなるように叫んだ。
「あいつのそばにいるのはアモンだ!」
「――は?」
このとき、場の人間の反応は二つに分かれた。
悪魔について知らない人間の、訝しげな反応。
あるいは七十二の魔神の序列を知るがゆえの、戦慄じみた反応。
マルコシアスが、さすがに目を丸くしている。
ネイサンに仕えていたときでさえ、仲間内にアモンがいるとは聞かされていなかったと分かる、本気で驚いた表情だった。
「アモンがいるならなんだって、あいつは寝ている神まで叩き起こそうとしてるんだ?」
「アモンって、つまり、」
オリヴァーがひっくり返った声で叫ぶ。
「序列七番? ネイサン参考役がそこまで高位の悪魔を召喚しているなんて聞いたこともないぞ!」
「ああ、きみは耳聡いんだね。今日の計画も、きみは一月前から知っていたに違いない!」
リンキーズがやけくそのように叫んで、その場でぐるぐると回った。
このパニックの半ば以上は、かれからすれば見上げてもなお追いつかないほどに序列の開きのある魔神、その存在に起因することがよく分かる――金切り声でかれはまくし立てた。
「アモンがその気になりゃ、百人の人間でもあっという間にミンチになるよ!」