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08 いざ地下へ

「――それで、お前は早く大佐の居場所をストラスに教えて、自分の領域に戻りなさい」


 脱獄幇助の宣言に唖然とするオリヴァーをよそに、シャーロットがきっぱりと言うと、言葉を向けられたマルコシアスは、丁寧に自分の耳に触れてみせた。


「おっと失礼、レディ。なんだって?」


「だから……!」


 地団駄を踏みかねないシャーロットに、マルコシアスは冷ややかな笑みを浮かべる。


「僕のレディ、二つばかり言わせてくれ。

 ――まず第一に、僕は確かに、さっきまで僕の主人だったあいつに仕える、僕より格上の魔神に遭遇するとまずい立場だ。けど、」


「――ねぇ、どうしてマルコシアスは身の安全を考慮されていて、私は平然と呼び出されたわけ?」


 ストラスが憮然として言ったが、それに答える者はだれもいなかった。


 マルコシアスは淡々と続けている。


「領域に帰るのなんて、それこそ一瞬で済む話だ。それまでは僕があんたのそばにいられる。ついでに僕は、自分が危ないときに、あんたのために領域に帰るのをためらったりはしない。僕はあんたが好きだけど、それも()()()()()()だからね。

 ――それから第二に、レディ、契約違反になるよ」


「――――」


 シャーロットは報酬の言い回しを思い出し、過去の自分の頭を叩きたくなった。


 マルコシアスは勝ち誇ったように笑った。


「ね、僕のロッテ。契約どおりに、よくよく僕にあんたを()()()くれ。

 危ないと思ったら、僕はさっさとずらかるさ。あんたもよく知ってるだろうけど、僕は自分がいちばんだからね」


 シャーロットは声にならない苛立ちに、叫びを空白として吐き出すような一拍を置いた。



 ――もともと悪魔は、抽象的な報酬を嫌う。

 それは取りも直さず、召喚陣の強制力が魔術師に働きにくくなるからだ。


 シャーロットが今回マルコシアスに提示している報酬は、その最たるものといってよい。

 そのため、極論をいってしまえば、シャーロットには強制力がまったく働かない可能性すらある。


 だが、それでも、シャーロットはマルコシアスと違って人間だった。

 人間ならば人間らしく、見せるべき誠意というものがある。



「分かった。――じゃあ、エム。お前が大佐の居場所まで私たちを連れていって。

 万が一に備えて、ストラスにもちゃんと彼の居場所は教えてちょうだい」


「仰せのとおりに」


 マルコシアスが胸に手を当てて、おどけて頭を下げる。


 マルコシアスがストラスを振り返り、かの(じょ)に向けて指先をかすかに動かす。

 ストラスもそれを受けて小さく頷きはじめ、二人の魔神のあいだで、人間には窺い知れない、ひそやかなやりとりが行われた。


 シャーロットはオリヴァーを振り返る。


「オリヴァーさんは――」


「行きたくないぞ」


 言下に断言したオリヴァーに、シャーロットは「分かります」と頷く。


「ストラスに、私とエム――マルコシアスの指示に従うように命令してくれれば十分です。

 ただ、技術省の省舎に戻るのはあんまりお勧めしません――」


「いつクーデターの波が押し寄せてくるか、分からんからな」


 オリヴァーは心持ち蒼褪めてそう言った。

 周囲を見渡して、オリヴァーは片手で顔をぬぐう。


「本当にネイサン参考役がお前の言うような人なら、その下で働くのは論外だ――俺にも良心はある。ノーマに顔向け出来なくなる」


 シャーロットはマルコシアスを見た。

 マルコシアスはその視線を向けて、面白そうに笑った。


「ああ、ロッテ。もしかして僕に、こいつに精霊をつけて守ってやれって命令したがってるの?

 ――お馬鹿なロッテさん、無用だよ。それはストラスのやることだ」


「そうでしょうね、不本意ながら」


 ストラスがマルコシアスの言葉を受けて言って、繊細な白い指先をひらめかせた。

 そこから、あえかな白いきらめきが散ったのが、シャーロットの目にもかろうじて見えた。


 オリヴァーはそちらにはあまり注意を払わず、心配そうにシャーロットを見ている。


「おい、ベイリー。お前も行くことはないんじゃないか」


「いいえ」


 シャーロットはきっぱりと答えた。


「今からお助けしに行くのは、首相閣下の腹心の佐官の方々です。状況を出来るだけ正確に伝えて指示を仰ぐ必要があります――悪魔には任せられません。

 百歩譲って、エムかリンキーズになら任せてもいいんですけれど、リンキーズは他の仕事中ですし、エムは万が一のときにはすぐに領域に帰さないといけません。私が行きます。

 それにその方が、早く大佐たちと合流できますし」


「ねえ、レディ」


 マルコシアスが顔を顰めた。


「僕に大事な務めを任せられるっていうのは分かるよ。でもなんで、あの雑魚の名前も挙がるの?」


「お前は私に忠実だけれど気が回らないことが多くて、リンキーズは早く私が死なないかしらと待ち構えているにせよ、報酬には忠実で気が回るところが大きいからよ」


 にべもなく答えて、シャーロットはぐっとこぶしを握った。


「――それはそうと、エム、」


 マルコシアスは首を傾げた。


「はいはい、いつでもあんたのエムだよ。どうした?」


 シャーロットはマルコシアスに向かって左手を伸べる。


「どんな格好をしていようと、魔神は騙せないんでしょうけれど、少なくとも見張り――いたとして、だけど――の人間の目は騙さなきゃいけないわ。ネイサンさまが、お前を見かけたらすぐに知らせろ、なんてお触れを出していたら大惨事だもの。

 それに、オリヴァーさんも言っていたけれど、お前、今はネイサンさまの魔神に見えちゃうのよ。せっかくお助けしに行っても、大佐たちに敵だと思われちゃうわ。

 だから、()()()()()()いて」


 オリヴァーにもストラスにも、意味の分からない指示だっただろう。


 だが、マルコシアスは目を細めると、すぐに伸べられたシャーロットの左手を取った。


 とたん、かれの身体が唐突に硝子細工に変じて溶け、そして主人の手首を握った指に向かって、瞬きのあいだに収斂したようだった――一瞬ののちには、シャーロットの左腕に、鉄の色合いと風合いを持つ、繊細な細工の施された古風な腕輪が嵌まっていた。


「ありがとう」


 シャーロットは嬉しそうに腕輪を撫でてそう言って、その嬉しげな表情はオリヴァーから見れば、状況にそぐわず綺麗な装飾品を喜ぶ笑顔にも見えたのだが、実際のところシャーロットは、マルコシアスが変わらず合言葉を覚えていてくれたことが嬉しかったのだった。


 一秒ののちには、シャーロットは腕輪から顔を上げていた。

 そして、威勢よく言った。


「さあ、ほら、大佐たちをお助けしに行くわよ。

 ――作戦はないわ。とにかく、行って戻ってくるしかなくて、陽動に使える人手もゆっくり考える時間もないんだから、仕方ないわよね。

 だから、とにかく安全に事を運べるように、全力を尽くしてちょうだい」


「行き当たりばったり」


 ストラスが皮肉っぽくつぶやいたが、シャーロットは意に介さなかった。


 マルコシアスがこよなく好む、()()()()()()()()()()()()()()()というような気概、折れぬ曲がらぬ自我をもって、シャーロットは断言していた。


「ええ、そうね。そしてその行き当たりばったりに、あなたのご主人さまは手を貸してるの。

 ――行くわよ」





▷○◁





 軍省の省舎の一階は、先ほど、シャーロットが電話をかけるためにもぐりこんだときと同じく、恐ろしいほどに静かで無人だった。


 大理石の床に、かすかに音を立てて燃えるガス灯の明かりが映り込み、まるで床一面が池になったようにも見える。


 シャーロットは今度は靴を脱がず、靴音を殺すために爪先立って進んだが、ストラスは素足であることを差し引いてもなお、異常なほどの静けさ、存在感のなさで悠々と前へ進んでいた。

 ガス灯の明かりに、かの(じょ)の装飾鎖がきらきらと輝いている。



 普段から維持室に閉じ籠もって仕事をしているシャーロットは、軍省の省舎の中でも、軍事部の構造には詳しくない。

 ザカライアス・リーならば、問題なく把握していたのだろうが――


(ああ、リーさんは大丈夫かしら。ペグは)


 そう思って、シャーロットはわれ知らず、ぎゅっと両手を握り合わせた。


 マルコシアスが彼らを守ったはずだ――あの広間での命令に従って。

 だがそれでも、心配なものは心配だった。



 ストラスが、勝手知ったる堂々たる足取りで、角を曲がった。


 むろんそれは精霊の先導あってのことなのだろうが、まるでここがおのれの邸宅であるかのような足取りだった。


 シャーロットもあわててそれに続く。


 角を曲がった先はガス灯の数が少なく、一段暗い。

 十ヤードあまりを進んだところで、廊下が下りの階段に分岐している。


 ストラスはすたすたとそちらへ進んで行く。


 シャーロットももちろん、忠実な侍女のようにそれに続きながら、思わず左手の腕輪に向かって囁きかけていた。


「――ねえ、どうしてこんなに誰もいないのか、分かる?」


 その囁き声ですら反響しそうで、彼女は身を竦める。


「あんたの同僚の役人たちが、」


 と、腕輪からではなくすぐ耳許から、マルコシアスの声が聞こえた。


「この事態にすっかり動転しちゃって、外に出たら恐ろしい事態に巻き込まれるんじゃないかと疑って、さっきまであんたがいた広間の周りから出ていかないから。

 いやあ、人間ってのは、ちょっとでも間違うと取り返しがつかなくてぽっくりいっちゃうから、こういうときは慎重で面白いよね」


 シャーロットは少し考えた。

 そのあいだに、彼女の足は階段を踏んでいた。


「――つまり、誰もひどい目に遭ったりはしてないのね?」


 マルコシアスは少し黙った。

 精霊に探らせているのかもしれない。


 そして、かれは真面目に言った。


「――うーん、秘蔵の酒を出してきて、吐くほど酔ってるやつがいるんだけど、これはあんたの言う、“ひどい目”のうちかな?」


 シャーロットは短く息を吐いた。


「安心したわ、ありがとう」


「なんなりと、レディ」



 階段も半ばを過ぎると、階下――つまりは地下階――に点された無数の明かりが届き始め、石造りの階段がオレンジ色に染まって見えている。


 そして地上階とは異なり、無数の足音と、人声と、扉が開いたり閉まったりする音が聞こえてきていた。


 ストラスが頓着なくその明かりの中に踏み出していこうとするので、思わずシャーロットは手を伸ばし、かの(じょ)のヴェールを重ねたようなドレスに縋りついてしまった。


「待って待って」と、声には出さずに懇願する。


「気づかれる……!」


「気づかれないわ、この小心者のおちびさん」


 絶世の美女の姿をした魔神は傲然と断言した。


「気づかれるとしたら、私たちより格上の魔神に遭遇したときよ。そのときは一巻の終わりと覚悟なさい」


「でも――」


 シャーロットは反駁しかけた。

 ネイサンには、確実に、マルコシアスよりも格上の魔神がついている。


 ――が、彼女はそこで言葉を止めた。


 ネイサンが、ここに悪魔を連れたシャーロット、あるいは誰かが乗り込んでくることを予期していただろうか。


 だいいち、彼の第一の目的はグレートヒルの魔神の復活であるはずで――言い換えれば、魔神の復活が叶ってしまえば、それは問答無用でネイサンの勝利を意味していて――、アディントン大佐たちを捕らえたのも、それまでのあいだ、邪魔をされなければいい――といった、きわめて短い拘留のみを念頭においた、いわば敢えておざなりにした処置であったはずだ。


「――そうね」


 シャーロットは言葉と一緒に息を呑み込み、ストラスに続いて、そろそろと階段を降り切り、石造りの、天井の低い廊下に立った。



 左右に伸びる、狭い廊下だ。

 明かりはガス灯ではなく、壁に吊るされたオイルランプだった。


 シャーロットから見て右手側、階段を降りてすぐの壁に、電話機が設置されていた。

 今は誰も使っていない。

 電話機のそばには木のスツールが置かれており、そのスツールの上には、乱雑に折り畳まれた新聞が放り出されている。


 電話機とは反対側、シャーロットから見て左手側の壁際には、二人の軍人が壁に寄り掛かってぼそぼそと何かを話していた。


 ストラスがためらいなく左側に向かって足を進めたので、シャーロットは緊張のあまり気絶しそうになったが、ストラスが宣言したように、二人の軍人は何に気づいた様子もなかった。



 ストラスは迷う様子もなく、すいすいと廊下を歩いた。


 この地下が普段はなんのために使われている空間なのか、シャーロットには皆目見当もつかなかったが、狭い廊下にはところどころで扉が開いていたり、木箱が積み上げられていることもあり、ストラスとシャーロットに気づかない軍人が、足早に二人を追い抜くとき、あるいは向こう側から人が来たときには、シャーロットは心臓が縮む思いで壁に張りつくことになった。

 特に彼女の心臓が止まりそうになったのは、目の前の扉が唐突に開き、鼻の頭をぶつけそうになったときだった。


 ストラスに至ってはそのまま邁進していき、例外なく、人間の身体を文字通り突き抜けていた。



 いく度か角を曲がり、シャーロットが自分は今どこにいるのか分からなくなったころに、あきらかにそれまでよりも厳重に守られた一画に行き着いた。


 壁がアーチ型にくり抜かれて、新たな廊下に続いている――そのアーチに、堅牢な鉄柵の扉が取りつけられ、しかもその扉の前に、二人の衛兵が立っているのだ。


 シャーロットは、さすがに何か作戦を練らねば、と思い至って足を止めたが、ストラスは止まらなかった。

 すたすたと衛兵に歩み寄って行く。


 ひやひやしながらシャーロットはそれに続いた。

 マルコシアスが相手であれば、「大丈夫なんでしょうね!?」と後ろから肩を掴んでいるところだが、ストラスはシャーロットの魔神ではない。さすがにそんなことは出来ない。



 ストラスは、衛兵の一人の前で足を止めた。


 衛兵はかの(じょ)を見ていない――かの(じょ)を通り越して、その向こうを睨みつけている。


 ストラスはしばらく、興味のない抽象画を眺めるような目でその顔を見ていたが、やがてその鼻先に、シャーロットが肝を潰したほどの遠慮のなさで細い指を突きつけた。

 そして背伸びして、衛兵の耳許に何か囁く。


 とたん、衛兵の表情がへにゃりと緩んだ。


「――――!」


 シャーロットが目を見開いているうちに、ストラスはもう一人の衛兵の前に回り込んでいる。

 そして、親しげにその肩に手を置いた――衛兵は何も気づいていない――そして先ほどと同じように、彼の耳許に何かを囁いた。


 こちらの衛兵の表情は夢見るような心地よさげなものとなり、彼が急に、くるりと鉄柵の扉を振り返った。



「――ストラスはああいうの、得意だから」


 シャーロットの耳許で、マルコシアスの面白くなさそうな声が聞こえた。


「ああいう、人間を誑しこむのさ。僕はやらないけどね。出来ないわけじゃない」


 シャーロットはふいに、マルコシアスが時おり浮かべる、魅惑的で危険な誘惑がたっぷり詰まった笑みを思い出した。

 ――確かに、やろうと思えば人間を誑しこむことくらいはわけなさそうだ。


「やらなくていいわ」


 シャーロットは思わずつぶやいていた。


「やるなら、もうちょっと大人の格好をとることね」


 腕輪がかすかに震えて、シャーロットはマルコシアスが爆笑していることを察した。



 夢見る表情になった衛兵が、当然のようになめらかな手つきで鉄柵の扉を開け放った。

 もう一人の衛兵も、へにゃりと緩んだ顔のまま、なんらの反応を示さない。


 ストラスがあでやかに微笑んだが、やはり衛兵たちはストラスに気づいていない――ただ、まるで得も言われぬ芳香を吸い込んだときのように、彼らは目を閉じて幸せそうに微笑んだ。


 シャーロットはじゃっかん背筋に冷たいものを感じた。

 悪魔のもたらす幸福は、例外なく人間にとっての不幸だ。


(ごめんなさい、ごめんなさい……!)


 内心で怒濤のように謝りつつ、シャーロットはすばやく、ストラスの後ろから鉄柵の扉の内側に滑り込んだ。

 すぐに、がちゃん、という音とともに、ふたたび扉が閉められる。



 その向こう側は、無人の一本の廊下になっている。


 廊下は五ヤードほど続き、そしてその向こう側には、今度は鋲のついた鉄扉がそびえていた。

 扉の上部が、小さな蓋つきの覗き窓になっているようだ。


 廊下を照らすのは、天井からぶら下がるオイルランプ一つだけで、シャーロットにとっては暗すぎた。

 思わず手を伸ばし、壁を手で辿るようにして歩き出す。


「ああ、ロッテ」


 耳許でマルコシアスの声がする。


「そんなに警戒しなくて大丈夫。あんたが転ぶ前に、僕が守ってあげるから」


「これは本能というものよ」


 小声で返すうちに、先を行くストラスが鉄扉に行き着いた。


 ストラスが纏う風変わりなドレスが、オイルランプの乏しい明かりにもきらきらと光って見えている。

 白い肌は暗がりの中で浮き上がるようだ。


 小首を傾げて少し考えてから、ストラスは、シャーロットが目と耳を疑ったことに、こんこん、と鉄扉をノックした。



 扉の上部の覗き窓が、ばたんと開いた。


 そこから誰かがこちらを覗き込んだようだ――暗くて、シャーロットにはよく分からない。


「誰だ」


 だみ声がした。


 シャーロットは思わず身を竦めたが、ストラスが平然と応じていた。


「私よ。わたし。開けてちょうだい」


「はあ?」


 扉の向こうで怪訝そうな声がする。

 ストラスは歌うように続けた。


「開けてちょうだい、でないとこの扉を吹き飛ばすわよ」


 扉の向こう側が、少しのあいだ沈黙した。

 そして、訝しげで警戒心に満ちただみ声が、唸るように言った。


「――あんた、誰だ。所属と名前は」


 ストラスがすばやく一歩下がり、子供がたわむれに拳銃を真似るような手つきで、頑丈な鉄扉を指差した。


「名前はストラス。――お下がんなさいな」


「怪我させちゃ駄目よ」


 シャーロットがあわてて囁くと同時に、ばーんっ、と派手な音がした。


 シャーロットは首を竦める。


 もくもくと白煙が上がり、きぃぃ、と軋む音とともに、鉄扉の蝶番が回り、扉が開いていく。


「何したの、何したのっ?」


 混乱してシャーロットが声を抑えて叫ぶなか、扉の向こうから――先ほどのだみ声の主だろう――中年の男性が、血相を変えて飛び出してきた。


「なんだっ? なんだっ?」


 ストラスがぱちんと指を鳴らす。

 とたん、男性はへなへなとその場に崩れ落ち、盛大にいびきをかき始めた。


 腕輪がかすかに震えて、マルコシアスの笑い含みの声が耳許で聞こえる。


「ただ、錠を吹っ飛ばしただけだよ。

 僕のレディ、あんたは心配性だね」


「ネイサンさまの同類にはなりたくない……」


 シャーロットは心底からつぶやき、平和にいびきを響かせる男性を、安堵を籠めてちらりと見たあと、早速とばかりに鉄扉の向こうへ踏み込むストラスを、小走りになって追いかけていった。





 鉄扉の向こうは、階段の踊り場のような狭い空間になっていた。

 正面はそっけない壁で、左側に向かって、非常にゆるやかな階段が下っていっている。


 そこを降り切ると、鉄扉が並ぶ狭い廊下が伸びていた。


 オイルランプがぽつぽつと点されており、オレンジ色の光と暗闇が、縞模様を描いて繰り返されていた。



 シャーロットが想像していた監獄の光景とはまた異なる。

 シャーロットはてっきり、鉄格子が並ぶ光景を見るものかと身構えていたのだ。


「――牢屋というより懲罰部屋ね」


 ストラスがそっけなく言って、シャーロットに向かって、というよりは、シャーロットの左手の腕輪に向かって、楽しそうに言葉を続けた。


「ね、覚えてる? お互いの主人がこういう場所に閉じ込められて、〈傍寄せ〉も唱えてくれないから困っちゃって、うろうろしてたら鉢合わせしたことがあったわね?」


「ああ」


 マルコシアスの声が呻いた。


「あんたがへまをしてラウムに見つかって逃げてたときだね。僕にラウムを押しつけてさっさと逃げただろ。忘れないよ」


 ストラスはラズベリー色の目を丸くして、「あら、そうだったかしら?」と空とぼけている。

 そして可愛らしく両手を合わせると、「こっちね」と、すたすたと歩き出す。


 シャーロットもすぐさまそれに続いた。



 廊下は無人で、物音ひとつしない。

 しばらく進むと、突き当りで廊下が左右に分岐した。


 ストラスは迷う様子も見せず、精霊の先導に従ってのことだろう、左に進む。


 すぐに廊下は、まっすぐに進む道と左側に再度折れる道に分岐した。

 シャーロットは見当をつけた――ここはどうやら、櫛の歯のように廊下が並んでいるらしい。



 ストラスは一つめの分岐を素通りし、それから左に折れた。

 そして、数えて三つめの鉄扉の前で足を止める。


 可憐な腕を組み、ストラスはおよそ可愛らしくはない仕草で、親指でその鉄扉を指し示した。


「さて、ここよ、私のご主人さまのお友だち。あとはどうにでもなさいな」


 シャーロットは扉に駆け寄り、その上部に開いた、極端に横長の形の覗き窓を、爪先立って覗き込んだ。


 だが、中があまりにも暗い――


「――エム、明かりを点けられる?」


 シャーロットの囁き声と同時に、ぱっ、と、覗き穴の向こうに明かりが灯った。

 さながら巨大な白い蛍が出現したかのように、独房の天井付近から柔らかい光が射す。


 シャーロットがマルコシアスに礼を言う前に、独房の中から低い囁き声がした。



 張り詰め、緊張し、シャーロットがひやりとしたほど鋭い声だった。



「――誰だ」


 シャーロットはあわてて、覗き窓から自分の顔が見えるように飛び跳ねた。


 左手で腕輪が震える――マルコシアスが笑っている。

 ストラスも、あきらかに馬鹿にしたように鼻を鳴らしていた。


「私です、大佐。ベイリーです」


 鉄扉の向こうで息を呑む気配。


「ミズ・ベイリー?」


 驚きを籠めてそう言って、扉の向こうから、アディントン大佐がぐっと覗き窓に顔を近づけた。

 シャーロットと違って、飛び跳ねたりはしなくとも、彼の上背ならば十分だ。


 傷痕のあるいかめしい顔が、独房の中の白い光を背負い、廊下にぽつぽつと点るオイルランプの明かりに浮かび上がる。


 覗き窓からシャーロットの顔を認め、アディントン大佐は大きく目を見開いた。

 彼が色素の薄い、紫に近い色の瞳をしていることに、シャーロットははじめて気づいた。


「どうした――何があった――怪我はないかね」


 シャーロットは飛び跳ねるのをやめた。


「ありません」


「誰に連れて来られた? ネイサンか――ウェントワースか――イーデンか」


 鬼気迫る問いかけに、シャーロットはあわてて首を振る。


「違います、捕まったわけではないんです」


 覗き窓の向こうで、大佐が瞬きした。

 目を細め、彼がまじまじとシャーロットを見る。


 ふいに新発見をしたかのように、彼がつぶやいた。


「――確かに、きみは房の外だな」


「気づいていただけたようで」


 真顔でそう言ってから、シャーロットは除き窓に手をかけて、きっぱりと告げた。


「お助けしようとまいりました、大佐」







































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