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住処



夜でも賑やかだった王都の街からドブ川を挟んで反対側。

そこには、崩れた赤錆色のフェンスで世界から隔離されたスラム街がある。


ここは得体の知れないガスと蒸気に包まれて、神たるドラゴンのみならず星の明りにさえも見放されたような陰湿な場所だ。


ここで毎日聞こえるのは誰か彼かのうめき声。

獣のような怒声。

白骨のような廃家屋の壁の隙間がギシギシと軋む音。


道を歩けば動かない人がそのまま地面に転がっているし、動く人影があったと思えば乱暴な目をしたならず者や、アルコールの匂いを纏わせた浮浪者ばかりだ。

また、そこら中でキツい薬物の匂いを巻き散らす屍のような人達も度々見受けられる。

活気溢れる街とは全く対照的な、ゴミ捨て場のような場所。



「フン、今日は薬の売人が来たらしいな。いつもより人数が多い。アンナ、目は合わせるなよ」

「分かってるよお」


道端の浮浪者を横目に見たジルに手を引かれたアンナは、耳にタコができるとばかりに肩を竦めた。


早く住処に帰ろう。

今夜も酷い匂いを纏うスラムの街並みを見て、ジルはもう一度鼻を鳴らした。

何度見ても饐えた街だ。


だけどジルは、このスラムを出たいと思ったことはなかった。

ジルのようなクズな人間はゴミ捨て場での暮らしが似合っている。

それに、ここには仲間たちもいる。




「良く回る兎」

「……次は?」

「良く跳ねる狐」


目立たぬように足早に歩いていたジルの背の高い影とアンナの小さな影は、人気のない廃墟の裏のマンホールの前で止まっていた。

2人はそのマンホールに向かって、合言葉を唱えている。


「それから、良く泳ぐ……」

「もういいよ、この声はジル兄でしょ!」


次の合言葉を唱えようとしたジルの声を遮って、マンホールが内側からガパッと開けられた。

その中から、顔面に煤をつけた男の子が元気に顔を出した。


「おいナッツ、まだ合言葉の続きあったろ?!そんな早く開けて俺らじゃなかったらどうすんだ」

「声で分かったもーん、ジル兄だってさ!」

「おい顔に飛びついてくんな!前見えねえだろ!」


ひときわ汚らしい格好の、ナッツという名前の少年はマンホールから這い出てきてジルの顔に飛びついた。

ジルが帰ってきて、とても嬉しそうだ。

だが次の瞬間ジルによってべりっと引き剥がされて、ナッツは地面に降ろされた。


「そうだジル兄、今日の夕食はなに?」

「それは料理してからのお楽しみだな」

「うわ~、たのしみ!オレおなか減った!」

「わかったわかった。俺もペコペコだっての」


痩せた自分のおなかをポンポンと叩いたナッツは、ぐいぐいとジルの手を引いた。

そしてマンホールの中へと入って行く。

その間も、ナッツは楽しそうにジルに話しかけていた。今朝もナッツはこんな感じだったのに、良く飽きないものだ。


「それでさジル兄、今日はピッピが泣き止まなくてさ。でもオレがあやしたら泣き止んだんだぜ」

「へえ、そうなのか」

「そうそう!それから水のろ過もたくさん手伝ってさ、リール兄も助かったって」

「頑張ったな、ナッツ」

「だろおー?!」


「ねえねえ……アンナもいるよお!」


薄暗いマンホールの中の急勾配な階段を下る途中、何故かアンナが急に声を声を上げ、何に張り合ったのかジルのもう片方の腕にガシッと掴まった。

ジル本人は意に介さんというようにサッサと階段を降りていくが、その両側のアンナとナッツはまるでジルを取り合っているような構図である。


「アンナだって、今日ジル兄ちゃんに褒めてもらったもん!」

「なんだよお、自慢かよ!アンナなんて別にすごくないし!」

「すごいもん!アンナががんばったから、ジル兄ちゃんの仕事がやり易かったんだからあ!お手柄だったもん!」

「オレだってそれくらいできるし!」

「ナッツはできないよお!ナッツは落ち着きが無いから、ジル兄ちゃんに一緒に来ちゃダメって言われてるじゃん!」

「つ……次はオレだって行けるようになるし!!」


「おい二人とも、騒いでねえで早く階段降りろ」


段差の上で睨みあうアンナとナッツをひょいと摘まみ上げたジルは、二人を床の上に降ろした。

床の上でも二人は睨みあっていたが、アンナとナッツはいつも顔を合わせれば言い合いをしているので、ジルはそれ以上気にしないことにした。




「おかえり、ジル」


うるさいナッツやアンナとは対照的な、穏やかな声がした。

その声の方向にジルが振り返ると、色素の薄い髪色をした車いすの青年がおり、彼は優しく微笑んだ。


「ああ、リールか」


真っ黒な髪で凛とした顔つきのジルとは正反対の、繊細な顔つきのリール。柔らかな曲線を描く金色の目が印象的だ。

年の頃はジルと同じで、リールはジルとの付き合いが一番長い。

ジルがスラムに捨てられた時から一緒にいたと言っても過言ではない程の、長い付き合いだ。


「怪我なんてしてないかい?」

「してねえよ」

「ジルは怪我とかしてても隠すから信用ならないんだけど、うん、今日は大丈夫そうだね」

「チッ。俺は怪我するようなヘマしねえよ」

「そう?昔はたくさんしてたよ?」


リールは笑いながら、車いすを押した。


リールは幼い頃に足を怪我して以来、歩くことが難しくなった。

だからジルが色々と助けてきた。


食べ物の調達は二人だけの時からジルの役割だったし、危険から逃げるのも雨風を凌ぐ場所を探すのも、殆どジルが担ってきた。

リールは最初こそ自分はお荷物だと嘆いていたが、今ではその器用さを生かして、様々なゴミを改造して有用なものを作りだしている。

今リールが座っている改造車のようなゴミ製の車いすだってリールが一から自分で作ったものだし、汚い雨水をろ過する機械も、隠れ家のマンホールドアの内鍵だって彼が作成したものだ。

こうしてリールは生活に役立つ様々な物を修理したり改造したりしつつ、小さな仲間の面倒をみたり家事を担当したりしている。


リールは座っている車いすを押してジルに近づいてきて、ジルが背負っていた小麦粉と干しブドウの袋をよこせと手で催促してきた。

そういえば、今日も食事当番はリールだった。

大きな小麦粉の袋を何食わぬ顔で受け取って、リールは再びジルに話しかけた。


「今日は干しブドウも買えたんだ?」

「平和ボケした商人の旅団が来てるって話があったからな。奴ら売上金をずさんな金庫に入れてたんだが、あんなん盗ってくれと言わんばかりだった」

「へえ。だからアンナを連れて行ったんだね?」

「ああ。アンナの目は役に立つからな。奴ら、手元がマイル先から見られてるなんて夢にも思わなかっただろうよ」

「じゃあ今回もアンナは大活躍だったわけだ。アンナの事ちゃんと褒めてあげるんだよ。ジルに褒められると喜ぶからね。で、何処へ行ってきたんだっけ?」

「最初に行ったのは王都の向こうにある南の町だな」

「南の町なんて、ずいぶん遠くに行ってきたんだね。アンナにもその距離を歩かせたのかい?それは酷いねジル」

「おいおい、だからって近場の王都ばっかで悪さするわけにもいかないだろ」


まだ幼いアンナに、長い道のりを歩かせたことは可哀そうだとジルだって思わないでもないが、だからと言って毎回王都で犯罪を犯して顔を売る訳にもいかない。捕まるリスクが高まるし、衛兵たちから顔を覚えられれば王都の裏路地にある闇市へのアクセスも悪くなる。

それくらいアンナだって幼いながらに理解しているはずだし、そもそも長年ジルとスラムで生きてきたリールならば勿論分かっているはずだ。

ジルが横目でリールを睨むと、リールは小さく肩を竦めた。


「勿論分かってるよ。ジルは外に出でれば、大雑把な顔に似合わず慎重なことも分かってるよ」

「なんだよ、大雑把な顔って」

「後先考え無さそうで無鉄砲で不愛想な顔ということだ」

「はあ?悪口になってるじゃねえか」

「いやいや、僕が悪口を言おうと思えばもっと惨い事が起こってしまうよ?」

「他にももっと悪口あるのかよ……」


ジルは自分には怒る権利があると思ったが、溜息をついただけにとどめておいた。


リールは物腰柔らかそうに見えて案外毒舌で、ジルなんかよりよっぽど多くの言葉を知っているので、口論でジルがリールに勝てた試しがない。

まあジルは容姿なんてもとより気にしたことはないし、そもそもいつもも薄汚れていて水たまりに映る本当の自分の顔すらよく分からないのだから、どうでもいいと言えばどうでもいいことなのだ。


そんなふうに溜息をついていたジルを無視して、リールは話題を変えた。


「そういえばジル。王都、見回りの衛兵の数が増えてるらしいね」

「あん?んなこととっくに把握してる。なんか王国騎士団の新しい竜の乗り手の就任式があるとかないとか聞いたな」

「そうなんだね。ってことは前の竜か乗り手が戦死したのかな。まあ、理由なんて僕らに関係ないけど、ジルは気を付けるんだよ。いくら自分の技術に自信があるからって、どんな時も油断は禁物だからね。……なんて、わざわざ注意なんかしなくても、ジルは油断なんかしないか」

「あたりまえだろ。ここまで生きてきたんだ、今更ヘマなんてしねえよ」


既に納得したようなリールの様子を見て頷いたジルは、フンと鼻を鳴らした。


ジルは幼いころから、ずっと汚れた仕事をして生きてきた。

決して誇れることではないが、もう盗みのプロと言ってもいい程に経験を積んできた。


ジルは、街に来た太った商人の荷馬車に忍び込んだり、人様の倉庫から食材をかっぱらったりするだけでなく、密輸入の仕事や詐欺なんかの危ない橋を渡りながら日々のお金や食料を手に入れている。

それは最初、ジル自身とリールの二人がスラムで生きていくための分だけだったが、今では面倒をみている小さな仲間たちの分も増えた。

その小さな仲間とは、アンナやナッツたちの事だ。皆、幼い時のジルとリールと同じようにスラムで死にかけだった子供たちで、ジルとリールが保護して、今は皆で助け合いながら暮らしている。

小さな子は隠れ家でリールの手伝いをしながら雑務をこなしたり、身軽な子は付近の警戒役にあたったり、大きな子やアンナのように器用な子は食料を盗みに街へ出るジルを手伝うこともある。

彼らはジルにとって頼れる仲間であり、このスラムの底辺の境遇を分かち合える唯一の友人でもある。


ジルはちらりと隠れ家の中を見回した。

これは汚いスラムの中で、やっと作った自分の住処だ。


このマンホールの中は意外にも明るく、以外にも広い。

元々巨大な虫か何かの巣にも見えるような奇怪な作りだが、大勢で暮らすのには案外悪くない空間だ。

部屋の中央付近には寄せ集めの物で作った椅子と、テーブルの真似事をしたようなものが置いてあってなんとか人間らしい暮らしも出来ているし、ナッツや他の子供たちが雨水のろ過をしていたり、拾ってきたゴミを分解したりと元気にそれぞれの仕事をしている様子も見られる。

彼らは朝から一生懸命に仕事をしているから、さぞおなかもすいている事だろう。


ジルの考えていることを察してか、リールは「さて」と手を打った。


「そろそろ夕食の準備をしようかな」


リールは膝に小麦の袋を載せたまま肩を回しながら、車いすで調理場へと移動した。

調理場と言っても、捨てられていた板や穴の開いた鍋なんかを修理したものがチラホラと置かれているだけの、狭いスペースである。

ちなみにこれらは全て、器用なリールが拾ってきて修理したものだ。



「何作るんだ?仕方ねえから手伝ってやるよ」


ジルはそのまま休む気にはなれず、何を作るか決めたらしいリールの横に立った。

返事を待たずして、ひじゃけたボウルに小麦粉を移そうとしているリールの手から、その袋をひったくる。

だが、それはすぐに強い力で奪い返された。


「いや、遠慮しておくよ。ジルは座って休んでおいで」

「は?なんでだよ。別に疲れてねえよ」

「座ってるのが嫌なら、寝ていてもいいんだよ」

「だから、あれくらいで疲れる程やわじゃねえ」

「疲れてないと言うのならこの際それでもいいよ。でもそもそも当番は僕なんだし、僕の仕事は僕にやらせておけばいいのにと言っているんだよ」


ジルは再び小麦粉の袋をリールから奪おうとしたのだが、今度のリールは袋に触れさせることもなかった。

そして澄ました顔でナッツの名前を呼んで彼を召喚し、ジルを寝床に連行するよう言いつけた。


「とにかくジル、君は心配になるくらい皆を支えてくれている。だから休める時は休むことだ。僕らができることは僕らがやるから。いいね」


ジルが何かを言い返す前に、リールに呼ばれて喜んで飛んできたナッツと、そのおまけのようについてきたアンナに、がしっと両手を繋がれた。


「いくよお!お休みするよお」

「こっちだよ、ジル兄!」



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