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09 まだ終わらない

「――は?」


 アディントン大佐はあっけにとられた様子で絶句した。


 それをよそに、シャーロットは左手首の腕輪に囁きかけている。


「エム、この扉を開けられる?」


 耳許でマルコシアスの声が答える。


「吹き飛ばしちゃっていいならね」


 同時に、鉄扉の向こうの大佐が、焦った様子で覗き窓に顔を押しつけた。


「誰に話している?」


「味方です。

 ――人に気づかれないなら、吹き飛ばしちゃっていいわよ」


 マルコシアスはのんびりと唸った。


「うーん、どうとも言えないな。音は消せるし、お馬鹿な人間たちはそれでじゅうぶんに騙せるけど、こっちのお仲間に見られていた場合はね」


 シャーロットは周囲を見渡した。


「だれか、悪魔がいるの?」


「いや、僕が見る限りではだれもいない。――ストラス、あんたが見てもそうだろ?」


 マルコシアスの声はごくごく小さな囁きで、アディントン大佐にも聞こえていないようだったが、ストラスには聞こえていたらしい。

 かの(じょ)がすぐさま、「そうね」と応じた。


「お仲間も見当たらないし、精霊がいるようにも見えないわ。――私とあなたの序列はほぼ同じよ」


「まあ、そうだね」


 マルコシアスが暢気に認めて、そのあいだに大佐はもう一度、「きみ?」と、語尾を上げてシャーロットを呼んでいる。


「誰がいるんだ――誰に話している?」


「味方です、大丈夫です。私も魔術師なんです――悪魔がいるだけです」


 シャーロットはあわてて応じ、そうしながら、マルコシアスの危機感のない声を聞いていた。


「ただ、僕より格上の魔神がいても、僕にはそれが分からないからね。格上の魔神が精霊を遣わしていた場合も同じ」


 シャーロットは眉を寄せる。


「悪魔?」と、アディントン大佐が声を上げている。


「それは――先ほど私のところに来た悪魔か? 私の居場所をきみに伝えると言っていたが――」


「あんなやつよりずっと格上だよ」


 唐突にマルコシアスの声が大きくなって、アディントン大佐にも聞こえたらしい。

 彼が息を吸い込んだ。


 シャーロットはすばやく決断し、言った。


「エム、すぐにこの扉を叩き壊して、大佐を外にお出しして」


「いいの?」


「いいの。どのみち、お前も気づかない見張りがいるなら、もう色々と知られてるわよ。どうせ知られているなら、遠慮することはないでしょう――知られていないなら、儲けものよ」


 きっぱりと答えたシャーロットに、マルコシアスが愉快そうに笑ったのが分かった。


「なるほどね。あんたのそういう思い切りのいいところ、好きだよ」


「じゃあ、私に災難を持ってくるのは、この思い切りの良さなのね」


 皮肉な冗談を口走ったシャーロットに、マルコシアスがかすかに震えて爆笑を伝える――直後、何かの手品のように、ぽんっ、と、大佐を外界から隔てる鉄扉が煙に包まれた。


 手品のように見えたのは――現実味が薄い光景だったのは――一切音がしなかったからだ。


 もくもくと煙が上がり、やがて芝居の一幕のようにゆっくりと、錠と蝶番を吹き飛ばされた頑丈で分厚い鉄扉が、シャーロットの方へ倒れ掛かってきた。


 シャーロットがあわてて後退るのと同時に、扉はかすかな音だけを立てて床に倒れた。

 床がわずかに震えた気もしたが、音はなかった。


 煙が薄れていく。


「あら、器用ですこと」


 ストラスがつぶやき、そして扉の向こうから、目を丸くしてよろめきながら、アディントン大佐が現れた。

 煙を警戒してか、顔の前で手を振っている。


 シャーロットは目を皿のようにして大佐を凝視した。


 怪我はない――ように見える。

 軍服がじゃっかん乱れているのと、シャーロットが以前に彼を見たときにその胸許と肩を飾っていた徽章や肩章のたぐいが剥ぎ取られている。


 そして当然ながら、武器は取り上げられているようだった。

 太いベルトからは、革の――あきらかに拳銃のためのものだろうと分かる――小物入れのような袋が下がっていたが、それは空っぽになっているし、ナイフのひとつも身に帯びていない。


「大佐――」


 シャーロットが呼びかけるのと同時に、倒れた扉を踏んで彼女のそばに立った大佐が、鬼気迫る表情でシャーロットの肩をむんずと掴んでいた。


「きみ、無事かね」


 シャーロットの手首で、腕輪が震え始めた。

 今度は笑っていない。

 猫がしっぽを膨らませるように警戒している。


 シャーロットは思わず、ばしんと腕輪を叩いた。


「はい、大丈夫です。あの、お話ししないといけないことが――」


「歩きながらで」


 軍人らしい有無を言わせぬ口調で、大佐は断言した。


「きみは早くここから離れなければ――きみさえ無事なら王手は避けられる」


 歩くよう促されながら、シャーロットはその場に踏ん張った。


「他の方は――ランフランク中佐はどちらです?」


「きみ、助けてくれたことは礼を言うが、今はランフランクのことよりも、きみの無事を優先しなければ――」


「私、『神の瞳』の在り処を知っています」


 出し抜けにシャーロットは言った。


 ストラスがラズベリー色の目を大きく見開く一方で、アディントン大佐も雷に打たれたような顔をする。


「――なんだって?」


「今のところは、ネイサンさまの手の届かない場所にあります。

 ――大佐、ですから、お願いです」


 シャーロットは大佐の腕に縋って頼み込んだ。


「ランフランク中佐はどちらですか。他にも危ない目に遭ってらっしゃる方はいますか。

 それと、私の話も聞いてください。軍省はもうネイサンさまの手の内と思っていただいた方がいいと思います。カヴァデール将軍――だったと思います――という方が、もうネイサンさまの側についています。この事態を予期していらっしゃったのなら、首相閣下はどうなさるおつもりだったんですか。

 ――教えてください。お役に立ちます」


 大佐は目をしばたたかせた。

 オイルランプの明かりに、その目が透き通るように光っている。


「しかし――」


「どのみち、私がネイサンさまほど(くらい)の高い悪魔を召喚しているなら、人間一人をグレートヒルから出さないように見張らせることくらい、わけないんです。

 私はここを脱出するための努力より、ネイサンさまの足許を掬う努力をする方が有益です。

 ネイサンさまの王手はまだです。()()()()()()()()()()

 だいいち、私はあんな人が議会をまとめる国で生活したいとは思えません。止めないと」



 ――シャーロットが生き延びること。

 アーノルドを助け出すこと。

 全員が無事であること。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 シャーロットの最終的な目標はそれだ。


 そのあとに、マルコシアスにかれの好きな甘いものを食べさせてやれれば言うことはない。



「――止める?」


 アディントン大佐が、瞬きして繰り返した。


 シャーロットは、まさか自分が佐官の地位にある軍人に苛立つ日がこようとは思ってもみなかったが、苛立って繰り返した。


「ええ、そうです。ネイサンさまも馬鹿ではないんですから、グレートヒルの魔神を復活させてやろうとしていることは、その魔神を盾にとった武力行使でしょう。

 かりにその魔神が復活しないとしても、今のままでも、ネイサンさまの召喚している魔神はかなり高位のものなんです。このままだと、あの人が首相の椅子に座ってしまいます。

 両方をお()めになるんでしょう?」


 大佐が息を吸い込み、片手で顔をぬぐった。


「――最低限、魔神の復活さえ止められればと思っていたが……」


 シャーロットは、思わずひっくり返った驚愕の声を漏らしていた。


「待ってください、見捨てないでください、あんな人が議会を治めてしまったら、割を食うのは私たち――民間人ですよ」


「分かっている、閣下も何よりもそれをお考えだった。

 ――閣下が、もう……」


 大佐はつぶやき、うつむいて、しかし一秒ののちに顔を上げた。


「……だが、そうだ、私たちだけでも打てる手を打つべきだ」


 決然とそう言って、アディントン大佐が、あきらかに悪魔と分かる格好の――何しろ、奇妙な髪にドレス、首の枷がある――ストラスを、ちらりと見た。


「――あれがきみの悪魔か?」


「いいえ、知人から貸していただいています。私の魔神は、こっちの」


 シャーロットが腕輪を掲げて見せると、掲げられたことが不満だったのか、腕輪の温度がじゃっかん下がった。

 シャーロットはあわてて腕を下ろす。


 大佐は考え込む眼差しで鉄の色の腕輪がオイルランプの明かりを反射するのを見守り、それからシャーロットの顔に目を移した。


 熟考しているようだったが、眼差しの推移は迅速で、彼の頭が勢いよく回転しているのが分かった。


「その魔神は、ネイサンの魔神に劣るのか?」


 シャーロットは、そんな場合ではないと分かってはいたが、かちんときた。


「劣るというと語弊がありますが。序列では及びません」


「あの裏切り者のくそやろう」


 大佐がつぶやいた。

 あまりに冷静な口調だったので、それが悪態であるということの把握が一秒遅れたほどだった。


「大佐?」


「来てくれ」


 大佐は口早に言って、あきらかに目的意識を持って足を踏み出した。

 シャーロットがそれを追う。


 ストラスが溜息を吐いて、気怠そうにそれに続いた。


 大佐の歩調に合わせようと小走りになるシャーロットを横目で振り返って、大佐は慙愧に耐えないという口調で。


「すまないが、きみの言うことはもっともだ。私たちがここでぼんやりしていたら、いつの間にか国の最高法規が書き換わりかねない。

 思い出させてくれてありがとう――いつの間にか、目標を下方修正し過ぎていたようだ。

 確かにきみの言うとおり、()()()()()()()()()。あの裏切り者を引きずり下ろす算段をするべきだ。

 ――それには、少なくとも、味方を独房から出してやることが必要だ。手を貸してくれ」


「それはもちろんですが――」


 シャーロットは言い淀んだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 シャーロットのそういう、声に出さない問いを、敏感に感じ取ったらしい。

 大佐が苦笑した。


「きみの知らないうちにね、」


 大佐は軽い口調で続けたが、その実、声の奥に重くて苦いものがあった。


「われわれは一網打尽にされたんだよ。

 この四年で、首相閣下はネイサンの腹心の部下を五人ばかり監獄に送ったが、こちらに不利な出来事も起こっていた。

 それが今夜、雌雄が決されたわけだ」


 シャーロットはかすかに口を開けた。


「――存じませんでした」


 アディントン大佐はすばやく角を曲がった。

 この地下への入口から見て、さらに奥へ向かう方向だ。


 そして、ややそっけない声で言った。


「きみに知らせて、きみを必要以上に巻き込むことはないというのが、閣下のご判断だったからね」


 シャーロットは悪あがきのようにつぶやいた。


「ネイサンさまに気をつけるようにという程度のことは、おっしゃっていただいて良かったのではないでしょうか」


 大佐はシャーロットをちらりと見て、眉を上げる。


「きみはそれをわきまえていると、閣下はずっと思っておいでだったが。それに、きみを軍省に抜かれた時点で、必要以上に閣下と接触があれば、きみの立場がまずくなることは目に見えていた。きみを軍省に入れるまいと、われわれも努力したが、あれはどうにもならなかった。

 ――きみの激務を、閣下は心配しておられたが」


「それは――」


 シャーロットは反駁しようとしたが、結局は言葉を呑み込んだ。


 そして、目下の問題に話題を移した。


「――誰もいませんね」


「もちろん」


 大佐は事も無げに言って、いくつもの通路を素通りし、まっすぐ奥へ向かっていく。


 ランプのオレンジと暗闇の色に、交互に彼の頬が染まる。


「私の麾下を私に近づけるわけにはいかないだろう――それに、軍省では多くの人間が、私が閣下にどれだけの忠誠を寄せていたのかを知っている。私が閣下を――あのくそやろうめ、かならず墓場に叩き込んでやる。――とにかく、そんな妄言を信じる者は、実際は少ないんだよ。下手にここに人を近づけて、私たちがそいつを丸め込んで脱出するのはお気に召さなかったんだろうね。それならいっそ隔離してしまえと」


 シャーロットは数秒のあいだ息を止めてから、最後の希望を懸けて囁いた。


「……あの、私の悪魔が、あなたから、閣下が……その、亡くなったと伝言を受け取ってきました。あれは本当なんですか」


 ここで大佐が振り返り、「あれは偽装だよ」と笑ってくれればどれだけいいか。


 ――だが、大佐は振り返らず、淡々と言った。



「おそばにいながらグレースさまを失ったのは、私の人生でも最大の悔いだ。

 あの瞬間に、私の人生は一度終わったんだよ」



「――――」


 シャーロットは息を止めた。


 アディントン大佐はちらりと彼女を振り返り、声を掛けようとして口を開き、結局のところ言葉が見つからなかった様子で口を閉じた。


 シャーロットからすれば、そのことがショックだった。

 あきらかに、シャーロットが覚える喪失感よりも、大佐が覚える喪失感と哀切、そして無力感の方が何倍にもなるはずだ。

 それを、大佐に気を遣わせたということ――そのことがショックだった。



 しばらく無言で足を進めた二人だったが、そのとき、ストラスがぴたりと足を止めて、まるで耐え難い悪臭を嗅いだかのように口と鼻を華奢な手で覆い、声を上げた。


「――ちょっと、私はここまででいいかしら?」


 シャーロットは振り返り、目を丸くする。


「どうしたの?」


 ストラスは一歩下がった。


 シャーロットは眉を寄せ、腕輪を見る。


「エム?」


 マルコシアスは息を吸い込むような間を置いて、それから断固として言った。


「ストラス、もうちょっと頑張れるでしょ。行くよ」


「エム、どうしたの?」


 シャーロットはそう尋ねてから、訝しげにこちらを見るアディントン大佐に向かって、はっとして問い掛けていた。


「――この先にいらっしゃるのは……」


 大佐は頷いた。


「ランフランクのはずだ」


「中佐は――()()()でいらっしゃいますか」


 大佐は瞬きした。


「そうだ」


 シャーロットは息を吸い込む。


 魔術師を無力化することにおいて肝要なのは、彼らに悪魔を近づけないことだ。

 つまり、悪魔が嫌うもの、悪魔の弱点となるものを使うしかない。


 悪魔が嫌うもの、かれらの弱点といえば――


()()()()()()

 ――エム、無理しなくていいわ。ここで待っていても――」


「お馬鹿さん」


 マルコシアスは軽やかに言った。


「僕らが行かなくて、だれがその……なんていったっけ、まあいいや、とにかくそいつを閉じ込めてる扉を壊すのさ。

 ――さあ、ストラス、歩いて」


「まあ、なんてひどい」


 絶世の美女の姿の魔神は呻いて、まるで汚物の上に足を踏み出すように嫌々ながら、足を進め始めた。




























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