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いきなり、ググの目の前が真っ暗になった。

いや、正確には特徴的な破裂音がしたかと思ったら、黒い煙が廃墟の建物内を一瞬にして覆いつくしていた。


……この煙は。


ググは傷ついて腫れた目をしばたかせながら、もしもの可能性について考えた。

この煙幕には、身覚えがある。

この鼻に刺さるような強烈な匂いと、目を抉るような刺激をまき散らす、特別製の煙幕。

スラムに流れるドブ川に咲く、誰もが疎うような臭い野草を、独自に調合して作ったもの。

ググが知る限り、こんな煙幕を作るのはただ一人。



「うぎゃああああ!鼻がもげる!!」

「うおおおおお!目が!目が!!」


作業服の男たちが鼻を押さえ目をこすり、喉をかきむしりながら悶え始める。

廃墟と言っても、壁と屋根が残っている建物内ということが幸いし煙幕は直ぐに消えることなく、臓物狩りたちを混乱に陥れた。


「くそっ、なんだこの忌々しい煙は!!またゴミか!?ゴミの悪あがきか?!!」


大男でさえ、苦しそうに両目を押さえてよろめいた。


大男の手が何かを探すように宙を右往左往している。どうやら男の視界は完全に奪われているようだ。

ググはこの隙に這ってイレイナに近づき、彼女のボロボロの体を力いっぱい引き寄せた。


ググの呼びかけにもイレイナは小さく呻いただけで、その腕は力なく垂れている。しかし息はある。

ググがイレイナを抱え込んだ時、二人の横に細く長い影が素早く姿を現した。


「生きてるな?」


黒い煙の中でも光る、夕日よりも赤い鋭い目。

夜の闇よりも真っ黒な髪。

ググたちと同じく貧しい体つきの筈なのに、何故か何より頼もしく見えるその体躯。

そして見慣れたボロボロのマントと、鋭い瞳を隠すように頭から被ったフード。


呻いている臓物狩りたちからググとイレイナを守るように、あの日にも見た背中が一歩前に出る。


「お前は何回も使って慣れてるはずだ。この煙の中でも目え開けられるよな?」


今、何より一番聞きたいとググが願った低い声がする。


「ジル兄っ!!!!」


ググは思わず声を上げていた。


来てくれた。

来ないで欲しいと言ったけれど、やっぱり来てくれた。

助けに来てくれた。


ジルの存在を確認しただけだったが、ググの涙はすっかり止まっていた。

そればかりか頭に掛かっていた靄は晴れ、沸いてきた希望が軋んでいたググの全身の痛覚までもを凌駕した。

痛くてもう指一本さえも動かせないと思っていたのに、ググの体は再び力を得て動き出した。












「ググ、大丈夫か」


ジルは自らが建物内にぶち込んだ煙幕に咽そうになるのを堪えて、ググの肩を捕まえた。

目が痛いのは勿論、喉も鼻もピリピリするし、視界は泥の中に潜ったような酷いありさまだ。

だがこの煙幕を作成し、この煙幕内での活動に慣れているジルは、的確にググとイレイナの居場所が見えていた。


「いや、大丈夫じゃねえな。お前は血まみれ、イレイナは……足折られてんのか。クソ、なんでイレイナは俺より早くお前の居場所突き止めてんだよ」


ジルが顔を寄せて観察すると、ググは顔が血まみれで、イレイナはもはや半分気絶している。

だが、この場で手当てをするような時間はない。

ジルはまずイレイナを背中に担ぎ上げた。

肩に載っていた筈のギギは煙幕に飛び込んだ時にどこかへ逃げてしまったので、イレイナが載るスペースは十分にある。

ジルはイレイナを肩に引っ掛けたまま手を差し出して、ググを立たせた。


「ググ、お前は動けるな?」


煙幕に耐性のない臓物狩りたちは、今はまだ呻いて右往左往している。

しかし煙幕は直ぐに切れるだろうし、痛みを堪えて目を開ける輩も出てくるだろう。


逃走の隙は待ってくれることも無く一瞬。

迷いは不要だ。さっさと脱出しなければ。

ジルはググの返事を聞く時間も惜しいとばかりに動き出す。


「こっちだ」


廃墟の壁はひび割れだらけで、ところどころに穴もある。

ジルが煙幕を投げ入れてから侵入に使った穴は、建物の裏側に通じる穴であり、丁度細い人間が一人通り抜けられる大きさだ。

ガタイのいい臓物狩りたちは穴を抜けられないから使えないだろうが、ジル達はそこから脱出できる。

建物の裏側へ抜けることが出来れば、建物の表側からしか外に出られない臓物狩り達から距離を取って逃げられる。


「早く入れ!」


ジルは穴にイレイナを突っ込んでまず最初に外に出し、それからググを穴に押し込んだ。

ググの体がイレイナ同様、傷だらけでも構わず素早くググを押し出し、自分も素早く壁の穴から外へ出た。


「ジル兄」

「ググ、走るぞ。死んでもついてこい」


ジルは瀕死のイレイナを担ぎ直すと、ググの手を引いて走り出した。

背中の方、壊れかけの壁の向こうから、臓物狩りの咆哮が聞こえる。


「ゴミめゴミめゴミめ!!ゴミの癖に小蝿よりもこざかしい!あとからあとから湧いて出て、蛆虫よりも汚らしい!ゴミの分際で私から逃げられるとでも?!」


臓物狩りたちは煙が引けばすぐにでも建物の表から外に出て、裏から逃走するジル達を追ってくるだろう。

しかしどれだけの怒声が聞こえようと、少しでも距離を稼いでおきたいジルが振り向くことはない。


ジルは廃墟の裏から、むき出しになった枯れた排水管が無数に壁を這う小路に飛び込んだ。

細い地面に着地した時にその衝撃で背中のイレイナがうめき声をあげたし、ついてきているググも傷が痛いのか顔をしかめていた。

だがジルは何も言わずにググの腕を引き、ずり落ちたイレイナを担ぎなおして再び走り出した。


走る。はしる。

逃げる。にげる。

ジル達は狭い角を曲がり、錆びた鉄骨造りの建物のあいだを走り抜ける。

むき出しの脆くなった鉄筋をぶつかるようにして壊して、ジルは細い道を切り開く。

一見どこに続いているかも知れないような古い土管も、転がり落ちるようにして進む。

以前は病院だったと思しき廃墟の、不気味な廊下を駆け抜け、割れた硝子を潜り抜ける。

ジルはわざと曲がりくねった細い道を選び、迷路のように複雑なスラムの裏道を通って走った。

僅かな逃げ道に、潜り込むようにしてジル達は逃げる。


「ググ、ついてきてるか!?」

「ぜいぜい……ジル兄……」

「声出せるんならいけるな。遅れんなよ」


丁度、錆びたフェンスに囲まれた古い焼却場までたどり着いた時。

ジルは振り返り、後ろをついてくるググを気にかけて声をかけた。


ググはゼイゼイと息をしていたが、喋る気力はあるようなので、このまま走り続けてよいだろう。

しかしジルがそう考えた矢先、逃げてきた道に赤い点がポツポツと落ちていることに気が付いた。

背中にいるイレイナのものではないので、それはググから滴ったものだということだ。

喋る気力があるから大丈夫だなんて、勝手に早合点していた。


「ググお前、なんで言わなかった!」

「え……なにを?」

「血、垂れてんだろ!相当我慢してんじゃねえのか。どこだ。腹か?!」


急に怖いほど真剣な顔になったジルを見てぽかんとしていたググの服を容赦なくめくり、ジルは点々と落ちていた血の出所を突き止めた。


「チッ」


血がどくどくと出ていたのは、ググの足からだった。

煙幕を使った上に時間がなかったので、ジルはググの怪我の全貌を確認し切れていなかったのだ。


「この足の怪我でここまでついてきたのかよ」

「なんか走ったら傷開いたみたいな……?でも健は切れてないし、大丈夫、俺痛いのは大丈夫。まだ、走れるよ」

「クソ。走れねえって言われても走らせることになっちまうけどな。とりあえず止血はする」


ハアハア肩で息をしているググの足を強引に引き寄せて、ジルは裂いたマントのきれ端できつく止血をした。


「血、垂れてたよね……。奴ら、追ってきてるかな」

「ああ。あの塀の向こう見ろ、今カラスが一斉に飛び立った。すぐそこまで臓物狩りの奴らが来てるってことだ」

「ごめん、ジル兄」

「謝られる意味が分からねえ」

「俺の所為で……」


ググは小さく項垂れた。

きっとジル一人だったら、揃ってガタイのいい臓物狩りを撒くことも簡単だったかもしれない。

痕跡を残すこともしなかっただろうし、何より、もっと早く走れただろう。

負傷したググと気絶したイレイナを気遣いながら逃げるジルは、確実に機動力が落ちている。

だがそれはジルも承知の上だ。


「変な顔すんじゃねえよ。怪我して早く走れねえのは仕方ねえ、そんだけだ。これで話は終わりだ。いくぞ」


申し訳なさそうな顔のググが「じゃあ自分が囮になる」なんて馬鹿なことを言い出さないうちに、ジルは早めに話を切り上げた。

そして直ぐそこに迫る臓物狩りたちの気配から逃げるべく、再び走り出した。




しかしジルたちが、ゴミが山のように放置された、高い壁に囲まれた路地に入った時だ。


「ゴミ共が来たぜ!主任に報告だ!」


嬉しそうな声と共にヌッと現れた作業服の男たちに、行く手を遮られた。

ジルはチッと舌打ちをする。どうやら待ち伏せされていたようだ。


この路地は、廃棄されたゴミが至る所に積まれていて視界が悪い。

ジルはそれを利用して身を隠しながら移動していたが、積まれたゴミを利用していたのはジル達だけではなかったらしい。

とはいえ、逃走経路を読まれていたことに少し驚いたが、今は反省している時間など無い。今すべきことは、新たな逃走ルートの確保だ。


「ググ、こっちだ」


ジルは瞬時に方向転換し、来た道を走り出した。


次の角まで戻れば、二手に分かれる道がある。

そこを右に曲がってドブ川に繋がる用水路を下る。狭いトンネルだから一列になって這うしかないが、極端に使いづらい道なら追う方にも負荷をかけられる。

ジルは次の逃げ道の算段を立てながら走っていた。



しかし、ジル達が次の角まで到達することはなかった。





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