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女王



「許しが出るまで顔は上げるな」

「誰の許しだよ。というか、お前が頭押さえてるんじゃ、上げたくても上げられねえだろ」

「歩く時まで私が押さえていられるわけでは無いから言っている」


ジルはセルドアに頭を低く押さえつけられたまま、審問部屋の大きな扉がゆっくりと開くのを待っていた。

重たい音を立てる扉が開き切ったところで、ジルはセルドアに引かれるようにして部屋に足を踏み入れた。


入った部屋は大きくて、奥に細長い。もはやジルの常識で言うと大通りとでも呼べてしまいそうな部屋だ。

調度品は、高価な宝石とガラス玉の見わけもつかないようなジルでも一目で高価そうだと分かる物で統一されているし、壁にはグラバスタ王国の四尾のドラゴンの国旗が大きく掲げられている。

部屋の両脇には何人もの衛兵が整列しているのに加え、明らかに衛兵たちより鍛えられた風貌の軍服の兵士達も見受けられた。


そして部屋の奥には三〇人腰掛けてもまた余裕のありそうな大きなテーブルがあったが、そこにはたったの数人が座っていた。

豪華な衣装の女性が一人と、騎士団の紋章を肩に付けたいかつい顔の男が五人。

遠くに座っているだけなのに、彼らは既に得体の知れない威圧感を放っている。


「あいつら誰なんだよ。それになんなんだよこの部屋……」


巨大な部屋はもちろんスラムの常識が通用するサイズではないし、実際のは座っているだけで途轍もなく強大で、ジルの貧相な想像をゆうに超えていた。

地図にも載らないような貧しいスラムの暮らししか知らなかったジルは、軽いめまいを覚えていた。

今からここで何が起こるのか、これからのジルはどうなるのか、いよいよ見当がつかない。


「許しが出るまで顔を上げるなと言っただろう。小さな約束も守れないのか。下を向いて歩け」

「チッ」


セルドアは、部屋を見回していたジルの頭をぐいっと押して下げさせた。

ジルは舌打ちをしたがそれ以降は黙ってセルドアに従い、俯いた姿勢のままで引きずられるように部屋の中心に敷かれた絨毯の上を歩いた。

数分、視線にさらされながら黙々と歩き、ようやくジルとセルドアは部屋の最奥に位置するテーブルの前までたどり着いた。


「女王陛下と騎士団司令部の御前だ。膝をつけ」

「はあ?!女王と騎士団司令部?!いや、なんで俺がそんな奴らの前に?意味が分からねえ」

「ずべこべ言わず首を垂れろ」

「ぐ、押すな。わかったよ。やりゃあいいんだろ」


ピタリと立ち止まったセルドアによってジルは強制的に膝をつかされ、頭も床に付けんばかりに首を垂れることとなった。


「セルドア特等騎士。この男が例のスラムの浮浪者であるか」

「その通りです」


セルドアの淡々とした声が、冷たい女性の声に返事をした。

この女性はどうやら女王の側近のようで、手に長い羊皮紙を持ち、厳しい顔で汚らしい格好のジルを睨んでいる。


「面をあげよ」


従者の女性の声が聞こえて、ジルの頭を押さえつけていたセルドアの手が離れた。

それを合図に、ジルはゆっくりと頭を上げた。


ジルの目の前には、巨大なテーブルがそびえるように配置されている。

膝をついたままの姿勢のジルからは、着席している女王と王国騎士団司令官達、それから立ち上がっている側近の顔が見えた。


女王とその側近の女性、そして五人のいかつい風貌の騎士団司令官たちは皆、揃って卑しいものを見目目でジルを見ている。

まるでゴミを見る時のような、虫を見る時のような目だ。

だが、特に驚くこともない。これらはジルならこれまでにもよく見てきた顔だ。

スラムの住人を見る人間の顔は、このように一様に険しくなる。


彼らのそんな反応など見飽きているからジルは今更何も思わないが、それより、この状況は何なのだろう。

ジルのようなスラムの浮浪者が何故、女王をはじめとした天上人と対面しているのだろうか。

ギギが関係しているであろうことは何となく察してはいるものの、それ以上の事に皆目見当がつかない。



「では、手早く済まそう」


重い空気が詰まった部屋で、女王の側近が小さく音を立てて一歩前へ進み出た。


「これより、この浮浪者の審問を始める」


「は……審問?」

ジルの驚きは思わず口から漏れていた。


審問。

女王や騎士団の司令部を前にして審問。

たしかにジルはギギと共に暮らしていたが、でもそれだけだ。こんな仰々しい審問をされる覚えなどない。


しかし驚くジルをよそに、女王の従者は事務的にジルの目の前に立った。


「話に聞いていた通り、珍しい赫眼だ。だが我が国に赫眼を持つ誉血の一族はない。だが一応聞いておこう。お前、名はあるのか」


全く住む世界の違う女王の側近の顔を見ながら、ジルは考えていた。

この質問にはどのような意図があるのだろうか。

しかし答えが出る前に、ジルはセルドアに小突かれた。


「側近殿の質問に答えろ」

「……ああ、名前か。俺はずっとジルって呼ばれてきた」


側近は手に持った羊皮紙に何やら走り書きをしたようだったが、すぐに顔を上げて次の質問をジルに投げて寄越した。


「家名はあるか」

「家名?ある訳ねえだろ」

「両親の名は分かるか」

「知らねえ。顔も見たことねえ」

「自らのルーツを示すようなものは?」

「家紋が入ったペンダントとかって事か?そんなのもある訳ねえだろ。俺を生んだ奴がちゃんとした暮らししてたとは思えないしな」

「では、その身に流れる血に名はないという事だな」

「ああ。あんたらお貴族様みたいに大層なもんなんてねえよ」


ジルは長い問答にもしっかり答えたつもりだったのに、またしても横にいるセルドアに小突かれた。


「言葉遣いに気をつけろ」

「はあ?」

「側近殿は騎士団司令部と同位だ。その無礼な態度を改めろ」

「で、敬語使えってか?俺が敬語なんて使える訳ねえだろ」


ジルが当たり前のように言い返すと、セルドアは無表情ながらにムッとしたようだった。

しかし側近が「許容する」と首を振ったので、セルドアはそれ以上は何も言わなくなった。


「審問へ戻る。浮浪者。お前が一度竜の背に乗ったというのは事実か」

「紅翼竜ってのがギギの事なら、乗った」

「嘘ではないだろうな」

「ああ。疑わしいならこのセルドアって竜騎士や、フリートって竜騎士にも聞けばいいだろうが」

「その報告は既に聞いているが、改めて確認したまでだ。ではもう一つ問う。お前が紅翼竜のタマゴに触った時、何か変化はあったか」

「光ったな」

「本当か」


側近の言葉に、ジルは小さく頷いた。


「騎士団でも竜騎士を選ぶ際は大抵、タマゴに触れてその反応を見るが……」


側近はジルの顔をじっと見た。

まるで隅々まで掘り返すような、鋭い視線。


「本当にお前が乗り手だとでもいうのか?」

「乗り手?もしかして竜の乗り手の事を言ってるのか?ハッ。そんな訳ねえだろ。竜の乗り手はお貴族様の中からしか選ばれねえんだ。お前らの方がよく知ってるはずだ」

「それはその通りだ。竜騎士には今までずっと例外なく誉血の者、グラバスタに古くからある高貴な血を受け継ぐ家に連なる者たちが選ばれてきた」

「だろ?俺は生まれも育ちもスラムだぜ。選ばれようがねえ」


ジルが乾いた声で笑った時、カタンと遠くで椅子が引かれた音がした。


コツコツコツ。

ヒールの音が硬い床に響く。

その足音は、ゆっくりとジルに近づいてきた。


鳴っていた音が、膝をついているジルの前で立ち止まった。


立ち止まったその人物は、女王だった。


女王は上質な衣装を身に着けた、金の髪と金の瞳の女性だった。

近くで見ると女王には年相応のしわが刻まれていて、それが更なる威厳を醸し出しているがよく見ると繊細な顔つきだった。

そして何故か見慣れた感覚が一瞬よぎったが、それは気のせいだろう。

女王の顔など、ジルが見たのは今日が初めてだ。


「陛下。お席にお戻りください。この浮浪者が竜騎士ではないと、我々がすぐに証明いたします」


女王は側近の言葉を手で制し、その金の瞳でジルを捉えた。


だが女王はまだ言葉を発さない。

その身分と挙動で部屋の空気を掌握しているのに、黙ったままだ。


「……」


広い部屋に沈黙が落ちる。

しばらくの時が流れる。

何人もの兵たちが待機している筈なのに鎧が擦れる音さえせず、まるで人間など一人もこの場にいないかのような徹底した沈黙だった。


誰もが息を潜めて話の行く末を窺う部屋の中で、女王によってつくられた沈黙は女王によって破られた。


「承知の通り、我は信託を賜った。紅翼竜は確かに、我々の神たるドラゴンが遣わし竜だった」

「はい、皆十一番目の竜の誕生を喜んでおります。翼を持つ竜は、突如現れた攻略不可能かと思われた飛翔敵を打破するきっかけになるでしょう」

「そうだ。十一番目の竜が誕生したことには間違いがない。ならば乗り手が選ばれることも必然となる」


側近は女王の横に立ち、女王の次の言葉を待った。


「この者を紅翼竜が選んだと言うのなら、我々は神のご意思を疑ってはならない。そう、我々は確かめるべきだ」


ドラゴンを信仰する国の象徴でもある女王はそう言い切った。

そして、席に着いていた騎士団の司令官達に向き直った。

部屋の中が、一気に険しい空気に包まれる。


「陛下……失礼ですが陛下は、まさかこのスラムの浮浪者を、十一番目の竜に乗せるとおっしゃったのですか?」

「この浮浪者、明らかに誉血の者ではないと今お確かめになったはず。絶対に竜の乗り手である訳がないのに、何故」

「こやつが竜の背に乗って宙を飛んだところを見たとの証言があったとしても、この浮浪者が選ばれたはずが無いのです。背に乗ったと言うのは何かの間違いですぞ」


五人の騎士団の司令官達は、一斉に低い声で異議を唱えた。

だが女王は眉一つ動かさなかった。


「浮浪者でも何でも、竜の意思はドラゴンのご意思。選ばれた乗り手かどうかは、竜に載せてみれば分かること。竜は一つの生で一人の乗り手しか選ばないのだから、我々は確かめなくてはならない」

「しかし陛下……!」


側近がたまらず唸ったが、それを無視した女王はジルを真っすぐ見下ろした。


「赫眼の浮浪者よ。最後の審問だ。外に出る。そこで紅翼竜の背に乗って見せろ」

「背に……それってまさか、あんたは俺が竜騎士かもしれないって思ってるってことか……?有り得ねえだろ」


しかし女王はジルの驚きを聞くまで待たず、すぐにくるりと踵を返した。

何人もの護衛に囲まれ、そのまま振り返ることなく部屋を出て行ってしまった。

残されていた五人の司令官達もジルを睨みながらも立ち上がり、渋々女王の後に続いた。



司令官や控えていた兵士たちが移動した後、セルドアが立ち上がった。

女王の指示通り、外へ行くようだった。


「いや、おい。いくら何でも俺が竜騎士かもしれねえなんて有り得ねえだろ。可能性があるかもなんて考える事すらおかしいんじゃねえのか」

「黙れ。これは陛下の決定、ひいては神たるドラゴンのご意思」


ジルに繋がる鎖を乱暴に引っ張って、セルドアはスタスタと部屋の出口に向かって歩き出す。

抵抗できないジルはセルドアに引かれるままに歩くこととなったが、納得も出来ていなければ、理解も追いついていない。


ジルが竜騎士かもしれないなんて、可能性の話だとしてもおかしい。

たしかにギギの背には乗ったが、誰がどう考えてもスラムの浮浪者が竜騎士なんてものに選ばれるはずがないのだ。

ギギは愛嬌があるから、他の竜とは違って誰でも背に乗せる竜なのかもしれないではないか。

十一頭目という特例なのだから、それくらいの特例だってあるかもしれないではないか。


だが事態が、ジルの予想をはるかに超えた方向へと動いている気がする。

ジルは一刻も早くスラムの隠れ家へ帰らなければならないというのに。


そこまで考えて、ジルはハッと顔を上げた。


「なあ、一つ確かめておきたいんだが」

「……」

「おい、無視すんな」


前を歩くセルドアはジルに答えようとはしなかったが、それでもジルがしつこく呼びかけると、ようやく微かに後ろを向いた。


「今から行くのは外って言ったな?」

「そうだ」

「どこだ」

「騎士団の競技場だ」

「なるほど。それからあの女王は、俺にギギに乗ってみろって言ってたな。ギギもそこにいるのか?」

「お前、質問は一つだと言っただろう」

「はあ?一つも二つも変わらねえだろ。ついでに答えるくらいしろよ」


しかしセルドアは、それ以上口を閉じてしまって何も言わなかった。

ジルもそれ以上質問を重ねなかったが、この状況に一つある可能性を見出していた。


外に出られる。

そしてそこにはギギもいる。

上手くいけば、もしかしたら。




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