魔王の封印維持なんて仕事に就いてたら 距離が縮まってしまうじゃない? ……どころでは済まなかった、カメリアとイチマさん
目に見える範囲には、人間の気配が無かった。
あれだけ密集していた建物も、一つも見当たらない。
廃墟すら無く、割れた石畳や崩れた壁の残骸らしきものが残っている程度。
ふいに力が抜け、わたしは、その場に崩れ落ちそうになった。
太古の昔から、人間は魔王と戦ってきた。
血のにじむ努力を重ねた勇者パーティーと、日々訓練で鍛えた先進国の連合軍が協力し、全力を持ってやっと倒せるのだ。
膨大な資金と多大な時間をかけて準備をした挙句に、人的被害も甚大だ。
破壊により文明は後退せざるを得ず、唯一の救いは、魔王という共通の敵を前にした国家同士の友好関係。
魔王というものは、倒しても定期的に復活する。
ある時、倒すのではなく封印してみたら、と考えた賢者がいた。
賢者は、異世界より渡って来た者であった。
彼は、魔力や聖力という魔法の力に、異世界の科学の考え方を融合させた。
そこから百年の研究を経て、封印の術が完成した。
封印され、一所に留め置かれた魔王は、もはやモルモット。
研究は続けられ、とうとう永久に魔王を封印する装置が完成したのである。
「あー、タイクツ~」
ここは魔王を封印した神殿。
建物は結界で閉ざされ、中に居るのは封印されたままの魔王と一人の聖女だけ。
「いやさ~、封印装置がしっかりしているお陰で、ほとんど確認程度に聖力を注げばいいから楽っちゃ楽なんだけど~」
念には念を入れて、しっかりと結界が施された神殿の中。
一年間、神殿に籠る聖女のため、生活に必要なものは全て用意されている。
しかし、娯楽が無い。
「ゴシップ紙も、情報誌も入ってこないしな~
一年後、世間について行けないかも~」
独り言をわざわざ口にするのは、話し相手がいないのを補う、口の運動だ。
「結界外のことは、全然わからないから、すでに世界が滅んでいたり?」
いや、聖女なんだから、この冗談はダメでしょ!
などと、一人ノリツッコミしてみたり。
『いや、世界はとっくに滅んでいるかもしれない』
「ん? なんか聞こえたような気がする」
キョロキョロと見回してみても、特に変わったことは無い。
「ありゃ、とうとう限界が来たかな?」
あまり繊細さとは縁のないわたしは、先輩方からも「あんたなら大丈夫!」と、この仕事をするにあたってのお墨付きをもらいまくったのだが。
『限界も何も、君の当番の一年、とっくに過ぎてるだろう?』
「やっぱり、なんか聞こえる!」
『ここだ』
嫌な予感がする。神殿内に話し相手がいるとすれば……
おそるおそる振り返れば、そこには封印された魔王。
捕縛した後、魔力を極限まで搾り取ったので、すごく小さい魔王。
五歳の少女が抱きしめていたら、ちょうどいいサイズの魔王。
その魔王の、ずっと閉じていた瞼が開いている。
「呪いの人形みたいで、怖い……」
『気になるのは、そこか?』
ロングストレートの黒髪魔王は、顔が見えにくいという理由で、封印時に前髪ぱっつんにされた。
東の国からの舶来品を扱う店で、こんなヘアスタイルの人形を見たことがある。
「呪いの市松人形が……喋っている……ひいいいいいい」
『棒読みで叫ぶな』
「いや、余りのことに……もしかして、封印、解けました?」
『解けていない』
「それは、一安心」
『しかし、残念だが』
「はい」
『解けていないがゆえに、人類は滅んだかも』
「なにゆえ?」
『魔王とは、この世界とともに作られた妨害装置だからな』
「妨害?」
『妨害装置を封印されたことで、世界の在り様を憂えた女神が、この世界を滅ぼした可能性がある』
繁栄の先にある飽和と欠乏、それを一旦、破壊によって妨害する魔王。
それを止めたがゆえに予想される惨劇と悲劇。
「新魔王は作れないの?」
『作っても、ここまで知恵がついた人類では、また同じことを繰り返す』
「または、もっと不味い事態を引き起こす?」
『その通りだ』
そこで疑問が生まれる。
「いや、しかし、人類が滅んだかもとなれば、なんでわたしは生きてるの? それとも、もう死んでるの?」
『生きている』
「世界が無いかもしれないのに?」
『滅ぼされるのは主に人類で、空間としての世界は残るだろう』
「地面があり、空気があるのに人がいない?」
『そんな感じだな』
「終末?」
『終末後、だろう』
「打つ手無し?」
『ああ』
結界は外側からしか壊せない。
だから、外の様子を確かめることも出来ないのだ。
聖力を流すことによって作動するのは、封印装置だけではない。
わたしに必要な食料や浄化についても、装置によって解決している。
「装置が止まったら、と不安になったほうがいいのかしら?」
『その不安、三十分続くか?』
「……続きません。よく、ご存じで」
『私に感じられるのは君の存在だけだからな』
なんだか少し、ドキッとした。
それから、どれくらい経ったのだろう。
わたしは魔王(市松人形仕様)という話し相手を得たことで、退屈が軽減された。
装置は動き続け、封印も生活も問題ない。
一応、魔王に封印の解除を望むか訊いてみた。
しかし、狭い結界内では何が起こるかわからない。
彼は冷静に現状維持を選んだ。
「もう何年も経ってるんでしょうか?」
『おそらく、結界の中と外で、時間の流れが異なっているのだと思う』
それでも、時間が逆行することだけは無いだろう。
ただ不思議なことに、自分が若返ったように感じる。
爪も髪も伸びない。
外界で聖女だった時よりも、聖なる力がみなぎっている。
ひょっとすると魔王と同じように、普通の人間とは違う存在になっているのかもしれない。
坦々と生きながら、ただ、魔王と話す日々。
わたしの不安を、彼だけが和らげてくれる。
そして。
ある日、唐突に結界が消えた。
わたしたちが居たのは、王都の中心地にあった神殿内のはずだ。
しかし、周りは見渡す限りの平原。
僅かな文化の名残はあるが、全ては遠い過去の遺物のようだ。
へたり込みそうになったわたしを支えてくれたのは、逞しい胸。
結界と共に、封印も解除されていた。
【始めましょうか、新しい世界を】
「………」
【最初の番に祝福を】
「ありがとうございます。女神様に感謝を」
呆然とするわたしの背中を、力強く温かい身体が包んでいる。
彼が返事をしたことで、女神は満足したのか、威圧的な気配は消えた。
「最初の番?」
「そう。この世界には、まだ、私と君しかいない」
「魔王も人類だったのね」
「聖女が人類であるように」
彼がしゃがみ込んで、生えていた草を一本、地面から引き抜いた。
「女神は一度、全ての生命を滅ぼしたようだ」
渡された草を見て、わたしも理解した。
馴染んでいた草とは、何かが違う。
「すべてを浄化してから、新しい種を蒔いたのだろう。
そして、新しい時間が、違う進化をもたらした」
小さな鹿が、走り去る。
いや、鹿ではない。鹿によく似た動物だ。
「女神様は絶対者で、わたしたちはただの玩具。
すべては女神様の遊びなのかしら?」
「どうだろう?
女神もまた、その上位にある者の駒かもしれない」
「そう考えると、もっと絶望しそう」
「三十分くらいなら絶望してても大丈夫」
「まったく、イチマさんたら!」
「イチマ……それが私の名前かな?」
封印中に、イチマさんなんて呼びかけたことは無かった。
でも、他の名を思いつかない。
それにしても、人間の等身になると、ぱっつん前髪もカッコいい。
「イチマでいいなら、そう呼ぶわ。わたしにも名前を付けて」
「元の名前は?」
「聖女になる時に捨ててしまったの。
聖女としての名前を新しくもらったけれど、ずっと呼ばれないから忘れてしまったわ」
「……では、カメリアと」
鮮やかに咲いていた、あの花ほどには、わたしは美しくは無いだろう。
けれど、とても嬉しかった。
自分の脳内にすっかり根付いてしまった、イチマさんという命名が、少しばかり心苦しい。
「これからどうするの?」
「私たちは、人類の最初の種を産まねばならない」
人が生きるために必要な環境がある程度出来上がり、女神様はわたしたちを解放したのだ。
しかしまだ世界は、人類の生存には過酷。
魔王と聖女の力を引き継いだ子供たちが、人間の数を増やしつつ、生き延びるための環境を模索していくのだ。
世代を重ねて、少しずつ魔力や聖力は薄れていき、かわりに生きる知恵と力を培っていく。
その夜、イチマさんはわたしの髪に紅い花を飾ってくれた。
カメリアによく似た紅い花。
「カメリア、私の花嫁」
「もう、すっかり人間ぽくなっちゃった」
わたしと話したせいで、彼はいろんなことを覚えた。
時間は無限のようにあったから、出来るだけ言葉にした。
聖女は引退するまで結婚しないのが普通だ。
引退は早くても中年に差し掛かってから。
よほどの出会いに恵まれなければ、たいていは独り身のまま、年金をもらいつつ細々と暮らしていく。
だからまさか、自分が夫を持つとは思わなかった。
イチマさんとは結界の中で、たくさんの話をした。
人間について知識を得るたびに、驚いていた彼。
「私は人間のことを何も知らなかったのだな」
ただ、リミットを越える前に妨害して、人類の終焉を防いでいた魔王。
そこには、愛も憎しみも無かった。
彼はとても理性的で、少なくとも人類の敵ではなかったのだ。
わたしは、彼と殺し合いをする立場でなくて良かった。
「またいつか、あなたは魔王になるの?」
イチマさんの腕の中で、訊いてみる。
「前回は女神の指示で、機械的に文明の進行を妨害するだけだった。
だが、こうして、命を生み出すところから始めてしまうと、出来るだけ殺戮や破壊はしたくない」
「女神様も、前とはやり方を変えたのね」
「そのようだ。私たちも、与えられた立場を活かせるといいが。
……失敗したら、次は私たちも消されるだろうな」
「その時は、一緒に消えたい」
「そうだな。最期は一緒に……」
女神の試行錯誤で簡単に生まれては消える世界。
満月の下、誓いの言葉が、初めての夜に溶けていった。