トカゲの名前
「ジル兄、このトカゲに名前つけたげよーよ!」
タマゴが孵って数日も立たないうちに、腕にトカゲを抱えてそう言いだしたのはググだった。
丁度、隠れ家の壁に寄りかかったジルがボロの布をより合わせて紐を作っていた時だ。
ジルが「はあ?」と返事を返すと、ジルと同じように床に座り込んだググは満面の笑顔で提案を繰り返した。
「このトカゲに名前つけたげよーよ!」
「いや、止めといた方が良くねえか。このトカゲが成長したら食うんだろ?」
「え?」
「名前つけると食えなくならねえか?」
「あっ、食べるんだったっけ……忘れてた」
「おいおい、言い出したのはお前だろ」
調子が良いググは、呆れた顔をしたジルに向かってペロッと舌を出した。
「でもさ、名前つけて食べられなくなるのはジル兄だけかも」
「どういう意味だよ」
「だってジル兄、情に厚いし」
「は?」
「俺やイレイナはまあ、トカゲが大きくなったらスパって殺せるかもだけど、ジル兄は多分無理だと思うんだよね。なんか一回懐に入れちゃうと、何があっても大事にする……みたいな?」
「はあ?俺だってトカゲくらい普通に殺せる」
「いやいや、ジル兄は絶対無理だと思うなー」
「僕もそう思うなー」
ひょっこり顔を出して、ジルとググの会話に入ってきたのはリールだった。
「なんだよリール。突然口出ししてきたと思えば、お前も適当なことやがって」
「いやいや。決して適当に喋ってる訳じゃないよ。トカゲくんはジルに一番懐いてるし、やっぱりジルだって何だかんだトカゲくんが可愛く思えてきてるんじゃない?」
「別に俺に特別懐いてるわけじゃねえだろ。こいつはトカゲの癖に誰にでも愛想いいからな」
「うーん、そうかな?」
リールは車いすを押しながら、ジルとググの二人の間に入ってきた。
見た目には丁度、壁際に年長組の三人が顔を突き合わせて、井戸端会議をしているような格好だ。
「トカゲくんは誰に触られても大人しいけど、いつも気付くとジルの膝の上に載ってるし、ジルの膝の上がお気に入りみたいだよね」
「俺の膝が一番広いからじゃねえの」
「そうかな?でもジルの膝、たとえ広くてもなんだか硬そうだし臭いし汚いし、別に座り心地は良くなさそうだよね」
「おいリール、流石にその言い分は酷すぎるだろ」
「そう?これでも相当オブラートに包んだつもりだったんだけれどね」
「いや。そのオブラート、ビリビリに破れてると思うぞ」
リールのジルに対するオブラートは、毎回のように穴だらけだ。いやもはや、ジル達のマントくらいビリビリだと言っても過言では無い。
ジルは溜息をついたが、そのやり取りを見ていたググはおかしそうに笑っていた。
「二人は本当に仲がいいんだから……あっ、話を戻すとこのトカゲ、ジル兄に撫でられた時だけ腹見せるんだよ」
「でも犬じゃあるまいし、大した意味なんてねえんだろ」
「いやいややっぱり、ジル兄に撫でられるとひときわ嬉しそうな顔するよ。あ、ほら今だって、ジル兄のところに行っちゃった」
ググの言う通り、トカゲは丁度ググの腕から抜け出してジルの方へ近づいてきたところだった。
良く見るトカゲとは違い、ぴょんぴょん跳ねるようにして移動してくる。
「おいこっちくんなよ。お前はググに大人しく捕まっとけ」
「クル……」
ジルが拒否すると、トカゲは心なしか悲しそうな鳴き声を発した。
「こら」
トボトボとググの腕の中に帰っていくトカゲを見て、ぎゅっとジルの腕をつねったのは隣に座るリールだ。
「ジル、意地悪したらトカゲくんが可哀そうでしょう」
「は?別に可哀そうでも何でもねえよ。ただのトカゲだぞ」
「ただのトカゲでも、トカゲくんはジルに懐いてるんだよ。ジルの膝の上に乗りたがるのもそうだし、トカゲくんは絶対ジルの隣で寝るよ。これも明らかに懐いてる証拠だよね。いくらただのトカゲだからって、懐いてくれるのにそんな風に無碍にしたらいけないよ」
「こいつは追い出してもしつこく潜り込んで来るんだ。懐いてるんじゃねえ、嫌がらせだ」
「嫌がらせな訳ないでしょ。固くて汚くて臭くて乱暴で口が悪いジルのところで寝ようなんて、到底嫌がらせでできる事じゃないよ」
「おいこらリール、悪口酷くなってるじゃねえか」
「いいや、僕は真実を述べているまでだよ」
ジルは悪口のオンパレードに大きく舌打ちしたが、リールは悠々とウインクまでかましてくる始末だ。
全く手に負えない男である。
そして笑い上戸のググは、ジルとリールの掛け合いに再び声をあげて笑っていた。
そしてググの腕の中に戻ったトカゲに至っては「怒られてやんの」とばかりにクルクル喉を鳴らしている。
「ぜんっぜん面白くねえよ。笑ってんじゃねえ」
ググとトカゲに笑われて面白くないジルは思い切り眉間にしわを寄せたが、笑う彼らが静かになることはなかった。
「ハア」
こうしてジルが反論を諦めて話がひと段落してから、リールがようやく会話を本題に戻した。
「そうだ、僕が途中で入ってきてしまったけれど、二人は何の話をしていたんだっけ?」
「ああそうだ!忘れるところだったけど、このトカゲに名前つけたげようって話をしてたんだよね」
「名前か。いい案だね、ググ」
ポンと手を打ったググの話を聞いたリールは嬉しそうな顔をして、ウンウンと頷いた。
名前なんて付けたら絶対に食べ辛くなるというのに、賢い筈のリールまでググの思い付きに賛成している。
「俺はどうなっても知らねえからな」
会話に入るつもりのないジルはサッサと移動したが、その場に残ったリールとググはトカゲの名前について楽しそうに話し始めた。
そしてリールとググの二人がああでもないこうでもないと言い合っているうちに、イレイナがやって来て話に加わり、アンナがやって来てナッツがやって来て、どんどん人が増えていった。
「アンナ、思いついたよお!小麦粉とか、干しブドウとかは?」
「それ、ただのアンナの好きな食べ物じゃん」
「オレもオレも!オレは、鍋とかフライパンとか思いついた!」
「それナッツが昨日の夜リール兄を手伝って洗ったやつじゃん」
「みんな、もっとかっこいい名前つけたげよーよ。例えば金銀とか財宝とか」
「ググ、それただの金目のものじゃない。そんな欲望丸出しの名前つけたらかわいそうよ」
「なんだよイレイナ。ならこれよりいい案出しなよ」
アンナ、ナッツ、ググ、イレイナ、それから他の子供たち。
順番なんか気にせず、皆好き勝手に喋っている。
でも、みんな楽しそうだ。
少し離れた住処の壁際で紐を編みなおしているジルの耳には、途切れることの無い無邪気な笑い声が聞こえてくる。
ジルは特に表情を変えることなく淡々と紐を編んでいたが、やがて近づいてきた車いすの音に気付いて顔を上げた。
「もう。ジルは協調性がないんだから」
ジルの隣にまでやって来たのは、先ほどまで会話の中心にいたはずのリールと、その膝の上に載ったトカゲだった。
「お前らだって、もう向こうに参加しなくていいのか」
「名前を最終的に決めるのは、皆に任せようと思ってね」
リールは車いすを器用に操ってジルの隣に陣取り、リールの膝の上にいたトカゲはぴょんと跳んで移動して、ジルの膝の上に収まった。
そして安心したのか、くわーっと欠伸をして丸くなってしまった。
「ほら、やっぱりトカゲくんはジルに一番懐いてる」
「フン」
横からリールが嬉しそうに指摘したが、ジルは鼻を鳴らしただけで紐を編む作業にさっさと戻った。
それから、ジルが紐を一本編み終えた頃。
子供たちの間から拍手が起こった。
「ねえ、じゃあググが拾って来たんだから弟ってことでギギっていうのはどう?」
「弟だからギギ?」
「そうよ!文字順ってカクキケコで、グの次はギなの。ググの弟、つまりググの次だから、ギギよ。お洒落でしょ」
「なるほどお!イレイナ姉ちゃんすごい!」
「やるじゃんイレイナ、いい名前じゃん!」
「ふふ、そうでしょ!」
トカゲの名前を考えていた子供たちは、ようやく満足のいく提案に至ったようだった。
彼らの歓声は勿論、ジルの耳にも届いてくる。ジルは膝の上でうつらうつらしているトカゲに話しかけた。
「おい、お前の名前、決まりそうだぞ」
「クル」
「あれでいいのかよ」
「クル」
ジルに声をかけられたトカゲは何でも大丈夫とばかりに鳴いて、再び欠伸をした。
「まあ、本人がいいなら俺は何にも言わねえが……」
なんて言いつつも、ジルは今度は隣のリールに目をやった。
ジルはうろ覚えだが、正規の文字順を知っている。
物心ついた時からスラムにいたジルは、本来なら文字順なんかとは無縁の人生を歩むはずだった。しかしリールのおかげで、ジルには仄かな知識があるのだ。
スラムに捨てられていたのに何故か文字の順番を歌詞にした歌を知っていたリールは、ジルや子供たちに文字というものに順番があることを教えてくれたのだ。
「なあリール、グの次ってゲじゃねえのかよ」
「そうだよ」
「なんか間違った名前の付け方してるみたいだけど、いいのかよ」
「まったく、ジルは面白くない男だね。ゲゲよりギギの方が可愛いから、この際文字の順番なんてどうでもいいでしょう」
「そういう問題か?」
「そういう問題でしかないよ」
「……あっそ」
まあそもそも、ジル達スラムの人間にとっては正しい文字順にはなんの意味もない。
リールの言う通り、名前が決まって子供たちが喜んでいるならそれで良いのだろう。
「ギギ!今日からお前はギギだからな!」
「クルルル」
「ギギ!名前、気に入った?」
「クルルル」
ググと子供たちは嬉しそうにトカゲの周りに集まり始め、口々に名前を呼んだ。
喉を鳴らすトカゲも、まんざらでもなさそうに見えなくもない。
名前を呼ばれるたびに大きな目をぱちくりとさせて、時折舌を出して見せる。
この調子で愛嬌を振りまいていけば、トカゲはどれだけ大きくなっても子供たちに食べられることはないかもしれない。
肉を食べられるのはもうこの先一生ないかもな、なんてジルは考えながら、膝の上のトカゲを見ていた。
ジルは暫くトカゲと子供たちの様子を眺めていたが、時間が経って周りの人が減ってから、試しにトカゲを名前で呼んでみた。
「ギギ」
膝の上にいたトカゲはジルに名前を呼ばれて、勢いよく顔を上げた。
「クル!」
思いがけず元気な返事が返って来て、ジルは思わずトカゲ改めギギの頭を小突いていた。
「なんだよ、張り切った返事しやがって」
「クルクル」
トカゲは名前を呼ばれたことが嬉しかったのか、その日は一日中クルクルと喉を鳴らしていたのだった。