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07 四年越し

 オリヴァー・ゴドウィンは、最高に不機嫌な顔で現れた。



 シャーロットは軍省の省舎の中庭の生垣のそばで屈み、かすかな物音にもびくびくしながらそれを待っていた。


 そのあいだ、マルコシアスはシャーロットのそばで暢気に寝そべり、手を伸ばしてシャーロットの金髪をくるくるともてあそんだり、ワンピースのリボンをこねくり回したりしながら、シャーロットの求めに応じて、リンキーズの精霊の先導にかれ自身の精霊をつけ、アディントン大佐の現在の居場所を探っていた。


 アディントン大佐の居場所を伝える大役を終えた精霊は、それこそ光の速さで本来の主人であるリンキーズの下へ戻ったらしい――主人であるリンキーズが怯えているマルコシアスのそばにいるのは、精霊といえども苦痛であったらしい。


 マルコシアスは、気が気ではないシャーロットとは対照的に、のんびりと伸びをしながら、時おり、「大丈夫だよ、ぐるぐる歩き回ってるだけ」だの、「頭をかかえてるけど、まあ大丈夫」だのと、精霊から伝わるアディントン大佐の様子をシャーロットに伝えていた。


 シャーロットとしては、マルコシアスの態度が腹立たしいやら、大佐の無事にほっとするやらで忙しい。


 アディントン大佐に何か危害が加えられているようならば、オリヴァーの到着を待たずして、まずはそちらに突撃しなければならないところだった。


 シャーロットが生垣の陰で爪を噛み、呻き、頭を抱えているのを眺めて、地面に寝転がるマルコシアスは鼻で笑っている。


「あんたがどうしようが変わらないんだから、ちょっとは落ち着いたら?」


 シャーロットは勢い余って指を噛んだ。


「馬鹿な悪魔ね、これが人間ってものなの」


「間抜けなレディだな、胃に穴を開けてどうすんの」


 シャーロットは夜陰の中で、まじまじとマルコシアスを見つめた。


 マルコシアスは警戒ぎみに身体を起こす。

 下草がその灰色の髪にくっついていた。


「――なに」


「いえ」


 首を振り、シャーロットはなんともいえない、懐かしいような切ないような笑みを浮かべた。

 手を伸ばして、マルコシアスの髪から下草の切れ端を取ってやる。


「お前が本当に戻って来てくれたんだと思って、嬉しくなっただけよ」


「――――」


 マルコシアスはぽかんとした。



 ――さて、そんな中に、オリヴァー・ゴドウィンは不機嫌を撒き散らしながら到着した。


 生垣のそばから這い出してきた後輩を見て、彼はそれはそれは深いしわを眉間に刻み、「三十分だ」と宣言する。


「いいか、俺がお前にやれる時間は三十分だ。それ以上の足止めを喰らったら、同僚たちに殺される」


「残念なんですが、一晩ちょうだいします」


 シャーロットはしれっと言い、額に青筋を立てたオリヴァーの袖を、はっしと掴んだ。


「大丈夫です、どっちにしろ、ご同僚の皆さんが、これからも同じお仕事に従事することはありませんから。

 ――ちょっとのあいだ、話を聞いてください……」





 ――かくして十分ののち、オリヴァーは目を剥いて、愕然として叫ぶことと相成っていた。



「――このグレートヒルの真下に魔神がいる!?」


「はい」


「復活させるためにお前の生き血が抜かれそう!?」


「生き血……まあ、はい」


「ついでに『神の瞳』はそこの魔神が持ってて、そいつもぶん捕られそう!?」


「そうなんです」


「ネイサン参考役がその魔神を復活させてクーデターを起こそうとしてて、ついさっき軍省が制圧された!?」


「その場にいました!」


「しかも、首相が――……冗談だろう」


「……嘘や冗談でそんなことを言うと思いますか」



「――頭がついていかない」


 オリヴァーは額を押さえた。


 その場で彼がぐるぐると歩き回る。

 今の彼は、学生時代の野暮ったいマント姿など彷彿とさせない、品のいい背広を着こなしており、そこに彼の妻であるノーマの努力が垣間見えていた。


「十五でリクニスに合格した秀才が、なんてこと言うんですか」


 シャーロットが煽り、オリヴァーは呻く。


「十四で合格したお前に、さんざんその差をからかわれたことは覚えてるぞ」


「過ぎたことは水に流しましょう」


 シャーロットはきっぱりと言ったが、オリヴァーは聞いていなかった。


「わけが分からない、そんな――話が本当なら、お前、十四のときも議事堂で大騒動を起こしているわけか? あのとき、ショーン・オーリンソンが言ってたのはそのことだったって? 彼もネイサン参考役に利用されただけ? で、お前があのあと、急に俺たちを無視するようになったのは、それが学院に残る条件だったって?

 ――ああくそ、信じられん話なのに筋が通ってるのが腹の立つ話だな」


 シャーロットはその場で足踏みし、軍省の省舎をちらりと振り返った。


 無数の窓からオレンジ色の光が漏れて、シャーロットから一フィートほど離れたところにも、その光が淡い光溜まりを作っている。


 ちら、とマルコシアスを見ると、マルコシアスはこくりと頷いた。つまり、アディントン大佐はまだ無事、ということだ。


 息を吸い込み、シャーロットはオリヴァーに向き直る。


「オリヴァーさん、早く私を信じて力を貸してください。

 じゃないと明日から、人の命に値段をつけるような人の下で働くことになりますよ」


 オリヴァーはこめかみを押さえた。


「それも信じられない。ネイサン参考役といえば、辣腕かつ人格者で有名だ――」


 シャーロットは苛立ちで叫びそうになった。



 ――マルコシアスを、早く領域に逃がさなければならない。


 そのためには、シャーロットには()()()援護が必要だ。


 そして、シャーロットはマルコシアスのほかに魔神を召喚したことはなく、一から召喚陣を描く時間などとてもない――つまりは、召喚陣を省略できる魔術師からの支援が必要なのだ。


 そして信頼できる魔術師、それも魔精ではなく魔神を召喚したことのある魔術師は少ない。


 オリヴァーは魔神を召喚していたことがある――



「人間って演技も出来るんですよ。

 オリヴァーさん、ノリーくん。本当にお願いです――」


「だいいち、おかしいだろう」


 オリヴァーがシャーロットを遮り、彼女のそばに立つマルコシアスを指差した。

 マルコシアスは無関心な眼差しでそれを受けた。


「そいつ。あの、学院での大騒動のときにはお前が召喚していたのを見たが、今はそいつ、ネイサン参考役の魔神だろう。召喚されているところを見たぞ」


 シャーロットは鼻白んだ。


「――あそこにいたんですか?」


 オリヴァーは決まり悪そうに肩を竦める。


「そりゃ、あんだけ話題になれば見に行くさ。

 ――お前が言ってることが本当なら、ベイリー。お前がネイサン参考役の魔神を連れてるってのはどういうことだ」


 シャーロットは力を籠めて応じた。


「違います。かれは私の魔神です。話せば長くなるんですが、とにかく私が召喚し直したんです」


「そうだね」


 マルコシアスが横から言った。


「だから、契約が切り替わったとたんに幾何も分からなくなったし、三箇国語も分からなくなった」


「うるさいわね、幾何学なんて使わせないわよ」


 オリヴァーは信じ難い様子で眉間にしわを寄せている。


 シャーロットが召喚陣どころかシジルまで省略し、史上例のない荒業でマルコシアスを召喚したのだとは、さすがに想像もしなかったらしい――何かの事情で、ネイサンがいったんはマルコシアスをかれの(せかい)に帰したのだと思ったのだろう。


「お前が、参考役よりいい報酬を用意できたって?」


「それは――」


 マルコシアスが、音もなく言い淀むシャーロットに歩み寄った。


 背伸びして後ろから彼女の肩を抱いたマルコシアスは、シャーロットの肩越しに、オリヴァーに向かって悪魔の甘い微笑を向ける。


「そうだよ。僕にとっては価値のあるものをもらっている。

 それに、なにしろ、僕はこの子のことがたまらなく好きだからね」


「縁を切れ」


 オリヴァーが唸った。


「悪魔にこんなことを言われて、ろくなことにならないぞ」


「他の目に遭うよりは、エムに食べられた方がましです」


 シャーロットはつぶやき、腕を叩いて離れるようマルコシアスに合図した。


 マルコシアスはそれに従って、シャーロットから半歩の距離を取りながらも、なおも懐疑的に自分とシャーロットを見比べるオリヴァーの眼差しを鼻で笑った。


 そしてぐっと顔を逸らすと、かれ自身の頸にかかった枷を示した。


「ほら、分かんない? この無粋な枷の風合いは魔術師それぞれだろ。

 ついさっきまで僕の主人だったあいつは黄金。この子は鉄。

 ほら、これは何色?」


 シャーロットは目を瞠ってマルコシアスを見た。


 オリヴァーは、確かにマルコシアスが先だって召喚されたときと、その頸に嵌められた枷の色合いが違うことは認めざるを得なかったのだろう、ぐっと黙り込み、腕を組んでいる。


 マルコシアスは、驚きの目で自分を見ている主人に向かって顔を顰めた。


「なに?」


「いえ――」


 シャーロットは口ごもり、しどろもどろになって言った。


「お前、いつも枷を隠しているでしょう。あんまり、見られるのは好きじゃないんだと思ってたの」


「ああ、好きじゃない。みっともないだろ」


 マルコシアスは事も無げに応じて、目を丸くしたシャーロットに肩を竦めてみせた。


「でも、こうした方が話が早かったでしょ、ご主人様?」


 シャーロットは息を吸い込んだ。


「――本当にありがとう、エム」


 そうして、シャーロットは腕を組んで顔を顰めるオリヴァーをはっしと見据えた。


「とにかく、オリヴァーさん――協力してほしいんです。

 そうじゃなければ、いいですか。あなたみたいな優秀な人を、ネイサンさまの下で働かせるわけにはいきませんから、私にできる最大限で、あなたを困った目に遭わせますよ」


 オリヴァーは諦めの目でシャーロットを見た。


「これがお前の虚言だった場合、俺の同僚に説明するのはお前の仕事になるぜ、ベイリー」


「けっこうです」


「ちなみにその、俺を困った目に遭わせるってのは、俺とノーマの夫婦仲についてのことも含んだりするか?」


「もちろんです」


 オリヴァーは天を仰いで、両手で顔をぬぐった。


「お前、その、こっちの都合はお構いなしで目的を達成しようとするところ、あの大騒動のときを思い出すよ。

 お前はすっかり変わったのかと思ってたが、以前と全然変わらないな」


 唐突に、マルコシアスが笑い出した。


 シャーロットもオリヴァーも、ぎょっとしてかれの方を見た。


 マルコシアスは笑いながら首を振り、いかにも誇らしげにシャーロットを見て、そしてその人外の瞳をオリヴァーに向けた。



「違うよ、そこの人間。

 この子はすっかり変わって、でもまた僕の好きなこの子に戻ったんだよ――僕のためにね」



 シャーロットに視線を移して、マルコシアスは得意そうにウインクした。


「ね、僕のロッテ?」


 シャーロットは思わず力なく笑って、頷いた。


 そしてオリヴァーに目を戻す。

 オリヴァーは額を押さえていた。


「――まあ、国難に対処していたといえば、目下の仕事も期限が延びるかもしれん」


 顔を上げて、オリヴァーはシャーロットを見た。


「で、何をしてほしいんだ?」





▷○◁





「はいはい、召喚者さん、要請者さん、私のご主人たろうとする魔術師さん。

 素敵な報酬を示してくれると嬉しいわ。一体なにを――」


「やあ、ストラス」


 口上途中で顔馴染みの悪魔に声をかけられるというのは、千年以上に亘って召喚を経験してきた魔神にとっても、さすがに意外なことであるらしい。


 略された召喚陣――地面を、適当に折り取った生垣の枝で引っ掻いて形作られた円に、シジルのみを描いた陣の上で、きらきらと輝く精霊たちを身に纏ったストラスは、きょとんとして目をしばたたかせた。



 薄いヴェールを重ねたような、ふわふわとした白いドレス。

 肩上までの長さで切り揃えられた、雲のようにふんわりとした質感の薄桃色の髪。

 雪のように真っ白な肌に、銀色の装飾鎖を這わせている――絶世の美女といって差し支えない出で立ちの魔神、序列三十六番、ストラス。



 かの(じょ)が大きなラズベリー色の目を瞬かせて、召喚陣のそばに立つマルコシアスを見つけ、わざとらしく頬に手を当てた。


「まあ! マルコシアスじゃない! 最近よく会うわね。

 つい最近には、私をひどい目に遭わせてくれたけれど」


「そうだっけ」


 マルコシアスは悪びれなく言って、肘でオリヴァーを押した。


「じゃ、こいつとも顔馴染みってことで、すばやく話が進んでいきそうで嬉しいよ」


「…………?」


 ストラスはこてんと首を傾げた。

 オリヴァーのことは露ほども覚えていないらしい。


 とはいえ、悪魔に顔を覚えられることを歓迎する魔術師は少ない。

 オリヴァーはほっとした様子だった。


「あー」


 オリヴァーはつぶやき、肩を竦めた。


 シャーロットはもはや彼を拝まんばかりである。


「魔神ストラス。今回の依頼は、こっちの俺の後輩、ベイリーを守ることだ。

 で、その報酬は――」


 言い淀むオリヴァー。


 当然である。

 ()()と思い立って報酬を用意できるようならば、魔神の召喚が困難であるはずがない。


 そんなオリヴァーを押し退けるようにして、マルコシアスが言った。



「ストラス、あんたがこの魔術師に絶対服従を誓って契約するなら、『神の瞳』の在り処を教えるよ」



「――は?」


「ちょっと!」


 ストラスがこぼれんばかりに目を見開くのと同時に、シャーロットがマルコシアスに飛びつき、かれを横へ引っ張った。


「確かに、オリヴァーさんが契約しやすくなるように、何か手助けできることがあったらしてちょうだいって言ったけど! でもそれは駄目でしょ!」


 ひそひそと叫ばれ、マルコシアスはうるさそうに首を振る。


「なんでさ。だいいち、在り処を教えるとしか言ってない。やるとは言ってない」


「それはそうだけど!」


 頭をかかえるシャーロットの、その頭のてっぺんをからかうようにつついて、マルコシアスはにやっとした。

 主人の耳に顔を寄せて、かれはいたずらっぽく囁く。


「まあまあ、見てなって、レディ。

 ストラスの言うことなら予想がつく――まず最初に、『魔術師が報酬を与えないのはおかしい』って言い出すよ」


 まさにそのとき、ストラスは気難しい顔で、ゆっくりと言い出していた。


「――主人の魔術師から報酬をいただけないっていうのは、いかがなものかしら。召喚陣の強制力だって、それじゃあ働きようがないじゃない」


 マルコシアスは声を出さずに笑い出した。


 シャーロットはうろたえたが、これにはオリヴァーがすばやく応じる。

 彼は明らかに、「最初からそれを俺が言えば良かった」と後悔している表情だったが、頭の回転の速さはさすがだった。


「いや、そんなことはない、ストラス。お前が務めを果たしたときには、俺がマルコシアスを召喚して、お前への報酬を払わせるから――その形で強制力が働くはずだ」


 マルコシアスが愛想よく手を振る。


「もちろん、僕はその召喚に応えるよ。僕のレディに懸けて約束しよう」


「勝手に私に懸けないで……」


 シャーロットが呻き、そんな彼女の耳にもう一度顔を寄せて、マルコシアスは面白そうに囁く。


「――で、次にあいつ、絶対にこう考えるよ。『私に在り処を教えるってことは、やっぱりマルコシアスが〝神の瞳〟を持ってたんだ!』で、次にこう頭が働くはずだ――『マルコシアスはもう〝神の瞳〟を持ってないんじゃないかしら。奪われたところで、それを上手く私に奪い返させるつもりじゃないかしら』ってね。疑心暗鬼になるよ。

 任せてよ、ストラスとは長い付き合いだ。見ものだよ、見てな」


 はたせるかな、円の中でストラスは足踏みする。


 しゃらしゃらと足に巻きつけられた装飾鎖が鳴り、漂う精霊に照らされたストラスの肌が、銀色に近い色に輝いて見える。


「マルコシアス、あなたやっぱり、『神の瞳』を持って――」


 ラズベリー色の目を細め、ストラスはまさに疑り深さの権化となった様子で、小さな唇を舐めた。


「――いえ、()()持ってるの……?」


 マルコシアスが両手を挙げ、玉虫色の微笑でストラスに応じる。


「さあ、どうかな? それは報酬の範囲になるぜ、ストラス」


 ストラスは葛藤している。


 夜陰によく目立つ精霊の乱舞に、シャーロットはそろそろ発狂しそうになっていた。

 シャーロットは焦ってマルコシアスの顔を覗き込む。


 マルコシアスが安心させるように微笑む。


「大丈夫、あんたが気にしてる人間はまだ無事だ。不幸せそうだけどね」


 シャーロットは胃のあたりを押さえた。


「ランフランク中佐のことも心配なの。

 あと、きっと、他にも首相のお味方がいらっしゃると思うし……」


 マルコシアスは事も無げに言う。


「そっちは知らないね。見つけられなかった、あの雑魚の魔精をあとで叱っておいで」


「あと、そろそろ見つかっちゃうんじゃないかしら、とか」


 マルコシアスはひらひらと手を動かした。


「大丈夫、レディ。僕がいる」


 シャーロットは両手で顔を覆った。


「いてくれるのがお前で良かったわ」


 マルコシアスは、これまでにも数多の人間を骨抜きにしてきたであろう、悪魔の魅惑的な微笑をもって応じた。


「なんなりと、レディ」


 それから、マルコシアスは躊躇する風情のストラスを振り返った。


 疑るように自分を見るストラスに、にやりと笑いかける。


「ストラス、条件を呑むなら、今度僕の領域で――えーっと、なんていうんだっけ、そうそう、“お茶”してやってもいいよ」


「エム!」


 シャーロットが悲鳴を上げて、思わずマルコシアスの肩を叩いた。


「馬鹿な悪魔ね! なに言ってるのよ! お前のいちばん大事なところでしょう!」


「間抜けなレディだな。領域の場所を知られたところで、ストラス程度にどうこうされるはずないだろ。

 万が一にも僕が()()()()()を喰らって、思うように動けなくなれば別だけど、ロッテ、いくらあんたのためとはいえ、僕は()()()()()を喰らう気はないよ。危ないと思ったら領域に引き下がるさ」


 マルコシアスが事も無げにシャーロットを押し遣る一方、ストラスが身を乗り出している。


「あら? 頑としてだれも領域に入れなかったあなたが?

 仲良しのフォルネウスでさえ、あなたを訪ねたことはないと言っていたけれど?」


「だろうね」


 マルコシアスはシャーロットに目配せしてから、ストラスにひらっと手を振った。


「これまで、僕が自分の領域に招待したことがあるやつは一人だけだからね」


 シャーロットは口をぱくぱくさせた。

 マルコシアスの腕を掴み、その耳許でようやく絞り出した囁き声は、語調としては悲鳴に近くなった。


「あんなに綺麗なところなのに、危険に晒してどうするの!」


「おお、レディ」


 マルコシアスがシャーロットに向き直り、うやうやしい手つきで腕を掴む彼女の手を取って、その手背を額につけた。


「僕があんたのために用意した景色を、そうまで気にかけてくれるとは」



 まさにそのとき、ストラスが宣言した。


「契約に応じるわ!」


 とたん、形容し難い音が轟く。


 ――無理に喩えるならばそれは、巨大な錠を下ろす音、あるいは何かの歯車が回り始める音、あるいは時計の針が動く音。


 ――()()()()


 がしゃん、という音とともに、ストラスの華奢な首に無骨な青銅色の枷がかかる。

 まさか応じると思っていなかったのか、主人であるオリヴァーも唖然とした顔をした。


「応じちゃったじゃない!」


 シャーロットはマルコシアスの手の中から自分の手をひったくり、かれの頭を叩いた。


 マルコシアスが大仰に頭を押さえる。


「ひどいぞ、ロッテ」


「お前が言うよりひどい主人よ! 自分の魔神のいちばん大事なものを危険に晒すなんて!」


 シャーロットの理不尽な怒髪天に、マルコシアスがなだめるようにてのひらを向ける。


「まあまあ、落ち着いて、ロッテ。あんたが思うほどのことじゃない、僕が秘密主義なだけで、大抵の魔神は自分の領域の場所を知られていることも多いし――」


「だからって!」


「それに、僕が自発的に提示した条件だよ。あんたが責任を感じるのは傲慢だ」


 マルコシアスがじゃっかん冷ややかにそう言い切ったタイミングで、()()と召喚陣から駆け出してきたストラスが、勢いよくかれに抱き着いた。


 不意打ちで、マルコシアスがよろめく。


「やっとお呼ばれできるのね! 嬉しいわ! 嬉しいわ!」


 マルコシアスは、くせのように首許のストールを直す仕草をして、今はそのストールがないことに、指先が空ぶったことで気づいたらしい。

 ごまかすようにその指を鳴らした。


「ああ、そうかい」


 ストラスはまぶしい笑顔を浮かべていた。


「で、『神の瞳』はどこ?」


 マルコシアスは鼻で笑った。


「あんたが務めを果たしたら教えてやるよ。

 ――レディ・ロッテ。それとそこの――あんた。

 次に何をするか、僕たちに命令をくれ」


 シャーロットは顔を押さえて呻いたあと、全てを吹っ切って顔を上げた。


 そして、そばの軍省の省舎、夜陰にそびえる不夜城のような石壁を、まっすぐに指差した。



「――この中に入って、地下牢に捕まっている人を助け出します」



 オリヴァーの顎が、かくんと落ちた。



「……脱獄幇助をするなんて聞いてないぞ」


























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