身の程しらず
このあたりから数話にかけて暴力的な表現がありますので、お気を付けください。
煙で、日中でも暗く、陽の光の当たらない街。
痩せたカラスが不気味に目を光らせていて、動かなくなった人影も転がっている。
そんなスラムの大通りを、一つの痩せた影と何人かの屈強な影が歩いていた。
痩せた影はフラフラとした足取りで、屈強な団体の前を歩いている。
「早くしろ」と急かされてよろけ、繋がれた腕を引かれて顔をしかめた痩せた影は、ある場所でピタリと止まった。
「俺の仲間が住処にしてるのは、ここ」
痩せた影、もとい傷だらけになったググが屈強な臓物狩り達に向かって示したのは、スラムには珍しく屋根の残った廃墟の床にある扉だった。
この扉を開ければ、地下に部屋がある。
「開けろ」
屈強な男たちの中でもリーダーのように振舞う大男が、ググの背を蹴った。
硬い靴の先が背中に突き刺さり、咽る。
だがググは這うようにして扉の取っ手に手をかけ、言われた通り扉をギギギと開けた。
地下には、そう深くも広くもない部屋が広がっていた。
「いけ」
大男が、顎で合図を出した。
それに対して即座に頷いたのは大男の横に付き従う作業服の男だ。
ランタンを掲げて先陣を切り、地下の部屋へと入って行く。
ググも作業服の男の一人に犬のように引っ張られ、地下の部屋へと入った。
暗い部屋を見回すと、まず割れた瓶や壊れた壁、裂かれた布やらが目に入る。
それから汚い紙袋、動物の骨、気味の悪い液体。
酷い臭いを放つものが、あたりに乱雑に散らばっていた。
長いステッキをカンカンと壁や床に打ち付けながら地下の部屋を観察していた大男も、流石に顔をしかめる。
「こんな不衛生で汚い場所で暮らしているとは、やはりスラムの奴らはゴミ以下だ。哀れを通り越しておぞましいな」
大男は鼻を手で覆いながら、壊れた棚を蹴とばし、積んであった箱に掛けてあった布を剥ぎ取った。
そして作業服の男たちもそれに続くようにして瓶を割り、骨を蹴散らした。
辛うじて形を保っていた物が全てガラガラと崩れる音がして、やがてその部屋にあるものすべての全貌が明らかとなった。
大男がググに向き直る。
「ネズミ一匹いないじゃないか」
大男は手袋を二重に付けた手で、自身の尖った顎を撫でる。
そしてギラリと、まるで針のような視線をググに向けた。
「……俺の仲間は優秀だから、もう逃げたっぽい。多分このスラムにはもういないかも。残念だったね」
痛む喉から声を絞り出しながら、ググは心底嬉しそうに言った。
もちろん、誰もいる筈がない。
仲間のいる住処への案内をさせられていたググは最後の抵抗として、嘘の住処に臓物狩り達を先導していたのだから。
「そうか、ガキどもは逃げた、か」
男が舌打ちをしたのを聞いて、ググは内心笑っていた。
騙されてくれたようでよかった。
実はググが案内したこの地下の部屋は、度々中毒者たちが集まって得体の知れない博打をしたり薬の売買をしたりする場所なのだ。
適当な場所に臓物狩りを連れてきたググの目的は、ジル達仲間がもうスラムからいなくなったと思わせることだ。
そうすれば臓物狩りの連中は、このスラムを探し尽くすのを諦めるかもしれない。
皆が生き残る可能性を少しでも増やせるのであれば、それに越したことはない。
全部思った通りになんてさせるか。
しかし、そう思ったのも束の間。
ググが僅かに勝ち取った勝利は一瞬で霧消することとなった。
「なあゴミ、本当に私がお前の言葉を信じたと思ったか?」
「え?」
「ガキどもがこのスラムから逃げたのなら、もう探すのは止めようとでも言うのを期待したか?頭の悪いクズめ。ここがガキの住処でないことくらいすぐに分かったわ」
大男は腕を拘束されて繋がれているググの前に仁王立ちし、間髪入れずに持っていたステッキでググの腹を殴りつけた。
大男の素早い動作に、傷だらけのググはされるがままになる事しかできなかった。
「がはっ……」
「それよりもお前、ゴミの癖によくそんな小癪なことをしようと考えつけたな?」
「……」
「ゴミの癖によく人間を騙せると思ったな?ゴミの癖によく人間に歯向かおうと思ったな!?」
ググは、男によって容赦なく蹴り飛ばされた。
酷い音がして、胴に激痛が走る。声が出ない。
「なんだ、脆いな。もしかしたら内臓が少し駄目になったか?まあいい。どうせはした金だ」
ググはそのまま息が出来ず、立てないまま蹲った。
「ここにあるのは酒瓶、薬の袋、博打用の動物の骨……。明らかに金にもならないゴミがいた痕跡しかない。なあ、お前の仲間の臓器共は本当は何処に隠れている?」
「……」
「答えるんだ。そうすれば私たちがゴミのお前たちを有効活用してやると言っているんだぞ。こんなスラムでゴミとして生きるより、臓器になって売られて私たちの金になった方がよほど有意義だと思わないか?!」
「……思う、訳ないじゃん」
「ゴミめ!!!!」
興奮した声の大男に胸ぐらをつかまれて、蹲っていたググは今度は宙ずりになった。
そこかしこが痛いのでせめて蹲っていたいのに、この大男はそれさえ許してはくれない。
ガクガク揺さぶられて掠れる瞼を無理やり開けると、叫ぶ大男の濁った眼が至近距離でよく見える。スラムのどぶ川と同じ色だと、ググは酸素の足りない頭で思った。
「ゴミの有効活用だ!リサイクルだ!お前たちゴミも、生きる意味もなく楽しみもなくこんな場所で暮らすより死んだほうがマシだろう?私たちはまさに慈善団体だ。さあ早くガキどもの住処を吐くんだ」
「……」
「手を煩わせるなよ、ゴミ」
「そんなこと言ったって……俺は言わないって、言ってるじゃん」
ググは霞む目で大男を睨みつけた。
ジルに倣って言えば、この男はとんだクソ野郎だ。
クソ中のクソ野郎。
スラムにはたくさんのクソ野郎がいて、というかスラムの人間なんてクソ野郎しかいないけれど、この大男はググが出会った中でも屈指のクソ野郎だ。
ググが仲間の居場所を吐くなど、それだけは死んでもあり得ない。
ググは信念とか勇気とか正義とか、そんな偉そうなものは別に持っていないし、頭だって良くない。ものをすぐに忘れるし、向こう見ずがいつまでたっても直らない。
でも、そんなググでもやっぱりわかる事がある。一番大事なものとか、守りたいものとか、死んでも屈しない方がいいものがある事とか。
この大男にとってはゴミのように軽い命でも、ググにとって仲間の命は何よりも大切だ。
臓物狩りなどに脅かされていいものではない。
「絶対、お前なんかに、教えない」
息も絶え絶えだが、ググははっきりと言い切った。
そして更に、大男の悪辣な顔に唾を吐きかけてやった。
ぴたりと動きを止めた大男の頬を、ググの吐き捨てたものが伝っていく。
汚い悪党への、ググのささやかな抵抗だ。
しかし、ググの吐き捨てた物を手で確かめた大男は、ブルブルと大きく震えだした。
「舐め腐りやがって……汚らわしい!汚らわしい!このゴミが!!ゴミの分際でこの私に!!!!!」
大男は、獣のように全身の毛を逆立てて怒鳴った。
殆ど狂っているのではないかと見まごうくらいの剣幕だった。
どうやら、ググは大男の逆鱗に触れてしまったらしい。
「汚いゴミがこの私を侮辱するだと?!もうお前の内臓だけでは済ません!!お前の売れない部分をすべて痛めつけてやる!!!」
大男は恐ろしい勢いでググの顔を鷲掴みにし、ブルブルと揺さぶった。
「他のゴミ共の居場所も必ず吐かせてやる。お前の仲間も全て売り捌いてやる!」
「だから、言わないって言ってるじゃん。どうせ殺されるのに、脅されて言うとか、馬鹿でしょ……」
「ああ!ゴミの癖に私の手を煩わせるとはいい度胸だ!!では言いたくなるまで切ってっ切って切って刻んでやる。骨からいくか指か耳か皮か歯かそれとも爪からか!?」
「……」
「いいや先ずはお前の頬にある古傷だ!この見苦しい傷を裂いて広げて北に現れる怪物のようにしてやろう。汚い顔は売れない捨てる部位だからな、たくさん遊んでおぞましいものに変えてやる!!」
勢いのままに、大男はその指をググの頬の古傷に食い込ませた。
吐きかけられた唾の分を百億倍くらいにして返されているような痛みと共に、男の爪は簡単にググの頬を引き裂いた。
「うぐ……」
堪えていた筈なのに、絞られたググの口から声が漏れる。
大男は持っていた長いステッキを乱暴に床に打ち付けた。
するとステッキの先が伸縮し、中から鋭く磨かれた刃物がギラリとのぞいた。
大男はステッキを器用に一回転させ、その刃物をググの頬に押し当てた。
大男の目の中に、苛立ちがぎらぎらとうごめいている。
「ひゅう」
大男の後ろに控えていた作業服の男たちから、小さなヤジが飛んだ。
ググの視界には、長いステッキを上手に構える怒り心頭の大男と、それを眺める多数のニヤニヤした目があった。
このまま痛めつけられて死ぬことになりそうだ、とググは思った。
思えば、ジルはいつも言っていた。スラムは最低で最悪で、理不尽なことがたくさん起こる場所だと。
でもググはいつも、言うほど最低だろうかと思っていた。
だってここには、ジルもリールもイレイナも子供たちも、みんないた。だからググの人生は、結構楽しかった。スラムなんかで生きているとは思えない程幸せだった。
そればかりか最後にナッツを助けることができたし、ジル達仲間が安全な場所にいてくれるのだから、ググにはもうこれ以上、何も心配することは無い。
「身の程を弁えないゴミに制裁を!!!」
覚悟したググに向かって、大男が叫んだ。
頬に鋭い痛みを感じたググは、思わずぐっと奥歯を噛み締めた。




