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上空




「……まさか。あの浮浪者、竜に乗っただと」


ジルを捕え損ねた手をゆっくりと引っ込め、地上に取り残されたセルドアは大空を駆けあがっていく竜を大きく見開いた目で追っていた。

無表情を貫いてきたセルドアも、さすがに唖然とした表情を隠せないでいるようだった。


「彼は……スラムの、名もない浮浪者のはずだろう?」

「キュウ」

「それが、何故……いや」


セルドアは驚きを無理やり抑え込んでキュッと眉を寄せ、再び仏頂面の騎士の顔に戻った。


「……あの獣は迅速に確保したのち、陛下と司令部に諸々の判断を仰がなくては」

「キュウキュウ」

「空を飛んで完全に逃げられてしまう前に、援軍を」


ジル達に空を飛ばれてしまっては、地上でいくら速く走ろうとセルドアは永遠に追い付けない。

よって、セルドアは援軍を呼ぶことを決めたらしかった。


「蜃奏竜とフリート殿が適任だろう」

「キュウ」


八つ目の竜は、承知したとばかりにくるりと体の向きを変えた。

そして特に助走をつけるでも構えるでもなく、最初の一歩目からトップスピードで走り出した。






こうしてセルドアと八つ目の竜は、地上という下の世界に取り残された。

もう彼らがいくら早く走っても、ジルとギギには届かない。

一生懸命追いかけてきても、もう追い付けない。

そんな誰もいない大空の世界に、ジルとギギは来ていた。


ジルが見渡す限り、どこにも障害物はない。

視界をを遮るものは何もなく、進む道を決める壁もない。

誰も手出しできないし、脅威もない。

その上空という未踏の世界は、ジルが先まで直面していた危機を一瞬にしてうしろに置き去りにするような力を持っていた。


「……すげ」


感嘆の言葉が、思わずジルの口をついて出た。


大きな翼が飾りでは無いのなら空高く迄飛び立てるだろうと半場賭けのような逃走劇だったが、ギギは見事に飛んでみせた。

ジルは自分で空を飛んで逃げることに全てを賭けたにもかかわらず、実際に空を飛んで感動していた。


眼前に広がるのは、スラムの黒い空ではなく、青い空。

スラムの黒い雲ではなく、白い雲。

地に這いつくばることが精いっぱいで、見上げる事さえしなかった上の世界。


風が頬を掠めて通り過ぎる。

先ほどまで吸っていた空気がどんどんと過去のものになる。

生まれて初めて空を飛んだジルは、その見慣れぬ景色を肺一杯に吸い込んだ。


「こんなん想像したこともねえよ」

「クル」

「空の上ってこんなんなんだな」

「クルクル」

「ここまではあの騎士も追ってはこれねえだろうしな」

「クル!」


手を伸ばしてギギの頭を撫でてやると、ギギは風を受けながら目を細めた。


ギギは初めて飛んだにもかかわらず、もう大きな翼をはためかせる姿が胴に入っている。

揺れることもないし、風に流されてしまう事もない。


少し前まで小さなトカゲだった筈なのに立派になってしまったギギの頭を、ジルが小突くとギギは不服そうに鳴いた。


「おいギギ、お前堂々と飛んでるが実際は初めて飛んだんだろ?いきなり落ちたりしねえよな?」

「クル!」

「うわ!!!そういうことすんじゃねえよ!」

「クルルルルルル」

「面白がってんじゃねえ」


念を押したタイミングでギギが面白がって急降下したので、ジルは慌ててギギにしがみ付く羽目になってしまった。

別に高い場所が苦手なわけでは無いが、初めての上空で悪戯されるのは流石に心臓に悪い。


だが同時に、ジルは少し安心もした。

完全な竜の見た目になってしまったが、やっぱりギギはギギのままで何一つ変わっていないようだ。


「頼むから落ちるなよ。あと、疲れたら言え」

「クル!」


元気よく返事をしたギギは、落ちる様子はおろか、疲れた様子も特に見せることなく飛行を続けた。




ジルはギギの背の上でしばらく空の景色を眺めていたが、「なあ」とギギに声をかけた。


「お前って本当に竜なんだな」

「クル」

「竜語はわかんねえ。でもやっぱ流石に竜だよな。あの騎士も言ってたし、多分魔物な訳もないよな」

「クルル」


ギギの言葉は分からないが、首が緩やかに上下するので、何となくギギも肯定しているようだ。

それを見て、ジルはギギの上で少し姿勢を正して言葉を続けた。


「ならお前、この国から出た方がいいぞ」

「クル?」

「戦場なんて行きたくねえだろ?この国にいたら使い潰される。だから逃げた方がいい」

「クルクル」

「なんだ?もしかして俺と一緒に逃げたいってか?いや、俺はスラムからは出ねえ。リールたちがいるからな」

「クル!」

「じゃあ自分もスラムに残るとか言ってるんじゃねえよな?それは駄目だ。こうなっちまった以上、お前はこの国から出た方がいい」

「クルクル!」

「そんなに首振って、そんなに嫌なのかよ」


ジル達と離れるのが嫌なのか、ギギは激しく首を振っていた。

そんなことをされれば何となく離れがたくなってしまうが、ギギはこの国を離れた方がいいのもまた事実。


騎士団が普段相手取っている化け物・鬼竜兵について、北部に出向いたことの有る旅商人や闇市にいる流れ者たちが口々に「恐ろしかった」と言う事を、ジルは知っている。

また、北部には魔晶石の大きな鉱脈があるので金を稼ぎに多くの労働者が集まるが、毎年何人かは食べられて死んでいるとも聞く。


しかし実際一番鬼竜兵の犠牲になっているのは、騎士団に所属している人間だ。

国民の憧れともいえる強くて優秀な騎士たちだが、やはり直接鬼竜兵とやり合うのだから、いつも危険が付きまとう。

いくら名誉ある役職だったとしても、絶対にするべき仕事ではない。


「だからやっぱりお前は今すぐにでも逃げるべきだ。どっか、名前も分からねえような遠い場」


国の為、名誉の為、人の為。そんなことの為にギギが無残に死ぬ事もない。

だから、捕まる前にどこか遠くの国に逃げる方がいい。

ジル達とは違ってその大きな翼があるのだから、どこへだって自由に行けるうちに。


そう言ったつもりだった。

しかしジルの言葉は言い終わらないうちに、突然の轟音にかき消された。

まるで嵐の中に突然突き飛ばされたような、まるで鼓膜だけ地震のさなかにぶち込まれたような、恐ろしい大気の震えだった。


「 」


何が起こっている?!とジルは声を出したはずだったが、轟音にかき消されて何も聞こえない。

内側に響いたはずの自分の声さえ鼓膜に届かない。

そればかりか、自分が今いる場所も右も左も上も下も縦も横もすべてが支離滅裂になって視界が回りだした。


「 」


おかしい。

一体なんなんだ。

周りの景色は晴天なのに、まるで荒れ狂う海の中にでも落とされたような音がする。


「 」


耳が痛い。頭が揺れる。舌がもつれる。筋肉が痙攣を始める。


声は相変わらず轟音にかき消され、風がジルの顔の横を通り抜けていく。

これは先ほどのように気持ちが良いものじゃない。

引力に引かれて、空を置き去りにして下へ下へと落ちていく。


落ちている。


ついさっきまで悠々と飛んでいた筈なのに、ジル達は地面目がけて落ちている。

何が起こっているのかは分からない。

だが、危険な状況だけは理解した。

このまま落ちて行けば、数秒後には地獄行きだ。


「っ、ギギ!」


ジルは何とか名前を呼んで、落ちていくギギをぐっと引き寄せた。

ギギはどうやら轟音で筋肉が麻痺してしまったらしく、上手く翼を動かせないようだった。


「起きろ、ギギ!大丈夫だ!もう音はそんなに大きくない!」

「 」


ジルの呼びかけにも、ギギは答えない。

眼球も思うように動かせないのか、ただ一点を見つめて苦しそうにしているばかりだ。


「ギギ!しっかりしろ!仲良くひき肉になりたい訳じゃねえだろ!」


落下の風圧に耐えながら、ジルはぎゅっと握った拳を振り上げた。

そしてそのまま乱暴に振り下ろし、ギギの顔にごつんと拳を食らわせた。


「ク……クル」

「戻ったか」


拳が利いたのか、ギギは目をパチパチとさせてか細く鳴いた。

だが、完全に回復はしていないようで、飛行姿勢を取ろうとするものの、羽が片方動かない。

なんとか動く片羽で風を受けて落下のスピードを押さえようとするが、なかなかうまくいかない。

ジルはあの手この手でギギの麻痺を取ろうと試みたが、なにせ空中なので出来ることも限られている。


「クソ、このスピードで落ちてくのかよ。まあさっきよりはマシになったとはいえ、落ちる場所悪かったら死ぬぞ」

「クル……!」


ギギもジルと同じ考えだったのか、動く方の翼を懸命によじって、なんとかスラム街からほど近い地点にある雑木林の茂みの中に落下した。





衝撃が止んでジルが目を開けると、目の前には緑の葉っぱが青々と広がっていて、体の上には細かい枝や気の破片が落ちていた。


「……ギギ、生きてるか」

「クル」


上半身を起こす。

結構な上空からの落下にも拘らず、ジルの体に大きな怪我はない。

どうやらギギが下敷きを引き受けてくれたおかげで、ジルの体の方は多少の打撲だけで済んだようだった。

そしてギギの方も硬い鱗に守られた頑丈な体のおかげで、殆ど無傷で済んだようだ。

これは不幸中の幸いとでもいうべきだ。


だが、問題はあの轟音が何によって引き起こされたのかということだ。


「ったく、なんだったんだ」


ジルが立ち上がり、パキパキと細かい枝を踏みながら地面に降りると、目の前にがさりと姿を現したものがあった。


「これが十一頭目の竜……。まさかとは思っていたけれど、セルドアくんの言う通り、本当に竜にしか見えないね」


ハスキーながらも妙に品のある声でそう言ったのは、またしても見たことの無い男だった。

長く艶やかな髪と、珍しい異国の宝石をあしらったピアスをした女顔の男。

気品はあるが、騎士や貴族とは言い難いような衣装を身にまとっている。敢えて形容すれば、華やかな吟遊詩人のような服装だ。


強くて高潔と言われる騎士の姿からは遠くかけ離れた雰囲気の男だったが、ジルは一瞬で、この男も騎士なのだと気が付いた。

なぜなら、この男も後ろに竜を連れている。

扇のような尾羽と、アコーディオンのような大きな首を持つ派手な色合いの大きな竜だ。

それによく見れば、男はその両手に騎士団の紋章の入った籠手を装着している。


やはり間違いない。

この男はセルドアと同じく騎士で、しかも竜騎士であるらしい。

ともすれば、先ほどの謎の轟音はこの男の竜の攻撃なのかもしれない。


「お前は誰だ?」


ジルは男をから目を離すことなく後ろに飛び退いた。

その横では、同じく男に気が付いたギギが鱗を逆立てている。


「人に名前を聞く時は、まず自分から名乗るのがマナーだよ。スラムの浮浪者くん」


牙を見せるギギにも臆することなく、男は優雅に微笑んだ。


「さっきのは、お前の攻撃か?」

「初対面の人間に質問攻めだなんて、挨拶の基礎がなっていないね。もしも僕が女の子だったら、お茶も飲まずに帰っているところだよ」

「お前は対面する前から攻撃仕掛けてきてんだろ。そっちの方が挨拶としてどうかしてるじゃねえか」


男の挙動に警戒しながらもジルが眉をしかめると、男はわざとらしく大きく肩を竦めた。


「ふふ、その通りかもね。でもこうして対面しなくちゃ挨拶さえもできないからね。空に逃げられたら力ずくで降りてきて貰うしかない」


逃げる隙を窺っているジルに向かって、男は大きく一歩近づいてきた。


「特別サービス。綺麗な赫眼の浮浪者くんに教えてあげよう。僕はフリート・リズロイ・ローデンベルグ。特等騎士、すなわち竜騎士だ。そしてこちらは蜃奏竜トゥーラエグラ。僕の竜は音を使う。君の竜が空気の中を飛ぶ限り、僕たちの音はきっと君たちを逃がさない」


爪の先まで丁寧に整えてありそうなリンフロートの微笑は一見綺麗なものだったが、ジルはセルドアとは別の威圧感をこの男から感じた。


「広がる空と空気は、君たちだけの味方じゃないんだよ」


マズい、とジルは思った。

この男も、セルドアと同じように相当な手練れだ。

竜騎士だから手練れ絵であることは当然なのかもしれないが、やっぱり今のジルとギギでは、到底敵う相手ではない。


「ギギ、逃げ」


しかし、ジルは言い終えることは出来なかった。

リンフロートの竜が胸を大きく膨らませて一鳴きしたところで、ジルの言葉は轟音にかき消された。

そればかりか、超至近距離で全身に振動を浴びたジルは目の前が真っ暗になり、記憶さえもここで途切れてしまったのだった。



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